デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一

9. 南宮适は君子にして徳を尊ぶ

なんきゅうかつはくんしにしてとくをとうとぶ

(66)-9

南宮适問於孔子曰。羿善射。奡盪舟。倶不得其死然。禹稷躬稼而有天下。夫子不答。南宮适出。子曰。君子哉若人。尚徳哉若人。【憲問第十四】
(南宮适孔子に問うて曰く。羿射を善くし、奡舟を盪《うごか》す。倶に其死の然を得ず。禹稷躬ら稼《たがや》して天下を有つと。夫子答へず。南宮适出づ。子曰く、君子なるかなかくの如き人。徳を尚ぶかなかくの如き人。)
 本章は力を尚ぶよりも徳を尚ぶべきを言つたのである。羿は有窮国の君で、射を善くしたが、臣の為に殺された。奡は浞の子であるが夏后少康に殺された。
 南宮适は孔子に問うて、奡は射を善くした、奡は舟を陸に行る程の力を有つて居た外に権勢をも有つて居たのに、共に誅された。処が、禹、稷は之れに反して農業を努めて居つても天下を有つことが出来たことを思ふと、如何に心が強く、又知識があり、技術が優れて居つても、徳を尚ばなければいけないと云つた。孔子はそれに答へなかつたが、南宮适が出てから斯の如き人こそ本当の君子である、徳を尚ぶ人であると称めた。
 故に如何に優れた技術を有つてゐても、こればかりではいかない。必ず徳を尚ぶやうでなければならぬ。羿、奡の如く大変に強力であり又技術が巧みであつて、世人から珍重がられても、完全な死を遂げなかつたのはその志の当を得なかつたからである。その志を高尚にするには、徳を尚ぶ事が必要である。

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デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.575-592
底本の記事タイトル:三六六 竜門雑誌 第四三一号 大正一三年八月 : 実験論語処世談(第六十四《(六)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第431号(竜門社, 1924.08)
初出誌:『実業之世界』第20巻第9,10号,第21巻第1-3号(実業之世界社, 1923.09,11,1924.01,02,03)