デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
11款 イギリス皇太子エドワード歓迎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正11年4月13日
(1922年)
第39巻 p.5-14(DK390001k)
是ヨリ先、イギリス国皇太子エドワード来日ス。是日同国大使館主催歓迎レセプション、十五日内田山ノ井上勝之助邸ニ於テ同人並ニ日英協会主催歓迎園遊会、十七日帝国劇場ニ於テ東京市主催奉迎会開カレ、栄一之等ニ出席ス。十八日午前、同皇太子ノ平和記念東京博覧会観覧ニ際シ、栄一会場ニ於テ奉迎ス。同日午後、日比谷公園ニ於テ歓迎学生大会、二十一日麻布区今井町ノ三井邸ニ於テ三井八郎右衛門主催歓迎晩餐会開カレ、栄一之等ニ出席ス。
大正11年5月3日
(1922年)
第39巻 p.14-19(DK390002k)
是ヨリ先、栄一、英国皇太子殿下歓迎学生大会ノ顧問トナリ、金千円ヲ寄付スル他尽力スル所アリ、是日其散会式富士見軒ニ開カレ、栄一出席シテ演説ヲナス。
12款 ベルギー王子シャール・テオドール歓迎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正11年4月13日
(1922年)
第39巻 p.20(DK390003k)
ベルギー国第二王子シャール・テオドール来日シ、是日同国大使館ニ於テ、同国人及ビ日白協会会員ヲ引見ス。栄一参候ス。
13款 アメリカ海軍卿エドウィン・デンビー歓迎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正11年7月4日
(1922年)
第39巻 p.21-26(DK390004k)
是月二日来日セルアメリカ合衆国海軍卿エドウィン・デンビーヲ迎ヘ、是日内閣総理大臣加藤友三郎主催午餐会、同夜アナポリス兵学校同窓会、五日東京市長後藤新平主催午餐会、同夜外務大臣内田康哉主催晩餐会、六日平和記念東京博覧会主催午餐会等各所ニ催サレ、栄一ソレゾレ出席ス。
14款 中華民国前革命軍総司令蒋介石招待
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和2年10月26日
(1927年)
第39巻 p.27-39(DK390005k)
是ヨリ先、中華民国前国民革命軍総司令蒋介石、下野来日シ、是日、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪フ。十一月四日栄一、蒋介石ヲ東京銀行倶楽部ニ招キテ午餐会ヲ開キ、懇談ヲナス。
15款 其他ノ外国人接待
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年6月29日
(1909年)
第39巻 p.40(DK390006k)
是日栄一、アメリカ合衆国ノ貿易業者ジェー・アール・モールズ等ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
明治43年1月8日
(1910年)
第39巻 p.40-43(DK390007k)
是日栄一、東京市長尾崎行雄・東京商業会議所会頭中野武営等ト共ニ発起シテ、第一回米国観光団歓迎会ヲ有楽座ニ催ス。栄一出席シ、有志実業家ヲ代表シテ歓迎ノ挨拶ヲナス。
明治43年2月28日
(1910年)
第39巻 p.43-45(DK390008k)
是日栄一、東京市長尾崎行雄・東京商業会議所会頭中野武営ト共ニ発起シテ、第二回米国観光団歓迎会ヲ有楽座ニ催ス。栄一出席シ、有志実業家ヲ代表シテ歓迎ノ挨拶ヲナス。
明治43年3月25日
(1910年)
第39巻 p.46(DK390009k)
是日栄一、アメリカ合衆国通信社通信員ストーント、渋沢事務所ニ於テ会見ス。
明治43年4月1日
(1910年)
第39巻 p.46(DK390010k)
是日栄一、イギリス国ロンドン・タイムス紙特派員アール・ピー・ポーター夫妻等ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ晩餐会ヲ催ス。是ヨリ先三月二十八日、渋沢事務所ニポーターノ来訪ヲ受ケ、栄一、日本ノ財政ニ就イテ談話ス。
明治43年6月27日
(1910年)
第39巻 p.46-47(DK390011k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国カリフォルニア州副知事ボーターノ妹フイングスト夫人来日ス。栄一昨年渡米ノ際、其配慮ヲ被リシニヨリ、是日同人ヲ飛鳥山邸ニ招キテ晩餐会ヲ催ス。
明治43年7月28日
(1910年)
第39巻 p.47-50(DK390012k)
是日栄一、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク・ワールド主幹ドン・シー・サイズ夫妻ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
明治43年9月9日
(1910年)
第39巻 p.50-54(DK390013k)
是日栄一、アメリカ合衆国渡清実業団ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ晩餐会ヲ催ス。栄一関西旅行中ナルニヨリ、嗣子篤二代リテ接待ス。
明治44年3月4日
(1911年)
第39巻 p.54(DK390014k)
是日栄一、アメリカ合衆国デンヴァー・リオグランデ鉄道会社社長クラークノ夫人ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。是ヨリ先、二月十三日、大倉喜八郎主催クラーク夫人招待午餐会開カレ、栄一出席ス。
明治44年4月8日
(1911年)
第39巻 p.54-56(DK390015k)
是日、東京商業会議所主催アメリカ合衆国シカゴ東洋視察団接見会、同所ニ開カル。栄一臨席シテ挨拶ヲ述ブ。
明治44年7月3日
(1911年)
第39巻 p.56(DK390016k)
是日、ロシア国領沿海ニ出漁スル日本漁業組合員ハ、ロシア国観光団ヲ帝国劇場ニ招待シテ、歓迎観劇会ヲ催ス。栄一出席シ、組合員ニ代リテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
明治44年7月3日
(1911年)
第39巻 p.56-58(DK390017k)
是日栄一、アメリカ合衆国シカゴ大学教授ジェー・ピー・グードヲ案内シテ、日本女子大学校ヲ参観セシメ、後、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。翌四日清水満之助主催ノ招待午餐会、上野精養軒ニ開カレ、栄一臨席ス。同日午後、小池国三主催ノ招待観能会、靖国神社境内能楽堂ニ開カレ、栄一同ジク臨席ス。同夜、旧渡米実業団有志主催ノ送別晩餐会帝国ホテルニ開カレ、栄一出席シテ送別ノ辞ヲ述ブ。
明治44年9月6日
(1911年)
第39巻 p.58-65(DK390018k)
是ヨリ先、八月二十六日アメリカ合衆国スタンフォード大学総長デーヴィッド・エス・ジョルダン来日ス。是日栄一、ジョルダンヲ高千穂学校及ビ日本女子大学校ニ案内シ、次イデ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。尚、此前後ニワタリ各所ニ催サレタル其歓迎会ニ臨席ス。
明治44年9月17日
(1911年)
第39巻 p.65-74(DK390019k)
是日、日本女子大学校ハ、デーヴイッド・エス・ジョルダンヲ招待シテ午餐会ヲ開キ、又其演説ヲ乞フ。栄一出席シテ校内ヲ案内ス。十月九日、栄一、高橋是清・近藤廉平等ト共ニ、送別晩餐会ヲ帝国ホテルニ催シ、主人側ノ総代トシテ送別ノ辞ヲ述ブ。
明治44年10月2日
(1911年)
第39巻 p.74-79(DK390020k)
是日栄一、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク日本協会会長リンゼー・ラッセル夫妻及ビインデペンダント誌主筆ハミルトン・ホールト夫妻ヲ案内シテ、日本女子大学校及ビ東京市養育院ヲ参観セシメ、次イデ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。是ヨリ先九月二十五日、徳川家達等ト共ニ両人夫妻歓迎晩餐会ヲ帝国ホテルニ開キ、栄一出席シテ主催者側ヲ代表シテ挨拶ヲ述ブ。此前後屡々両人ト会見ス。
明治44年10月7日
(1911年)
第39巻 p.79-80(DK390021k)
是日栄一、イギリス国ロンドン大学評議員シドニー・ウェッブヲ案内シテ、東京市養育院及ビ日本女子大学校ヲ参観セシム。翌八日帝国劇場ニ招キテ観劇会ヲ催ス。
明治44年11月4日
(1911年)
第39巻 p.80-81(DK390022k)
是日栄一、朝鮮貴族李完用ノ一行ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
明治44年11月4日
(1911年)
第39巻 p.81-83(DK390023k)
是日、日本鉱業会・鉱山懇談会及ビ各実業団体聯合主催ノ米国鉱業団歓迎会、帝国ホテルニ開カル。栄一出席シテ、歓迎委員長トシテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。尚、各所ニ催サレタル歓迎会ニモ臨ム。
明治44年11月7日
(1911年)
第39巻 p.83(DK390024k)
是日栄一、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク国際平和義会会頭ジョン・ウェズレー・ヒルト渋沢事務所ニ会見ス。翌八日一書ヲ認メ、ヒルノ事業ニ賛意ヲ表ス。
明治45年2月28日
(1912年)
第39巻 p.83-84(DK390025k)
是日栄一、イギリス国人グレゴリート渋沢事務所ニ会見シ、オーストラリア移民問題等ニ関スル談話ヲナス。
明治45年3月9日
(1912年)
第39巻 p.84(DK390026k)
是日、アメリカ合衆国ダラー汽船会社社長ロバート・ダラー、渋沢事務所ニ栄一ヲ訪問対談ス。
明治45年6月7日
(1912年)
第39巻 p.84(DK390027k)
是日、日露協会主催ロシア帝国モスクヴァ絹物業者イヴァン・サコリコフ及ビウラース・シッチェンコフ招待晩餐会開カル。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
明治45年6月29日
(1912年)
第39巻 p.84(DK390028k)
是日栄一、カーネギー平和財団派遣ノアメリカ合衆国ハーヴァード大学名誉総長チャールズ・ダブリュー・エリオットヲ東京蚕業講習所ニ案内シ、次イデ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正元年8月27日
(1912年)
第39巻 p.85-86(DK390029k)
是日、日露協会会頭寺内正毅、ロシア帝国ノーヴォエ・ヴレーミヤ紙記者エゴロフヲ、麻布ノ自邸ニ招キテ晩餐会ヲ催ス。栄一出席シテ、エゴロフト対談ス。
大正元年9月30日
(1912年)
第39巻 p.86(DK390030k)
是日、基督教青年会ハ、神田区ノ同会館ニ於テ、アメリカ合衆国シアトル在留同胞母国観光団百余名ノ歓迎会ヲ催ス。栄一臨席シテ演説ヲナス。
大正元年10月12日
(1912年)
第39巻 p.86-87(DK390031k)
是日栄一、イギリス国特命全権大使クロード・エム・マクドナルドノ帰国スルニ際シ、同大使館ヲ訪問シテ告別ス。
大正元年12月6日
(1912年)
第39巻 p.87-95(DK390032k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国カーネギー平和財団ハ、日米交換講演ノ為、ハミルトン・ダブリュー・メービーヲ日本ニ派遣ス。是日栄一、メービー夫妻及ビ息女ヲ案内シテ、東京蚕業講習所ヲ参観セシメ、次イデ飛鳥山邸ニ午餐会ヲ催ス。此後、各種団体ヲ通ジテ歓待ニ努ム。
大正2年3月12日
(1913年)
第39巻 p.95(DK390033k)
是日栄一、アメリカ合衆国シカゴ大学教授チャールズ・アール・ヘンダーソンヲ案内シテ、東京市養育院ヲ参観セシム。夜、中央慈善協会主催ノ歓迎晩餐会、日本橋倶楽部ニ開カレ、栄一会長トシテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正2年5月4日
(1913年)
第39巻 p.96-97(DK390034k)
是日栄一、アメリカ合衆国ニ於ケル帰一協会代表、ハーヴァード大学名誉教授ヘンリー・ダブリユー・ピーボディヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正2年6月17日
(1913年)
第39巻 p.97(DK390035k)
是日、アメリカ合衆国人グリーンノ叙勲祝賀会、上野精養軒ニ開カル。栄一、其発起人タリ。
大正2年7月9日
(1913年)
第39巻 p.97-98(DK390036k)
是日栄一、中華民国使節孫宝琦、李盛鐸ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ談話会ヲ催ス。是ヨリ先同月二日、先ニ渡華セシ我実業団ノ主催ニテ、帝国ホテルニ招待午餐会開カル。栄一、来会者一同ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正2年8月2日
(1913年)
第39巻 p.98(DK390037k)
是日、カナダ国商務大臣フオスター歓迎会、日本橋倶楽部ニ開カル。栄一、一同ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正2年9月27日
(1913年)
第39巻 p.98-99(DK390038k)
是日栄一、アメリカ合衆国人サンダーラントヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正2年10月20日
(1913年)
第39巻 p.99-100(DK390039k)
是日、アメリカ合衆国サン・フランシスコ在留本邦人母国観光団、東京商業会議所ヲ訪問ス。栄一、会頭中野武営等ト共ニ之ヲ迎ヘテ、歓迎ノ辞ヲ兼ネ一場ノ演説ヲナス。
大正2年10月29日
(1913年)
第39巻 p.100-101(DK390040k)
是日、アメリカ合衆国オレゴン州在留本邦人母国観光団、東京商業会議所ヲ訪問ス、栄一、会頭中野武営等ト共ニ之ヲ迎ヘテ、一場ノ演説ヲナス。
大正2年12月15日
(1913年)
第39巻 p.101(DK390041k)
是日、アメリカ合衆国特命全権大使ジョージ・ダブリュー・ガスリー、我国ノ主ナル実業家ヲ招待シテ新任ノ披露ヲナス。栄一之ニ出席ス。
大正3年2月14日
(1914年)
第39巻 p.101-102(DK390042k)
是日栄一、中華民国人劉崇傑ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正3年9月18日
(1914年)
第39巻 p.102-104(DK390043k)
是日栄一、アメリカ合衆国シカゴ大学総長ジャドソン夫妻ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正4年1月21日
(1915年)
第39巻 p.104-105(DK390044k)
是日栄一、ロシア帝国大使館ニ於テ同国特命全権大使マレウィッチノ催セル日露協会関係者招待午餐会ニ臨ム。
大正4年1月31日
(1915年)
第39巻 p.105-123(DK390045k)
是日、アメリカ合衆国人シドニー・エル・ギューリック、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪問ス。二月六日、大隈重信邸ニ於テ、ギューリック及ビシカゴ大学神学部長シェラー・マシューズノ歓迎会開カレ、栄一出席ス。二月十日、帰一協会ハ上野精養軒ニ於テ、両博士ノ歓迎晩餐会ヲ催ス。栄一出席シ、同協会ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。二月十一日、栄一、両博士及ビアメリカ合衆国特命全権大使ジョージ・ダブリュー・ガスリーヲ日本女子大学校ニ迎ヘテ午餐ヲ共ニス。二月二十四日、外務大臣加藤高明、同大臣宮邸ニ於テ両博士招待午餐会ヲ開ク。栄一之ニ陪席ス。二月二十五日、栄一、両博士ヲ飛鳥山邸ニ招キテ、午餐会ヲ催ス。
大正4年2月1日
(1915年)
第39巻 p.123(DK390046k)
是日栄一、アメリカ合衆国大使館ニ於テ同国特命全権大使ジョージ・ダブリュー・ガスリーノ催セル海軍大将瓜生外吉渡米送別晩餐会ニ臨ム。
大正4年3月12日
(1915年)
第39巻 p.123-124(DK390047k)
是日栄一、アメリカ合衆国サタデー・イーヴニング・ポスト記者サミュエル・ブライスヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。是ヨリ先同月四日、栄一、大隈重信ノ催セル同人歓迎午餐会ニ陪席ス。
大正4年3月31日
(1915年)
第39巻 p.124(DK390048k)
是日栄一、中日実業株式会社取締役李士偉ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正4年7月25日
(1915年)
第39巻 p.124-125(DK390049k)
是日栄一、稷山鉱業株式会社取締役、アメリカ合衆国人ジェー・アール・ゲーリーヲ、大日本平和協会関係者ト共ニ、飛鳥山邸ニ招キテ帰国送別晩餐会ヲ催ス。
大正4年9月1日
(1915年)
第39巻 p.125(DK390050k)
是日、聖路加国際病院建設日本側委員会会長大隈重信主催、アメリカ合衆国ロックフェラー研究所長ウィリアム・エッチ・ウェルシュ一行歓迎並ニルドルフ・ビー・トイスラー送別ノ午餐会、華族会館ニ開カレ、栄一出席ス。
大正4年9月13日
(1915年)
第39巻 p.125(DK390051k)
是日、東京商業会議所主催、ブラジル国外務省政務局長兼通商局長ナポレオン・レース夫妻招待午餐会、同所ニ開カレ、栄一出席ス。
大正5年4月10日
(1916年)
第39巻 p.125(DK390052k)
是日、アメリカ合衆国人飛行家アート・スミス青山練兵場ニ於テ宙返リ飛行ヲ公開ス。栄一、前年同国旅行中、サン・フランシスコニ於ケル歓迎会ニ於テ、スミスノ歓迎飛行ヲ受ケタル縁故ニ依リ、花環ヲ贈ル。
大正5年6月2日
(1916年)
第39巻 p.126(DK390053k)
是日、ニュー・ヨーク日本協会協賛会、日米関係委員会、帝国飛行協会共催、アメリカ合衆国人飛行家アート・スミス送別晩餐会、帝国ホテルニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正5年6月7日
(1916年)
第39巻 p.126(DK390054k)
是日栄一、近ク帰国セントスル、アメリカ合衆国人飛行家アート・スミスヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正5年6月7日
(1916年)
第39巻 p.126-128(DK390055k)
是日、春秋会主催、アメリカ合衆国人モートン・プリンス及ビジェー・ビー・ミレット招待晩餐会、築地精養軒ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正5年6月13日
(1916年)
第39巻 p.128-132(DK390056k)
是日、帰一協会主催アメリカ合衆国人モートン・プリンス招待茶会、飛鳥山邸ニ催サレ、栄一出席ス。又七月十二日、栄一、帝国ホテルニ催サレタルプリンスノ招待会ニ臨ム。十五日、日米関係委員会主催、プリンス送別晩餐会帝国ホテルニ開カレ、栄一出席シテ演説ヲナス。
大正5年6月16日
(1916年)
第39巻 p.132-135(DK390057k)
是日アメリカ合衆国人飛行家アート・スミス、札幌ニ於テ墜落負傷ス。栄一、見舞金五百円ヲ贈ル。
大正5年9月5日
(1916年)
第39巻 p.135-137(DK390058k)
是日栄一、アメリカ合衆国鋼鉄会社取締役会長エルバート・エッチ・ゲーリー夫妻ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正5年9月6日
(1916年)
第39巻 p.137-151(DK390059k)
是日、東京市民有志者二十五名ノ発起ニヨリ、エルバート・エッチ・ゲーリー夫妻ヲ上野精養軒ニ招キテ晩餐会ヲ催ス。栄一発起人トシテ列席ス。十一日、内閣総理大臣大隈重信主催ゲーリー歓迎午餐会、早稲田大隈邸ニ開カレ、栄一出席ス。十二日東京商業会議所主催ゲーリー講演会同所ニ開カル。栄一臨席シテ所感ヲ述ブ。
大正5年12月21日
(1916年)
第39巻 p.151(DK390060k)
是日栄一、ロシア大使館ニ於テ同国大使ワシリー・クルペンスキーノ催セル晩餐会ニ出席ス。
大正6年1月22日
(1917年)
第39巻 p.151-152(DK390061k)
是日栄一、高峰譲吉ト共ニ、アメリカ合衆国人デーヴィスヲ銀行倶楽部ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正6年3月25日
(1917年)
第39巻 p.152-153(DK390062k)
是日、中華民国特派専使汪大燮歓迎会、帝国劇場ニ催サレ、栄一出席ス。
大正6年6月2日
(1917年)
第39巻 p.153(DK390063k)
是日栄一、大日本平和協会理事、アメリカ合衆国人ギルバート・ボールズヲ、飛鳥山邸ニ招キテ帰国送別晩餐会ヲ催ス。
大正6年6月13日
(1917年)
第39巻 p.153-154(DK390064k)
是日栄一、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク日本協会会長リンゼー・ラッセル及ビ同シカゴ大陸商業銀行副頭取ジェー・アボットヲ飛鳥山邸ニ招待ス。
大正6年7月5日
(1917年)
第39巻 p.154-155(DK390065k)
是日栄一、アメリカ合衆国ニュー・ヨークノ雑誌アジア記者リチャード・オー・チャイルド夫妻ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正6年9月25日
(1917年)
第39巻 p.155-156(DK390066k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国ハワイ、ヌアヌ基督教青年会館建築ノタメ、日本内地ヨリノ寄付金募集ノ用務ヲ帯ビ、ハワイノ牧師奥村多喜衛帰国ス。
是日、同地ノドレムズ・スカッダト同道飛鳥山邸ヲ訪ヒ、栄一ノ助力ヲ乞フ。後、栄一ノ尽力ニ依リ、予定ノ金額金一万ドルヲ得。
大正6年10月1日
(1917年)
第39巻 p.156(DK390067k)
是日、日米関係委員会ハ、アメリカ合衆国ハワイニ在リテ、在留邦人ノタメニ尽瘁セル牧師奥村多喜衛ノ帰国ヲ機トシ、奥村並ニアメリカ合衆国人ドレムズ・スカッダノ両名ヲ、東京銀行倶楽部ニ招キテ歓迎午餐会ヲ開ク。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正6年11月3日
(1917年)
第39巻 p.156(DK390068k)
是日、日米関係委員会等主催、アメリカ合衆国ハワイ実業家フランク・シー・アサートン歓迎晩餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正6年11月23日
(1917年)
第39巻 p.156-158(DK390069k)
是ヨリ先栄一、アメリカ合衆国人ハーディト会見ス。是日、ハーディ翁歓迎講演会、神田基督教青年会館ニ開カル。栄一臨席シテ演説ヲナス。翌二十四日帝国劇場ニ於テ、東京市主催ハーディ翁歓迎会アリ、栄一主人側ノ一人トシテ列席ス。
大正6年12月5日
(1917年)
第39巻 p.158-159(DK390070k)
是日栄一、中華民国人梁士詒ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。是ヨリ先同月二日、中日実業株式会社主催ノ招待晩餐会、木挽町山口ニ開カレ、栄一出席ス。又同月十九日梁士詒、渋沢事務所ニ来訪ス。
大正7年2月5日
(1918年)
第39巻 p.159(DK390071k)
是日栄一、アメリカ合衆国鋼鉄会社社員サイツヲ、帝国ホテルニ招キ、同国鋼材ノ事ニ就キ談話ス。
大正7年2月5日
(1918年)
第39巻 p.159(DK390072k)
是日、アメリカ合衆国人ジョン・アール・モツト渋沢事務所ニ来訪ス。同月二十八日再ビ来訪ス。
大正7年2月10日
(1918年)
第39巻 p.160(DK390073k)
是日栄一、カナダ国人デーヴィスト飛鳥山邸ニ会見ス。
大正7年2月28日
(1918年)
第39巻 p.160(DK390074k)
是日、中央慈善協会主催、アメリカ合衆国人ジョン・シー・ベリー歓迎会、帝国ホテルニ開カル。
栄一、協会ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正7年3月2日
(1918年)
第39巻 p.160-163(DK390075k)
是日、アメリカ合衆国人ジョン・シー・ベリー渋沢事務所ニ来訪シ、栄一トキリスト教ニ就キ対談ス。
大正7年4月15日
(1918年)
第39巻 p.163-166(DK390076k)
是日栄一、アメリカ合衆国人ジョン・シー・ベリーヲ案内シテ、東京市養育院本院、同巣鴨分院及ビ板橋分院ヲ参観セシメ、次イデ飛鳥山邸ニ於テ午餐会ヲ催ス。
大正7年4月21日
(1918年)
第39巻 p.166(DK390077k)
是日、日印協会主催インド国人アール・ディー・タタ歓迎茶話会、早稲田大隈重信邸ニ開カル。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正7年4月22日
(1918年)
第39巻 p.166-168(DK390078k)
是ヨリ先三月二十六日、インド国人アール・ディー・タタ、渋沢事務所ニ栄一ヲ訪フ。是日栄一、タタヲ飛鳥山邸ニ招キテ晩餐会ヲ催ス。
大正7年4月29日
(1918年)
第39巻 p.168(DK390079k)
是日栄一、アメリカ合衆国人ハーディヲ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正7年5月2日
(1918年)
第39巻 p.168-169(DK390080k)
是日栄一、中日実業株式会社総裁李士偉其他ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正7年7月6日
(1918年)
第39巻 p.169-170(DK390081k)
是日栄一、ロシア国実業家ピー・ピー・バトーリン及ビプチロフヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催シ、陪賓タル本邦各種事業ノ代表者ヲ紹介ス。
大正7年9月8日
(1918年)
第39巻 p.170(DK390082k)
是日、アメリカ合衆国シアトル市野球団一行、飛鳥山邸ヲ訪問、栄一ト会見ス。
大正7年10月10日
(1918年)
第39巻 p.170-171(DK390083k)
是日栄一、アメリカ合衆国伝道会社派遣ノ東洋教育及ビ宗教視察委員一行ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正8年1月13日
(1918年)
第39巻 p.171-172(DK390084k)
中華民国講和委員葉恭綽一行ノ来日ニ際シ、是月十一日東京銀行倶楽部ニ支那懇談会主催招待会開カレ、栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。翌十二日三井八郎右衛門主催歓迎会、其三田別邸ニ開カレ、栄一出席ス。更ニ是日一行ヲ渋沢事務所ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正8年1月20日
(1919年)
第39巻 p.172-174(DK390085k)
是日栄一、アメリカ合衆国朝鮮美以教会監督ハリス及ビ海老名弾正ヲ、渋沢事務所ニ招キテ送別午餐会ヲ催シ、送別ノ辞ヲ述ブ。
大正8年1月30日
(1919年)
第39巻 p.174(DK390086k)
是日、帝国飛行協会主催、フランス陸軍飛行将校団歓迎会、築地精養軒ニ開カル。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。是ヨリ先、同月二十五日、栄一、東京市主催、同飛行将校団歓迎帝国劇場招待会ニ出席ス。
大正8年2月1日
(1919年)
第39巻 p.174(DK390087k)
是日栄一、アメリカ合衆国飛行家ルス・ロー夫人ヲ後援シテ、洲崎埋立地ニ於テ、公開飛行ヲ行ハシム。栄一臨場ス。次イデ十日、築地精養軒ニ於ケル帝国飛行協会主催、同夫人歓迎晩餐会ニ出席ス。
大正8年2月12日
(1919年)
第39巻 p.174-175(DK390088k)
是日、アメリカ合衆国銀行家アボット、渋沢事務所ニ来訪シ、日米共同ニテ中国ヲ開発スル事ニ付キ栄一ト談話ヲ交換ス。尚是ノ前後、栄一屡々アボットニ接シ、斡旋ニ努ム。
大正8年2月21日
(1919年)
第39巻 p.175-176(DK390089k)
是日栄一、日米交換教授トシテ来日セルアメリカ合衆国コロンビア大学教授ジョン・デューイ夫妻ヲ歌舞伎座ニ招待ス。
大正8年4月27日
(1919年)
第39巻 p.176(DK390090k)
是日、カナダ国トロントノ商業銀行頭取エドモンド・ウォーカー飛鳥山邸ヲ訪フ。栄一、午餐ヲ饗シ種々談話ス。
大正8年5月11日
(1919年)
第39巻 p.176(DK390091k)
是日栄一、アメリカ合衆国サン・フランシスコノ実業家ウォレス・エム・アレグザンダー及ビロバート・エヌ・リンチヲ、飛鳥山邸ニ招キテ送別午餐会ヲ催ス。又十四日、東京銀行倶楽部ニ開カレタル両名主催ノ留別晩餐会ニ臨ミ、一場ノ演説ヲナス。
大正8年6月13日
(1919年)
第39巻 p.176-180(DK390092k)
是日栄一、阪谷芳郎ト共ニ、サン・フランシスコ禁酒同盟会幹事ディー・エム・ガンジエヲ、東京銀行倶楽部ニ招キテ、午餐会ヲ催ス。右終ツテ講演会ニ移リ、栄一挨拶ヲナス。
大正8年6月17日
(1919年)
第39巻 p.180-181(DK390093k)
是日、インド国人ヴィスヴェスヴァラヤ、飛鳥山邸ニ来訪、栄一之ト種々談話ヲ交換シ、午餐ヲ共ニス。
大正8年6月19日
(1919年)
第39巻 p.181(DK390094k)
是日栄一、アメリカ合衆国人ドノーバンヲ、渋沢事務所ニ於テ引見シ、我国ガ侵略主義ヲ抱蔵セザル所以ヲ詳細ニ説明ス。栄一、翌二十日ニモ会見シ意見ヲ交換ス。
大正8年8月4日
(1919年)
第39巻 p.181(DK390095k)
是日栄一、フランス共和国リヨン大学総長ポール・ジュバン及ビ同大学教授モーリス・クーランヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。席上、日仏両国文化交換機関設置ノ談出ヅ、蓋シ日仏会館設立ノ起源ナリ。
大正8年9月9日
(1919年)
第39巻 p.181-182(DK390096k)
是日栄一、アメリカ合衆国フィラディルフィア大学校外講演教授ジー・イー・レーゲルヲ、渋沢事務所ニ招キテ日米親善ニ関シテ懇談ス。
大正8年9月14日
(1919年)
第39巻 p.182(DK390097k)
是日栄一、アメリカ合衆国フィリピン下院議長セルギオ・オスメニヤノ一行ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ茶話会ヲ催ス。
大正8年9月15日
(1919年)
第39巻 p.182-183(DK390098k)
是日栄一、アメリカ合衆国前上院議員セオドル・イー・バートン及ビ同伴者ベーカーヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正8年10月1日
(1919年)
第39巻 p.183(DK390099k)
是日栄一、アメリカ合衆国人バートンヲ渋沢事務所ニ引見ス。
大正8年10月2日
(1919年)
第39巻 p.183(DK390100k)
是日栄一、東京商業会議所主催、フランス陸軍飛行将校団送別会ニ出席シ、祝辞ヲ述ブ。
大正9年1月6日
(1920年)
第39巻 p.183-185(DK390101k)
是日栄一、アメリカ合衆国カリフォルニア州上院議員チャールズ・ビー・ビルズヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。又、三月三日、東京銀行倶楽部ニ於テ開カレタル日米関係委員会主催送別会ニモ、栄一出席シテ送別ノ辞ヲ述ブ。
大正9年3月6日
(1920年)
第39巻 p.185-188(DK390102k)
是日、アメリカ合衆国大使主催、同国モルガン商会代表者トマス・ダブリュー・ラモント紹介ノ宴アリ、栄一、夫人ト共ニ出席ス。次イデ九日、日本銀行総裁井上準之助主催ノラモント招待午餐会同行社宅ニ開カレ、栄一出席ス。翌十日、栄一、ラモントヲ帝国ホテルニ訪ヒ、更ニ十二日、浅野総一郎邸ニ於ケルラモント招待会ニ出席ス。
大正9年3月22日
(1920年)
第39巻 p.188-189(DK390103k)
是日栄一、アメリカ合衆国サン・フランシスコ米日関係委員会会長ウォレス・エム・アレグザンダー一行ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ晩餐会ヲ催ス。
大正9年4月26日
(1920年)
第39巻 p.189-195(DK390104k)
是日、清浦奎吾主催、アメリカ合衆国絹糸業者チャールズ・チェニー一行歓迎晩餐会、帝国ホテルニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正9年4月30日
(1920年)
第39巻 p.195-197(DK390105k)
是日栄一、アメリカ合衆国人フランク・エー・ヴァンダーリップノ一行ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正9年5月2日
(1920年)
第39巻 p.197-198(DK390106k)
是日栄一、中日実業株式会社取締役周晋鑣ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。栄一病気ノタメ出席セズ。阪谷芳郎代リテ接待ス。
大正9年7月22日
(1920年)
第39巻 p.198-200(DK390107k)
是日アメリカ合衆国ニュー・ヨーク聯邦準備銀行総裁ベンジャミン・ストロング、渋沢事務所ニ来訪シ、栄一ト懇談ス。次イデ二十八日、栄一、東京駅内ステーション・ホテルニ答礼訪問ヲナス。
大正9年9月7日
(1920年)
第39巻 p.200-205(DK390108k)
是日、明治四十二年渡米実業団員主催、アメリカ合衆国議員団一行歓迎会、芝紅葉館ニ開カレ、栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。是ヨリ先同月三日、貴族院議長徳川家達・衆議院議長奥繁三郎主催、同議員団招待午餐会帝国ホテルニ開カレ、栄一出席ス。又同月十一日、栄一、同議員団中ノスモール外六名ヲ、渋沢事務所ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
尚コノ前後ニ催サレタル各種ノ同議員団招待会ニモ栄一臨席ス。
大正9年10月2日
(1920年)
第39巻 p.205(DK390109k)
是日栄一、第八回世界日曜学校大会参列ノアメリカ合衆国人ヲ、渋沢事務所ニ招キテ晩餐会ヲ催ス。
大正9年10月3日
(1920年)
第39巻 p.205-206(DK390110k)
是日、イギリス国特命全権大使チャールズ・エリオット、栄一ヲ同大使館ニ招待シテ午餐会ヲ開キ席上日英通商問題ニ付キ懇談ヲナス。
大正9年10月3日
(1920年)
第39巻 p.206(DK390111k)
是日栄一、フランス共和国大使館ニ於テ催サレタル園遊会ニ出席ス。
大正9年10月9日
(1920年)
第39巻 p.206(DK390112k)
是日栄一、アメリカ合衆国カリフォルニア州ノ人ヘンリー・ピー・ブイヲ飛鳥山邸ニ招キテ送別午餐会ヲ催ス。
大正9年12月15日
(1920年)
第39巻 p.206(DK390113k)
是日、日華実業協会主催、新任中華民国公使胡惟徳歓迎会、日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正10年2月10日
(1921年)
第39巻 p.206-208(DK390114k)
是日栄一、イギリス国マンチェスター・ガーデヤン記者ハミルトンヲ、東京銀行倶楽部ニ招キテ午餐会ヲ催シ、我国トノ間ノ通信機関ノ改良其他ニ関スル懇談ヲナス。コノ前後数次ハミルトン、栄一ヲ渋沢事務所ニ訪ヒ、更ニ二十一日、栄一、帝国ホテルニハミルトント会シ、労働問題其他ヲ談ズ。
大正10年2月16日
(1921年)
第39巻 p.208-209(DK390115k)
是日、アメリカ合衆国ユナイテッド・プレス通信員シムス及ビ同国海軍大佐マクドナルド、渋沢事務所ニ来訪シ、栄一ト日米問題ヲ談ズ。次イデ二十一日栄一、両人ヲ東京銀行倶楽部ニ招キテ、晩餐会ヲ催ス。
大正10年2月25日
(1921年)
第39巻 p.209-210(DK390116k)
是日栄一、アメリカ合衆国ウェスティングハウス電気会社副社長ローヤル・エー・オズボーンヲ、渋沢事務所ニ招キテ午餐会ヲ催シ、労働問題ニ付キ談話ヲナス。
大正10年4月5日
(1921年)
第39巻 p.210-211(DK390117k)
是日栄一、アメリカ合衆国メソジスト教会東洋監督ハーバート・ウエルチヲ、渋沢事務所ニ招キテ、午餐会ヲ催ス。
大正10年4月26日
(1921年)
第39巻 p.211-212(DK390118k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク、チェース・ナショナル・バンク取締役会長エー・バートン・ヘボン来日ス。是日栄一、之ヲ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正10年4月29日
(1921年)
第39巻 p.212(DK390119k)
是日栄一、東京商業会議所主催、シアトル及ビターコマ実業家歓迎会ニ出席シテ、日米親善ニ関スル所感ヲ述ブ。
大正10年5月8日
(1921年)
第39巻 p.212-217(DK390120k)
是日栄一、アメリカ合衆国殖民学者ポールトニー・ビゲロー夫妻ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。次イデ六月七日、ビゲロー、一橋東京商科大学ニ於テ講演ス。栄一臨場シテビゲローヲ聴衆ニ紹介ス。
大正10年6月4日
(1921年)
第39巻 p.217(DK390121k)
是日栄一、朝鮮人観光団一行ヲ、飛鳥山邸ニ招待ス。
大正10年9月10日
(1921年)
第39巻 p.217-218(DK390122k)
是日栄一、アメリカ合衆国コネティカット州ミドルタウン・ウェズレー大学副総長ジョージ・エム・ダッチャー夫妻ヲ、渋沢事務所ニ招キテ午餐ヲ共ニス。
大正10年9月13日
(1921年)
第39巻 p.218(DK390123k)
是日栄一、アメリカ合衆国ハワイ大審院裁判長コークヲ、渋沢事務所ニ招キテ、午餐会ヲ催ス。
大正10年9月22日
(1921年)
第39巻 p.218-219(DK390124k)
是日栄一、アメリカ合衆国ナショナル・シティー・カンパニー社員ファーナムヲ、渋沢事務所ニ招キテ帰国送別午餐会ヲ催ス。
大正10年9月24日
(1921年)
第39巻 p.219(DK390125k)
是日、ニュー・ヨーク日本協会協賛会主催、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク日本協会幹事ウォーデン夫妻招待午餐会、飛鳥山邸ニ開カル。
大正11年3月14日
(1922年)
第39巻 p.219(DK390126k)
是日栄一、アメリカ合衆国世界基督教青年会総監事ジョン・アール・モット夫妻ヲ、帝国ホテルニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正11年3月15日
(1922年)
第39巻 p.219-220(DK390127k)
是日栄一、イギリス国、外国伝道会社社長ヘンリー・ティー・ホジケンヲ、渋沢事務所ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正11年3月22日
(1922年)
第39巻 p.220(DK390128k)
是日栄一、アメリカ合衆国、ニューヨーク・サンデー・イーヴニング・ポスト記者マーコッソンヲ渋沢事務所ニテ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正11年4月8日
(1922年)
第39巻 p.220-221(DK390129k)
是日栄一、アメリカ合衆国シアトル市ノ実業家テーラー夫妻ヲ、渋沢事務所ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正11年4月15日
(1922年)
第39巻 p.221(DK390130k)
是日栄一、アメリカ合衆国故エール大学教授ラッド未亡人ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正11年4月16日
(1922年)
第39巻 p.221(DK390131k)
是日栄一、アメリカ合衆国サンフランシスコ・サクラメント電気鉄道会社取締役サイラス・パルマー夫妻ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正11年9月25日
(1922年)
第39巻 p.221(DK390132k)
是日栄一、アメリカ合衆国人シドニー・エル・ギューリツクヲ、渋沢事務所ニ招キテ午餐会ヲ開キ、日米問題ニ就イテ懇談ス。
大正11年9月27日
(1922年)
第39巻 p.222(DK390133k)
是日、東京市政調査会顧問チャールズ・エー・ビアード、東京市養育院ヲ視察ス。栄一、同会議室ニ於テ面会シ、同院ノ事業ヲ説明ス。
大正11年9月28日
(1922年)
第39巻 p.222(DK390134k)
是日栄一、アメリカ合衆国ニユー・ヨークノ実業家バーデンノ夫人及ビ子息等ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ茶話会ヲ催ス。
大正11年9月29日
(1922年)
第39巻 p.222-223(DK390135k)
是日、アメリカ合衆国発明家エルマー・エー・スペリ歓迎晩餐会、帝国ホテルニ開カレ、栄一出席ス。次イデ十月五日、スペリ飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪フ。又同月九日栄一、スペリヲ案内シテ理化学研究所ヲ参観セシム。
大正11年10月6月
(1922年)
第39巻 p.223(DK390136k)
是日栄一、東京商業会議所主催、汎太平洋商業会議出席者一行並ニアイリッシュ大佐及マクマホン送迎午餐会ニ出席ス。
大正11年10月12日
(1922年)
第39巻 p.223-232(DK390137k)
是日栄一、アメリカ合衆国スタンフォード大学名誉総長デーヴィット・エス・ジョルダン夫妻及ビカリフォルニア州ノ人ジョン・ピー・アィリッシュ夫妻ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正11年11月2日
(1922年)
第39巻 p.232-236(DK390138k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国ハワイ大学総長アーサー・エル・ディーン渡来ス。是日栄一、東京市養育院ニ案内シ、更ニ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。次イデ翌三日、栄一、同人ヲ府下東村山村全生病院ニ案内ス。
大正11年11月7日
(1922年)
第39巻 p.236(DK390139k)
是日栄一、アメリカ合衆国サン・フランシスコ新世界社主催在米日本人東洋視察団員一行ヲ日本工業倶楽部ニ招キテ茶会ヲ催シ、訓示ヲナス。
大正11年11月16日
(1922年)
第39巻 p.236-237(DK390140k)
是日栄一、アメリカ合衆国職業野球団一行ヲ、渋沢事務所ニ招キテ茶菓ヲ供ス。
大正12年1月5日
(1923年)
第39巻 p.237(DK390141k)
是日栄一、中華民国人顔世清及ビ同国代理公使等ヲ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正12年1月20日
(1923年)
第39巻 p.237-238(DK390142k)
是日栄一、アメリカ合衆国人ルーズヴェルト及ビウィラー[ウィラード]ヲ、渋沢事務所ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正12年1月29日
(1923年)
第39巻 p.238-240(DK390143k)
是日栄一、フランス共和国梵語学者シルヴァン・レヴィ夫妻、アメリカ合衆国東洋語及ビ東洋文学者ハーバート・エッチ・ガウエン夫妻ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正12年2月24日
(1923年)
第39巻 p.240-241(DK390144k)
是日、日本工業倶楽部会員午餐会ヲ兼ネ、アメリカ合衆国人シドニー・エル・ギューリツク招待会、同倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正12年3月5日
(1923年)
第39巻 p.241-242(DK390145k)
是日栄一、アメリカ合衆国人フレージァート渋沢事務所ニ会見ス。次イデ四月五日、フレージァー飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪フ。
大正12年4月14日
(1923年)
第39巻 p.242-247(DK390146k)
是ヨリ先、ベルギー国実業団渡来セルニヨリ、栄一等発起シテ、是日歓迎会ヲ日本工業倶楽部ニ開ク。栄一発起人総代ナレドモ病気ノタメ出席スルヲ得ズ。後、十七日、栄一一行ヲ飛鳥山邸ニ招キテ茶会ヲ催シ、阪谷芳郎代リテ接待ス。
大正12年5月30日
(1923年)
第39巻 p.247(DK390147k)
是日栄一、アメリカ合衆国ロス・アンジェルスノ人シー・シー・ピアス及ビダブリュー・エッチ・クロショーヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正12年6月24日
(1923年)
第39巻 p.247-248(DK390148k)
是日栄一、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク新聞寄稿家ヘンリー・ストレーン等ノ一行ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ晩餐会ヲ催ス。
大正12年9月24日
(1923年)
第39巻 p.248(DK390149k)
是日栄一、日米問題従来ノ懸案ニ付キ栄一並ニ東京ナル日米関係委員会ト親シク協議セシメンガタメ、アメリカ合衆国サン・フランシスコ米日関係委員会ヨリ特派セラレタル、チェスター・エッチ・ローエル及ビチャールズ・エス・コックスヲ、東京銀行倶楽部ニ招キテ午餐会ヲ催シ、席上挨拶ヲ述ブ。
大正12年10月13日
(1923年)
第39巻 p.248(DK390150k)
是日、日本日曜学校協会有志者主催、同協会名誉幹事エッチ・イー・コールマン帰国送別茶話会、帝国ホテルニ開カル。栄一出席シテ送別ノ辞ヲ述ブ。
大正12年11月14日
(1923年)
第39巻 p.248-249(DK390151k)
是日栄一、渋沢事務所ニ於テ、アメリカ合衆国人ローヤル・エー・オズボーン及ビトリップト会見ス。次イデ二十日、栄一、帝国ホテルニ於テオズボーン等ノ催セル晩餐会ニ出席ス。
大正12年11月26日
(1923年)
第39巻 p.249(DK390152k)
是日、国際通信社主催、ジョン・アール・ケネディー招待午餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正12年12月3日
(1923年)
第39巻 p.249-264(DK390153k)
是日栄一、アメリカ合衆国ポートランド市ダグラス樅材伐採輸出株式会社代表者オー・エム・クラーク等ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。次イデ七日、明治四十二年渡米実業団主催ノ歓迎晩餐会、芝紅葉館ニ開カレ、栄一出席ス。翌大正十三年一月十二日留別会帝国ホテルニ開カレ、栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。
大正12年12月10日
(1923年)
第39巻 p.264-265(DK390154k)
是日、アメリカ合衆国人デーヴィス、同国サン・ディエゴノライマン・ジェー・ゲージノ添書ヲ携ヘ、栄一ヲ訪フ。
大正12年12月22日
(1923年)
第39巻 p.265-267(DK390155k)
是日栄一、中華民国人王正廷一行ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正13年1月15日
(1924年)
第39巻 p.267(DK390156k)
是日、日米協会主催故アメリカ合衆国大統領セオドル・ルーズヴェルト夫人歓迎、並ニ同国大使館付武官チャールズ・バーネット大佐夫妻送別ノ晩餐会、日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正13年1月17日
(1924年)
第39巻 p.267-271(DK390157k)
是日栄一、故アメリカ合衆国大統領セオドル・ルーズヴェルト夫人、同子息及ビエッチ・キャッスル夫妻ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正13年1月20日
(1924年)
第39巻 p.271(DK390158k)
是日、大日本学生聯盟主催ノアメリカ合衆国大使館付武官チャールズ・バーネット大佐夫妻送別会、上野公園自治会館ニ開カル。栄一出席シテ送別ノ辞ヲ述ブ。
大正13年1月23日
(1924年)
第39巻 p.271-272(DK390159k)
是日栄一、中華民国人魯嗣香一行ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正13年4月8日
(1924年)
第39巻 p.272-274(DK390160k)
是日栄一、アメリカ合衆国北部バプテスト教会総会会長コーウィン・エス・シャンク夫妻ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正13年4月9日
(1924年)
第39巻 p.274-284(DK390161k)
是日栄一、中華民国ヨリ来日セル欧米及ビ日本実業考査使張孝若ヲ、東京銀行倶楽部ニ招キテ歓迎会ヲ催ス。
大正13年5月6日
(1924年)
第39巻 p.284-286(DK390162k)
是日栄一、アメリカ合衆国特命全権大使サイラス・イー・ウッズ夫妻ヲ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正13年5月12日
(1924年)
第39巻 p.286-288(DK390163k)
是日栄一、アメリカ合衆国シカゴ・ミルウォーキー・エンド・セントポール鉄道会社社長ハリ・イー・バイラムヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正13年5月14日
(1924年)
第39巻 p.288(DK390164k)
是日、東京商業会議所主催、仏領印度支那総督メルラン歓迎会、同所ニ開カレ、栄一出席ス。
大正13年5月27日
(1924年)
第39巻 p.288-289(DK390165k)
是日栄一、アメリカ合衆国人ダブリュー・ダブリュー・セーヤー夫妻ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ送別茶話会ヲ催ス。是ヨリ先四月二十四日、セーヤー渋沢事務所ニ栄一ヲ訪フ。
大正13年6月9日
(1924年)
第39巻 p.289-290(DK390166k)
是日栄一、アメリカ合衆国ハワイ大学教授ケー・シー・リーブリックヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正13年7月9日
(1924年)
第39巻 p.290-292(DK390167k)
是日栄一、訪日アメリカ合衆国学生団ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ茶会ヲ催ス。
大正13年7月11日
(1924年)
第39巻 p.292(DK390168k)
是日、フランス共和国人神父アー・ヴィリョン、飛鳥山邸ニ来訪シ、山口県山口町大道寺ニ於ケルザベリヨ記念碑建設ニ対シテ栄一ノ援助ヲ乞フ。
大正13年8月6日
(1924年)
第39巻 p.292-293(DK390169k)
是日、日米関係委員会主催、アメリカ合衆国ロス・アンジェルス商業会議所代表者シー・エム・ゴルドン歓迎晩餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正13年9月19日
(1924年)
第39巻 p.293-297(DK390170k)
是日栄一、アメリカ合衆国シカゴ基督教青年会会長ダブリュー・エフ・ハイプスヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。午後、東京基督教青年会幹部ト共ニ、其歓迎茶話会ヲ上野精養軒ニ開ク。
大正13年9月24日
(1924年)
第39巻 p.297-299(DK390171k)
是日栄一、中華民国雲南省財政司長王九齢ヲ、日本工業倶楽部ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正13年9月30日
(1924年)
第39巻 p.299(DK390172k)
是日、日米関係委員会主催、アメリカ合衆国ハワイ米日関係委員会会員アルバート・ダブリュー・パーマー歓迎晩餐会、上野精養軒ニ開カル。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正13年10月18日
(1924年)
第39巻 p.299(DK390173k)
是日、日米関係委員会主催、アメリカ合衆国人ギルバート・ボールズ歓迎晩餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正13年10月21日
(1924年)
第39巻 p.299-300(DK390174k)
是日、日米関係委員会主催、アメリカ合衆国エール大学教授アーレン・ジョンソン招待午餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正13年11月3日
(1924年)
第39巻 p.300-301(DK390175k)
是日栄一、来訪中ノ中華民国人李烈鈞ヲ、東京銀行倶楽部ニ招キテ歓迎晩餐会ヲ催ス。栄一、歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正13年11月5日
(1924年)
第39巻 p.301-302(DK390176k)
是日栄一、中華民国湖北省赴日文化視察団団長・武昌商科大学教授陣達ノ一行ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ茶話会ヲ催ス。
大正13年11月19日
(1924年)
第39巻 p.303(DK390177k)
是日栄一、新任アメリカ合衆国特命全権大使エドガー・エー・バンクロフトヲ、帝国ホテル内同国大使館ニ訪ヒ、挨拶ヲナス。
大正14年2月2日
(1925年)
第39巻 p.303(DK390178k)
是日、日米関係委員会及ビ京浜実業家有志主催、アメリカ合衆国特命全権大使エドガー・エー・バンクロフト及ビアメリカ合衆国駐箚特命全権大使松平恒雄送迎午餐会、日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正14年2月24日
(1925年)
第39巻 p.303-304(DK390179k)
是日栄一、アメリカ合衆国法律家モーリス・ハドレート飛鳥山邸ニ於テ会見ス。
大正14年2月25日
(1925年)
第39巻 p.304(DK390180k)
是日栄一、アメリカ合衆国ニュー・ヨークノ銀行家ピーアポント・ヴィー・デーヴィスト、飛鳥山邸ニ於テ会見ス。
大正14年4月7日
(1925年)
第39巻 p.305-309(DK390181k)
是日栄一、アメリカ合衆国日系学生日本見学団ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ茶話会ヲ催ス。
大正14年7月7日
(1925年)
第39巻 p.309-311(DK390182k)
是日栄一、アメリカ合衆国リヴァーサイドノ親日家、フランク・エー・ミラー夫妻ヲ、飛島山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正14年8月25日
(1925年)
第39巻 p.311-324(DK390183k)
是日、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク、ブレーア会社代表者バーチ・ヘルムズ飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
大正14年8月30日
(1925年)
第39巻 p.324-326(DK390184k)
是日栄一、アメリカ合衆国南加日本人青年会同盟主催南加学生日本見学団ノ一行ヲ飛鳥山邸ニ招キテ茶会ヲ催ス。
大正14年9月15日
(1925年)
第39巻 p.327(DK390185k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国ハワイニ在リテ、在留邦人ノ米国同化運動ニ従事セル、牧師奥村多喜衛帰国ス。是日栄一、奥村ヲ飛鳥山邸ニ引見ス。
大正14年9月17日
(1925年)
第39巻 p.327-328(DK390186k)
是日栄一、アメリカ合衆国人ヘンリー・カイス夫人ヲ飛鳥山邸ニ引見ス。
大正14年9月23日
(1925年)
第39巻 p.328-329(DK390187k)
是日栄一、アメリカ合衆国デニショーン式舞踊家デニス嬢及ビショーンヲ、飛鳥山邸ニ招キテ茶会ヲ催ス。
大正14年9月26日
(1925年)
第39巻 p.329-330(DK390188k)
是日、日米関係委員会主権、アメリカ合衆国人ウイリアム・アクスリング招待午餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正14年10月2日
(1925年)
第39巻 p.330-331(DK390189k)
是日、栄一四男正雄、イタリア国飛行家デ・ピネード中佐ヲ飛鳥山邸ニ招キテ茶話会ヲ催ス。栄一臨席ス。
大正14年10月7日
(1925年)
第39巻 p.331-334(DK390190k)
是日栄一、ベルギー国財政家ルイ・ストラウスヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。次イデ十五日、帝国ホテルニ其留別午餐会開カレ、栄一出席ス。
大正14年11月6日
(1925年)
第39巻 p.335(DK390191k)
是日栄一、中華民国上海総商会董事王一亭ノ一行ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正15年1月16日
(1926年)
第39巻 p.335-337(DK390192k)
是日栄一、中華民国済南府東魯学校長夏継泉ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正15年2月15日
(1926年)
第39巻 p.337-341(DK390193k)
是日栄一、アメリカ合衆国プリンストン大学動物学教授、エドウィン・ジー・コンクリント、東京銀行倶楽部ニ会見ス。
大正15年3月8日
(1926年)
第39巻 p.341-345(DK390194k)
是日栄一、アメリカ合衆国サン・フランシスコ新世界新聞社主催、日系市民男女学生母国修学観光団ヲ飛鳥山邸ニ招キ午餐ヲ饗応シ、一場ノ演説ヲナス。
大正15年3月9日
(1926年)
第39巻 p.346(DK390195k)
是日、アメリカ合衆国人ウィリアム・アクスリング飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪ヒ、同国千九百二十四年排日移民法ニ関スル談話ヲナス。次イデ四月八日、右ニ関シ日米関係委員会小委員会、東京銀行倶楽部ニ開カル。
大正15年3月15日
(1926年)
第39巻 p.346-348(DK390196k)
是日栄一、フランス共和国大使ポール・クローデル、同国ソルボンヌ大学教授アルフレッド・フーシェ、パリ医科大学教授シャルル・アシャール、及ビ日仏会館関係者ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正15年4月3日
(1926年)
第39巻 p.348-350(DK390197k)
是日栄一、アメリカ合衆国ハワイ在住ノ毛利伊賀ヲ、飛鳥山邸ニ引見ス。
大正15年4月16日
(1926年)
第39巻 p.350-352(DK390198k)
是日栄一、アメリカ合衆国特命全権大使チャールズ・マクヴェーヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正15年4月16日
(1926年)
第39巻 p.352-354(DK390199k)
是日栄一、アメリカ合衆国スパイヤ商会ノリチャード・シュスタート、飛鳥山邸ニ於テ会見ス。
大正15年4月28日
(1926年)
第39巻 p.354-362(DK390200k)
是日栄一、イギリス国人アルフレッド・ステッドヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。是ヨリ先、同月二十日、ステッド渋沢事務所ニ栄一ヲ訪フ。
大正15年5月9日
(1926年)
第39巻 p.362(DK390201k)
是日、日米関係委員会主催、アメリカ合衆国ロス・アンジェルス市商業会議所商業視察団一行歓迎午餐会、日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正15年5月31日
(1926年)
第39巻 p.362(DK390202k)
是日栄一、中日実業株式会社専務取締役呂均ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正15年6月1日
(1926年)
第39巻 p.362-364(DK390203k)
是日栄一、アメリカ合衆国牧師チャールズ・イージェファーソン夫妻ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正15年6月3日
(1926年)
第39巻 p.364(DK390204k)
是日、東京府・東京市・東京商業会議所聯合主催中華民国実業団歓迎茶会、帝国ホテルニ開カレ、栄一出席ス。
大正15年6月5日
(1926年)
第39巻 p.364-365(DK390205k)
是日、日華実業協会及ビ日華懇談会主催、中華民国渡日実業視察団歓迎会飛鳥山邸ニ開カレ、次イデ八日、栄一、団長虞洽卿他七名ヲ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正15年6月21日
(1926年)
第39巻 p.365-368(DK390206k)
是日栄一、中華民国画家代表金紹城等ノ一行ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ晩餐会ヲ催ス。
大正15年6月28日
(1926年)
第39巻 p.368-372(DK390207k)
是日、アメリカ合衆国ダラー汽船会社社長ロバート・ダラー渋沢事務所ニ栄一ヲ訪フ。
大正15年7月11日
(1926年)
第39巻 p.373-378(DK390208k)
是ヨリ先、フランス共和国前総理大臣エドアール・エリオ夫人ブランシュ・エリオ来日ス。是日栄一、同夫人ヲ日本女子大学校ニ案内シ、後、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。終ツテ更ニ東京市養育院ニ案内ス。
大正15年7月14日
(1926年)
第39巻 p.378(DK390209k)
是日、日米関係委員会主催、アメリカ合衆国哲学者ルーファス・エム・ジョーンズ歓迎午餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正15年7月16日
(1926年)
第39巻 p.378(DK390210k)
是日、日印協会主催インド、マイソール国首相アルビオン・アール・バナージ歓迎茶話会、飛鳥山邸ニ開カル。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正15年7月29日
(1926年)
第39巻 p.378-380(DK390211k)
是日栄一、中華民国上海南洋大学少年団一行ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ歓迎午餐会ヲ催ス。
大正15年9月3日
(1926年)
第39巻 p.380-381(DK390212k)
是日、アメリカ合衆国ハーヴァード大学教授ジー・ビー・ルアーバッハ、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪フ。
大正15年9月10日
(1926年)
第39巻 p.381-383(DK390213k)
是日、ジャパン・アドヴァタイザー記者、バートン・クレーン、飛鳥山邸ニ来訪、栄一、談話ヲ口授ス。
大正15年9月17日
(1926年)
第39巻 p.383(DK390214k)
是日、フランス共和国人神父アー・ヴィリョン、飛鳥山邸ニ来訪シ、ザベリヨ記念碑維持ニ付キ、栄一ノ援助ヲ乞フ。
大正15年9月17日
(1926年)
第39巻 p.383(DK390215k)
是日、アメリカ合衆国太平洋沿岸日本人長老教会総理イー・エー・ストージ夫妻、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
大正15年9月23日
(1926年)
第39巻 p.383-393(DK390216k)
是日、アメリカ合衆国ボストン市ノ社会事業家エドガー・ジェー・ヘルムズ他二名、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪問ス。翌二十四日東京市養育院本院及ビ同巣鴨分院視察ニ際シ、栄一説明ノ労ヲトル。次イデ二十六日、栄一、同人等ヲ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正15年10月4日
(1926年)
第39巻 p.393-396(DK390217k)
是日、アメリカ合衆国人グッドマン夫人、渋沢事務所ニ栄一ヲ訪フ。
大正15年10月14日
(1926年)
第39巻 p.396-403(DK390218k)
是日、アメリカ合衆国インターナショナル通信社社員ルーサー・エー・ヒューストン、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪フ。
大正15年10月14日
(1926年)
第39巻 p.403-404(DK390219k)
是日、イギリス国人アーサー・アボット、渋沢事務所ニ栄一ヲ訪フ。
大正15年10月15日
(1926年)
第39巻 p.405(DK390220k)
是日栄一、救世軍大将ブラムウェル・ブースノタメ、飛鳥山邸ニレセプションヲ催シ、次イデ十八日、東京市養育院ニ案内ス。
大正15年10月20日
(1926年)
第39巻 p.405-406(DK390221k)
是日、東京基督教女子青年会総幹事エンマ・アール・カフマン、渋沢事務所ニ栄一ヲ訪ヒ、同会会館建築ニ付キ、栄一ノ援助ヲ乞フ。
大正15年10月23日
(1926年)
第39巻 p.406-421(DK390222k)
是日、アメリカ合衆国在留日本人学生ニヨリ創始セラレタル日米親善留学生計画ノ第一回派遣者イー・レイモンド・ウィルソン、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪フ。
大正15年11月3日
(1926年)
第39巻 p.421(DK390223k)
是日、日米関係委員会主催、第三回太平洋学術会議アメリカ合衆国代表並ニ婦人歓迎晩餐会、日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正15年11月5日
(1926年)
第39巻 p.421(DK390224k)
是日、太平洋問題調査会主催、第三回太平洋学術会議ニ出席セル同調査会所属学者歓迎晩餐会、日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正15年11月5日
(1926年)
第39巻 p.421-423(DK390225k)
是日、大隈会館ニ於テジェームズ・イー・ロー・ノ引率スルアメリカ合衆国海上大学学生ト、日本学生トノ交歓会開カレ。栄一出席ス。
大正15年11月19日
(1926年)
第39巻 p.423-426(DK390226k)
是ヨリ先、是月十日アメリカ合衆国ニュー・ヨーク、ギャランティ・トラスト・カンパニー顧問バーネット・ウォーカー、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪フ。是日、松永安左衛門主催ノ同人招待晩餐会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正15年11月24日
(1926年)
第39巻 p.426-427(DK390227k)
是日栄一、東方文化事業総委員会支那委員王樹枬他七名ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正15年12月11日
(1926年)
第39巻 p.427-428(DK390228k)
是日栄一、デンマーク国人ジェー・モレラップ・トムセンヲ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
大正15年12月14日
(1926年)
第39巻 p.428-435(DK390229k)
是日栄一、アメリカ合衆国人スターリング・ジェー・ジョイナーヲ、渋沢事務所ニ招キテ午餐会ヲ催ス。栄一病気ノタメ出席セズ。阪谷芳郎代リテ挨拶ス。
昭和2年2月15日
(1927年)
第39巻 p.435-440(DK390230k)
是日栄一、汎太平洋同盟理事アレグザンダー・エッチ・フォードヲ、東京銀行倶楽部ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
昭和2年2月21日
(1927年)
第39巻 p.440-443(DK390231k)
是日、イギリス国ラザード・ブラザーズ商会員エドワード・グローブ、アメリカ合衆国ギャランティ・カンパニー社員ウェッブ・ウィルソン、同チャールズ・エル・オースティン、渋沢事務所ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和2年3月4日
(1927年)
第39巻 p.444(DK390232k)
是日、アメリカ合衆国人サミュエル・グレースウェル、渋沢事務所ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和2年3月21日
(1927年)
第39巻 p.444-445(DK390233k)
是日栄一、中華民国人戴天仇ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
昭和2年3月31日
(1927年)
第39巻 p.445-449(DK390234k)
是日、アメリカ合衆国ナショナル・シティ・カンパニー社員ロナルド・エム・バーンズ、同ダブリュー・エル・ファーナム、同ミルトン・シー・クロス渋沢事務所ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和2年4月4日
(1927年)
第39巻 p.449(DK390235k)
是日、日米関係委員会飛鳥山邸ニ開カレ、アメリカ合衆国人ジェームズ・エッチ・フランクリン歓迎懇談会アリ。栄一、歓迎ノ辞ニ加ヘテ、アメリカ合衆国千九百二十四年移民法ノ非ナルヲ説ク。
昭和2年4月7日
(1927年)
第39巻 p.449-451(DK390236k)
是日、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク、ハリス・フオーブス会社員ジョージ・ディー・ウッズ、同シカゴ、ハリス信託貯蓄銀行副頭取ボーマン・シー・リングル、渋沢事務所ニ来訪シ栄一ト対談ス。
昭和2年4月15日
(1927年)
第39巻 p.451-458(DK390237k)
是日、アメリカ合衆国人シー・レロイ・ローマン夫妻等、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和2年5月5日
(1927年)
第39巻 p.458-461(DK390238k)
是日、アメリカ合衆国ハーヴァード大学教授マンリー・オー・ハドソン、渋沢事務所ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和2年5月12日
(1927年)
第39巻 p.461-467(DK390239k)
是日、ロシア国人、ハルピン東支鉄道機関紙ノーヴォスチ・ジーズニノ記者クーニン、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和2年5月12日
(1927年)
第39巻 p.467-468(DK390240k)
是日栄一、アメリカ合衆国人ウィリアム・イー・グリフィスヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
昭和2年5月14日
(1927年)
第39巻 p.468-471(DK390241k)
是日、イギリス国実業家ジョージ・エス・セール渋沢事務所ニ来訪シ、栄一ト対談ス。次イデ十七日、栄一、同人ヲ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
昭和2年5月16日
(1927年)
第39巻 p.471-472(DK390242k)
是日、日米関係委員会小委員会主催、アメリカ合衆国人スタンレー・ハイ招待午餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
昭和2年6月4日
(1927年)
第39巻 p.472-475(DK390243k)
是日、メソジスト監督教会朝鮮駐在監督ハーバート・ウエルチ飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和2年6月20日
(1927年)
第39巻 p.476-480(DK390244k)
是日、アメリカ合衆国人マーク・アール・ショー、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和2年6月22日
(1927年)
第39巻 p.480-483(DK390245k)
是日、イギリス国人電気技師フランク・エル・メトカーフ、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和2年7月3日
(1927年)
第39巻 p.483-490(DK390246k)
是日栄一、アメリカ合衆国ハワイ日系市民学生母国見学団ヲ飛鳥山邸ニ招待ス。
昭和2年7月18日
(1927年)
第39巻 p.490-496(DK390247k)
是日栄一、アメリカ合衆国ロス・アンジェルスノ学生日本見学団ヲ飛鳥山邸ニ招待ス。
昭和2年8月8日
(1927年)
第39巻 p.496-504(DK390248k)
是日栄一、アメリカ合衆国ミズーリ大学新聞学部長ウォルター・ウィリアムズヲ、飛鳥山邸ニ招待シテ茶会ヲ催ス。
昭和2年9月10日
(1927年)
第39巻 p.504-508(DK390249k)
是日、アメリカ合衆国ブルックリン・デーリー・イーグル副主筆エッチ・ヴィー・カルテンボーン、渋沢事務所ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和2年10月7日
(1927年)
第39巻 p.508-517(DK390250k)
是日、アメリカ合衆国モルガン商会代表者トマス・ダブリュー・ラモント、渋沢事務所ニ来訪シ、栄一ト対談ス。次イデ十八日、栄一、帝国ホテルニラモントヲ訪フ。
昭和2年10月28日
(1927年)
第39巻 p.517-519(DK390251k)
是日、アメリカ合衆国ニューヨーク・ナショナル・シティ銀行東京支店代表者ダブリュウ・エル・ファーナム帰国ニ付キ、暇乞ノタメ渋沢事務所ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和2年11月3日
(1927年)
第39巻 p.519-520(DK390252k)
是日、栄一四男正雄、デンマーク国バーマイスター会社ノブラッケーヲ、飛鳥山邸ニ招キテ茶会ヲ催ス。栄一出席ス。
昭和2年11月5日
(1927年)
第39巻 p.520-522(DK390253k)
是日、アメリカ合衆国ボストン市統計局長フェルプス、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和2年11月9日
(1927年)
第39巻 p.522-523(DK390254k)
是日、アメリカ合衆国人ウィルソン・エッチ・ピアス夫人及ビ息女、飛鳥山邸ニ栄一ヲ来訪ス。
昭和2年11月9日
(1927年)
第39巻 p.523-525(DK390255k)
是日、栄一及ビ白仁武・児玉謙次等ノ発起ニヨリ、インド国製鉄業者オズワルド・マーティン一行歓迎茶話会ヲ飛鳥山邸ニ開ク。栄一出席ス。
昭和2年12月1日
(1927年)
第39巻 p.526-527(DK390256k)
是日、ジャパン・アドヴァタイザー社員ビー・ダブリュー・フライシャー、渋沢事務所ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和3年1月25日
(1928年)
第39巻 p.527-530(DK390257k)
是日、アメリカ合衆国ボルティモアノ人アルフレッド・シー・トムソン、渋沢事務所ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和3年2月1日
(1928年)
第39巻 p.530-533(DK390258k)
是日、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク、ギャランティ・トラスト・カンパニー社員ジェームズ・エス・ベーカー及ビウェッブ・ウイルソン、飛鳥山邸ヲ訪問シ、栄一ト対談ス。
昭和3年2月20日
(1928年)
第39巻 p.533-535(DK390259k)
是日、外務大臣田中義一主催、アメリカ合衆国フィリピン総督ヘンリー・エル・スティムソン招待午餐会、外務大臣官邸ニ催サル。栄一出席シテ同総督ト対談ス。
昭和3年3月7日
(1928年)
第39巻 p.535(DK390260k)
是日、日米関係委員会主催、アメリカ合衆国人ジョージ・ダブリュー・コールマン招待茶話会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和3年3月27日
(1928年)
第39巻 p.535-541(DK390261k)
是日、アメリカ合衆国ロス・アンジェルス商業会議所代表者ゲイロード・ビー・カーカー、渋沢事務所ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和3年4月5日
(1928年)
第39巻 p.541(DK390262k)
是日、日米関係委員会主催、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク日本協会幹事ダグラス・エル・ダンバー夫妻招待茶話会、東京会館ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和3年4月19日
(1928年)
第39巻 p.541-546(DK390263k)
是日栄一、アメリカ合衆国ロチェスター市、元ロチェスター商業会議所会頭エドワード・ジー・マイナーヲ飛鳥山邸ニ招キテ茶会ヲ催ス。
昭和3年6月24日
(1928年)
第39巻 p.546-550(DK390264k)
是日栄一、アメリカ合衆国ハワイ在住ノ日系合衆国人三十三名ヲ、日本工業倶楽部ニ招キテ茶会ヲ催ス。栄一病気ニヨリ阪谷芳郎代理接待ス。
昭和3年7月18日
(1928年)
第39巻 p.550-556(DK390265k)
是日栄一、アメリカ合衆国シアトル、ベーリ・ゲザート小学校校長アダ・ジェー・メーハン女史歓迎茶話会ヲ飛鳥山邸ニ開ク。
昭和3年8月30日
(1928年)
第39巻 p.556-561(DK390266k)
是日、アメリカ合衆国インディアナ州アーラム大学学生ウィルフレッド・ジョーンズ、渋沢事務所ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和3年9月26日
(1928年)
第39巻 p.561(DK390267k)
是日、日米関係委員会主催、アメリカ合衆国人世界基督教青年会東洋部主任フレッチャー・エス・ブロックマン送別懇談会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和3年10月16日
(1928年)
第39巻 p.561-562(DK390268k)
是日栄一、前清国宣統帝ノ師傅鄭孝胥ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
昭和3年11月6日
(1928年)
第39巻 p.562(DK390269k)
是日、太平洋問題調査会中央事務局幹事チャールズ・エフ・ルーミス、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪フ。
昭和3年11月20日
(1928年)
第39巻 p.562-565(DK390270k)
是日、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロング・ビーチノ人アーウィン・アール・ホール、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和3年12月1日
(1928年)
第39巻 p.565-569(DK390271k)
是日栄一、アメリカ合衆国特命全権大使チャールズ・マクヴェー、近ク帰国スルニ付キ、同大使館ヲ訪問シテ送別ノ辞ヲ述ブ。
昭和3年12月12日
(1928年)
第39巻 p.569-571(DK390272k)
是日栄一、ドイツ国特命全権大使ヴィルヘルム・ゾルフ、近ク帰国スルニ付キ、同大使館ヲ訪問シテ送別ノ辞ヲ述ブ。
昭和3年12月18日
(1928年)
第39巻 p.571-573(DK390273k)
是日栄一、国際聯盟労働事務局長アルベール・トーマヲ、東京銀行倶楽部ニ招キテ、有志ト共ニ懇談会ヲ催ス。
昭和4年1月26日
(1929年)
第39巻 p.573-580(DK390274k)
是日、アメリカ合衆国ニユーヨーク・セントラル鉄道会社副社長助役ジェームズ・ウェブスター、渋沢事務所ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和4年4月20日
(1929年)
第39巻 p.580-581(DK390275k)
是日、アメリカ合衆国インディアナポリス基督教合同宣教協会長エフ・ダブリュー・バーナム、バークレーノハーヴェー・エッチ・ガイノ紹介状持参、今村正一同伴シテ飛鳥山邸ヲ訪問シ、栄一ト会見ス。
昭和4年5月16日
(1929年)
第39巻 p.581-582(DK390276k)
是日栄一、フランス共和国シュナイダー会社技師イレネ・ロア一行ヲ飛鳥山邸ニ招キテ茶会ヲ催ス。
昭和4年5月28日
(1929年)
第39巻 p.582-586(DK390277k)
是日、基督教青年会理事長ジョン・アール・モット、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和4年7月9日
(1929年)
第39巻 p.586-592(DK390278k)
是日、アメリカ合衆国サクラメントノ日系少年団、栄一ヲ飛鳥山邸ニ訪問ス。栄一一場ノ訓示ヲナス。
昭和4年7月13日
(1929年)
第39巻 p.592-593(DK390279k)
是日、アメリカ合衆国造園学研究家アイオワ大学教授エルウッド等一行、飛島山邸ニ来リ、庭園ヲ参観ス。
昭和4年7月25日
(1929年)
第39巻 p.593-616(DK390280k)
是日栄一、アメリカ合衆国新聞記者団ヲ、飛鳥山邸ニ招待シテ茶話会ヲ催シ、歓迎ノ辞ヲ述ブ。更ニ三十日、同団団長格タルジョージ・エス・ジョーンズニ長文ノ書翰ヲ送ル。
昭和4年9月4日
(1929年)
第39巻 p.616-618(DK390281k)
是日、アメリカ合衆国コロンビア大学教授ジェームズ・ティー・シヨットウェル夫妻、並ニ新聞記者チェスター・エッチ・ローエル、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和4年9月19日
(1929年)
第39巻 p.618-620(DK390282k)
是日、アメリカ合衆国クェーカー・オーツ会社ノエフ・ミードブロッド、渋沢事務所ニ栄一ヲ訪フ。
昭和4年9月20日
(1929年)
第39巻 p.620-621(DK390283k)
是日、世界日曜学校総主事ロバート・ホプキンス飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和4年9月21日
(1929年)
第39巻 p.621-629(DK390284k)
是日、アメリカ合衆国バークレー宗教学校長ハーマン・エフ・スワーツ夫妻、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪問ス。翌二十二日、栄一、同夫妻ヲ飛鳥山邸ニ招キテ晩餐会ヲ催ス。
昭和4年10月4日
(1929年)
第39巻 p.629(DK390285k)
是日、日米関係委員会主催、アメリカ合衆国サン・フランシスコ米日関係委員会委員ロバート・エヌ・リンチ及ビチャールズ・シー・ムーア、並ニ同国ハワイ大学教授原田助歓迎午餐会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和4年10月5日
(1929年)
第39巻 p.629-632(DK390286k)
是日聖路加国際病院主催、同院院長ルドルフ・ビー・トイスラー及ビ故アメリカ合衆国大統領ウッドロー・ウィルソン夫人エディス・ウィルソン歓迎園遊会、同院ニ開カル。栄一出席シテ、発起人ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。十一月二十一日、栄一、トイスラーノ招キニ応ジテ築地明石町同人邸ニ赴キ、ウィルソン夫人ニ面会ス。
昭和4年10月11日
(1929年)
第39巻 p.632(DK390287k)
是日、アメリカ合衆国ハワイ、太平洋問題調査会中央事務局幹事長ジェー・マール・デーヴィス、飛鳥山邸ヲ訪ヒ、栄一ニ対シ、同会第三回京都大会ニ於テステートメントヲ発表セン事ヲ請フ。
昭和4年10月16日
(1929年)
第39巻 p.632-633(DK390288k)
是日栄一、アメリカ合衆国人フランク・シー・アサートン夫妻其他ノ人々ヲ、帝国ホテルニ招キテ午餐会ヲ催ス。
昭和4年11月6日
(1929年)
第39巻 p.633-636(DK390289k)
是日栄一、故アメリカ合衆国大統領ウッドロー・ウイルソン夫人エディス・ウィルソンヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
昭和4年11月7日
(1929年)
第39巻 p.636-638(DK390290k)
是日栄一、飛鳥山邸ニ於ケル渋沢元治主催、アメリカ合衆国電気学会関係者招待会ニ臨ミ、タウンゼンド・ハリスニ関スル談話ヲナス。
昭和4年11月11日
(1929年)
第39巻 p.638(DK390291k)
是日、アメリカ合衆国サン・フランシスコ米日関係委員会会長ウォレス・エム・アレグザンダー、並ニフランク・シー・アサートン等ト東京日米関係委員会委員数名トニヨリ日米問題協議会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ会議ヲ指導ス。
昭和4年11月13日
(1929年)
第39巻 p.638(DK390292k)
是日栄一、アメリカ合衆国救世軍総司令官エヴァンジェリン・ブースノレセプションヲ、飛鳥山邸ニ催ス。
昭和4年11月15日
(1929年)
第39巻 p.638-647(DK390293k)
是日栄一、アメリカ合衆国カリフォルニア州労働同盟幹事ポール・シャーレンバーグ夫妻ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
昭和4年11月15日
(1929年)
第39巻 p.647-657(DK390294k)
是日、アメリカ合衆国ニュー・ヨークノ宣伝業者アイヴィ・リー、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ニ種々質問ヲナス。
昭和4年11月20日
(1929年)
第39巻 p.657-661(DK390295k)
是日、アメリカ合衆国シカゴ・ミルウォーキー・エンド・セントポール鉄道会社取締役会長ハリ・イー・バイラム、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和4年11月24日
(1929年)
第39巻 p.661(DK390296k)
是日、アメリカ合衆国救世軍総司令官エヴァンジェリン・ブース、飛鳥山邸ヲ訪問シ、栄一ニ帰国ノ挨拶ヲナス。
昭和4年11月24日
(1929年)
第39巻 p.661-664(DK390297k)
是日栄一、アメリカ合衆国アメリカ機械技師協会会長エルマー・エー・スペリヲ、飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ催ス。
昭和4年11月25日
(1929年)
第39巻 p.664(DK390298k)
是日栄一、アメリカ合衆国人フランク・シー・アサートント飛鳥山邸ニ会見、移民問題ニ就キ懇談ス。
昭和4年12月4日
(1929年)
第39巻 p.664-673(DK390299k)
是日、アメリカ合衆国産業聯盟会会長マグナス・ダブリュー・アレグザンダー、飛鳥山邸ニ来訪シ栄一ト対談ス。
昭和5年2月14日
(1930年)
第39巻 p.673-683(DK390300k)
是日栄一、中華民国奉天督弁張学良ノ使者王家楨及ビ張学銘ヲ、渋沢事務所ニ招キテ午餐会ヲ催ス。栄一、病気ノタメ出席セズ、阪谷芳郎代理接待ス。
昭和5年5月1日
(1930年)
第39巻 p.683-692(DK390301k)
是日栄一、アメリカ合衆国人デフォレスト・グラントヲ、飛鳥山邸ニ引見シ、日米問題ニ関シテ討論ス。
昭和5年5月9日
(1930年)
第39巻 p.692-696(DK390302k)
是日、アメリカ合衆国国際基督教青年会幹事シャーウッド・エディ夫妻及ビ雑誌「明日ノ世界」主筆カービー・ページ夫妻、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和5年5月12日
(1930年)
第39巻 p.696-699(DK390303k)
是日、アメリカ合衆国ニューヨーク、ギヤランティ・トラスト・カンパニー副社長シー・ビー・ヒッバード、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和5年6月5日
(1930年)
第39巻 p.699-712(DK390304k)
是日、アメリカ合衆国雑誌ワールズ・ワーク記者フランクリン・ロックウッド夫妻、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト日米問題其他ニ関シテ談話ス。
昭和5年6月23日
(1930年)
第39巻 p.713-717(DK390305k)
是日、アメリカ合衆国カーネギー平和財団派遣訪日教授コネティカット州ミドルタウン、ウェズレー大学教授ジョージ・エム・ダッチャー、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト支那開発ニ関スル談話ヲ交換ス。
昭和5年7月17日
(1930年)
第39巻 p.717-721(DK390306k)
是日栄一、アメリカ合衆国サクラメント、リンカーン公立学校校長ネティー・ホープレー女史等ヲ飛鳥山邸ニ招キテ茶会ヲ催ス。栄一、病気ノタメ出席セズ。
昭和5年7月29日
(1930年)
第39巻 p.721-722(DK390307k)
是日栄一、中華民国基督教大学学生代表団ヲ、飛鳥山邸ニ引見ス。
昭和5年10月3日
(1930年)
第39巻 p.722-725(DK390308k)
是日、アメリカ合衆国ダラー汽船会社社長ロバート・ダラー、渋沢事務所ニ栄一ヲ訪フ。
昭和5年11月24日
(1930年)
第39巻 p.725(DK390309k)
是日栄一、新任アメリカ合衆国特命全権大使ウィリアム・シー・フォーブスヲ、同大使館ニ訪問ス。
昭和5年11月25日
(1930年)
第39巻 p.725-728(DK390310k)
是日栄一、中華民国東北陸軍側代表一行ヲ、飛鳥山邸ニ招キテ茶会ヲ催ス。栄一病気ノタメ出席セズ、三男武之助代理接待ス。
昭和6年2月4日
(1931年)
第39巻 p.728-733(DK390311k)
是日、アメリカ合衆国ハワイノ実業家ウォルター・エフ・デリンガム夫人及ビ子息、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
昭和6年3月11日
(1931年)
第39巻 p.733-736(DK390312k)
是日、中華民国北平、燕京大学校務長、アメリカ合衆国人レイトン・ステュアート、飛鳥山邸ニ来訪シ、同校ノ維持資金募集ニ付キ栄一ノ尽力ヲ乞フ。栄一、千九百二十四年ノアメリカ合衆国ノ排日移民法ニ就イテ語ル。
昭和6年5月19日
(1931年)
第39巻 p.737-739(DK390313k)
是日、アメリカ合衆国人故ライマン・ジェー・ゲージ夫人、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対話ス。
昭和6年6月19日
(1931年)
第39巻 p.739-741(DK390314k)
是ヨリ先六月十二日、アメリカ合衆国人ハーバート・エス・ヒューストン夫妻、飛鳥山邸ニ来訪ス。
是日栄一、同夫妻ヲ歌舞伎座ニ招待シテ観劇会ヲ催ス。栄一老齢ノタメ、孫敬三夫妻代理接待ス。
昭和6年7月1日
(1931年)
第39巻 p.741-750(DK390315k)
是日、アメリカ合衆国サン・フランシスコノ人ハーヴェー・エッチ・ガイ、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪レ帰国ノ挨拶ヲナス。
昭和6年7月20日
(1931年)
第39巻 p.750-751(DK390316k)
是日栄一、第二回日華男女大学生親善協議会員中華民国学生一行ヲ、飛鳥山邸ニ引見シテ、挨拶ヲ述ブ。
15款 其他ノ外国人接待 其他ノ資料(「集会日時通知表」抜粋)
○大正三年ヨリ昭和五年ニイタル間ニ於ケル、上掲以外ノ栄一ノ外人接待及ビ会見ニ関シテ、「集合日時通知表」ニ記サレタル事項ノミヲ抜萃シテ左ニ掲グ。
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第39巻 p.751-763(DK390317k)
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