デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一

20. 小疵を捨て大功につけ

しょうしをすてたいこうにつけ

(66)-20

子路曰。桓公殺公子糾。召忽死之。管仲不死。曰。未仁乎。子曰。桓公九合諸侯。不以兵車。管仲之力也。如其仁。如其仁。【憲問第十四】
(子路曰く。桓公公子糾を殺す。召忽は之れに死し管仲は死せず。曰く未だ仁ならざるか。子曰く。桓公諸侯を九合するに兵車を以てせざるは管仲の力なり。其の仁に如かんや。其の仁に如かんやと。)
 本章は管仲の仁者なるものを言つたものである。子路問うて曰ふには、斉の桓公が公子糾を殺した時、召忽は之れに殉じたが、管仲は茲に死ななかつたばかりでなく桓公に仕へたのは、君を忘れて利に奔つたもので、仁者と云ふことは出来まいと。然るに孔子は、桓公が天下の諸侯を合同して之れを統督したが、之れをなすに兵車を用ゐなかつたのは管仲が補佐の力である。治世安民の大功は仁と称すべきものであるから、管仲は寧ろ大なる仁者であらうか、と再言したのは、その仁の大なるを称したものである。
 若し普通からするならば、管仲は自分の仇敵である桓公に仕へたことは、甚だしき不仁と称すべきものであるけれども、桓公をして戦争をなさしめず平和裡に覇業をなし、而かも民の為に尽したことは仁の大なるものであるから、先きに公子糾の為に死ななかつた罪は之れを以て償ふことが出来る訳である。孔子は小節に拘泥せん処がある。若し小節に拘泥して居れば、管仲などを必ず不仁者として貶して仕舞ふであらうが、さうでない所などは孔子の大なる所以である。謂ゆる道学者と称する者は屑々たることに泥んで、之れを破つて行くことが出来ないのは遺憾である。小疵を捨てて大功を取つた孔子の批評は実に大なるものであると謂ふべきである。

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デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.575-592
底本の記事タイトル:三六六 竜門雑誌 第四三一号 大正一三年八月 : 実験論語処世談(第六十四《(六)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第431号(竜門社, 1924.08)
初出誌:『実業之世界』第20巻第9,10号,第21巻第1-3号(実業之世界社, 1923.09,11,1924.01,02,03)