7. 人民の徳化と戦争
じんみんのとくかとせんそう
(66)-7
子曰。善人教民七年。亦可以即戎矣。【子路第十三】
(子曰く。善人民を教ふる七年、亦以て戎に即かしむべし。)
本章は、平素の訓練がなければ戦につくことが出来ないことを説いたものである。(子曰く。善人民を教ふる七年、亦以て戎に即かしむべし。)
善人(盛徳の君子ではない)がその民に孝弟忠信を教へ、又射御撃刺の術を教へることが七年に及んで、始めて兵事に従はしむべきであると云ふので、戦は重大なものであるから軽々に行ふべきものではないことを説かれたのである。
子曰。以不教民戦。是謂棄之。【子路第十三】
(子曰く。教へざるの民を以て戦ふ。是れ之れを棄つと謂ふ。)
本章は人君の、教へざる民を戦に用ひることの危険なるを説かれたのである。(子曰く。教へざるの民を以て戦ふ。是れ之れを棄つと謂ふ。)
人の君たる者が、平素に於て民を教へないで居つて、直ちに戦に用ゐることは、戦に利を招くことでない。即ち敗亡戦死したりするから丁度民を棄てるのと同様であつて、残虐の甚だしきなりと云ふので、前章と同様、意を反覆したものと云ふべきである。
- キーワード
- 人民, 徳, 戦争
- 論語章句
- 【子路第十三】 子曰、善人教民七年、亦可以即戎矣。
【子路第十三】 子曰、以不教民戦、是謂棄之。
- デジタル版「実験論語処世談」(66) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.575-592
底本の記事タイトル:三六六 竜門雑誌 第四三一号 大正一三年八月 : 実験論語処世談(第六十四《(六)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第431号(竜門社, 1924.08)
初出誌:『実業之世界』第20巻第9,10号,第21巻第1-3号(実業之世界社, 1923.09,11,1924.01,02,03)