公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代
1部 実業・経済
3章 商工業
28節 貿易
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
明治14年9月15日 (1881年) | 第15巻 p.5-35(DK150001k) 渋沢喜作・馬越恭平等横浜ニ於ケル生糸貿易ノ日本商人ニ不利ナルヲ改メントシ、是日聯合生糸荷預所ヲ設ク。栄一ソノ設立ニ助力セリ。然レドモ横浜ニ在ル外国商人之ヲ喜バズシテ其取引ヲ拒絶シ爾来二ケ月余ニ亘ル紛議ヲ生ジタリ。栄一、益田孝等ト協力シ荷預所ニ対シテ金融上ノ便宜ヲ与ヘ之ガ応援ヲ図ル。 | |
明治14年10月10日 (1881年) | 第15巻 p.35-57(DK150002k) 是日栄一、東京商法会議所会頭トシテ臨時会議ヲ招集シ、聯合生糸荷預所ト外国商人トノ紛争ニ関スル対策ヲ附議シ会議所会員ノ意見ヲマトメ、会員清水誠ノ委員附托ノ動議ヲ採決シテ是ヲ可決シ、同所ノ外国貿易事務委員益田孝等ヲ之ニ当ツルコトトス。 | |
明治14年10月29日 (1881年) | 第15巻 p.57-75(DK150003k) 是日栄一、安田善次郎・原六郎ト連名ニテ大阪銀行倶楽部宛ニ書翰ヲ発送シテ、聯合生糸荷預所ニ対スル応援資金ノ調達ヲ依頼ス。 | |
明治14年11月1日 (1881年) | 第15巻 p.75-80(DK150004k) 是日栄一、益田孝ト共ニ横浜町会所ニ開カレタル横浜生糸聯合商人及ビ荷主総代ノ総会ニ出席シ、過般行ハレタル米国公使トノ会談ノ模様ヲ伝ヘ、総会ノ決議ヲ問フ。 | |
明治14年11月2日 (1881年) | 第15巻 p.80-99(DK150005k) 是日栄一、益田孝ト共ニ、米国公使ノ周旋ニヨリ外国商人ウヰルキン及ビウオルシト会食シ、和解ノ方法ニツキ熟談ス。 | |
明治14年11月18日 (1881年) | 第15巻 p.99-128(DK150006k) 聯合生糸荷預所ト横浜外国商人トノ間ニ起リタル紛議ニ就キ、栄一、益田孝等ト共ニ和解ニ努メ来リシガ昨日紛議解決シ、是日ヨリ取引ヲ再開ス。 | |
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明治16年5月 (1883年) | 第15巻 p.129-130(DK150007k) 是月、農商務省農務・商務・工務三局相謀リ、各府県蚕糸業者ヲ招集シテ蚕業諮問会ヲ開ク。栄一会員ニ選任サル。 | |
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明治20年7月21日 (1887年) | 第15巻 p.131-139(DK150008k) 是ヨリ先、大倉喜八郎・松尾儀助・森村市太郎等本邦貿易事業ノ発展ヲ謀リテ貿易協会ヲ設立ス。栄一同会ニ入会シ、是日幹事会ニ出席シテ商品見本陳列所創立ノ必要ヲ説キ、同会幹事ノ賛成同意ヲ得。 | |
明治21年8月2日 (1888年) | 第15巻 p.139-149(DK150009k) 是ヨリ先、政府ヨリノ勧奨ニヨリ栄一、益田孝・大倉喜八郎ト共ニ貿易協会ニ附属スル商品陳列館ヲ開設センコトヲ謀リ、是日該案ヲ同協会幹事会ニ提出シテ可決セラル。爾後栄一等之ガ設立ニ奔走セシガ、貿易協会ノ不振ト共ニ同問題モ終ニ消滅ス。 | |
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明治22年6月10日 (1889年) | 第15巻 p.150-152(DK150010k) 是ヨリ先、五月二十二日大蔵大臣松方正義ヨリ生糸荷為替取扱上ノ事ニツキ訓諭アリ、仍テ是日栄一、横浜生糸売込問屋組合ニ対シ意見ヲ申送リ置キタル旨ノ書翰ヲ萩原源太郎ニ送ル。 | |
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明治32年4月10日 (1899年) | 第15巻 p.153(DK150011k) 是日、横浜在留外人ニ依リテ組織セラレタル改正条約実施準備会ハ横浜オリエンタル・ホテルニ宴会ヲ開ク。栄一出席シテ一場ノ演説ヲナス。 | |
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-- | 第15巻 p.154-155(DK150012k) -- | |
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-- | 第15巻 p.156(DK150013k) -- | |
29節 其他
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明治6年10月 (1873年) | 第15巻 p.157-178(DK150014k) 南貞助・有馬則興等、内外用達会社ヲ創立ス。栄一株主タリシコトアリ。 | |
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明治7年 (1874年) | 第15巻 p.179-201(DK150015k) 是年、渋沢喜作東京深川ニ廻米問屋ヲ、横浜ニ生糸売込問屋ヲ創始ス。渋沢商店是レナリ。栄一、喜作トノ関係ニヨリ以後援助頗ル努ム。 | |
明治21年7月24日 (1888年) | 第15巻 p.201-212(DK150016k) 神戸神栄会社社長伊藤長次郎、是日書ヲ栄一ニ致シテ、同社ト渋沢商店トノ生糸取引並ビニ生糸商況報告ノ交換ヲ依頼ス。此後ニ於テモ栄一渋沢商店ノタメニ尽力スルトコロ多シ。 | |
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明治9年10月9日 (1876年) | 第15巻 p.213-225(DK150017k) 佐久間貞一・大内青巒等活版印刷ノ業ヲ創メントシ、栄一ノ援助ヲ以テ抄紙会社東京分社ノ機械ヲ借受ケ、秀英舎ヲ設立ス。 | |
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明治10年2月24日 (1877年) | 第15巻 p.226-236(DK150018k) 是ヨリ先明治九年九月、五代友厚政府ヨリ借入レタル低利資金ヲ以テ大阪府北区堂島浜通ニ朝陽館ヲ創立シ、製藍販売事業ニ従事ス。栄一朝陽館創立以前ヨリ五代ト郷里ノ親戚ノ製藍ニ従事スル者トノ間ニ斡旋スル所アリシガ、是日栄一対清借款ノ事ヲ以テ上海ニ赴ク途次、大蔵書記官岩崎小次郎ト共ニ同所ノ見学ヲ希望スル旨ノ書翰ヲ送ル。 | |
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明治19年2月15日 (1886年) | 第15巻 p.237-245(DK150019k) 是ヨリ先明治十八年六月、栄一同盟銀行定式集会ニ於テ米商委托販売業者間ニ申合規程設定ノ必要ヲ力説シ、銀行集会所会員多数ノ賛成ヲ得、爾来東京廻米問屋組合ト交渉誘導ノ結果、同組合ヨリ米雑穀取扱規則草案ノ提出アリ、是日第六十二回定式集会ニ附議シ、同組合ニ対シ速ニ実施アランコトヲ回答スベキコトヲ決議ス。 | |
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明治20年7月22日 (1887年) | 第15巻 p.246-254(DK150020k) 是日栄一、大倉喜八郎・安田善次郎等十数名ト坂本町ノ銀行集会所ニ会シ、東京市内ノ水道改修ニツキ水道会社設立ノ方針ヲ定ム。栄一、他二名ト共ニ調査ヲ委任サル。 | |
明治21年12月5日 (1888年) | 第15巻 p.254-300(DK150021k) 是ヨリ先、東京市水道ノ改良問題ニツキ栄一等調査ノ結果、東京水道会社創立ノ計画ヲタテ、発起人ノ会合数次、案既ニ成リシモ偶々市区改正委員会並ニ市区部会ニ於テ実施ノ意向アルヲ知リ、是日東京府知事ニ其計画調査書類ニ副申書ヲ添付シテ提供シ、知事ノ意向ヲ糺ス。 | |
明治23年8月9日 (1890年) | 第15巻 p.300-306(DK150022k) 兼テ東京府知事ニ設立出願中ノ東京水道会社計画ノ水道敷設事業ハ、東京市区改正事業ノ一ニ加ヘテ施行スルコトニ決定シタルヲ以テ、是日市区改正委員会ニ於テ、芳川委員長ノ名ヲ以テ東京水道会社創立発起人総代渋沢栄一ニ対シ、感謝状ニ金二千円ヲ添ヘテ贈ルノ件ヲ議決ス。 | |
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明治21年1月1日 (1888年) | 第15巻 p.307-315(DK150023k) 四日市製油会社設立サレ、本邦最初ノ種油洋式製造開始サル。栄一株主タリシモ二十五年六月解散シ、財産・事業ヲ九鬼紋七ニ譲渡ス。 | |
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明治21年3月26日 (1888年) | 第15巻 p.316-322(DK150024k) 是日栄一、渋沢喜作ト連署シテ製藍会社ノ創立ヲ東京府知事ニ出願シ、同月二十九日認可セラル。 | |
明治25年8月2日 (1892年) | 第15巻 p.322-323(DK150025k) 是日、栄一等ノ創設セル製藍会社解散ス。 | |
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明治23年3月 (1890年) | 第15巻 p.324(DK150026k) 栄一、大倉喜八郎・浅野総一郎等ト東京青山ニ青山製氷会社ヲ起シ、技師西川虎之助ヲシテ之ニアタラシム。然レドモ計画十分ナラズ、二十五年ニ至リテ廃止ス。 | |
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明治29年6月20日 (1896年) | 第15巻 p.325(DK150027k) 栄一、奥三郎兵衛・渡辺治右衛門其他二十一名ト共ニ東京建物株式会社ヲ発起シ、是日創立発起人会開カル。 | |
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明治29年6月 (1896年) | 第15巻 p.326-336(DK150028k) 星野錫・大川平三郎・藤山雷太等王子製紙株式会社ノ深川・横浜両分工場ヲ譲受ケ東京印刷株式会社ヲ設立ス。栄一株主ニシテ相談役タリ。 | |
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明治29年12月28日 (1896年) | 第15巻 p.337(DK150029k) 是ヨリ先栄一、田中源太郎・浜岡光哲外十一名ト北海道産出ノ亜麻ニヨリ油ヲ製スル亜麻仁油製造会社ノ設立ヲ発起セシガ、是日発起認可ヲ、尋イデ翌年七月二十二日設立認可ヲ受ク。 | |
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明治32年2月10日 (1899年) | 第15巻 p.338-346(DK150030k) 是日、郷誠之助・国島光方、日本鉛管製造株式会社創立ヲ出願ス。栄一、中上川彦次郎・益田孝等ト共ニ発起人トシテ之ヲ賛助シ、株主タリ。 | |
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明治35年2月 (1902年) | 第15巻 p.347-349(DK150031k) 是月、中井三郎兵衛個人経営ノ中井商店ヲ改メ、合名会社中井商店ヲ組織シタルガ、栄一顧問ニ依頼セラレ、毎期決算報告ヲ受ク。 | |
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明治39年1月 (1906年) | 第15巻 p.350-351(DK150032k) 栄一、東京市京橋区銀座三丁目一番地美術工芸品店生秀館ノ改組ヲ指導シ、且ツ自ラモ資ヲ出ス。 | |
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明治40年2月 (1907年) | 第15巻 p.352(DK150033k) 栄一、渡辺嘉一等ト当会社ヲ発起、創立セントス。 | |
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明治40年4月10日 (1907年) | 第15巻 p.353-359(DK150034k) 是日栄一、東京赤坂溜池三会堂ニ開催セル全国米業者大会ニ出席シ、一場ノ演説ヲナス。後チ大日本米穀会会頭ニ推サル。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
明治40年5月 (1907年) | 第15巻 p.360-361(DK150035k) 是月、沖牙太郎ノ経営セル沖商会ハ組織ヲ更メテ合資会社ト為ス。栄一有限責任社員ニシテ監査役ニ就任、四十二年六月辞任ス。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
明治41年6月7日 (1908年) | 第15巻 p.362-363(DK150036k) 是日、日本橋倶楽部ニ於テ帝国ヘツト株式会社ノ創立総会開催サレ、同社発起人ノ一人タリシ栄一総会ノ希望ニヨリ相談役ニ就任ス。翌四十二年六月辞任ス。 | |
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-- | 第15巻 p.363(DK150037k) -- | |
4章 鉱業
1節 銅
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明治8年3月6日 (1875年) | 第15巻 p.365-366(DK150038k) 是日栄一、大蔵卿大隈重信ニ書翰ヲ送リ、古河市兵衛ノ鉱山事業ニ関シテ依頼スル所アリ。 | |
明治10年10月1日 (1877年) | 第15巻 p.366-368(DK150039k) 是ヨリ先二月、古河市兵衛・志賀直道、鉱山組合ヲ組織シ、副田欣一所有ノ足尾銅山ヲ譲受ケントス。銅山ノ債権者岡田平馬異議ヲ唱フ、栄一三者ノ請ニ依リテ仲裁シ銅山ヲ組合ニ譲渡サシム。是日、工部卿伊藤博文ヨリ仮坑区券ヲ下付セラル。 | |
明治13年1月1日 (1880年) | 第15巻 p.369-373(DK150040k) 是日栄一、古河市兵衛・志賀直道ノ組織セル足尾銅山組合ニ加盟シ、新ニ作成セラレタル協約書ニ調印ス。 | |
明治16年12月4日 (1883年) | 第15巻 p.373-375(DK150041k) 是日古河市兵衛・志賀直道ノ間ニ特約成立シ、栄一ソノ約定書ニ承諾ノ記名調印ヲナス。 | |
明治21年6月 (1888年) | 第15巻 p.375-379(DK150042k) 是ヨリ先、志賀直道足尾銅山組合ノ持分ヲ古河市兵衛ニ譲渡ス。是月栄一モ亦之ヲ譲渡ス。是ニ於テ爾後同銅山ハ全ク古河一人ノ経営トナル。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
-- | 第15巻 p.380(DK150043k) -- | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
-- | 第15巻 p.380-383(DK150044k) -- | |
2節 石炭
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
明治17年8月 (1884年) | 第15巻 p.384-387(DK150045k) 浅野総一郎等ト共ニ盤城炭礦社ヲ設立ス。栄一会長タリ。此後重任シテ明治二十六年十一月二十四日ニ至ル。 | |
明治25年9月29日 (1892年) | 第15巻 p.388(DK150046k) 是ヨリ先、鉱業条例発布セラル。盤城炭礦社乃チ同条例ニ依リ株主総代浅野総一郎ノ名義ヲ以テ借区ノ特許ヲ出願シタルニ政府当社ヲ一個ノ法人ト認メズ、因リテ是日栄一、浅野総一郎ト共ニ個人ノ名義ヲ以テ鉱業人ト為ルノ件ヲ決議シ、尋イデ借区特許証ヲ得テ之ヲ盤城炭礦社ニ経常セシム。 | |
明治26年11月24日 (1893年) | 第15巻 p.388-398(DK150047k) 盤城炭礦社、商法ノ施行ニ依リ磐城炭礦株式会社ト改称ス。是日栄一取締役会長ト為ル。爾来明治四十二年六月六日辞任ニ至ルマデ会長タリ。 翌二十七年十一月嚮ニ浅野総一郎ト共ニ個人トシテ得タル借区特許証ヲ当会社ニ譲渡ス。 | |
明治42年6月6日 (1909年) | 第15巻 p.398-403(DK150048k) 是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社取締役会長ヲ辞ス。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
明治22年6月 (1889年) | 第15巻 p.404-408(DK150049k) 是ヨリ先、明治二十一年五月栄一、益田孝ト連署シテ豊前国田川郡下ノ石炭採掘ヲ福岡県知事ニ出願セシモ「県内炭田ノ儀ハ目今専ラ取調中ニシテ借区出願一般ニ差留有之」トシテ却下サル。 是月、福島良助等当会社ヲ創立シ、栄一相談役ニ挙ゲラル。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
明治30年5月7日 (1897年) | 第15巻 p.409-424(DK150050k) 是日栄一、浅野総一郎等ト共ニ東京府知事ヲ経テ農商務大臣ヘ長門無煙炭礦株式会社設立ノ発起認可申請書ヲ提出シ七月二日認可セラル。尋イデ十月一日設立免許ヲ申請シ同十五日付許可セラル。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
明治30年 (1897年) | 第15巻 p.425(DK150051k) 是年栄一、浅野総一郎・坂市太郎等ト藤原炭礦会社ヲ創立ス。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
明治34年9月4日 (1901年) | 第15巻 p.426-429(DK150052k) 是日、茨城採炭会社創立、栄一相談役ニ推サル。 | |
明治42年1月31日 (1909年) | 第15巻 p.429-430(DK150053k) 茨城採炭株式会社専務取締役阿部吾市、書ヲ栄一ニ呈シ、当会社ノ基礎既ニ固ク復タ栄一ヲ煩ハスヲ須ヰザルヲ以テ、其相談役ヲ罷メ以テ労ヲ少クセンコトヲ請フ。栄一之ニ従フ。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
明治39年5月25日 (1906年) | 第15巻 p.431-440(DK150054k) 是日栄一、石狩石炭株式会社準創立総会ニ於テ議長席ニ就キ、重要案件ヲ議了シ、尋イデ顧問役ヲ依嘱セラル。四十二年六月ニ至リ同役ヲ辞任ス。 | |
3節 石油
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
明治29年9月24日 (1896年) | 第15巻 p.441-461(DK150055k) 栄一、梅浦精一等ト共ニ北越石油株式会社設立発起人トナリ、是日創業総会ニ於テ相談役トナル。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
明治35年2月 (1902年) | 第15巻 p.462-467(DK150056k) 是月当会社、北越石油株式会社外数十ノ石油会社ヲ合併ス。是ニ於テ越後地方石油業ノ合同成ル。大隈・松方両伯爵並ビニ栄一ノ勧告斡旋スル所ナリ。 | |
4節 其他ノ鉱業
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
-- | 第15巻 p.468(DK150057k) -- | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
-- | 第15巻 p.468-470(DK150058k) -- | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
-- | 第15巻 p.470(DK150059k) -- | |
5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
明治7年1月 (1874年) | 第15巻 p.471-480(DK150060k) 栄一、渋沢喜作・古河市兵衛・福田彦四郎等ト共ニ柳林農社ヲ興シ、栃木県芳賀郡柳林村ノ地ヲ開墾シテ養蚕・製茶ノ事業ヲ行フ。八年一月小野組閉店ニヨツテ古河市兵衛脱社ス。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
明治7年 (1874年) | 第15巻 p.481-488(DK150061k) 郷里ノ親戚故旧聯成社ヲ結ビテ茶園ヲ栽培ス。栄一出資シテ之ヲ助ク。然レドモ経営意ノ如クナラズ数年ノ後解散ス。栄一ソノ土地ヲ引受ケテ松苗ヲ植ウ。面積十三町歩、岡部山林コレナリ。 | |
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明治13年2月 (1880年) | 第15巻 p.489-498(DK150062k) 是ヨリ先明治十二年、栄一、益田孝等ト謀リ箱根仙石原ニ耕牧舎ヲ興ス。須永伝蔵此ガ管理ニ当リ是月開拓ニ着手ス。爾来栄一育成ニ努ム。 | |
明治14年5月1日 (1881年) | 第15巻 p.498-506(DK150063k) 是ヨリ先、勧農局ヘ緬羊貸下ヲ出願シテ許可セラレシモ、是日栄一、波多野尹政ニ書ヲ送ツテ暫時ソノ延期ヲ請フ。爾後本舎ハ良馬ノ繁殖ト乳牛ノ飼育ニ従ヒ、牛乳ヲ販売シテソノ販路ヲ拡張ス。 | |
明治19年5月28日 (1886年) | 第15巻 p.506-510(DK150064k) 栄一西下ノ途次、仙石原牧地ヲ視察シ、是日静岡ニ着ス。仍テ益田孝・渋沢喜作ニ書ヲ送ツテソノ情況ヲ報ジ、将来ノ計画ニ及ブ。尚栄一引続キコレガ育成ニ努ム。 | |
明治26年8月3日 (1893年) | 第15巻 p.510-518(DK150065k) 是日栄一須永ニ書ヲ送ツテ、商法実施ニ伴ヒ経営組織ハ更新サレシモ引続キ尽力アラン事ヲ望ム。尋イデ二十八年、用水問題ニテ須永拘囚サルル等ノ事アリシモ、牛乳及乳製品ノ販売ハ漸次伸張シテ東京市内ニ四ケ所ノ支店、他ニ六ケ所ノ支舎ヲ有スルニ至ル。 | |
明治37年8月13日 (1904年) | 第15巻 p.518-526(DK150066k) 栄一昨年末発病シ、是月予後摂養ノタメ箱根ニ在リ、是日須永伝蔵死去ス。栄一耕牧舎ノ計理ヲ簡明ナラシメ、尋イデ事業ヲ廃シテ仙石原ノ土地ハ所有スルニ止ム。 | |
明治39年10月13日 (1906年) | 第15巻 p.526-529(DK150067k) 須永伝蔵ノ功績ヲ伝エントシテ栄一主唱者トナリ益田孝他数十名ト共ニ建碑ヲ企テ、是日須永ノ郷里群馬県新田郡成塚村永昌寺ニ建碑式ヲ行フ。栄一発起人総代トシテ此ニ列ス。同碑ノ撰文並ニ書ハ栄一ノナス所ナリ。 | |
和暦(西暦) | 目次【綱文】 | 資料リスト/本文 |
明治19年7月12日 (1886年) | 第15巻 p.530-533(DK150068k) 是日栄一、益田孝・岩崎弥之助・原六郎・大倉喜八郎・安田善次郎・荘田平五郎・川田小一郎等ト共ニ北海道庁長官岩村通俊ニ招カレ、紅葉館ニテ北海道開拓ニ就キ意見ヲ徴セラル。 依ツテ同十九日銀行集会所ニ会シテ討議ヲ行ヒ、栄一該地ニ農業会社設立ノ必要ヲ説ク。 | |
明治30年4月8日 (1897年) | 第15巻 p.533-554(DK150069k) 是ヨリ先、渋沢喜作等ト十勝地方ノ未開地開拓ヲ企図シ、開墾会社設立ノ為、十勝原野三千五百万坪ノ貸下予定存置ヲ出願シタリシガ、是年二月十七日附ヲ以テ認可セラレ、同月二十三日第一回社員総会ヲ開キ起業ノ順序方法等ヲ協議ス。是日第二回社員総会ヲ開キ、設立契約書出資分担額ヲ議決シ、併セテ役員ノ選挙ヲ行ヒ、栄一業務担当社員ニ選バル。当会社ハ栄一外二十四名ノ出資ヨリナル資本金一百万円ノ合資会社ニシテ、栄一五万円ヲ分担ス。尋イデ翌三十一年一月二十九日第三回社員総会ヲ開キ、三十年度事業実況及ビ決算報告ヲナス。 | |
明治33年10月 (1900年) | 第15巻 p.554-561(DK150070k) 交通ノ不便、気候ノ寒冷、諸物資流通ノ困難等ノ悪条件ヨリシテ事業ハ著シキ支障ヲ来シ、所期ノ移民モ進捗セズ、移住者中離散スルモノ続出ス。社員ニシテ負担額未払者モ出デ、既ニ前年末ヨリ貸下地ノ一部返還、起業方法ノ延期願等ヲ行ヒ来リシガ、遂ニ是月、社員田中平八外六名ノ除名、川中源太郎外一名ノ業務担当社員解任、資本金七十万円ニ減資等ノ登記ヲ申請セリ。 | |
明治34年 (1901年) | 第15巻 p.561-566(DK150071k) 前年来ノ事業ノ不振ニ依リ、是年退社スルモノ相踵クニ至ル。是ニ於テ資本金ヲ更ニ三十六万円ニ減資スルノ決議ヲナシ、起業方法ノ変更、未開墾地一部返還等ノ策ヲ講ジ、大イニ事業ノ縮小ヲ図レリ。栄一、農場長小田信樹ヲ慰励シ事業ノ継続ニ尽力スル所大ナリ。 | |
明治36年10月28日 (1903年) | 第15巻 p.566-591(DK150072k) 出資社員更ニ脱退シ、会社ノ維持困難トナレルヲ以テ、前年ヨリ起業方法変更、札内農場処分、第四種小作人規定等ヲ設ケ、栄一先導シテ積極的改革ニ努メシガ、是日第四回社員臨時総会第一総会ニ於テ、資本金三十六万円ヲ十九万円ニ減資シ、渋沢喜作以下五名ノ除名、残留社員六名ノ出資分担額等ヲ議決ス。栄一、大倉喜八郎ト共ニ監査役ニ選定サル。 | |
明治41年8月 (1908年) | 第15巻 p.591-606(DK150073k) 明治三十六年ノ会社起業方法変更及ビ減資以来、漸ク其実績挙リ、明治四十年九月鉄道開通シテ初メテ発展ノ基礎ヲ得タリ。是月二十三日ヨリ三日間栄一親シク農場ヲ訪ヒ、会社使用人及小作人ヲ激励シ小作人一同ニ金三百円、又当農場教育費ニ金二百円ヲ寄附ス。以来年ヲ逐ヒ当農場ノ事業着着発展スルニ至ル。 | |
明治42年6月6日 (1909年) | 第15巻 p.606-608(DK150074k) 是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社監査役ヲ辞ス。 | |
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明治21年 (1888年) | 第15巻 p.609-618(DK150075k) 是年、第一国立銀行八戸出張所ヲ廃止ス。其担保品中ニ三本木共立開墾会社ノ株式アリ、栄一自ラ之ヲ引受ケ、爾後同社ノ事業ニ参与ス。ナホ同社ヨリ割渡サレタル地所ヲ以テ自家農場ヲ経営ス。 三本木渋沢農場コレナリ。 | |
明治23年 (1890年) | 第15巻 p.618-626(DK150076k) 是年当農場開墾ヲ開始ス。 | |
明治25年3月31日 (1892年) | 第15巻 p.626-640(DK150077k) 是ヨリ先、芝崎確次郎療養旁々当開墾地視察ヲ希望ス。仍テ是日栄一、宮喜八及ビ広沢安宅宛ノ添書ヲ芝崎ニ与フ。芝崎視察後報告書ヲ呈出ス。 | |
明治28年9月6日 (1895年) | 第15巻 p.640-641(DK150078k) 是日栄一、東京ヲ発シテ東北地方ヲ巡回ノ途上、当農場ヲ視察シ、十九日帰京ス。 | |
明治40年7月5日 (1907年) | 第15巻 p.641-649(DK150079k) 是ヨリ先栄一、当農場ノ経営刷新ヲ図リ、農科大学助教授原熙ニ詢ル所アリシガ、是日改メテ農場ノ顧問ニ嘱託シ、又其推選ニヨリ滋賀県農事試験場技師金子熊一ヲ聘シテ農場長ニ任ズ。 尚コノ前後三本木開墾株式会社ノ重役間ノ紛議ヲ調停シ、其事業ヲ指導スル等尽力スル所多シ。 | |
明治41年9月2日 (1908年) | 第15巻 p.649-653(DK150080k) 是日栄一、北海道巡回ノ帰途、当農場ヲ視察ス。 | |
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明治39年8月11日 (1906年) | 第15巻 p.654-657(DK150081k) 是日栄一、大倉喜八郎等ト帝国ホテルニ於テ、当会社設立発起人会ヲ開ク。尋イデ九月二十日銀行集会所ニ於テ創立総会ヲ開キ定款其他ヲ議決シ、栄一ハ議長トシテ役員ノ指名ヲ委任セラレ、又相談役ニ推挙セラル。 | |
明治42年6月6日 (1909年) | 第15巻 p.657-658(DK150082k) 是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社相談役ヲ辞ス。 | |
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明治26年 (1893年) | 第15巻 p.659(DK150083k) 田島武平、農村ノ疲弊著シキヲ憂ヘ、之ヲ振興スベク栄一ノ指導ニヨリ力田協会ヲ組織ス。 | |
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明治39年11月 (1906年) | 第15巻 p.659-660(DK150084k) 伊藤登喜造・青山元・賀島政一等、資本金三十五万円ノ当会社ノ設立ヲ計画ス。栄一、堀田正養・徳久恒範・松平正直等ト共ニ之ヲ賛助ス。 | |
2節 水産業
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明治8年 (1875年) | 第15巻 p.661-662(DK150085k) 是ヨリ先、千葉県令柴原和、九十九里浜産出ノ干鰯ノ一手販売ヲ為スノ目的ヲ以テ県庁保護ノ下ニ当会社ヲ設立シタレドモ経営意ノ如クナラズ、同県出身ノ商人タル西村勝三ニ其局ニ当ランコトヲ懇請ス。是ヲ以テ是年勝三、栄一ト謀議ノ上之ヲ譲リ受ケ事業ヲ継承ス。其後勝三、第一銀行ヨリ資金ノ融通ヲ受ケ、本店ヲ東京ニ、支店ヲ千葉町ニ設ケ、鋭意発展ニ力メタレドモ所期ノ目的ヲ達スル能ハズ、却テ数万円ノ前貸金ヲ失ヒ間モナク解散セリ。 | |
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明治21年 (1888年) | 第15巻 p.663(DK150086k) 当会社ハ是年、奥三郎兵衛・渡辺治右衛門・大倉喜八郎等ノ創立セル所ニシテ、栄一株主タリ。 | |
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明治23年8月 (1890年) | 第15巻 p.664-667(DK150087k) 当養魚場ハ元桜田親義ノ有ナリシガ、桜田ノ歿後栄一譲受ケテ園池ト為シ、傍ラ養魚ヲ営ミ、関直之コレヲ管理ス。是月規則ヲ建テ取締役関直之ニ事務一切ヲ委任シ、監督役トシテ芝崎確次郎コレニ当ル事トセリ。 | |
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明治26年10月7日 (1893年) | 第15巻 p.668-670(DK150088k) 是日栄一、我国ノ水産業上功績アルヲ認メラレ、当水産会ヨリ有功章ヲ贈与セラル。 | |
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明治27年 (1894年) | 第15巻 p.671-674(DK150089k) 青木孝北梅道ニ於テ青木漁猟組ヲ組織シ、膃肭臍猟ヲ行フ。栄一之ヲ援助誘掖ス。 | |
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明治30年6月 (1897年) | 第15巻 p.675-677(DK150090k) 是月関直之、当会社ヲ設立ス。栄一ノ賛助スルトコロナリ。 | |
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明治39年11月15日 (1906年) | 第15巻 p.678-680(DK150091k) 資本金三百万円ヲ以テ諸水産物ノ製造並ニ重要水産物ノ漁撈、殊ニ鰮油漬缶詰ノ製造ヲ目的トスル当会社、是日創立セラル。栄一創立発起人トシテ尽力シ、創立後顧問ニ推挙セラル。 | |
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明治40年1月 (1907年) | 第15巻 p.681-682(DK150092k) 是月栄一、当会社相談役トナリ、四十二年六月六日辞任ス。 | |
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明治40年5月1日 (1907年) | 第15巻 p.683-685(DK150093k) 是日、資本金百五十万円ヲ以テ臘虎及ビ膃肭獣ノ漁獲ヲ目的トスル当会社創立セラル。栄一創立委員長タリ。 | |
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