デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一

16. かう云ふ成人なら出来る

かういうせいじんならできる

(66)-16

子路問成人。子曰。若臧武仲之知。公綽之不欲。卞荘子之勇。冉求之芸。文之以礼楽。亦可以為成人矣。曰。今之成人者。何必然。見利思義。見危授命。久要不忘平生之言。亦可以為成人矣。【憲問第十四】
(子路成人を問ふ。子曰く。臧武仲の知、公綽の不欲、卞荘子の勇、冉求の芸、之れを文《かざ》るに礼楽を以てせば、亦以て成人と為すべし。曰く。今の成人は何ぞ必ずしも然らん。利を見ては義を思ひ、危きを見て命を授け、久要平生の言を忘れず、亦以て成人と為すべし。)
 本章は全備の人を説明したものである。成人は全人と云ふことである。臧武仲は魯の大夫、荘子は卞邑の大夫、今日では色々説があるけれども、子路の言として述べよう。
 子路が如何なる人が成人と云ふかに答へて、臧武仲の知、孟公綽の不欲、卞荘子の勇気、冉求の才芸を一人に集め、之れを文るに礼楽を以てすると成人と云ふことが出来ると。然るに子路は今の成人は利を見て義を思ひ、危を見て身命を賭して救ふことを思ひ、そして平生言つたことを忘れなければ、成人と云ふことが出来ると。
 併しかう云ふことは言ふべくして行ふことは六ケしい、甲の長所、乙の美点と云ふやうに長所美点と丈けを取つて一丸とすれば理想的のものが出来る訳であるが、実際はさうは行かない。俗謡に「梅の香を桜に有たせ、垂柳に咲かせたい」と云ふことなども、長所美点を取つて一つの立派な花にしようとしたのである。私も昔、木戸の包容力、伊藤の学問、井上の機敏があれば立派なものであると云ふと、側の人が之れを聞いてそれが出来れば結構だがと云つて笑つたことがある。けれども子路の言つたやうな利を見て義を思ひ、危きを見て命を授く約束の言は忘れない位のことは私でも出来るし、又この点に向つては平素努めて居ることである。

全文ページで読む

デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.575-592
底本の記事タイトル:三六六 竜門雑誌 第四三一号 大正一三年八月 : 実験論語処世談(第六十四《(六)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第431号(竜門社, 1924.08)
初出誌:『実業之世界』第20巻第9,10号,第21巻第1-3号(実業之世界社, 1923.09,11,1924.01,02,03)