デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
3節 寺院及ビ仏教団体
1款 東叡山寛永寺
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年7月1日
(1911年)
第42巻 p.5(DK420001k)
是日、東叡山寛永寺住職救護栄海、飛鳥山邸ニ来訪シ、上野公園不忍弁財天ノ天竜門新築ニ付キ、栄一ニ寄付ヲ請フ。
大正12年10月7日
(1923年)
第42巻 p.5-7(DK420002k)
栄一、爾来当寺檀家総代トシテ本堂修理其他ニ就キ尽力シ来リシガ、是年九月、関東大震火災ニ際シ、当寺ハ境内ニ臨時国民野外学校ヲ設ケ、罹災者ノ児童ヲ収容ス。是日、児童慰安会催サレ、栄一夫人兼子金百円ヲ寄付ス。
大正13年2月
(1924年)
第42巻 p.7-11(DK420003k)
是月栄一、当寺檀家総代トシテ、当寺所属寺院堂塔・位牌所ノ敷地及ビ墓地ニ関シ、永世無償貸与方ヲ東京市長永田秀次郎ニ請願ス。尚、大正十四年五月十七日、当寺役僧大多喜守忍、当寺所管ノ上野公園内大仏ノ改鋳復旧ニ就イテ、栄一ニ賛助ヲ求ム。
大正15年2月22日
(1926年)
第42巻 p.11-16(DK420004k)
是日栄一、当寺住職大照円朗ノ葬儀ニ列シ、檀家総代トシテ会葬者ニ謝辞ヲ述ブ。
三月、後任住職大多喜守忍ノ就任ヲ下谷区長ニ届出ズ。尚、是年当寺、寺院合併願書ヲ天台宗庶務部長ニ呈出スルニ就キ、栄一、檀家総代トシテ之ニ署名ス。
昭和2年1月16日
(1927年)
第42巻 p.16-23(DK420005k)
当寺所有土地二万余坪ノ地代値上ゲ問題ニ係ル争議ニ関シ、是日栄一ノ代理トシテ増田明六当寺ニ赴キ、弁護士橋本義助ヲ嘱託スルコトヲ議ス。栄一、尚当寺ノ為メ尽力スル所多シ。
2款 金竜山浅草寺関係 1. 金竜山浅草寺
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正13年7月
(1924年)
第42巻 p.24-40(DK420006k)
是月栄一、金竜山浅草寺信徒総代ニ推サレ、在任歿年ニ及ブ。尚、当寺多年ノ懸案タル旧寺領地払下問題ノ斡旋ノ労ヲトリ、昭和二年八月六日、同件解決ス。
2款 金竜山浅草寺関係 2. 浅草寺観音会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正13年7月19日
(1924年)
第42巻 p.40-44(DK420007k)
是日栄一、浅草寺観音会顧問ニ推サル。次イデ十一月十四日、浅草寺伝法院ニ於テ当会発会式挙行セラル。
2款 金竜山浅草寺関係 3. 浅草寺臨時営繕局
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正14年9月28日
(1925年)
第42巻 p.44-48(DK420008k)
是日栄一、浅草寺臨時営繕局顧問トナル。後、金千円ヲ寄付ス。
2款 金竜山浅草寺関係 4. 財団法人浅草観音大慈会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和3年2月18日
(1928年)
第42巻 p.48-51(DK420009k)
是日栄一、財団法人浅草観音大慈会顧問ニ推薦セラレ、在任歿年ニ及ブ。
3款 仏教護国団
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正5年11月5日
(1916年)
第42巻 p.52-57(DK420010k)
是日、芝増上寺ニ於テ、各宗聯合仏教護国団発会式挙行セラル。栄一来賓トシテ臨席シ、演説ス。
4款 朝鮮仏教大会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正13年9月16日
(1924年)
第42巻 p.58-79(DK420011k)
是ヨリ先、京城ニ在ル朝鮮仏教大会ノ理事三名上京シ、同会ヘノ援助ヲ栄一ニ請フ。栄一同会ノ趣旨ニ賛同シ、是日、銀行倶楽部ニ内鮮懇話会会員ヲ招請シテ、助力ヲ斡旋ス。爾来数次会合ノ結果、十一月、援助金ヲ金五万五千円トシ、昭和二年ニ至ル迄三ケ年賦ニテ寄付金募集ヲ決ス。実際ノ醵金額ハ金四万三千円ナリ。
5款 財団法人朝鮮仏教団
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正14年5月20日
(1925年)
第42巻 p.80-93(DK420012k)
是ヨリ先五月六日、朝鮮仏教大会、財団法人設立ノ認可ヲ受ケ、財団法人朝鮮仏教団ト称ス。是日、同団理事会ノ推薦ニヨリ、栄一顧問ヲ依嘱セラル。八月十日同理事会ノ決議ニヨリ、名誉賛助員ニ推サル。在任歿年ニ及ブ。
6款 其他 1. 覚王山日暹寺
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正4年6月21日
(1915年)
第42巻 p.94(DK420013k)
是日、日置黙仙、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪レ、名古屋市覚王山日暹寺ノ件ニ就キ依頼ス。
6款 其他 2. 財団法人善光寺保存会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正5年8月2日
(1916年)
第42巻 p.94-95(DK420014k)
是日栄一、財団法人善光寺保存会名誉会員トナリ、金二百円ヲ寄進ス。在籍歿年ニ至ル。
6款 其他 3. 増上寺再建後援興勝会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正7年10月
(1918年)
第42巻 p.95-99(DK420015k)
是月栄一、増上寺再建後援興勝会ノ副総裁ニ推サル。
昭和6年12月2日
(1931年)
第42巻 p.99-101(DK420016k)
是日当会、増上寺ニ於テ国士館・静寛院宮奉賛会ト共同主催ニテ、故渋沢子爵追悼会ヲ催ス。
6款 其他 4. 大覚寺(京都)
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正10年3月3日
(1921年)
第42巻 p.101-103(DK420017k)
是ヨリ先、京都嵯峨大覚寺門跡竜池密雄、後宇多天皇六百年御忌協賛会ヲ設立シ、栄一ニ東京ニ於ケル募金ヲ乞フ。是日栄一、六十余名ノ財界有力者ヲ東京銀行集会所ニ招待シテ第一回発起人会ヲ開ク。栄一出席ス。
6款 其他 5. 其他ノ資料
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第42巻 p.103-104(DK420018k)
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4節 キリスト教団体
1款 救世軍
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年6月1日
(1911年)
第42巻 p.105(DK420019k)
是ヨリ先、救世軍総督ブース大将来日ノ際、貧民病院建設ノ議起ル。栄一其発起人トシテ、大隈重信・清浦奎吾等ト謀リ、是日、第一回貧民病院建設慈善観劇会ヲ催シ、翌四十五年四月ニ於ケル第二回観劇会ノ利益金ト合計シテ、金八千余円ヲ当軍ニ寄付ス。
明治44年10月19日
(1911年)
第42巻 p.105(DK420020k)
是日栄一、救世軍大佐山室軍平ノ案内ニテ、当軍経営ノ東京市内諸施設ヲ巡覧ス。
明治44年11月25日
(1911年)
第42巻 p.105-107(DK420021k)
是日栄一、当軍月島労働寄宿舎開所式ニ臨ミ演説ス。
明治45年6月30日
(1912年)
第42巻 p.107-108(DK420022k)
是日栄一、下谷区仲徒町ノ救世軍病院落成式ニ臨ミ演説ス。
大正元年8月29日
(1912年)
第42巻 p.108(DK420023k)
是日、救世軍創立者故ウィリアム・ブースノ追悼会、神田区美土代町東京基督教青年会館ニ開カル。栄一出席シテ演説ス。
大正4年4月
(1915年)
第42巻 p.108-110(DK420024k)
是ヨリ先欧洲大戦起リ、ソノ影響ヲ受ケテ当軍財政上ノ困難ヲ来ス。是月栄一、当軍ニ金千円ヲ寄付ス。又翌五年ニ出版物用紙ノ斡旋ヲナス。
大正5年11月23日
(1916年)
第42巻 p.110(DK420025k)
是ヨリ先、故救世軍大将ウィリアム・ブースノ永眠記念事業トシテ結核療養所設立ノ議起リ、栄一、其寄付金募集ニ尽力シ、自ラモ千五百円ヲ寄付ス。
是日、右療養所成ル。
大正6年4月21日
(1916年)
第42巻 p.110(DK420026k)
是日栄一、山室軍平ヲ飛島山邸ニ招キテ午餐会ヲ開キ、渡英ノ行ヲ激励ス。
大正7年4月27日
(1918年)
第42巻 p.110-111(DK420027k)
是日大阪ニ、釈放者保護ヲ目的トスル当軍ノ希望館開館式挙行セラル。栄一祝辞ヲ寄ス。
大正7年9月24日
(1918年)
第42巻 p.111(DK420028k)
是日、東京府下堀之内ノ救世軍療養所病棟増築落成式行ハレ、栄一出席シテ演説ス。
大正7年12月14日
(1918年)
第42巻 p.111(DK420029k)
是日栄一、東京銀行倶楽部ニ財界有力者ノ集合ヲ乞ヒ、救世軍日本本営新築費募集ノ件ヲ諮ル。
大正8年7月4日
(1919年)
第42巻 p.111-112(DK420030k)
是日栄一、飛鳥山邸ニ山室軍平・小林政助等ヲ招キテ、日米問題ニ関スル意見ヲ聞キ、小林政助渡米ノ餞別ニ金千円ヲ贈ル。
大正8年11月11日
(1919年)
第42巻 p.112-115(DK420031k)
是ヨリ先、神田区一橋通ニ救世軍本営及ビ中央会館落成シ、是日献堂式行ハル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。右新築ニ際シ栄一金三千円ヲ寄付ス。
大正8年11月14日
(1919年)
第42巻 p.115(DK420032k)
是日栄一、当軍社会植民部ノ開所式ニ祝辞ヲ寄ス。
大正9年11月13日
(1920年)
第42巻 p.116(DK420033k)
是日、当軍第二十五年大会、神田一ツ橋救世軍中央会館ニ開カル。栄一祝辞ヲ寄ス。
大正11年10月9日
(1922年)
第42巻 p.116-117(DK420034k)
是ヨリ先栄一、当軍ニ対シ、本年ヨリ当分ノ間、年金二千円ヲ醵出スルコトニ決シ、是日、同件ニツキ山室軍平来談ス。
大正13年8月6日
(1924年)
第42巻 p.117-119(DK420035k)
当軍、財界有力者ノ寄付ヲ仰グニ際シ、是日栄一、小池国三・神田鐳蔵宛ニ山室軍平ノ紹介状ヲ認ム。尚、屡々同様ノ紹介状ヲ認ム。
大正14年10月6日
(1925年)
第42巻 p.119-128(DK420036k)
救世軍大将ブラムウェル・ブースノ第七十回誕晨記念ノタメ、当軍ハ日本内地ニテ金二万円ヲ醵金シ、印度・支那及ビ朝鮮ニ寄贈セントス。栄一ソノ計画ヲ賛助シ、自ラ金千五百円ヲ寄付シ、森村開作ト共ニ諸名士ヨリノ寄付金一万四千円ヲ集メ、是日、当軍ニ交付ス。尚、翌十五年三月六日、同大将宛ニ祝電ヲ発ス。
大正15年10月15日
(1926年)
第42巻 p.128-137(DK420037k)
是日栄一、救世軍大将ブラムウェル・ブースヲ飛鳥山邸ニ招キ、レセプションヲ催ス。
大正15年10月17日
(1926年)
第42巻 p.137-138(DK420038k)
是日、青山会館ニ於テ、当軍講演会開カレ、栄一出席ス。
大正15年10月18日
(1926年)
第42巻 p.138(DK420039k)
是日栄一、救世軍大将ブラウェル・ブースヲ案内シ、東京市養育院ヲ視察セシム。
昭和3年6月20日
(1928年)
第42巻 p.138-144(DK420040k)
是日栄一、神田区一橋通ノ救世軍日本本営復興落成式ニ祝辞ヲ寄ス。
昭和4年2月2日
(1929年)
第42巻 p.144-145(DK420041k)
是日栄一、当軍ノ村井奨学寮開寮式ニ、財団法人中央社会事業協会会長トシテヲ祝辞ヲ寄セ、同協会総務部長原泰一ヲシテ代読セシム。
昭和4年5月11日
(1929年)
第42巻 p.146-147(DK420042k)
是日栄一、当軍社会植民館落成式ニ、財団法人中央社会事業協会会長トシテ祝辞ヲ寄ス。
昭和4年11月13日
(1929年)
第42巻 p.147-157(DK420043k)
是日栄一、アメリカ合衆国救世軍総司令官エヴァンジェリン・ブースノレセプションヲ、飛鳥山邸ニ催ス。
昭和4年11月14日
(1929年)
第42巻 p.157(DK420044k)
是日栄一、浅草区北三筋町ニ新築ノ救世軍病院開院式ニ祝辞ヲ寄ス。
昭和4年11月24日
(1929年)
第42巻 p.157-169(DK420045k)
是日、アメリカ合衆国救世軍総司令官エヴァンジェリン・ブース飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪問シ、帰国ノ暇乞ヲナス。栄一、明治四十年二故ウィリアム・ブース来日ノ節朗読シタル歓迎之辞ヲ手写シテ、之ヲ贈ル。
昭和5年10月7日
(1930年)
第42巻 p.169-170(DK420046k)
是日栄一、渡米ノ途ニ上ラントスル救世軍中将山室軍平ニ托シテ、救世軍大将エドワード・ジェー・ヒッギンスニ書翰ヲ寄ス。
昭和6年12月9日
(1931年)
第42巻 p.170(DK420047k)
是日、東京基督教青年会講堂ニ於テ、基督教関係団体主催ノ故渋沢子爵追悼記念会開カル。当軍代表瀬川中佐、同司令官中将山室軍平ノ弔辞ヲ代読ス。
2款 世界日曜学校大会後援会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正2年3月22日
(1913年)
第42巻 p.171(DK420048k)
是ヨリ先三月十八日、世界日曜学校協会役員エッチ・ジェー・ハインツ以下二十九名、東洋視察ノタメ来日ス。是日栄一、日曜学校協会役員等ト合セテ五十名ヲ飛鳥山邸ニ招キ、歓迎会ヲ催ス。栄一、席上歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正2年7月4日
(1913年)
第42巻 p.171-173(DK420049k)
是ヨリ先栄一等、世界日曜学校協会役員エッチ・ジェー・ハインツ来日ニ際シ、第八回世界日曜学校大会ヲ、大正五年ニ東京ニ於テ開催シ度キ意ヲ述ブ。次イデ第七回大会、スイス国チューリッヒ市ニ催サレ、小崎弘道・井深梶之助ハ、日本日曜学校協会ヲ代表シテ出席シ、其旨ヲ陳述ス。ソノ結果、次回大会ハ東京開催ニ決ス。是日栄一、大隈重信・阪谷芳郎・中野武営ト連名ニテ、第七回大会ニ対シ祝電ヲ発ス。
大正2年11月28日
(1913年)
第42巻 p.173-175(DK420050k)
是ヨリ先十月二十七日、大隈重信邸ニ於テ、小崎弘道・井深梶之助帰朝報告会アリ。栄一之ニ臨ミ演説ス。時ニ大隈重信ヲ会長トスル第八回世界日曜学校大会援助機関設置ノ議決シ、委員指名ヲ栄一ニ付託セラル。是日、同大会後援会規約制定セラレ会ノ設立ヲ見ル。後チ、栄一副会長トナル。
大正4年6月28日
(1915年)
第42巻 p.175-192(DK420051k)
是日、第八回世界日曜学校大会後援会評議員会、総理大臣官邸ニ開カレ、栄一出席ス。同大会会期及ビ経費等決定セラレシガ、栄一、此後モ屡々会議ニ出席シ、同大会ノ開催ニ尽力ス。然ルニ第一次世界大戦ノタメ同大会延期セラル。
大正7年12月3日
(1918年)
第42巻 p.192-209(DK420052k)
是日、延期中ノ第八回世界日曜学校大会開催ノ件ニ付、大隈重信邸ニ於テ協議会開カレ、栄一出席ス。是ヨリ栄一ソノ準備ニ奔走ス。
大正9年10月5日
(1920年)
第42巻 p.209-228(DK420053k)
是日、第八回世界日曜学校大会開会直前ニ、東京駅前ニ新築セル会場、火災ノタメ焼失ス。依ツテ神田基督教青年会館及ビ救世軍本営ニ会場ヲ移シ、同大会開会式挙行セラル。栄一之ニ臨ミ歓迎ノ演説ヲナス。七日、帝国劇場ニ会場ヲ移シ、十四日マデ同大会開催セラル。其間、栄一、当後援会副会長トシテ種々尽力ス。
大正9年10月10日
(1920年)
第42巻 p.229-231(DK420054k)
是日、仏教少年聯合団、芝公園ニ於テ、同団大会ヲ兼ネ、第八回世界日曜学校大会出席中ノドルフ夫妻並ニ其他ノ外賓ヲ招キ、歓迎会ヲ催ス。栄一之ニ臨ミテ祝辞ヲ述ブ。
大正9年10月13日
(1920年)
第42巻 p.231-236(DK420055k)
是日当会、諸外国参列員及ビ我国各代表者二千余名ヲ帝国劇場ニ招待シ、レセプションヲ催ス。栄一病気ノタメ欠席シ、挨拶ヲ代読セシム。
大正9年11月26日
(1920年)
第42巻 p.236-238(DK420056k)
是日、当会主催第八回世界日曜学校大会総幹事ブラウン博士送別午餐会、帝国ホテルニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正13年4月15日
(1924年)
第42巻 p.238-243(DK420057k)
是年六月、第九回世界日曜学校大会、イギリス国グラスゴー市ニ開カルルニツキ、是日栄一、ソノ祝辞ヲ草ス。六月二十五日、今村正一ハ大会ニ於テ、右祝辞ヲ代読ス。
昭和3年7月11日
(1928年)
第42巻 p.243-251(DK420058k)
是日、第十回世界日曜学校大会、アメリカ合衆国ロス・アンジェルス市ニ開カル。是ヨリ先六月二日、日本代表百五十六名東京ヲ出発スルニ当リ、栄一、ニュー・ヨーク商業会議所ニ宛テ一書ヲ托シソノ挨拶トス。
3款 財団法人日本日曜学校協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正11年3月13日
(1922年)
第42巻 p.252-253(DK420059k)
是日、当協会主催、栄一ノ帰国歓迎茶話会、帝国ホテルニ於テ開カル。
大正12年1月12日
(1923年)
第42巻 p.253(DK420060k)
是日、当協会主催、アメリカ合衆国人故ジョン・ワナメーカー記念追悼会、東京基督教青年会館ニ於テ挙行セラル。栄一出席シテ追悼演説ヲナス。
大正12年3月1日
(1923年)
第42巻 p.253-255(DK420061k)
是日栄一、当協会会堂建設寄付金募集ノタメ、東京銀行倶楽部ニ於テ一会ヲ催シ、席上ソノ趣旨ヲ演説ス。
大正12年10月13日
(1923年)
第42巻 p.255-258(DK420062k)
是日、当協会有志者、当協会名誉主事エッチ・イー・コールマンノ帰国送別茶話会ヲ、帝国ホテルニ催ス。栄一出席シテ送別ノ辞ヲ述ブ。
昭和4年9月20日
(1929年)
第42巻 p.258-261(DK420063k)
是日、世界日曜学校総主事ロバート・ホプキンス、当協会主事亀徳一男ニ伴ハレテ、飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト対談ス。
4款 東京基督教青年会館復興建築資金募集後援会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正15年3月10日
(1926年)
第42巻 p.262-267(DK420064k)
是ヨリ先、関東大震火災ノタメ灰燼ニ帰シタル、東京基督教青年会館再建ノ議アルモ進捗セズ。十四年十二月アメリカ合衆国基督教青年会理事長ジョン・アール・モット来日シ、是議ニ参与ス。玆ニ於テ、本会館ノ復興建築資金募集後援会組織サレ、栄一、後藤新平・徳川家達ト共ニ相談役トナル。是日当会、日本工業倶楽部ニ於テ評議員会ヲ開キ、栄一出席シテ当会ノ目的達成ニツキ協議ス。
大正15年3月16日
(1926年)
第42巻 p.267-268(DK420065k)
是日当会、第一回実行委員会ヲ東京銀行倶楽部ニ開キ、復興建築資金募集方法ノ諸事項ヲ決ス。栄一出席ス。
大正15年5月20日
(1926年)
第42巻 p.268-270(DK420066k)
是日、当会会長阪谷芳郎ヨリ募金ノ経過報告アリ。
栄一ハ金五千円ヲ寄付ス。
大正15年10月22日
(1926年)
第42巻 p.270-280(DK420067k)
是ヨリ先、当会ハ復興建築資金募集ニツキ屡々会合ヲ開ク。是日栄一、後藤新平・阪谷芳郎等ト東京銀行倶楽部ニ会シ醵金ノ方法ヲ議ス。引続キ栄一之ニ尽力ス。
昭和2年10月7日
(1927年)
第42巻 p.280-281(DK420068k)
是日、東京基督教青年会復興事業ノ一部タル体育館落成式挙行セラレ、栄一出席ス。
昭和4年4月5日
(1929年)
第42巻 p.281-283(DK420069k)
是日当会、アメリカ合衆国基督教青年会理事長ジョン・アール・モットヲ迎ヘ、関係役員立会ノモト、東京基督教青年会館ノ定礎式ヲ挙行ス。同夜、栄一等、華族会館ニ於テ、モット歓迎晩餐会ヲ催ス。
昭和4年10月21日
(1929年)
第42巻 p.283-287(DK420070k)
是日、アメリカ合衆国基督教青年会同盟主事フレッチャー・エス・ブロックマン退職記念会、同国シカゴ市エッチ・ウォーター・ビーチ・ホテルニ於テ開カル。栄一、予テ同人ガ東洋ニ於ケル基督教青年会ノ事業ニ尽セル功績ヲ感謝シテ書翰ヲ贈ル。
昭和5年1月18日
(1930年)
第42巻 p.287-289(DK420071k)
是日、東京神田美土代町東京基督教青年会館ノ建築復興成リ、献堂開館式挙行セラル。
昭和6年11月15日
(1931年)
第42巻 p.289(DK420072k)
是日栄一ノ葬儀ニ際シ、東京基督教青年会理事長長尾半平弔辞ヲ寄ス。次イデ十二月九日、当会講堂ニ於テ基督教関係団体主催栄一追悼記念会開カル。
4款 東京基督教青年会館復興建築資金募集後援会 其他ノ資料
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第42巻 p.289-291(DK420073k)
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5款 其他 1. ハワイ基督教青年会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正6年9月25日
(1917年)
第42巻 p.292-298(DK420074k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国ハワイ、ヌアヌ基督教青年会館建設ノタメ、日本内地ヨリノ寄付金募集ノ用務ヲ帯ビ、ハワイノ牧師奥村多喜衛帰国ス。
是日、同地ノドレムズ・スカッダト同道、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪ヒテ助力ヲ乞フ。後、栄一ノ尽力ニヨリ、予定ノ金額一万ドルヲ得。
昭和4年4月27日
(1929年)
第42巻 p.298-301(DK420075k)
是日栄一、アメリカ合衆国ハワイ、ホノルル基督教青年会創立六十周年記念祭ニ祝電ヲ送ル。
5款 其他 2. サン・フランシスコ日本人基督教青年会
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大正15年10月12日
(1926年)
第42巻 p.301-308(DK420076k)
是日、日米関係委員会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、アメリカ合衆国サン・フランシスコ日本人基督教青年会会館建設補助ノ件ヲ議ス。
昭和3年12月12日
(1928年)
第42巻 p.308-321(DK420077k)
是日アメリカ合衆国サン・フランシスコ日本人基督教青年会会館建築ノ件ニ関シ、渋沢事務所ニ於テ日米関係小委員会ヲ開キ、寄付金ノ事ヲ協議ス。後、栄一ノ尽力ニヨリ金二万三千五百円ノ醵金ヲ得テ送付ス。
5款 其他 3. 東京基督教女子青年会
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昭和2年3月26日
(1927年)
第42巻 p.321-324(DK420078k)
是ヨリ先、東京基督教女子青年会ハ同会館復興建築資金ノ募集ヲ開始ス。栄一、趣旨ニ賛同シテ金千円ヲ寄付シ、且ツ同会総幹事エンマ・アール・カフマンノ懇請ヲ容レ、是日、植村澄三郎外二十三名ニ紹介ノ労ヲトル。
5款 其他 4. 東京三崎会館
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--第42巻 p.324-328(DK420079k)
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5款 其他 5. 日本基督教聯盟
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昭和3年1月13日
(1928年)
第42巻 p.328-330(DK420080k)
是年三月二十四日ヨリ四月八日迄、世界基督教聯盟主催ニ係ル世界宣教大会、パレスチナノイェルサレムニ於テ開カル。我国カラモ亦之ニ代表八名ヲ派遣セントシ、是日、日本基督教聯盟会長小崎弘道ハソノ旅費金八千円ノ調達ヲ栄一ニ請フ。栄一自ラ金五百円ヲ寄付シ、醵金ニ尽力ス。
昭和4年5月17日
(1929年)
第42巻 p.331-333(DK420081k)
是年七月十一日ヨリ二十一日迄、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ウィリアムズ大学於ニテ、国際基督教聯盟会議開カル。日本基督教聯盟ハ之ニ代表二名ヲ派遣セントシ、是日、会長小崎弘道ハソノ資金調達ヲ栄一ニ請フ。栄一、森村市左衛門・古河虎之助及ビ服部金太郎ニ対シテ紹介ノ労ヲ執リ、自ラモ金二百五十円ヲ寄付シテ之ヲ援助ス。
5款 其他 6. 万国学生基督教青年会
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--第42巻 p.333-334(DK420082k)
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5節 修養団体
1款 財団法人竜門社
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明治42年6月24日
(1909年)
第42巻 p.335-336(DK420083k)
是日、当社評議員会、渋沢事務所ニ於テ開カル。栄一出席シテ、実業界引退ノ報告ヲナス。
明治43年7月4日
(1910年)
第42巻 p.336-339(DK420084k)
是日、当社評議員会渋沢事務所ニ於テ開カル。栄一出席シテ懐旧談ヲナス。
明治43年10月23日
(1910年)
第42巻 p.339-365(DK420085k)
是日、栄一ノ古稀祝賀会ヲ兼ネ、当社第四十四回秋季総集会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。来賓大隈重信ノ演説、栄一ノ謝辞アリ。
明治44年5月7日
(1911年)
第42巻 p.365-376(DK420086k)
是ヨリ先、四月二十六日、渋沢事務所ニ於テ当社評議員会開カレ、栄一出席ス。次イデ是日、当社第四十五回春季総集会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
明治44年11月19日
(1911年)
第42巻 p.376-393(DK420087k)
是ヨリ先、是月十六日、当社評議員会、帝国ホテルニ開カレ、引続キ阪谷芳郎帰朝歓迎晩餐会催サル。栄一出席ス。次イデ是日、当社第四十六回秋季総集会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
明治45年5月26日
(1912年)
第42巻 p.393-407(DK420088k)
是ヨリ先、是月十六日、当社評議員会、築地精養軒ニ於テ開カレ、栄一出席ス。次イデ是日、当社第四十七回春季総集会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正元年10月27日
(1912年)
第42巻 p.407-425(DK420089k)
是ヨリ先、是月七日、当社評議員会築地精養軒ニ於テ開カレ、栄一出席ス。次イデ是日、当社第四十八回秋季総集会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正2年5月25日
(1913年)
第42巻 p.425-436(DK420090k)
是ヨリ先、是月十日、当社評議員会、渋沢事務所ニ於テ開カレ、栄一ソノ晩餐会ニ出席ス。次イデ是日、当社第四十九回春季総集会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正2年11月23日
(1913年)
第42巻 p.436-448(DK420091k)
是日、当社第五十回秋季総集会、帝国ホテルニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正3年4月3日
(1914年)
第42巻 p.448-460(DK420092k)
是ヨリ先、三月十九日、当社評議員会、築地精養軒ニ於テ開カレ、栄一出席ス。次イデ是日、当社第五十一回春季総集会、目黒ノ大日本麦酒株式会社庭園ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正3年10月25日
(1914年)
第42巻 p.460-469(DK420093k)
是ヨリ先、是月十五日、当社評議員会、築地精養軒ニ於テ開カル。栄一出席シテ教育・宗教ニ関スル意見ヲ述ブ。次イデ是日、当社第五十二回秋季総集会、飛島山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正4年4月4日
(1915年)
第42巻 p.469-484(DK420094k)
是日、京阪神在住竜門社会員臨時総集会、大阪ホテルニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正4年5月23日
(1915年)
第42巻 p.484-497(DK420095k)
是ヨリ先、是月十七日、当社評議員会、築地精養軒ニ於テ開カレ、栄一出席ス。次イデ是日、当社第五十三回春季総集会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正4年10月16日
(1915年)
第42巻 p.497-508(DK420096k)
是日、栄一ノ渡米送別会ヲ兼ネ、当社第五十四回秋季総集会、帝国ホテルニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正5年1月17日
(1916年)
第42巻 p.508-523(DK420097k)
是日、当社会員有志主催、栄一ノ帰国歓迎及ビ穂積陳重授爵祝賀晩餐会、帝国ホテルニ於テ開カル。栄一出席シテ米国旅行談ヲナス。
大正5年4月17日
(1916年)
第42巻 p.523-533(DK420098k)
是日、帝国ホテルニ於テ当社評議員会開カレ、栄一出席ス。右評議員会終了後、当社評議員及ビ有志ニヨル聯合国経済会議特派委員長阪谷芳郎ノ渡欧送別会開カル。栄一送別ノ辞ヲ述ブ。
大正5年5月21日
(1916年)
第42巻 p.533-543(DK420099k)
是日、当社第五十五回春季総集会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正5年10月8日
(1916年)
第42巻 p.543-546(DK420100k)
是日、京阪神在住当社会員第二回臨時集会、神戸東亜ホテルニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正5年11月11日
(1916年)
第42巻 p.546-564(DK420101k)
是日、当社評議員会、帝国ホテルニ開カレ、後、引続キ評議員並ニ有志ニヨル、阪谷芳郎帰国歓迎会催サル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正5年11月26日
(1916年)
第42巻 p.564-586(DK420102k)
是日、当社ハ栄一ノ喜寿祝賀ト阪谷芳郎帰国歓迎会ヲ兼ネ、第五十六回秋季総集会ヲ、帝国ホテルニ於テ開キ、喜寿祝賀記念トシテ、林泰輔ニ編纂ヲ依嘱シタル「論語年譜」ヲ栄一ニ贈ル。栄一病気ノタメ出席セズ。
大正6年2月2日
(1917年)
第42巻 p.587-593(DK420103k)
是日、当社評議員会、帝国ホテルニ於テ開カレ、引続キ論語年譜編纂関係者慰労晩餐会催サル。栄一出席シテ意見ヲ述ブ。
大正6年3月18日
(1917年)
第42巻 p.593-610(DK420104k)
是日、京阪神在住当社会員第三回臨時集会、京都、万養軒ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正6年5月6日
(1917年)
第42巻 p.610-629(DK420105k)
是日、当社評議員会飛鳥山邸ニ於テ開カレ、引続キ当社第五十七回春季総集会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
次イデ六月十八日、当社評議員会、帝国ホテルニ於テ開カレ、栄一出席シ、会後ノ談話会ニテ演説ヲナス。
大正6年11月4日
(1917年)
第42巻 p.629-637(DK420106k)
是日、当社第五十八回秋季総集会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正7年3月8日
(1918年)
第42巻 p.638-640(DK420107k)
是日、当社評議員会、帝国ホテルニ於テ開カレ、栄一出席ス。引続キ蘆田均帰国歓迎晩餐会催サレ栄一挨拶ヲ述ブ。
大正7年4月14日
(1918年)
第42巻 p.640-658(DK420108k)
是日、当社第五十九回春季総集会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正7年7月5日
(1918年)
第42巻 p.658-662(DK420109k)
是日、当社評議員会、帝国ホテルニ於テ開カレ、栄一出席ス。引続キ阪谷芳郎帰国歓迎晩餐会催サレ、栄一挨拶ヲ述ブ。
大正7年12月17日
(1918年)
第42巻 p.662-668(DK420110k)
是ヨリ先、是月七日、当社評議員会、築地精養軒ニ於テ開カレ、栄一出席ス。次イデ是日、当社第六十回秋季総集会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正8年6月1日
(1919年)
第42巻 p.668-681(DK420111k)
是ヨリ先、五月十三日、当社評議員会帝国ホテルニ於テ開カレ、栄一出席ス。次イデ是日、当社第六十一回春季総集会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正8年11月9日
(1919年)
第42巻 p.681-690(DK420112k)
是日、当社第六十二回秋季総集会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。