デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
1節 東京市養育院其他
1款 東京市養育院
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年6月13日
(1909年)
第30巻 p.5-63(DK300001k)
是日栄一、当院巣鴨分院ニ至リ院務ヲ視ル。爾後歿年ニ至ルマデ、松平定信ノ忌日タル十三日ヲ登院日ニ充テ、当院院長トシテ院務ヲ執リ、且ツ屡屡職員並ニ分院収容児童ニ対シテ訓話ヲナス。
明治43年5月13日
(1910年)
第30巻 p.63-115(DK300002k)
是日、当院巣鴨分院ニ於テ楽翁公記念祭ヲ開ク。是ヨリ毎年恒例トナシ、或ハ学者ヲ聘シテ事蹟ノ講演ヲ乞ヒ、或ハ記念印刷物ヲ頒チ、栄一自ラモ亦屡々講演ヲナス等、公ノ顕彰ニ努メ、昭和六年ニ及ブ。
明治43年6月13日
(1910年)
第30巻 p.115-130(DK300003k)
是ヨリ先明治三十二年十二月、当院ニ於テ看護婦養成ヲ開始ス。是日栄一、ソノ卒業証書授与式ニ出席シ演説ヲナス。後大正八年更ニ産婆養成ヲ初ム。爾来屡々之等ノ卒業式ニ出席シテ訓辞ヲ述ブ。
明治43年9月15日
(1910年)
第30巻 p.130-132(DK300004k)
是ヨリ先明治四十二年十二月、栄一当院ヘ金円ヲ寄附セルニヨリ、是日東京府知事ヨリ木杯一個ヲ下賜セラル。爾後屡々同ジ理由ニヨリ東京府知事並ニ賞勲局総裁ヨリ木杯ヲ下賜セラレ、又褒賞条例ニ依リ表彰ヲ受ク。
明治44年4月24日
(1911年)
第30巻 p.132-141(DK300005k)
是日、伏見宮貞愛親王、当院大塚本院及ビ巣鴨分院・井之頭学校ニ台臨セラレ、栄一御案内ス。此後、大正七年四月二十四日東伏見宮妃、大正十一年十二月四日山階宮武彦王・同妃、昭和五年一月八日高松宮宣仁親王ノ各殿下本院並ニ分院ニ台臨セラレ、栄一御案内ス。
大正2年2月18日
(1913年)
第30巻 p.141-147(DK300006k)
是日東京市長阪谷芳郎、当院ヲ視察シ栄一案内ス。爾後恒例トシテ東京市長交替毎ニ新市長ヲ当院ニ案内ス。
大正2年3月12日
(1913年)
第30巻 p.147-148(DK300007k)
是日、米国シカゴ大学教授ヘンダーソン、東京市長阪谷芳郎ノ案内ニテ当院ヲ参観、栄一、事業ノ概要ヲ説明ス。
大正2年3月13日
(1913年)
第30巻 p.148-166(DK300008k)
是日栄一、東京市会議員ヲ当院大塚本院及ビ巣鴨分院ニ案内シ、当院ノ沿革ト現状並ニ将来ノ計画ニ就キ詳細ニ説明ス。同四年五月十三日、再ビ市会議員ヲ当院ニ招ジテ同様ノ説明ヲナス。
大正3年8月1日
(1914年)
第30巻 p.166-168(DK300009k)
是日栄一、当院安房分院ヲ視察ス。
大正3年10月24日
(1914年)
第30巻 p.168-173(DK300010k)
是ヨリ先、当院板橋分院竣工シ、是日開院式ヲ行フ。栄一当院院長トシテ来賓ノ祝辞ニ対シ答辞ヲ述ブ。
大正5年12月8日
(1916年)
第30巻 p.174-175(DK300011k)
是日栄一、当院ニ至リ、事務員一同ト事務室楼上ニ会シ一場ノ訓話ヲナス。
大正6年1月16日
(1917年)
第30巻 p.175-178(DK300012k)
皇后宮大夫大森鐘一、是日当院大塚本院並ニ巣鴨分院ヲ、同十一年十二月十一日ニ井之頭学校ヲ、同十二年十二月四日ニ板橋本院ヲ視察ス。栄一当院院長トシテ案内ス。
大正6年1月18日
(1917年)
第30巻 p.178-182(DK300013k)
是日栄一、参内ノ上、皇后陛下ニ拝謁シ、当院ノ院務ニ関シテ言上ス。爾後大正十一年十二月十六日、同十二年六月十八日、並ニ同十五年七月一日ニモ同ジク参内ノ上、拝謁言上ス。
大正6年6月8日
(1917年)
第30巻 p.182-185(DK300014k)
是日、当院安房分院ニ於テ磨崖碑竣工式行ハレ、栄一当院院長トシテ之ニ列席ス。引続キ新築セル同分院会堂ニ於ケル楽翁祭ニ出席シ、一場ノ演説ヲナス。
大正7年4月15日
(1918年)
第30巻 p.186(DK300015k)
是日栄一、ジー・シイ・ベリー博士ヲ、当院ノ本院及ビ巣鴨分院ニ案内シタル後、王子飛鳥山ノ自邸ニ招待ス。
大正8年11月16日
(1919年)
第30巻 p.186-193(DK300016k)
是日、王子飛鳥山邸ニ於テ当院職員慰労会開催セラレ、栄一之ニ出席シ挨拶ヲ述ブ。爾後屡々同慰労会ニ出席シ、挨拶ヲナス。
大正10年6月16日
(1921年)
第30巻 p.193-203(DK300017k)
是日、千葉県船形町ノ安房分院ニ於テ同院開設十二周年記念会ヲ挙行ス。栄一之ニ出席シテ演説ヲナス。爾後大正十一年・同十二年・昭和二年及ビ同四年ノ同院各開設記念会ニ出席ス。
大正11年7月29日
(1922年)
第30巻 p.203-210(DK300018k)
養育院慈善会ハ、ソノ創立以来当院ノ為メ尽力スル所多カリシガ、是日神田青年会館ニ於テ三浦環独唱大演奏会ヲ開催ス。栄一之ニ臨ム。
大正11年11月26日
(1922年)
第30巻 p.210-220(DK300019k)
是日、当院創立五十周年記念式挙行セラル。栄一之ニ出席シ演説ヲナス。次イデ同年十二月十三日、東京基督教青年会館ニ於テ開催セラレタル、当院慈善会主催ニ係ル、同記念講演会ニ出席シ演説ヲナス。
大正13年3月21日
(1924年)
第30巻 p.220-234(DK300020k)
是ヨリ先、当院大塚本院ヲ府下北豊島郡板橋町ニ移転スルニ決シ、大正四年十月、東京市養育院移転助成会設立セラレ、栄一、会長トシテ種々尽力ス。大正七年五月十五日、皇后陛下ヨリ移転拡張ノ補助トシテ金一万円ノ下賜アリ、栄一、宮内省ニ出頭シ拝受ス。ソノ後板橋本院ノ新築ハ大正十一年七月起工シ、是日新講堂ニ於テ落成移転披露会挙行セラル。栄一、当院院長トシテ出席シ式辞ヲ述ブ。
大正13年4月18日
(1924年)
第30巻 p.234-235(DK300021k)
是日栄一、当院巣鴨分院児童ヲ飛鳥山邸ニ招ジ、慰安園遊会ヲ催シ、一場ノ挨拶ヲナス。
大正13年6月13日
(1924年)
第30巻 p.235(DK300022k)
是日栄一、インド詩人タゴールヲ当院ニ案内ス。
大正14年11月15日
(1925年)
第30巻 p.235-245(DK300023k)
是ヨリ先、東京市長・助役・東京市会議員及ビ当院常設委員・当院幹事等相図リ、栄一ノ銅像ヲ当院構内ニ建設シ、是日除幕式ヲ挙行ス。栄一之ニ出席シ謝辞ヲ述ブ。
大正15年9月24日
(1926年)
第30巻 p.245(DK300024k)
是日、アメリカ社会事業家エドガー・ゼイ・ヘルムス、当院ヲ訪問ス。栄一事業ノ沿革並ニ現況ヲ説明ス。
大正15年10月18日
(1926年)
第30巻 p.245-246(DK300025k)
是日、救世軍ブラムヱル・ブース大将当院ヲ参観ス。栄一当院院長トシテ之ヲ案内ス。
昭和2年4月29日
(1927年)
第30巻 p.246-253(DK300026k)
是ヨリ先三月、当院巣鴨分院改築工事完了シ、是日改築落成披露会ヲ行フ。栄一之ニ出席シ式辞ヲ述ブ。
昭和2年9月13日
(1927年)
第30巻 p.253-262(DK300027k)
是日栄一、当院巣鴨分院ニ於テ開催セラレタル院外委託児童藪入会ニ臨ミ、一場ノ訓話ヲナス。爾後昭和三年九月十三日・同四年九月十三日・同五年九月十三日・同六年四月十三日ノ同藪入会ニモ臨席ス。
昭和4年9月16日
(1929年)
第30巻 p.262-267(DK300028k)
是日、東京ロータリー・クラブノ招待ニヨリ当院巣鴨分院児童並ニ井之頭学校生徒、多摩川園ニ遊ブ。栄一、同園ニ赴キ院長トシテロータリー・クラブ員ニ対シ謝辞ヲ述ベ、且ツ来園院児ニ一場ノ訓話ヲナス。
昭和6年11月11日
(1931年)
第30巻 p.267-365(DK300029k)
是日、当院院長タリシ栄一歿ス。仍テ当院本院及ビ各分院・学校ハ同月十六日追悼会ヲ催シ、東京市養育院月報第三百六十四号ヲ、故渋沢養育院長追悼号トス。
2款 岡山孤児院
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年5月19日
(1911年)
第30巻 p.366-367(DK300030k)
是日栄一、当院ニ到リ現状ヲ視察シ、院児ニ一場ノ訓話ヲナシタル後、寄附ヲナス。次イデ大正三年二月二十二日、青年会館ニ催サレタル院長タリシ故石井十次追悼演説会ニ臨ミ追悼演説ヲナス。
大正6年4月23日
(1917年)
第30巻 p.367-368(DK300031k)
是日、当院創立三十年記念会ニ際シ、栄一、中央慈善協会長トシテ祝辞ヲ贈ル。
3款 東京出獄人保護所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年11月3日
(1911年)
第30巻 p.369-370(DK300032k)
是日栄一、原胤昭ノ家ニ赴キ、出獄人保護ノ現況ヲ視察シ、天長節ニツキ集会セル来会者ニ一場ノ訓示ヲナス。
4款 東京市設職業紹介所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年11月15日
(1911年)
第30巻 p.371-375(DK300033k)
是日、東京市設職業紹介所設置セラレ、栄一、養育院長トシテ之ガ管理ニ任ズ。大正九年五月ニ至リ当紹介所ハ東京市社会局ニ移管セラル。
5款 埼玉育児院
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正6年1月6日
(1917年)
第30巻 p.376-379(DK300034k)
是日、当院社団法人設立発起人会開催サレ、翌七年二月設立認可セラル。栄一之ニ就キ援助ヲナス。
大正7年5月14日
(1918年)
第30巻 p.379-381(DK300035k)
是日、松山町城恩寺ニ於テ当院第一回社員総会ヲ催ス。栄一之ニ出席シ一場ノ演説ヲナス。翌八年二月、栄一在京埼玉県人等ト謀リ当院後援会ヲ組織シ、帝国劇場ニ於テ慈善演芸会ヲ催シ純益金二千円余ヲ寄附ス。
大正13年4月6日
(1924年)
第30巻 p.381(DK300036k)
是日栄一、当院ヲ訪問シ、職員ヲ激励ス。
6款 四恩瓜生会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年2月9日
(1919年)
第30巻 p.382(DK300037k)
是ヨリ先、当会会堂改築成リ、是日落成式ヲ挙行ス。栄一之ニ出席シ祝辞ヲ述ブ。
7款 滝乃川学園
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正9年9月
(1920年)
第30巻 p.383-392(DK300038k)
是月、滝乃川学園、財団法人トナルニ当リ、栄一理事長ニ就任シ、歿年ニ及ブ。
8款 愛の家
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正12年11月
(1923年)
第30巻 p.393-397(DK300039k)
是月、関東大震災罹災婦人救護ノ目的ヲ以テ「愛の家」設立サレ、栄一之ガ顧問トナリ、歿年ニ及ブ。
9款 福田会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和6年11月15日
(1931年)
第30巻 p.398-401(DK300040k)
是ヨリ先栄一、当会創立ノ当初ヨリ名誉顧問トシテ尽力ス。栄一逝去ニツキ是日当会ヨリ弔詞ヲ贈ル。
10款 其他 1. 第二無料宿泊所開所式
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年9月18日
(1910年)
第30巻 p.402-405(DK300041k)
東本願寺輪番大草慧実ニヨリ、深川区西町ニ第二無料宿泊所設立サレ、是日、開所式ヲ挙行ス。栄一之ニ臨ミ祝詞ヲ述ブ。
10款 其他 2. 鉄道保養院
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第30巻 p.405-406(DK300042k)
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10款 其他 3. 全国育児事業経営者慰労園遊会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年11月8日
(1911年)
第30巻 p.406-409(DK300043k)
是月四日ヨリ七日迄、内務省ハ全国ノ育児事業経営者ヲ招キテ協議ス。是日、飛鳥山邸ニ於テソノ慰労園遊会開カレ、栄一演説ス。
10款 其他 4. 上毛孤児院主金子尚雄表彰祝賀会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正7年3月10日
(1918年)
第30巻 p.409-413(DK300044k)
是日栄一、前橋ニ赴キ、上毛孤児院主事金子尚雄表彰祝賀会ニ出席シ、講演ヲナス。
10款 其他 5. 東京児童会館
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第30巻 p.413-418(DK300045k)
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2節 中央社会事業協会其他
1款 中央慈善協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年4月6日
(1910年)
第30巻 p.419-453(DK300046k)
是ヨリ先、当協会評議員・内閣統計局属田中太郎ハ欧米ニ於ケル慈善事業視察ノタメ、明治四十一年五月十三日ヨリ翌四十二年九月二十九日ニ至ル間海外旅行ヲナス。是日栄一、銀行倶楽部ニ於テ同人ノ視察報告会ヲ兼ネテ済貧事業ニ関スル談話会ヲ開催シ、席上一場ノ演説ヲナス。右席上ニ於テ済貧事業ニ関スル講究ヲ継続的ニ当協会ニ委託スベキノ決議ナサレタルニ由リ、同年五月九日ノ当協会評議員会ニ於テ之ガ調査委員ノ指名ヲナシ翌四十四年十月救済事業調査要項成ル。栄一会長トシテ之ニ与ル。
明治44年11月2日
(1911年)
第30巻 p.453-457(DK300047k)
是日、内務省附属会堂ニ於テ当協会第四回総会開催セラル。栄一之ニ出席シ一場ノ演説ヲナス。
大正元年11月24日
(1912年)
第30巻 p.457-465(DK300048k)
是日、王子飛鳥山邸ニ於テ当協会第五回総会開催セラル。栄一之ニ出席シテ一場ノ演説ヲナス。
大正2年3月12日
(1913年)
第30巻 p.465-475(DK300049k)
是日、日本橋倶楽部ニ於テ、当協会主催ニヨルアメリカ合衆国シカゴ大学教授ヘンダルソン博士歓迎晩餐会開催セラル。栄一之ニ出席シ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正2年6月5日
(1913年)
第30巻 p.475-476(DK300050k)
是日、東京市養育院本院ニ於テ当協会協議会開催セラレ、栄一之ニ出席ス。
大正2年6月23日
(1913年)
第30巻 p.476-479(DK300051k)
是日、大手町大日本私立衛生会ニ於テ当協会幹事会開カレ、住宅問題ヲ討議ス。栄一之ニ出席シ一場ノ挨拶ヲナス。次イデ二十九日、当協会役員等ト共ニ本所横川町・大平町ノ細民住宅、及ビ浅草ノ共同長屋ヲ視察ス。
大正3年12月22日
(1914年)
第30巻 p.479-489(DK300052k)
是ヨリ先十一月下旬、栄一府下東村山村全生病院ヲ視察ス。是日、当協会ハ全生病院長光田健輔其他ヲ帝国ホテルニ招待シ、癩病予防講話会ヲ開ク。栄一之ニ出席シ一場ノ挨拶ヲナス。
大正4年5月11日
(1915年)
第30巻 p.489-490(DK300053k)
是日、滝乃川学園ニ於テ当協会懇談会開催セラル。栄一之ニ出席ス。
大正4年6月11日
(1915年)
第30巻 p.490-494(DK300054k)
是日、神田ノ基督教青年会館ニ於テ当協会ノ例会開催セラル。栄一之ニ出席ス。
大正4年11月16日
(1915年)
第30巻 p.494-496(DK300055k)
是日、京都市市会議事堂ニ於テ、当協会第八回総会開催セラレ、御大典ヲ奉祝シテ、栄一渡米中ナルモ会長ノ名ヲ以テ賀表ヲ捧呈ス。
大正5年11月19日
(1916年)
第30巻 p.496-497(DK300056k)
是日、前橋市公会堂ニ於テ群馬県慈善協会ノ発会式挙行セラル。栄一、当協会会長トシテ祝辞ヲ送ル。
大正6年5月
(1917年)
第30巻 p.497-503(DK300057k)
是月当協会ハ会則ヲ改正シ、且ツ従来季刊ノ機関誌「慈善」ヲ「社会と救済」ト改題シテ月刊トス。同年十月刊行ノ同誌第一巻第一号ニ、栄一「本誌改題に際しての所感」ナル一文ヲ掲載ス。
大正6年11月3日
(1917年)
第30巻 p.503-504(DK300058k)
是日、九段ノ偕行社ニ於テ、当協会第九回総会開催セラレ、栄一之ニ出席シテ挨拶ヲナス。
大正6年11月3日
(1917年)
第30巻 p.504-519(DK300059k)
是日ヨリ同月五日迄、九段ノ偕行社ニ於テ当協会主催第四回全国救済事業大会開催セラル。栄一、当協会会長トシテ之ニ与ル。
大正7年1月10日
(1918年)
第30巻 p.519-521(DK300060k)
是日、丸ノ内中央亭ニ於テ、地方長官ニ転任セル当協会常務理事渡辺勝三郎・同理事中川望両名ノ送別会開催セラル。栄一之ニ出席シ当協会会長トシテ送別ノ挨拶ヲナス。
大正7年2月28日
(1918年)
第30巻 p.521-535(DK300061k)
是日、帝国ホテルニ於テ当協会主催ニ係ルジヨン・シー・ベリー博士歓迎会開催セラル。栄一之ニ出席シ当協会会長トシテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正8年6月16日
(1919年)
第30巻 p.535-539(DK300062k)
是日、日比谷公園ニ於テ当協会ノ役員タリシ故東京府知事井上友一ノ府葬執行セラル。栄一当協会ヲ代表シ弔辞ヲ読ム。
大正8年10月22日
(1919年)
第30巻 p.539-540(DK300063k)
是日、帝国ホテルニ於テ当協会主催アメリカ合衆国社会事業家ロバート・エー・ウッヅ博士夫妻ノ歓迎晩餐会開催セラル。栄一之ニ出席シ一場ノ挨拶ヲナス。
2款 社会事業協会 = 財団法人中央社会事業協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正10年3月30日
(1921年)
第30巻 p.541-543(DK300064k)
是日、渋沢事務所ニ於テ中央慈善協会評議員会開催セラレ、会名ヲ「社会事業協会」ト改称シ、機関誌「社会と救済」ヲ「社会事業」ト改題スル件議決セラル。栄一会長トシテ之ニ与ル。
大正11年10月14日
(1922年)
第30巻 p.543-544(DK300065k)
是日、鉄道協会ニ於テ当協会総会開催セラレ、栄一出席シテ開会ノ挨拶ヲナス。
大正12年9月20日
(1923年)
第30巻 p.544-553(DK300066k)
是ヨリ先九月一日関東大震災アリ、仍テ是日、震災善後策協議ノ為メ当協会緊急理事会ヲ内務省社会局ニ於テ開催ス。栄一当協会会長トシテ之ニ出席ス。
大正12年11月17日
(1923年)
第30巻 p.553-554(DK300067k)
是日、八重洲町中央亭ニ於テ当協会主催ノ田子一民送別会開催セラル。栄一之ニ出席シ一場ノ挨拶ヲナス。
大正13年3月20日
(1924年)
第30巻 p.554-556(DK300068k)
是ヨリ先前年八月七日、当協会財団法人設立許可ノ申請ヲナシ、是日許可セラル。爾後財団法人中央社会事業協会ト称ス。栄一会長トシテ之ニ与ル。
大正13年11月24日
(1924年)
第30巻 p.556-557(DK300069k)
是ヨリ先、赤十字社聯盟ハ国際社会事業大会開催ヲ決定シ、日本赤十字社ヘ準備委員会ノ組織ヲ申達セリ。仍テ日本赤十字社ハ栄一、並ニ同社社長男爵平山成信連署ノ該委員推薦状ヲ発セントシ、是日当協会副会長窪田静太郎右ニ就キ栄一ニ承諾ヲ求ム。栄一之ヲ承諾ス。
大正14年2月1日
(1925年)
第30巻 p.557-561(DK300070k)
是日ヨリ五月二十一日迄、芝区栄町東京親隣館ニ於テ当協会主催第一回社会事業講習会開講セラル。栄一、科外講義ニ出講ノ予定ナリシモ病気ノ為メ欠席ス。
大正14年9月
(1925年)
第30巻 p.561-564(DK300071k)
是ヨリ先、当協会ハ其会計係書記ノ涜職ニヨリ金六万五千円ノ損失ヲ招ク。栄一内金二万円ヲ負担ス。
大正15年2月25日
(1926年)
第30巻 p.564-567(DK300072k)
是日栄一、当協会雑誌「社会事業」ノ求メニ応ジ児童救育ニ関スル経験談ヲナス。
大正15年12月2日
(1926年)
第30巻 p.567-576(DK300073k)
是日ヨリ四日迄、明治神宮外苑日本青年館ニ於テ当協会主催第一回全国児童保護事業会議開催セラル。栄一当協会会長トシテ之ニ与ル。
昭和2年7月15日
(1927年)
第30巻 p.576-579(DK300074k)
是日、日本倶楽部ニ於テ当協会並ニ中央融和事業協会聯合主催ニヨリ、全国学務部長会議ノ為メ上京中ノ各府県学務部長ノ招待会開催セラル。栄一之ニ出席シ一場ノ演説ヲナス。
昭和2年7月19日
(1927年)
第30巻 p.579-584(DK300075k)
是日栄一、内務大臣鈴木喜三郎ノ援助ヲ得テ、実業家ノ有力者ヲ内務大臣官邸ニ招キ、当協会ノ後援ヲ依頼ス。ソノ結果委員七名ノ尽力ニヨリ、協会維持金年額一万九千円五ケ年継続ノ応募額ヲ得タリ。
昭和2年10月21日
(1927年)
第30巻 p.584-591(DK300076k)
是日ヨリ二十五日迄、日本青年館ニ於テ当協会ノ主催ニヨル第一回全国方面委員会議開催セラル。栄一開会式ニ出席シ、開会ノ辞ヲ述ブ。
昭和3年12月5日
(1928年)
第30巻 p.591-600(DK300077k)
是日、小石川隣保館ニ於テ開催セラレタル当協会主催第一回全国救護事業会議ノ総会ニ際シ、病気引籠中ノ栄一ニ対シ、米寿ノ賀辞ヲ送ルコトヲ決ス。尚、同会議ニ於テ救護法制定ノ実施ソノ他ヲ決議ス。
昭和4年2月14日
(1929年)
第30巻 p.600-606(DK300078k)
是ヨリ先、前年十二月開カレタル第一回全国救護事業会議ノ決議ニ基キ、是日栄一、当協会会長トシテ救護法ノ制定・実施ヲ総理大臣田中義一・内務大臣望月圭介及ビ大蔵大臣三土忠造ニ建議シ、次イデ三月、貴衆両院議員ニ対シ同法ノ議会通過ノ尽力方ヲ依頼ス。
昭和4年6月4日
(1929年)
第30巻 p.607-619(DK300079k)
是日栄一、内務省社会局ニ於ケル当協会主催ウインフレツド・マザー夫人招待茶話会ニ出席ス。
昭和4年11月14日
(1929年)
第30巻 p.619-633(DK300080k)
是日ヨリ同月十六日迄、日本青年館ニ於テ当協会主催第二回全国方面委員会議開催セラル。栄一之ニ出席シ一場ノ挨拶ヲナス。同会議ニ於テ救護法促進ノ決議案ヲ決定シ、救護法実施促進継続委員会ヲ組織ス。
昭和5年10月
(1930年)
第30巻 p.633-634(DK300081k)
是ヨリ先、栄一ノ当協会理事任期満了ス。是月評議員会ノ推選ニヨリ、栄一引続キ理事タルコトヲ承諾ス。
昭和5年11月8日
(1930年)
第30巻 p.634-657(DK300082k)
是ヨリ先、前年十一月組織セラレタル救護法実施促進委員会ハ本年ニ至リ、更ニ救護法実施促進期成同盟会ヲ結成シ運動ヲ継続シ来リシガ、ソノ実施ニ就キ当局ノ確答ヲ得ル能ハズ。仍テ是日委員ハ飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪ヒ、出馬ヲ請フ。栄一病ヲ押シテ内務大臣安達謙蔵ヲ訪フ。
昭和6年12月12日
(1931年)
第30巻 p.657-664(DK300083k)
是年十一月十一日栄一歿ス。仍テ是日、当協会ハ東京市・財団法人協調会並ニ社団法人国際聯盟協会ト共同主催ノモトニ日比谷公会堂ニ於テ追悼講演会ヲ開催シ、且ツ雑誌「社会事業」第十五巻第九号ヲ故渋沢会長追悼号トシテ発行ス。
3款 財団法人東京府慈善協会 = 財団法人東京府社会事業協会
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大正6年4月
(1917年)
第30巻 p.665-669(DK300084k)
是ヨリ先二月十一日、東京府慈善協会創立サレ、是月栄一、ソノ顧問ニ就任ス。
大正6年5月22日
(1917年)
第30巻 p.669-672(DK300085k)
是日、小石川植物園ニ於テ当協会第一回大会開催セラル。栄一之ニ出席シ祝辞ヲ述ブ。
大正7年11月27日
(1918年)
第30巻 p.672(DK300086k)
是日王子飛鳥山邸ニ於テ当協会第二回大会開催セラル。栄一之ニ出席シ一場ノ祝辞演説ヲナス。
同九年十一月、当協会ハ名称ヲ改メテ東京府社会事業協会ト称ス。
大正13年10月30日
(1924年)
第30巻 p.672-674(DK300087k)
是日、王子町王子尋常高等小学校内、当協会王子隣保館ノ開館式行ハル。栄一之ニ出席シ祝辞ヲ述ブ。
昭和2年6月12日
(1927年)
第30巻 p.674-681(DK300088k)
是日、日本青年館ニ於テ当協会創立十週年記念会開催セラル。栄一之ニ出席シ一場ノ演説ヲナス。
4款 東京臨時救済会
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大正7年8月15日
(1918年)
第30巻 p.682-758(DK300089k)
是年、世界大戦ノ影響等ニヨリ米穀其他ノ諸物価暴騰シ、各地ニ暴動勃発シ、是月十三日東京ニ波及ス。是日、東京臨時救済会組織セラレ、栄一之ガ会長ニ推サル。爾後同年十二月会務終了ニ至ル間、会務ニ尽瘁ス。
5款 財団法人埼玉共済会
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大正8年6月
(1919年)
第30巻 p.759-767(DK300090k)
是ヨリ先四月、財団法人埼玉共済会設立セラル。栄一其創立及ビ寄附金募集ニ尽力シ、是月当会顧問ニ就任シ、歿年ニ及ブ。
6款 財団法人労働奨励会
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大正8年6月16日
(1919年)
第30巻 p.768-770(DK300091k)
是日栄一、警視総監岡喜七郎ヲ会長トセル労働奨励会ニ出席演説シ、其顧問ニ就任ス。
7款 恩賜財団慶福会
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大正13年7月1日
(1924年)
第30巻 p.771-778(DK300092k)
是日栄一、恩賜財団慶福会ノ顧問ニ就任シ、歿年ニ及ブ。
8款 財団法人東京市方面事業後援会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和4年2月
(1929年)
第30巻 p.779-781(DK300093k)
是月栄一、東京市方面事業後援会ノ顧問トナリ、歿年ニ及ブ。
9款 中央盲人福祉協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和4年11月
(1929年)
第30巻 p.782-788(DK300094k)
是ヨリ先十月、中央盲人福祉協会創立セラル。是月栄一、之ガ会長ニ就任シ歿年ニ及ブ。
10款 財団法人全日本方面事業聯盟
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昭和6年5月
(1931年)
第30巻 p.789-795(DK300095k)
是ヨリ先前年二月、中央社会事業協会ノ斡旋ニヨリ救護法実施期成同盟会結成セラレ、第五十八・第五十九ノ両議会ヲ通ジ救護法実施促進運動ヲナス。此間、栄一同法実施促進ノ為メニ尽力ス。是年四月救護法実施期日決定セラレ、且ツ全日本方面委員聯盟成立シ、是月栄一ソノ会長トナル。
11款 其他ノ関係諸事業 1. 浄土宗労働共済会五銭寄宿舎開所式
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--第30巻 p.796(DK300096k)
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11款 其他ノ関係諸事業 2. 社団法人東京市特殊小学校後援会玉姫長屋落成式
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第30巻 p.796-803(DK300097k)
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11款 其他ノ関係諸事業 3. 財団法人東京盲人教育会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第30巻 p.803-804(DK300098k)
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11款 其他ノ関係諸事業 4. 在シンガポール婦人救済
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第30巻 p.804-808(DK300099k)
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3節 感化事業
1款 全国感化救済事業大会
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明治43年5月22日
(1910年)
第30巻 p.809-816(DK300100k)
是日栄一、中央慈善協会会長トシテ名古屋市ニ於ケル全国感化救済事業大会ニ出席シ、一場ノ演説ヲナス。
2款 東京府立感化院修斉学園
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明治44年10月12日
(1911年)
第30巻 p.817-818(DK300101k)
是日、東京府立感化院修斉学園ハソノ開園式ヲ小笠原父島扇村同園講堂ニ挙行ヌ。栄一中央慈善協会会長トシテ祝辞ヲ送ル。
3款 東京市養育院感化部井之頭学校
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明治44年10月29日
(1911年)
第30巻 p.819-829(DK300102k)
是日栄一、当校開校七周年記念式ニ臨ミ、一場ノ訓示演説ヲナス。爾後大正六年・同十五年・昭和二年・同五年ノ当校式典或ハ記念運動会ニ出席ス。
大正2年4月25日
(1913年)
第30巻 p.829-838(DK300103k)
是日栄一、当校卒業式ニ出席シ一場ノ訓示ヲナス。爾後同六年・七年・九年・十年・十一年・十三年ノ卒業式ニ出席ス。
昭和4年5月5日
(1929年)
第30巻 p.838-844(DK300104k)
是日並ニ翌五年四月二十七日、栄一当校生徒ヲ王子飛鳥山邸ニ招待ス。
昭和5年3月10日
(1930年)
第30巻 p.844-848(DK300105k)
是日、感化法発布三十年記念日ニ際シ、栄一当院院長トシテ内務大臣ヨリ表彰セラル。
4款 関東・東北・北海道感化院長協議会
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大正4年4月24日
(1915年)
第30巻 p.849-855(DK300106k)
是日栄一、中央慈善協会会長トシテ、千葉市ニ開カレタル関東・東北・北海道感化院長協議会ニ出席シ、一場ノ演説ヲナス。
大正5年5月28日
(1916年)
第30巻 p.855-861(DK300107k)
是日栄一、中央慈善協会会長トシテ、水戸市ニ開カレタル関東・東北・北海道感化院長協議会ニ出席シ、一場ノ演説ヲナス。