デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一

24. 自ら其の言をはぢよ

みずからそのげんをはじよ

(66)-24

子曰。其言之不怍。則為之也難。【憲問第十四】
(子曰く、其言の怍ぢざる、則ち之れを為すや難し。)
 本章は言葉の慎むべきを言つたのである。
 人にして必ず実行しなければならぬと云ふ考へがあれば、其の言葉を出すにも、果して行ふことが出来るかどうかと思ふ。言をなすに恥ぢる心があれば実行することが出来ないのである。彼の大言壮語をなして快を貪るものは、少しも実行しようと思ふ心がないから出来るのであつて、実行する意志をもつて居ればこんな大言壮語などは出来るものではない。
 今日の議場の状態を見るに、四百の頭顱は言ふを恥ぢざるものであると思はざるを得ない。昨日の言が今日はどうなつても何とも思はぬのは、既に実行しようと云ふ誠意がない、恥を知らないものである。世に食言と云ふことがあるが、之れなども言責を重んじない、実行を考へない所謂其の時其の都合によつて代へる処の豹変の徒である。言のみで行のないものが政治の衝に立つて居れば、到底立派なる政治を行ふことは出来ない筈だ。
 自らの言に恥ぢることを知らないで居るから、人を責めることをやる。自分では出来もせぬことに大言壮語してえらがつて居る。常にこんなことを言つて居るから、世間でも余り気にも止めない。利目が少いから、益〻その言を甚だしくする。それでも駄目になると、此の間のやうに大臣の原稿を引つたくる。誰がやつたか知らぬが、恥を知らぬから、こんな事も出来る。之れは独り政治界のみでなく実業界にもある。実業界の中にも自分一人で天下を経営するやうな事を言つて居るものもあるが、実際は出来もせぬ。自分で約束して置いて之れを行はなかつたと云ふやうな事もある。けれども、之れを政治界と比較すれば少いやうに思はれる。之れは政治界とは比較的関係が深いから多いやうに感ずるのかも知れない。

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デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.575-592
底本の記事タイトル:三六六 竜門雑誌 第四三一号 大正一三年八月 : 実験論語処世談(第六十四《(六)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第431号(竜門社, 1924.08)
初出誌:『実業之世界』第20巻第9,10号,第21巻第1-3号(実業之世界社, 1923.09,11,1924.01,02,03)