デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一

21. 大功は小信を滅す

たいこうはしょうしんをめっす

(66)-21

子貢曰。管仲非仁者与。桓公殺公子糾。不能死。又相之。子曰。管仲相桓公覇諸公[諸侯]。一匡天下。民到于今受其賜。微管仲。吾其被髪左衽矣。豈若匹夫匹婦之為諒也。自経於溝瀆而莫之知也。【憲問第十四】
(子貢曰く、管仲は仁者に非ざるか、桓公公子糾を殺して死する能はず又之を相《たす》く。子曰く、管仲桓公を相けて諸侯に覇とし、一たび天下を匡して民今に到るまで其賜を受く。管仲微《なか》りせば、吾それ髪を被り衽を左にせん。豈匹夫匹婦の諒を為し、自ら溝瀆に経《くび》れて、之を知らるる莫きが若《ごと》くならんや。)
 本章は管仲の仁者であることを言つたので、言はば仁に功があれば矢張り仁者であると。
 子貢は孔子に問うて曰く、管仲は仁者でないではないか、桓公が公子糾を殺したが、管仲は糾の為に其の身を殺すことの出来なかつたばかりでなく、其の仇とも見るべき桓公に仕へて之れが相となつたのは余りにひどくはないかと。然るに孔子は之れに答へて、私はさうは思はぬ。何となれば、管仲が桓公の相となつて諸侯の長となり、周室を尊んで君臣の分を正しくし天下を正しくした。そして民は今に到るまでもその恩恵を受けて居る。若しその時に管仲が居なかつたならば、この中国も夷狄の為に侵略されて仕舞つたのであらうから、私は被髪左衽の夷狄の民となつて居なければならなかつた。然るにそのことなく、衣冠を服して中国の民となつて居ることが出来るのは、偏に管仲の力である。然らばその事たるは実に民には大功であると言はねばならぬ、之れをどうして仁者でないと云ふことが出来よう。彼の匹夫匹婦が小さな信の為に自ら溝の中で縊死して、誰もその死を知らなかつたものと、どうして比較することが出来ようと言はれた。
 前章にある子路の問ひは、管仲の公子糾の為に死ななかつたのを非難して居るのに反し、本章の子貢はその死ななかつたのは固より責むべきであるが、それのみならず之れを相けて行つたと云ふことは何たることであらうと云ふ点にまで進んで居る。これなどは二人の性質の異つて居ることが推察される。然るに孔子は、公子糾の為に死するのを恰も匹夫匹婦の小信に比し、小信の為に死なないで、後の大功を立てたるを称揚して前過を責めなかつたのである。
 同じく仁にも、大小、厚薄、深浅があると云ふことが出来る。例へば赤色の中には濃いものもあり、淡いものもあるが、併し何れも皆赤色と云ふことが出来るやうに、大小、深浅があるから、その中小を捨て大につくやうに、小過は大功に若かないことになる。少しく意味は異るが、俗に大功は細瑾を顧みずと言ふのは、後の大功の為に先の小過は許されて居ることである。と云ふやうに、公子糾の為に死することは信であるにしても、それは小さな信であるから、後の大功とは比べものにならんことになる。

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デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.575-592
底本の記事タイトル:三六六 竜門雑誌 第四三一号 大正一三年八月 : 実験論語処世談(第六十四《(六)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第431号(竜門社, 1924.08)
初出誌:『実業之世界』第20巻第9,10号,第21巻第1-3号(実業之世界社, 1923.09,11,1924.01,02,03)