デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正9年4月10日
(1920年)
第43巻 p.5-10(DK430001k)
是日、当社評議員会、帝国ホテルニ於テ開カル。栄一出席シテ日米問題ニ就イテ演説ス。
大正9年4月18日
(1920年)
第43巻 p.10-26(DK430002k)
是日、当社第六十三回春季総集会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
七月二十七日、当社有志晩餐会、東京銀行倶楽部ニ於テ開カレ、渋沢秀雄ノ欧米視察談ヲ聴ク。栄一出席ス。
大正9年11月23日
(1920年)
第43巻 p.26-59(DK430003k)
是ヨリ先、是月八日、当社評議員会、東京銀行倶楽部ニ於テ開カレ、栄一ノ八十寿並ニ陞爵祝賀会開催ニツキ協議ス。次イデ是日、築地精養軒ニ於テ、当社第六十四回秋季総集会後、当社ノ主唱ニヨル祝賀会開カレ、祝賀記念トシテ、飛鳥山邸内ニ記念書庫建設ノ目録ヲ贈ル。来賓大隈重信ノ祝辞、栄一ノ謝辞アリ。
大正10年3月15日
(1921年)
第43巻 p.59-93(DK430004k)
是日、当社評議員等発起ニヨル、当社功労者故尾高次郎及ビ八十島親徳ノ追悼会、帝国ホテルニ於テ開カル。栄一出席シテ追悼ノ辞ヲ述ブ。
大正10年5月8日
(1921年)
第43巻 p.93-107(DK430005k)
是ヨリ先、是月四日、当社評議員会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ感想談ヲナス。次イデ是日、当社第六十五回春季総集会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正10年10月2日
(1921年)
第43巻 p.107-124(DK430006k)
是日、栄一ノ渡米送別会ヲ兼ネ、当社第六十六回秋季総集会、帝国ホテルニ於テ開カル。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。
大正11年4月16日
(1922年)
第43巻 p.124-134(DK430007k)
是日、栄一ノ帰朝歓迎会ヲ兼ネ、当社第六十七回春季総集会飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ渡米ノ顛末及ビ所感ヲ述ブ。
大正11年11月5日
(1922年)
第43巻 p.134-146(DK430008k)
是日、当社第六十八回秋季総集会ヲ兼ネ、孔夫子追遠記念講演会、日本工業倶楽部ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。次イデ二十九日、評議員会東京銀行倶楽部ニ於テ開カル。栄一出席シテカリフォルニア州移民問題ニ就イテ所感ヲ述ブ。
大正12年4月29日
(1923年)
第43巻 p.146-156(DK430009k)
是日、当社ハ第六十九回春季総集会ヲ飛鳥山邸ニ於テ開キ、栄一ニ寿杖ヲ贈ル。栄一病気ノタメ出席セズ。次イデ七月四日、当社評議員会、東京銀行倶楽部ニ於テ開カル。栄一出席ス。
大正12年11月4日
(1923年)
第43巻 p.156-166(DK430010k)
是日、東京銀行倶楽部ニ於テ、当社評議員会開催後、有志午餐会催サレ、今村明恒ノ地震ニ関スル講演アリ。栄一出席シテ、大震災後ノ人心復興ニ就イテ演説ヲナス。
大正12年12月5日
(1923年)
第43巻 p.166-172(DK430011k)
是日、東京銀行倶楽部ニ於テ、当社評議員会開催後、有志晩餐会催サレ、佐野利器ノ建築ニ関スル講演アリ。栄一出席シテ、精神ノ復興ニ就イテ演説ヲナス。
大正13年1月22日
(1924年)
第43巻 p.172-177(DK430012k)
是日、帝国ホテルニ於テ、当社評議員会開催後、有志晩餐会催サレ、高松豊吉ノ化学工業ニ関スル講演アリ。栄一出席シテ、スミスノ百歳不老ニ就イテ演説ヲナス。
大正13年2月20日
(1924年)
第43巻 p.177-180(DK430013k)
是日、当社講演会、海上ビル内中央亭ニ於テ開カレ、美濃部達吉ノ選挙法ノ改正ニ関スル講演アリ。栄一出席シテ、政治ト道徳ノ関係ニ就イテ演説ヲナス。
大正13年3月23日
(1924年)
第43巻 p.180-195(DK430014k)
是日、当社第七十回春季総集会、帝国ホテルニ於テ開カレ、当社ノ組織ヲ改メテ財団法人ヲ設立スルニ付キ、寄付行為決定ノ件ヲ可決ス。栄一出席シテ演説ヲナス。
五月十五日、財団法人竜門社設立ノ件許可セラレ、次イデ六月七日、栄一、名誉会員ニ推サル。
大正13年9月25日
(1924年)
第43巻 p.195-198(DK430015k)
是日、当社講演会、東京銀行倶楽部ニ於テ開カレ、鯨井恒太郎ノ無線電話ニ関スル講演アリ。栄一出席シテ所感ヲ述ブ。
大正13年11月25日
(1924年)
第43巻 p.198-199(DK430016k)
是日、当社第七十一回会員総会、帝国ホテルニ於テ開カル。栄一病気ノタメ出席セズ。
大正14年4月23日
(1925年)
第43巻 p.199-200(DK430017k)
是日、当社第七十二回会員総会、日本工業倶楽部ニ於テ開カル。栄一病気ノタメ出席セズ。
大正14年10月25日
(1925年)
第43巻 p.200-218(DK430018k)
当社主唱ニヨル青淵先生八十寿並陞爵祝賀会ヨリ、栄一ニ贈ルベキ飛鳥山邸内ノ青淵文庫竣工シ、是日、ソノ献呈式挙行セラル。栄一、出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正14年11月20日
(1925年)
第43巻 p.218-219(DK430019k)
是日、当社第七十三回会員総会、帝国ホテルニ於テ開カル。栄一病気ノタメ出席セズ。
大正15年4月19日
(1926年)
第43巻 p.220-224(DK430020k)
是日、当社第七十四回会員総会ヲ兼ネ、穂績陳重追悼講演会、日本工業倶楽部ニ於テ開カル。栄一出席シテ追悼演説ヲナス。
大正15年11月7日
(1926年)
第43巻 p.224-233(DK430021k)
是日栄一、青淵先生八十寿並陞爵祝賀会ヨリ寄贈ヲ受ケタル、青淵文庫ニ対スル謝意ヲ表スルタメ寄贈者ヲ飛鳥山邸ニ招キテ、答礼園遊賀会ヲ催ス。
大正15年11月24日
(1926年)
第43巻 p.233-236(DK430022k)
是日、当社第七十五回会員総会、日本工業倶楽部ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
昭和2年4月22日
(1927年)
第43巻 p.236-239(DK430023k)
是日、当社第七十六回会員総会、東京会館ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
昭和2年6月23日
(1927年)
第43巻 p.240-244(DK430024k)
是日、当社講演会、東京銀行倶楽部ニ於テ開カレ、富士川游ノ長寿法ニ関スル講演アリ。栄一出席シ、有志晩餐会ノ席上所感ヲ述ブ。尚、五月二十三日並ニ九月二十九日ノ当社講演会ニモ栄一出席ス。
昭和2年11月2日
(1927年)
第43巻 p.244-247(DK430025k)
是日、当社講演会、東京銀行倶楽部ニ於テ開カレ、滝精一ノ「東西絵画の比較」ト題スル講演アリ。
栄一出席シ、有志晩餐会ノ席上所感ヲ述ブ。
昭和2年11月25日
(1927年)
第43巻 p.247-249(DK430026k)
是日、当社第七十七回会員総会、帝国ホテルニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
昭和3年3月6日
(1928年)
第43巻 p.249-257(DK430027k)
是日、当社講演会、東京銀行倶楽部ニ於テ開カレ、伊東忠太ノ「日本建築の今昔」ト題スル講演アリ。
栄一出席シ、有志晩餐会ノ席上所感ヲ述ブ。
昭和3年5月6日
(1928年)
第43巻 p.257(DK430028k)
是ヨリ先、昭和二年ヲ以テ栄一、八十八歳ニ達ス。仍ツテ当社ハ、ソノ祝賀記念事業ノ一トシテ、是日、財団法人斯文会編訳ノ「国訳論語」ヲ刊行ス。
昭和3年5月6日
(1928年)
第43巻 p.257-258(DK430029k)
是日、当社ハ栄一ノ米寿記念トシテ「青淵先生訓話集」全一冊ヲ、編纂刊行ス。
昭和3年5月30日
(1928年)
第43巻 p.258-259(DK430030k)
是日、当社第七十八回会員総会、帝国ホテルニ於テ開カル。栄一病気ノタメ出席セズ。
昭和3年9月29日
(1928年)
第43巻 p.259-283(DK430031k)
是日、帝国ホテルニ青淵先生米寿祝賀会ヲ開キ、佐々木勇之助、当社ヲ代表シテ祝賀文ヲ朗読シ、「国訳論語」及ビ其他ノ記念品ヲ贈ル。栄一謝辞ヲ述ブ。
次イデ十月、当社ハ「竜門雑誌」第四百八十一号ヲ、青淵先生米寿祝賀記念号トシテ特輯発行ス。更ニ当社ハ記念事業トシテ、先ニ出版セル「国訳論語」「訓点論語」「青淵先生訓話集」ヲ、適宜選定シテ全国小学校及ビ諸学校ニ寄贈ス。
昭和3年12月3日
(1928年)
第43巻 p.283-288(DK430032k)
是日、当社講演会、東京銀行倶楽部ニ於テ開カレ、尾佐竹猛ノ「慶応三年の遣仏使節に就て」ト題スル講演アリ。栄一出席、講演後、右ニ関スル回顧談ヲナス。
昭和4年4月26日
(1929年)
第43巻 p.288(DK430033k)
是日、当社第七十九回会員総会、帝国ホテルニ於テ開カル。栄一病気ノタメ出席セズ。
昭和4年11月27日
(1929年)
第43巻 p.288-289(DK430034k)
是日、当社第八十回会員総会、帝国ホテルニ於テ開カル。栄一病気ノタメ出席セズ。
昭和5年4月27日
(1930年)
第43巻 p.289-294(DK430035k)
是日、当社第八十一回会員総会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第43巻 p.294-295(DK430036k)
是ヨリ先是月十一日栄一歿ス。是日、栄一ノ葬儀ニ際シ、当社ヨリ弔詞ヲ贈ル。
昭和6年11月
(1931年)
第43巻 p.295(DK430037k)
是月、当社ハ「竜門雑誌」第五百十八号ヲ、青淵先生薨去彙報トシテ、特輯発行ス。
昭和6年12月3日
(1931年)
第43巻 p.296-298(DK430038k)
是日、当社ハ評議員会ヲ第一銀行本店内ニ於テ開催シ、栄一ノ遺言書ニヨル、渋沢家ヨリノ飛鳥山邸ノ遺贈申出ヲ受諾スル件ヲ可決ス。
昭和6年12月13日
(1931年)
第43巻 p.298-329(DK430039k)
是日当社、栄一ノ追悼会ヲ、帝国ホテルニ於テ挙行ス。引続キ同所ニ於テ、追悼晩餐会ヲ催ス。
昭和6年12月
(1931年)
第43巻 p.329(DK430040k)
是月、当社ハ竜「門雑誌」第五百十九号ヲ、青淵先生追悼会彙報トシテ、特輯発行ス。
昭和7年1月
(1932年)
第43巻 p.329-330(DK430041k)
是月、当社ハ「竜門雑誌」第五百二十号ヲ、青淵先生国際的追悼彙報トシテ、特輯発行ス。
昭和7年11月
(1932年)
第43巻 p.330-331(DK430042k)
是月、当社ハ「竜門雑誌」第五百三十号ヲ、青淵先生一周忌記念号トシテ、特輯発行ス。
昭和8年11月
(1933年)
第43巻 p.331(DK430043k)
是月、当社ハ「竜門雑誌」第五百四十二号ヲ、青淵先生三回忌追憶号トシテ、特輯発行ス。
昭和12年11月
(1937年)
第43巻 p.331-333(DK430044k)
是月、当社ハ「竜門雑誌」第五百九十号附録トシテ「青淵先生演説撰集」全一冊ヲ編纂刊行ス。
2款 講道館 1. 財団法人講道館
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年2月27日
(1910年)
第43巻 p.334-336(DK430045k)
是日、当館下富坂道場ニ於テ、当館理事・監事会開カレ、当館ノ維持経営ニ関スル寄付金募集等ニ就キ協議ス。栄一出席ス。
明治44年6月24日
(1911年)
第43巻 p.336-337(DK430046k)
是日、当館館長嘉納治五郎宅ニ於テ、当館評議員会開カレ、栄一出席ス。
大正2年7月3日
(1913年)
第43巻 p.337-348(DK430047k)
是ヨリ先、六月二十一日当館下富坂道場ニ於テ、当館評議員会及ビ維持員会開カレ、監事ノ任期満了ニ就キ改選、栄一再選セラル。是日、就任ヲ承諾ス。以後重任シテ歿年ニ及ブ。
大正3年9月21日
(1914年)
第43巻 p.348-350(DK430048k)
是日、神田一ツ橋学士会事務所ニ於テ、当館評議員会開カレ、当館ト提携シテ斯道ノ発達普及ヲ図ル団体柔道会ヲ組織、大正四年一月ヨリ、機関誌「柔道」ヲ発刊スルコトヲ決ス。栄一出席ス。
大正6年1月13日
(1917年)
第43巻 p.351-354(DK430049k)
是日、神田一ツ橋学士会事務所ニ於テ、当館維持員会開カレ、栄一出席ス。
大正6年12月15日
(1917年)
第43巻 p.354-356(DK430050k)
是日、日本橋倶楽部ニ於テ、当館評議員会開カレ栄一出席ス。
大正11年4月3日
(1922年)
第43巻 p.356-359(DK430051k)
是ヨリ先、従来ノ柔道会ヲ講道館文化会ト改メントノ議起リ、是日、築地精養軒ニ於テソノ発会式挙行セラル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。
大正13年5月26日
(1924年)
第43巻 p.359-360(DK430052k)
是ヨリ先、当館監事和田豊治逝ク。栄一、後任トシテ大橋新太郎ヲ推薦ス。是日、丸ノ内中央亭ニ於テ、当館維持員会及ビ評議員会開カレ、大橋新太郎ヲ監事ニ選挙ス。
昭和6年6月15日
(1931年)
第43巻 p.360-361(DK430053k)
是日栄一、当館館長嘉納治五郎ノ地方遊説ノタメニ、紹介状ヲ認ム。
昭和6年12月
(1931年)
第43巻 p.361-365(DK430054k)
是ヨリ先、十一月十一日栄一歿ス。仍ツテ当館館長嘉納治五郎、是月発行ノ「柔道」誌上ニ追悼文ヲ掲載ス。
2款 講道館 2. 財団法人講道館後援会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正15年2月9日
(1926年)
第43巻 p.365-372(DK430055k)
是ヨリ先、十四年九月三十日、交詢社ニ於テ講道館評議員会開カレ、郷誠之助ヲ会長トスル当後援会ノ成立ノ件報告サル。栄一、当後援会ノ評議員ニ推サル。是日、日本工業倶楽部ニ於テ評議員会開カレ、栄一出席ス。
大正15年7月1日
(1926年)
第43巻 p.372-373(DK430056k)
是ヨリ先、栄一、当後援会会計監督ノ就任ヲ受諾シ、是日付ヲ以テ、六月末現在ノ会計報告書ヲ受ク。
3款 社団法人日本弘道会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正2年10月
(1913年)
第43巻 p.374-378(DK430057k)
是月栄一、当会特別会員ニ推薦セラル。
大正2年10月7日
(1913年)
第43巻 p.379-385(DK430058k)
是日栄一、当会埼玉県飯能町支会ノ講演会ニ出席シテ演説ヲナス。
大正5年9月24日
(1916年)
第43巻 p.385-392(DK430059k)
是日栄一、当会埼玉県黒須支会ノ秋季講演会ニ出席シテ演説ヲナス。
大正15年5月15日
(1926年)
第43巻 p.392-400(DK430060k)
是日、当会創立五十年記念式、上野自治会館ニ於テ挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。十一月十三日、当会女子修養講座ノ開講ニ際シ、栄一、手写論語複製本ヲ贈ル。
大正15年11月25日
(1926年)
第43巻 p.400-403(DK430061k)
是ヨリ先、関東大震火災ノタメ焼失シタル弘道会館再建ノ議アリ、是日栄一、同会館復興建築並ニ事業資金ノ寄付金募集部ノ顧問ヲ委嘱セラル。
昭和2年10月17日
(1927年)
第43巻 p.403-408(DK430062k)
是日、当会創立者故西村茂樹二十五年忌記念祭、本郷駒込林町養源寺ニ於テ挙行セラル。栄一、来賓ヲ代表シテ献香、追悼ノ辞ヲ述ブ。
昭和3年12月16日
(1928年)
第43巻 p.408-411(DK430063k)
是日当会、御大礼ヲ記念シ、第一回全国善行者表彰式ヲ東京華族会館ニ、次イデ四年十二月一日、第二回表彰式ヲ京都華族会館分館ニ於テ挙行ス。栄一其趣旨ニ賛同シテ各々金三百円宛ヲ寄付ス。
昭和4年7月10日
(1929年)
第43巻 p.411-413(DK430064k)
是日栄一、当会ノ復興建築並ニ事業拡張ノタメ、金二千円寄付ノ申込ヲナス。次イデ同十三日、当会会長徳川達孝ノ懇請ニヨリ、栄一、実業家数名ニ対シ紹介状ヲ認ム。
昭和5年12月16日
(1930年)
第43巻 p.413-414(DK430065k)
是日栄一、当会資金募集部ノ目的完了シタルヲ以テ、同部ノ顧問解任ノ通知ヲ受ク。
4款 財団法人修養団
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年6月13日
(1909年)
第43巻 p.415-420(DK430066k)
是ヨリ先、明治三十九年二月十一日、当団創立セラル。是日蓮沼門三、栄一ヲ飛鳥山邸ニ訪ヒ、援助ヲ懇請ス。栄一、其趣旨ヲ賛シ賛助員トナル。後、四十三年五月、顧問トナル。
明治43年5月14日
(1910年)
第43巻 p.420-421(DK430067k)
是日、東京高等工業学校ニ於テ当団大会開カル。栄一出席シテ講演ヲナス。
明治43年6月19日
(1910年)
第43巻 p.421-422(DK430068k)
是日栄一、来訪セル蓮沼門三等ニ援助ヲ約シ、当団機関誌「向上」ノ出版費補助トシテ金三十円ヲ寄付ス。
明治43年8月
(1910年)
第43巻 p.422-425(DK430069k)
是月、当団主幹蓮沼門三・瓜生喜三郎等ノ東北地方遊説ニ際シ、栄一、旅費トシテ金五十円ヲ寄付ス。次イデ十月、栄一、当団ニ月額二十円ノ補助ヲ約ス。
明治43年11月3日
(1910年)
第43巻 p.425-427(DK430070k)
是日栄一、当団ニ書翰ヲ送リテ、青年ノ智育偏重ヲ戒ム。
明治44年6月11日
(1911年)
第43巻 p.427-435(DK430071k)
是日当団、諸名士ヲ招待シ、森村市左衛門邸ニ於テ懇親会ヲ開ク。栄一出席シテ演説ヲナス。
明治44年6月25日
(1911年)
第43巻 p.435-437(DK430072k)
是ヨリ先、栄一、「修養団ノ精神」ト題スルパンフレット刊行ニ助力シ、是日、森村市左衛門ト連名ノ添書ヲ付シテ各方面ニ発送セシム。尚、七月、団員ノ各地遊歴ニ対シ栄一、森村市左衛門ト連署ノ紹介状ヲ与フ。
明治44年7月9日
(1911年)
第43巻 p.437-438(DK430073k)
是日、静岡県藤枝町ニ於テ当団静岡県支部大会挙行セラル。栄一祝辞ヲ送ル。
明治44年10月29日
(1911年)
第43巻 p.438-442(DK430074k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、当団秋期茶話会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
明治44年11月13日
(1911年)
第43巻 p.443(DK430075k)
是日栄一、当団主幹蓮沼門三ヲ飛鳥山邸ニ招致シ、当団機関誌「向上」ノ改良並ニ発展ニ就キ協議ス。
明治44年12月10日
(1911年)
第43巻 p.443-444(DK430076k)
是日、神戸市ニ於テ当団神戸支部発会式挙行セラル。栄一祝辞ヲ送ル。
明治45年1月27日
(1912年)
第43巻 p.444-447(DK430077k)
是日、東京高等工業学校ニ於テ当団高工春季修養大会開カル。栄一出席シテ講演ヲナス。
明治45年2月
(1912年)
第43巻 p.447-450(DK430078k)
是月栄一、当団創立六周年ニ際シ機関誌「向上」ニ、団員ノ奮起ヲ促ス一文ヲ掲グ。
明治45年3月3日
(1912年)
第43巻 p.450-456(DK430079k)
是日、浅草三筋町ノ当団高等工業第二向上舎ノ発会式並ニ披露茶話会開カル。栄一出席シテ訓話ヲナス。
明治45年5月12日
(1912年)
第43巻 p.456-461(DK430080k)
是日、飛鳥山邸ニ於テ、当団春季大会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。閉会後、来賓招待晩餐会催サレ、栄一挨拶ヲ述ブ。
大正元年9月22日
(1912年)
第43巻 p.461-463(DK430081k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、当団機関誌「向上」ノ改良ヲ図ルタメ、当団賛助員協議会開カル。栄一出席シテ改良ノ趣意ヲ述ブ。
大正元年10月19日
(1912年)
第43巻 p.463-469(DK430082k)
是日、慶応義塾ニ於テ、当団慶応義塾支部発会式挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正元年11月1日
(1912年)
第43巻 p.469-470(DK430083k)
是日栄一、当団顧問トシテ、森村市左衛門ト連名ニテ、当団ニ対シ協力援助ヲ懇請スル趣旨ノ書状ヲ発ス。
大正2年3月23日
(1913年)
第43巻 p.470-478(DK430084k)
是日、静岡県島田町ニ於テ当団島田支部大会挙行セラル。栄一出席シテ講演中、脳貧血ヲ起シタルヲ以テ演説ヲ中止シ、静養ノ後、二十四日帰京ス。
大正2年9月13日
(1913年)
第43巻 p.478-487(DK430085k)
是ヨリ先、当団、浅草蔵前南元町ニ敷地ヲ求メ、第二向上舎ヲ新築セントス。栄一、森村市左衛門ト共ニ金一万二千円ヲ支出シテ之ヲ援助ス。是日、新築セル第二向上舎ニ於テ入舎式行ハレ、栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。次イデ十月五日、同所ニ於テ落成披露会催サレ、栄一出席シテ祝賀演説ヲナス。尚、当団本部事務所モ同地内ニ新築セラレ、栄一、森村ト共ニ右工費金五千円ヲ寄付ス。
大正3年3月20日
(1914年)
第43巻 p.487-488(DK430086k)
是日、当団第二向上舎ニ於テ、同舎生ノ送別会開カル。栄一出席シテ訓話ヲナス。
大正3年10月4日
(1914年)
第43巻 p.488-489(DK430087k)
是日、当団本部ニ於テ、本部及ビ第二向上舎新築一周年記念会開カル。栄一出席シテ講演ヲナス。次イデ十一月十四日、東京高等工業学校講堂ニ於テ、当団高工支部大会開カル。栄一出席シテ講演ヲナス。
大正4年2月28日
(1915年)
第43巻 p.489-490(DK430088k)
是日、当団第三向上舎ニ於テ、当団慶応支部員卒業祝賀会開カル。栄一出席シテ訓話ヲナス。
大正4年8月11日
(1915年)
第43巻 p.490-491(DK430089k)
是日ヨリ一週間ニ亘リ、当団天幕講習会、福島県耶麻郡檜原湖畔ニ於テ開カル。栄一之ヲ後援ス。
大正4年9月18日
(1915年)
第43巻 p.491-493(DK430090k)
是日、早稲田大学講堂ニ於テ、当団早稲田支部発会式挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正5年5月3日
(1916年)
第43巻 p.493-494(DK430091k)
是日栄一、渋沢事務所ニ当団関係者ヲ招キ、当団ノ基礎確立ニ就キ懇談ス。更ニ六日、同様ノ会合ヲナス。
大正5年7月7日
(1916年)
第43巻 p.494-499(DK430092k)
是日、当団本部ニ於テ栄一主催ノ当団向上舎卒業生送別茶話会開カル。栄一出席シテ訓話ヲナス。
大正5年8月
(1916年)
第43巻 p.499-500(DK430093k)
是月、当団第二回天幕講習会、静岡県富士郡上井出村ニ於テ開カル。栄一金百円ヲ寄付シ、更ニ書翰ヲ送ツテ訓示ス。
大正5年10月29日
(1916年)
第43巻 p.500-503(DK430094k)
是日、当団本部ニ於テ当団主権、渋沢・森村・手島三顧問延寿頌徳会挙行セラル。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。
大正6年1月20日
(1917年)
第43巻 p.503-507(DK430095k)
是日、静岡市静岡師範学校講堂ニ於テ、当団静岡師範支部発会式挙行セラル。栄一祝辞ヲ送ル。次イデ三月十四日、栄一、聯合国傷病兵罹災者慰問会ノ用務ヲ帯ビ、東京駅ヲ発シ西下、米原駅及ビ神戸宿舎ニ於テ当団支部員ニ対シ、一場ノ挨拶ヲナス。
大正6年5月8日
(1917年)
第43巻 p.507-511(DK430096k)
是ヨリ先、栄一、森村市左衛門ト当団団長ノ件ニ就キ協議ノ結果、田尻稲次郎ヲ推薦スルコトニ決ス。是日栄一、森村銀行ニ於テ、森村ト共ニ田尻ニ会見シ、団長就任ノ承諾ヲ得。
大正6年5月19日
(1917年)
第43巻 p.511-513(DK430097k)
是日、新潟県長岡市長岡中学校ニ於テ、当団長岡支部発会式挙行セラル。栄一、旅行先ノ長野市ヨリ書翰ヲ送ル。次イデ六月十七日、栃木県栃木町第一小学校ニ於ケル当団栃木支部発会式ニ、栄一祝辞ヲ送ル。
大正6年8月8日
(1917年)
第43巻 p.513-518(DK430098k)
是日栄一、群馬県赤城山大沼湖畔ニ於ル当団第三回天幕講習会ニ対シ、伊香保ヨリ書翰ヲ送ル。
大正6年8月27日
(1917年)
第43巻 p.518(DK430099k)
是日栄一、渋沢事務所ニ於テ当団坂本幹事ノ渡支送別会ヲ開キ、併セテ当団幹事後藤静香ノ帰任ヲ送ル
大正6年9月16日
(1917年)
第43巻 p.519-520(DK430100k)
是日、当団本部ニ於テ、当団ノ基礎確立ノタメ協議会開カレ、栄一出席ス。終了後、向上舎新入舎生歓迎懇談会ニ出席シテ訓話ヲナス。
大正6年10月7日
(1917年)
第43巻 p.520-532(DK430101k)
是月六日、栄一、六十九銀行本店新築落成式ニ参列ノタメ、新潟県長岡市ニ赴ク。是日、長岡中学校ニ於テ、当団長岡支部ノタメ講演ヲナス。次イデ栄一、新潟ヲ経テ東北旅行ニ向ヒ、其途上、十月十日、福島県耶麻郡喜多方町喜多方高等小学校ニ於テ、当団耶麻郡支部講演大会ニ出席、講演ヲナス。更ニ十二日、福島県田村郡郡山町、当団員経営ノ子守学校ニ於テ、当団郡山支部ノタメニ講演ヲナス。
大正6年11月10日
(1917年)
第43巻 p.532-535(DK430102k)
是日、東京高等工業学校ニ於テ当団高工支部大会開カル。栄一出席シテ講演ヲナス。
大正6年12月10日
(1917年)
第43巻 p.535-536(DK430103k)
是ヨリ先、当団、栄一及ビ森村市左衛門ノ援助ニヨリ、麻布区笄町ニ家屋ヲ購入、是日、第三向上舎ヲ此処ニ移ス。
大正6年12月23日
(1917年)
第43巻 p.536-542(DK430104k)
是日、東京銀行倶楽部ニ於テ、当団ノ財政問題ヲ議スルタメ、当団賛助員相談会開カル。栄一、森村市左衛門・田尻稲次郎等ト協議ノ結果、各方面ヨリ寄付ヲ集ムル事トス。栄一、五ケ年間ニ金一万円ノ寄付ヲ申出ヅ。
大正7年2月24日
(1918年)
第43巻 p.542-543(DK430105k)
是日、当団千葉県亀山支部、三月三日福島県堂島支部、三月十七日鹿児島師範支部ノ各発会式挙行セラル。栄一ソレゾレ祝辞又ハ祝電ヲ発ス。
大正7年3月22日
(1918年)
第43巻 p.543-544(DK430106k)
是ヨリ先栄一、森村市左衛門ト共ニ金三千円ヲ寄付シテ当団本部事務所ノ新築ヲ援助ス。是日当団、新事務所ニ移転ス。
大正7年4月13日
(1918年)
第43巻 p.544-548(DK430107k)
是日栄一、東京市役所市長室ニ於テ、田尻稲次郎・森村市左衛門・蓮沼門三ト会合シテ、当団ノ基礎確立ノタメ賛助員協議会開催ニツキ協議ス。四月二十七日、東京銀行倶楽部ニ、栄一及ビ森村市左衛門ノ名ヲ以テ第二回当団賛助員協議会ヲ開ク。栄一演説ヲナス。
大正7年5月19日
(1918年)
第43巻 p.548-552(DK430108k)
是日、当団本部ニ於テ、向上舎生ノ卒業及ビ新入歓送迎会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正7年6月30日
(1918年)
第43巻 p.552-556(DK430109k)
是日、飛鳥山邸ニ於テ、田尻稲次郎ノ当団団長推戴式挙行セラル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。
大正7年7月2日
(1918年)
第43巻 p.556-560(DK430110k)
是日当団、小石川区礫川小学校ニ於テ、第二回教育懇談会ヲ開ク。栄一出席シテ講演ヲナス。
大正7年8月12日
(1918年)
第43巻 p.560-566(DK430111k)
是日栄一、日光中禅寺湖畔ノ当団第四回天幕講習会会場ヲ訪ヒテ、演説ヲナス。
大正7年9月7日
(1918年)
第43巻 p.566-568(DK430112k)
是日、築地ノ東京府立工芸学校ニ於テ、当団築地工芸支部発会式挙行セラル。栄一出席シテ式辞ヲ述ブ。次イデ九月二十四日香川県仲多度支部、二十八日福島県広瀬支部、三十日同県柳津支部ノ各発会式挙行セラル。栄一ソレゾレ祝電ヲ発ス。
大正7年11月29日
(1918年)
第43巻 p.568-569(DK430113k)
是日栄一、渋沢事務所ニ於テ、当団坂本幹事ノ帰国ヲ機トシテ、当団幹部ヲ招キ晩餐会ヲ催ス。次イデ十二月二十六日、同所ニ於テ、当団評議員会開カレ、栄一出席ス。
大正8年1月21日
(1919年)
第43巻 p.569-572(DK430114k)
是日当団本部ニ於テ、当団顧問手島精一ノ一周忌追悼会執行セラル。栄一出席シテ追悼ノ辞ヲ述ブ。尚、追悼会費用トシテ金百円ヲ寄付ス。
大正8年2月11日
(1919年)
第43巻 p.572-573(DK430115k)
是日、当団本部ニ於テ、創立第十四回記念会開カル。栄一、菓子ヲ寄贈ス。
大正8年8月
(1919年)
第43巻 p.573-576(DK430116k)
是月、当団第五回天幕講習会、熊本県阿蘇山腹ニ開カル。栄一、之ヲ援助シ且祝電ヲ発ス。
大正8年10月11日
(1919年)
第43巻 p.576-578(DK430117k)
是日、当団本部ニ於テ、当団主催顧問森村市左衛門追悼会開カル。栄一出席シテ追悼ノ辞ヲ述ブ。
大正9年1月2日
(1920年)
第43巻 p.578-579(DK430118k)
是日栄一、来訪セル当団神戸支部員ニ揮毫ノ小箋ヲ分与シ、訓話ヲナス。
大正9年1月8日
(1920年)
第43巻 p.579-580(DK430119k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、当団評議員会開カル。栄一出席シ、大正八年度決算・同九年度予算、森村開作ノ顧問推薦ノ件等ヲ審議ス。
大正9年2月11日
(1920年)
第43巻 p.580-581(DK430120k)
是日、当団本部ニ於テ、創立十五周年記念式挙行セラル。同夜、栄一、本部ニ赴キテ訓話ヲナス。
尚、是ヨリ先、当団本部宿直室増築ニツキ栄一、其経費金千二百円ヲ森村開作ト共ニ寄付ス。
大正9年3月30日
(1920年)
第43巻 p.581(DK430121k)
是日、秋田県平鹿郡当団支部員、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪フ。
大正9年8月19日
(1920年)
第43巻 p.581-584(DK430122k)
是月十五日ヨリ、当団第八回天幕講習会、箱根仙石原ニ於テ開カル。是日栄一、閉会式ニ出席シテ訓話ヲナス。尚、大正九年度講習会ノ費用トシテ金三百円ヲ寄付ス。
大正10年2月7日
(1921年)
第43巻 p.584-585(DK430123k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、当団評議員会開カル。栄一出席ス。
大正10年2月11日
(1921年)
第43巻 p.585(DK430124k)
是日、当団本部ニ於テ、創立満十五周年記念式挙行セラル。栄一出席ス。
大正10年7月23日
(1921年)
第43巻 p.585-586(DK430125k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、当団評議員会開カル。栄一出席ス。
大正10年8月17日
(1921年)
第43巻 p.586-589(DK430126k)
是日栄一、東京目白ノ学習院ニ於ケル第十二回講習会ニ出席シテ講話ヲナス。又、秋田県鹿角郡十和田湖畔ニ於ケル第十一回講習会、及ビ奈良県吉野郡吉野山ニ於ケル第十三回講習会ニ祝辞ヲ送ル。
尚、大正十年度当団講習会ニ金三百円ヲ寄付ス。
大正10年10月1日
(1921年)
第43巻 p.589-597(DK430127k)
是日、栄一ノ発議ニヨリ、東京銀行倶楽部ニ於テ、当団賛助員会開カル。栄一出席シテ、修養会館建築案ノ説明ヲナシ援助ヲ懇請ス。次イデ十三日、栄一渡米ニ先立チテ森村開作ト連名ニヨル修養会館建築費寄付依頼紹介状ヲ執筆シ、自ラ金二万円寄付申込ヲナス。
大正10年10月12日
(1921年)
第43巻 p.597-598(DK430128k)
是ヨリ先、栄一第四回目ノ渡米ヲ決ス。是日、当団主催送別会、日本工業倶楽部ニ於テ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲナス。
大正11年3月20日
(1922年)
第43巻 p.598(DK430129k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、当団幹部会開カル。栄一出席シテ大正十年度決算・同十一年度予算、及ビ評議員会ニ提出スベキ議案ヲ審議ス。次イデ二十四日当団本部ニ於テ、評議員会開カレ、栄一出席ス。
大正11年3月31日
(1922年)
第43巻 p.598-601(DK430130k)
是日栄一、飛鳥山邸ニ来訪セル福島県耶麻郡翁島村当団支部員ニ訓話ヲナス。次イデ五月八日栄一、当団高工支部ニ於テ演説ス。
大正12年2月11日
(1923年)
第43巻 p.601-607(DK430131k)
是日、当団申請中ノ財団法人設立ノ件認可セラル。栄一引続キ顧問トナル。同日、当団本部ニ於テ、創立第十八周年記念式行ハレ、栄一、出席シテ講話ヲナス。
大正12年3月15日
(1923年)
第43巻 p.608-609(DK430132k)
是日、当団事務所ニ於テ、当団理事会開カレ、栄一出席ス。次イデ六月十五日、東京銀行倶楽部ニ於テ、同評議員会開カレ、栄一出席ス。
大正12年9月8日
(1923年)
第43巻 p.609-610(DK430133k)
是ヨリ先、九月一日、関東地方ニ大震火災起ル。是日芝協調会館ニ於テ、当団緊急理事会開カル。栄一出席シテ当団本部復興ニ関スル件及ビ救護ニ関スル件ニ就キ協議ス。
大正12年10月17日
(1923年)
第43巻 p.610-612(DK430134k)
是ヨリ先、九月一日関東ノ大震火災ニ、浅草蔵前ノ当団本部マタ罹災シ、仮事務所トシテ協調会館ノ一室ヲ借受ケ、是日同所ニ移転ス。栄一尽力スル所アリ。
大正13年2月6日
(1924年)
第43巻 p.612-617(DK430135k)
是日栄一、渋沢事務所ニ開カレタル当団理事会ニ出席ス。爾後開カレタル数次ノ理事会・幹部会ニモ同ジク出席ス。
大正13年4月29日
(1924年)
第43巻 p.617-619(DK430136k)
是ヨリ先、大正十二年八月十四日、当団団長田尻稲次郎歿ス。依ツテ是日、東京銀行集会所ニ於テ、当団評議員会開カレ、後任トシテ当団監事平沼騏一郎ヲ推薦スルノ件ヲ決ス。栄一出席ス。
大正13年5月30日
(1924年)
第43巻 p.619-629(DK430137k)
是日、渋沢事務所ニ於テ当団理事会開カレ、栄一出席ス。爾後開カレタル数次ノ理事会及ビ支部聯合会幹部会ニモ出席シ、会館建設ノ件其他ヲ議ス。
大正13年10月19日
(1924年)
第43巻 p.629-637(DK430138k)
是日、平沼騏一郎ノ当団団長推戴式、飛鳥山邸ニ於テ挙行セラレ、栄一出席シテ、平沼団長推戴ノ辞ヲ述ブ。尚、栄一、推戴式費用約金二千円ヲ寄付ス。
大正13年11月5日
(1924年)
第43巻 p.637-638(DK430139k)
是日、当団仮事務所ニ於テ、当団理事会開カル。栄一出席シテ会館建築ニ関スル件其他ヲ議ス。
大正14年1月28日
(1925年)
第43巻 p.638-639(DK430140k)
是日、当団仮事務所ニ於テ、当団理事会開カル。栄一出席シテ、後援会設立ニ関スル件其他ヲ議ス。
大正15年3月28日
(1926年)
第43巻 p.639-648(DK430141k)
是ヨリ先、大正十四年七月起工セル会館竣工シ、是日、落成式ヲ行フ。栄一出席シテ挨拶ヲナス。式後、飛鳥山邸ニ於テ当団創立第二十一回記念式ヲ挙行ス。栄一、重ネテ挨拶ヲナス。尚、栄一、記念式ノ費用トシテ金千円ヲ寄付ス。
昭和2年3月26日
(1927年)
第43巻 p.648-650(DK430142k)
是日、当団本部事務所ニ於テ、当団評議員会開カレ、栄一出席ス。
昭和2年3月27日
(1927年)
第43巻 p.650-652(DK430143k)
是日栄一、森村開作ト共ニ当団支部幹部会出席者ヲ、日本工業倶楽部ニ招キテ晩餐会ヲ催ス。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
昭和3年2月11日
(1928年)
第43巻 p.652-654(DK430144k)
是日、当団本部ニ於テ当団創立第二十三周年記念式行ハル。栄一祝辞ヲ送ル。
昭和3年3月25日
(1928年)
第43巻 p.654-658(DK430145k)
是日、当団本部ニ於テ、当団支部及ビ支部聯合会幹部会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。終ツテ日本倶楽部ニ於テ、後援会主催、幹部会出席者招待会催サル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
昭和3年10月14日
(1928年)
第43巻 p.658-674(DK430146k)
是日、当団主催ニヨリ、当団本部ニ於テ、栄一ノ米寿祝賀会開カル。栄一病気ノタメ出席セズ、嫡孫敬三代理トシテ出席ス。
昭和3年12月
(1928年)
第43巻 p.674(DK430147k)
是月栄一、故当団理事島芳太郎ノ遺児教育資金トシテ金五百円ヲ寄ス。
昭和4年8月
(1929年)
第43巻 p.674-677(DK430148k)
是月開カレタル宇治山田市外神宮皇学館ニ於ケル当団第三十六回講習会、及ビ十一月開カレタル福島市ニ於ケル当団第三十八回講習会ニ、栄一、祝辞又ハ祝電ヲ送ル。
昭和4年11月6日
(1929年)
第43巻 p.677-678(DK430149k)
是日、当団本部ニ於テ、当団常務理事会開カレ、栄一出席ス。
昭和5年5月18日
(1930年)
第43巻 p.678-680(DK430150k)
是日、日比谷公会堂ニ於テ当団創立二十五年記念全国団員大会開カル。栄一、祝辞ヲ寄ス。
昭和6年2月11日
(1931年)
第43巻 p.680-681(DK430151k)
是日、当団本部講堂ニ於テ、当団創立第二十六年記念式挙行セラル。栄一、顧問並ニ後援会長トシテ挨拶ヲ寄ス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第43巻 p.681-688(DK430152k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当団団長平沼騏一郎並ニ主幹蓮沼門三ヨリ弔詞ヲ贈ル。尚、十二月刊行ノ当団機関誌「向上」第二十五巻第十二号ヲ「渋沢顧問追悼号」トナス。
昭和7年3月26日
(1932年)
第43巻 p.688-699(DK430153k)
是日、明治神宮外苑日本青年会館ニ於テ、当団主催ニヨリ、栄一ノ追悼会開カル。男篤二遺族ヲ代表シテ挨拶ヲ述ブ。