デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
2節 女子教育
2款 財団法人東京女学館 付 女子教育奨励会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年3月30日
(1911年)
第45巻 p.5(DK450001k)
是日栄一、虎ノ門ノ東京女学館ノ卒業証書授与式ニ臨ミ、訓話ヲナス。
大正7年5月25日
(1918年)
第45巻 p.5-12(DK450002k)
是日栄一、当校ニ於ケル当校卒業生等ノ同窓会ニ出席シ、演説ヲナス。
大正7年10月30日
(1918年)
第45巻 p.12-17(DK450003k)
是日栄一、当校創立三十周年記念祝典ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
大正7年12月
(1918年)
第45巻 p.17-18(DK450004k)
是月栄一、当校経営母胎タル女子教育奨励会評議員長ニ就任ス。
大正8年秋
(1919年)
第45巻 p.18-21(DK450005k)
是ヨリ先、当校虎之門ノ校舎腐朽ノタメ、校舎新築ノ企アリテ、七年十二月建築資金募集ノ議決定ス。仍ツテ栄一、是年秋神田乃武・長崎省吾ト連名ニテ、校舎建築資金募集趣意書ヲ各方面ニ発送ス。
大正12年11月12日
(1923年)
第45巻 p.21-27(DK450006k)
是ヨリ先、四月三十日、当校新校舎敷地トシテ、宮内省ヨリ羽沢御料地ヲ貸与セラレ、ソノ地ニ校舎新築準備中、九月一日ノ関東大震火災ニ遭ヒ、虎ノ門校舎焼失ス。仍ツテ前記校舎新築資金流用及ビ文部省ノ低利資金ヲ以テ同御料地内ニ仮校舎ヲ設ケ、是日ヨリ授業ヲ開始ス。栄一、女子教育奨励会評議員長トシテ尽力ス。
大正13年3月
(1924年)
第45巻 p.27-30(DK450007k)
是ヨリ先、十二年十二月、館長神田乃武逝去ス。是年一月、栄一評議員長トシテ館長事務ヲ取扱ヒ、是月、館長ヲ兼摂ス。
大正15年3月30日
(1926年)
第45巻 p.30-32(DK450008k)
是日栄一、当校第三十五回卒業式ニ臨ミ、館長トシテ卒業証書ヲ授与シ、併セテ訓示ヲナス。
昭和3年10月30日
(1928年)
第45巻 p.32-37(DK450009k)
是日、当校校舎新築落成並ニ創立四十周年祝賀式ヲ挙行ス。栄一館長トシテ式辞ヲ述ブ。
昭和4年11月18日
(1929年)
第45巻 p.37-40(DK450010k)
是日、当校幹事西田敬止ノ校葬当校講堂ニ於テ挙行セラル。栄一弔辞ヲ述ブ。
昭和5年6月18日
(1930年)
第45巻 p.40-41(DK450011k)
是日、東伏見宮大妃周子殿下当校ヘ来臨アリ、栄一案内ス。
昭和5年9月5日
(1930年)
第45巻 p.41-46(DK450012k)
是日、当校財団法人設立認可サレ、栄一、理事長ニ就任ス。館長兼会計監督故ノ如シ。組織変更ト共ニ女子教育奨励会解散セラレ、同会会員ハ財団法人東京女学館賛助員トナル。
昭和6年11月15日
(1931年)
第45巻 p.46-47(DK450013k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、全校生徒沿道ニ堵列シテ送葬シ、生徒総代青山斎場ノ葬儀ニ列シ、副館長西河竜治弔詞ヲ贈ル。
3款 跡見高等女学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年5月9日
(1909年)
第45巻 p.48(DK450014k)
是日、日本橋倶楽部ニ於テ、当校創立三十五年記念会並ニ校長跡見花蹊古稀祝賀会開催セラル。栄一祝辞ヲ贈ル。次イデ八月、栄一当校ノ顧問トナリ、在任大正六年七月ニ至ル。
大正8年5月25日
(1919年)
第45巻 p.48-49(DK450015k)
是日、上野精養軒ニ於テ、当校名誉校長跡見花蹊八十賀宴開催セラル、栄一、祝辞ヲ贈ル。
尚、後年跡見花蹊記念校債募集ニ応ズ。
4款 京華高等女学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年10月10日
(1910年)
第45巻 p.50-52(DK450016k)
是日栄一、当校講堂ニ於テ、生徒ニ対シ訓話ヲナス。
大正元年10月18日
(1912年)
第45巻 p.52(DK450017k)
是日栄一、当校ヲ参観シ、生徒ニ対シ訓話ヲナス。
大正2年2月6日
(1913年)
第45巻 p.52(DK450018k)
是日、当校父兄懇話会開催セラル。栄一之ニ臨ミ、講話ヲナス。
大正2年12月7日
(1913年)
第45巻 p.52-53(DK450019k)
是日、当校第四回校友会開催セラル。栄一之ニ臨ミ、訓話ヲナス。
大正4年3月28日
(1915年)
第45巻 p.53(DK450020k)
是日、当校卒業式挙行セラル。栄一之ニ臨ミ、訓話ヲナス。
5款 女子英学塾(津田英学塾)
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年3月29日
(1911年)
第45巻 p.54(DK450021k)
是日栄一、当塾卒業式ニ臨ミ祝辞ヲ述ブ。
大正14年7月29日
(1925年)
第45巻 p.54-63(DK450022k)
是日栄一、当塾復興資金ニ金二千円ヲ寄付ス。大正十五年二月二十四日、ナーシッサ・シー・ヴァンダーリップ、アメリカ合衆国ニ於ケル右資金募集ノ情況ヲ報ジ、次イデ十一月十日、アンナ・シー・ハツホン、栄一ノ寄付ニ対シ礼状ヲ送ル。栄一ソレゾレニ返書ヲ発ス。
6款 女子美術学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年1月16日
(1919年)
第45巻 p.64(DK450023k)
是日栄一、当校ニ至リ寄付金勧募ニツキ協議シ、引続キ尽力スル所多シ。
7款 神戸女学院
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和2年12月14日
(1927年)
第45巻 p.65-68(DK450024k)
是日、当学院院長ミス・デフォレスト、栄一ヲ訪ヒ、当学院拡張ノ資ヲアメリカ合衆国ニ需メルタメノ推薦ノ辞ヲ依頼ス。井深梶之助之ヲ起草ス。
8款 財団法人日本女子高等商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和3年1月25日
(1928年)
第45巻 p.69-72(DK450025k)
是ヨリ先、日本女子商業学校当局者、女子高等商業学校ヲ設立セントシ、是日、校長嘉悦孝子栄一ヲ訪レ、援助ヲ請フ。栄一、日本女子高等商業学校建設後援会発起人タルコトヲ諾シ、且ツ建設資金若干円ヲ寄付ス。
昭和4年11月14日
(1929年)
第45巻 p.72-73(DK450026k)
是日栄一、当校顧問トナリ、在任歿年ニ及ブ。
9款 普連土女学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和3年11月
(1928年)
第45巻 p.74-79(DK450027k)
是ヨリ先、大正十一年十月、当校関係有志、普連土女学校後援会ヲ設立ス。是年当校創立四十年ニ当ルヲ記念シ、同後援会第一事業トシテ、記念体育館ヲ建設ス。是月、栄一金五百円ヲ寄付ス。
10款 第一女子商業学院
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和4年7月6日
(1929年)
第45巻 p.80-81(DK450028k)
是年四月、当校開校セラル。是日栄一、当校資金トシテ金千円ヲ寄付ス。
11款 川村女学院
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和4年7月17日
(1929年)
第45巻 p.82-86(DK450029k)
是ヨリ先昭和三年十二月九日、栄一、当学院鶴友会講演部主催第十六回講演会ノタメニ講演ノ約有リシモ、老齢ノタメ阪谷芳郎代理ス。是日、当学院院長並ニ父兄・職員・生徒代表、飛鳥山邸ニ来ル。栄一訓話ヲナス。
12款 其他 1. 日本女子美術学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第45巻 p.87(DK450030k)
--
12款 其他 2. 夕陽丘高等女学校・清水谷高等女学校・梅花高等女学校・梅田高等女学校・山陽高等女学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年5月5―9日
(1911年)
第45巻 p.87-89(DK450031k)
是日栄一、日本女子大学校拡張資金募集ノ為、関西旅行ノ途次、夕陽丘高等女学校・清水谷高等女学校・梅花高等女学校・梅田高等女学校・山陽高等女学校ノ各校ヲ参観シ生徒ニ対シ訓話ヲナス。
12款 其他 3. 山脇高等女学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正4年3月23日
(1915年)
第45巻 p.89(DK450032k)
是日栄一、当校第八回卒業式ニ臨ミ、訓話ヲナス。
12款 其他 4. 大日本婦人教育会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正5年5月20日
(1916年)
第45巻 p.89-94(DK450033k)
是日、芝区高輪毛利公爵邸ニ於テ、当会総会開催セラル。栄一、之ニ臨ミ演説ヲナス。
12款 其他 5. 立教高等女学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正7年3月26日
(1918年)
第45巻 p.94-95(DK450034k)
是日栄一、当校第十回卒業式ニ臨ミ、訓話ヲナス。
12款 其他 6. 東京女子大学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正7年4月30日
(1916年)
第45巻 p.95(DK450035k)
是日栄一、当校開校式ニ列シ、祝辞ヲ述ブ。
12款 其他 7. 武蔵野女子大学設立計画
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正14年
(1925年)
第45巻 p.95-98(DK450036k)
是ヨリ先、高楠順次郎ハ武蔵野女子大学創設ヲ計リ、先ヅソノ付属トシテ武蔵野女子学院ヲ大正十三年四月開校ス。是年栄一、当校創立顧問トナル。
12款 其他 8. 昭和女子大学設立計画(京都)
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和4年8月28日
(1929年)
第45巻 p.98-104(DK450037k)
是日、辻内新太郎・甲斐久子等、箱根小涌谷ノ三河屋旅館ニ滞在中ノ栄一ヲ訪ヒ、当校設立計画ヲ述ベ、ソノ顧問タランコトヲ請フ。翌九月、栄一之ヲ承諾ス。
12款 其他 9. 向山寮
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和6年
(1931年)
第45巻 p.104-106(DK450038k)
是ヨリ先、丸山千代、東京遊学ノ女子学生ノ補導ヲ目的トシ、当寮ノ建設ヲ計画ス。栄一其趣旨ニ賛シ、是年資金トシテ金五百円ヲ寄付ス。
3節 其他ノ教育関係
1款 埼玉学友会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年9月4日
(1910年)
第45巻 p.107(DK450039k)
是日栄一、当会川越支部ノ講演会ニ臨ミ、演説ヲナス。
明治44年2月11日
(1911年)
第45巻 p.107-114(DK450040k)
是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ、演説ヲナス。
明治45年2月11日
(1912年)
第45巻 p.114-117(DK450041k)
是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ、演説ヲナス。
大正2年2月11日
(1913年)
第45巻 p.117-123(DK450042k)
是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ、演説ヲナス。
大正3年2月11日
(1914年)
第45巻 p.123-127(DK450043k)
是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ、演説ヲナス。
大正4年2月11日
(1915年)
第45巻 p.127-135(DK450044k)
是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ、演説ヲナス。
大正6年2月11日
(1917年)
第45巻 p.135-141(DK450045k)
是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ、演説ヲナス。
大正7年2月11日
(1918年)
第45巻 p.141-145(DK450046k)
是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ、演説ヲナス。
大正7年10月31日
(1918年)
第45巻 p.145-149(DK450047k)
是日、当会ノ三十周年記念祝賀会、飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一出席シ、演説ヲナス。
大正8年2月11日
(1919年)
第45巻 p.149-153(DK450048k)
是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ演説ヲナス。
大正9年2月11日
(1920年)
第45巻 p.153-157(DK450049k)
是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ、演説ヲナス。
大正10年2月11日
(1921年)
第45巻 p.157-162(DK450050k)
是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ、演説ヲナス。
大正11年2月11日
(1922年)
第45巻 p.162-165(DK450051k)
是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ、演説ヲナス。
大正12年6月10日
(1923年)
第45巻 p.165-167(DK450052k)
是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ、演説ヲナス。
大正13年6月8日
(1924年)
第45巻 p.167-173(DK450053k)
是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ、演説ヲナス。
昭和2年10月30日
(1927年)
第45巻 p.173-177(DK450054k)
是日栄一、飛鳥山邸ニ於ケル当会更生第一回大会ニ臨ミ、訓辞ヲナス。
昭和4年11月23日
(1929年)
第45巻 p.177-178(DK450055k)
是日、当会ノ大会飛鳥山邸ニ於テ開カル。栄一病気ノタメ尾高豊作代理トシテ出席ス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第45巻 p.178-179(DK450056k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当会ヨリ弔詞ヲ贈ル。
昭和7年1月24日
(1932年)
第45巻 p.179-183(DK450057k)
是日、当会主催ノ栄一追悼会、大塚市民館ニ於テ開カル。遺族ヲ代表シテ男篤二参列シ、謝辞ヲ述ブ。
2款 財団法人埼玉学生誘掖会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年4月30日
(1910年)
第45巻 p.184(DK450058k)
是日栄一、当会ノ茶話会ニ出席シ、演説ヲナス。
明治43年10月1日
(1910年)
第45巻 p.184-185(DK450059k)
是日栄一、当会第六回寄宿舎記念祝賀式ニ臨ミ、演説ヲナス。
明治44年3月4日
(1911年)
第45巻 p.185-186(DK450060k)
是日栄一、当会ノ茶話会ニ出席シ、演説ヲナス。次イデ五月六日、同ジク茶話会ニ出席シ、演説ヲナス。
明治44年6月24日
(1911年)
第45巻 p.186-193(DK450061k)
是ヨリ先、当会財団法人設立ノ申請ヲナシ、五月十六日認可セラル。是日、当会第一回評議員会開カレ、栄一会頭ニ推サル。
明治44年6月24日
(1911年)
第45巻 p.193-194(DK450062k)
是日栄一、当会ノ茶話会ニ出席シ、欧米漫遊ノ途ニ上ラントスル当会寄宿舎監督矢作栄蔵ノタメ、送別ノ辞ヲ述ブ。
明治44年10月1日
(1911年)
第45巻 p.194-195(DK450063k)
是日、当会新築道場落成式ヲ兼ネテ、第七回寄宿舎記念祝賀式挙行セラル。栄一出席シテ、訓示ヲナス。
明治45年3月21日
(1912年)
第45巻 p.195-198(DK450064k)
是日栄一、当会寄宿舎副監督斎藤阿具ト、埼玉県立各中学校卒業式ニ贈ル会頭ノ祝辞ニツキ協議ス。
大正元年10月6日
(1912年)
第45巻 p.198-202(DK450065k)
是日栄一、当会第二回評議員会・第三回維持員会ニ出席、終ツテ第八回寄宿舎記念祝賀式ニ臨ム。次イデ十一月二日、当会茶話会ニ出席シ、演説ヲナス。
大正2年5月18日
(1913年)
第45巻 p.202-205(DK450066k)
是ヨリ先、当会、栄一ノ発意ニヨリ渡辺世祐・八代国治ニ依嘱シテ、武蔵国出生ノ武士ノ列伝ヲ編纂シ、「武蔵武士」ト命名シテ博文館ヨリ発行セシメ、埼玉県下各小学校ニ寄贈ス。是日栄一、之ヲ皇太子殿下並ニ各皇子殿下ニ献上ス。
大正2年9月20日
(1913年)
第45巻 p.205-206(DK450067k)
是日栄一、当会茶話会ニ出席シ、演説ヲナス。次イデ十月二十六日、当会第三回評議員会・第四回維持員会ニ出席シ、終ツテ第九回寄宿舎記念式ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
大正3年9月26日
(1914年)
第45巻 p.206-213(DK450068k)
是日栄一、当会ノ茶話会ニ出席シ、支那漫遊談ヲナス。
大正3年10月31日
(1914年)
第45巻 p.213-216(DK450069k)
是日、飛鳥山邸ニ於テ、当会創立十周年記念祝賀会挙行セラル。栄一出席シ、演説ヲナス。当会ハ来会者ニ「埼玉学生誘掖会十年史」ヲ寄贈ス。
大正3年11月22日
(1914年)
第45巻 p.216-217(DK450070k)
是日栄一、当会道場ニ於テ、東京及ビ近県ニ於ケル一流剣士ノ試合ヲ催シ、観覧ス。
大正4年10月14日
(1915年)
第45巻 p.217(DK450071k)
是日栄一、当会ノ第十一回寄宿舎記念祝賀式ニ臨ミ、終ツテ記念茶話会ニ出席シ、演説ヲナス。
大正5年4月22日
(1916年)
第45巻 p.218(DK450072k)
是日栄一、当会ノ茶話会ニ出席シ、演説ヲナス。次イデ六月二十五日、当会道場ニ於ケル栄一主催ノ剣道模範試合ヲ観覧ス。
大正5年9月22日
(1916年)
第45巻 p.218-221(DK450073k)
是日栄一、当会ノ茶話会ニ出席シ、演説ヲナス。
大正5年10月29日
(1916年)
第45巻 p.221-223(DK450074k)
是日当会、評議員会・維持員会ヲ開キ、終ツテ寄宿舎創立第十二周年記念祭ニ兼ヌルニ、栄一ノ喜寿祝賀式ヲ挙行ス。栄一出席シテ演説ヲナシ、次イデ舎生総代ノ喜寿祝辞ニ対シテ答辞ヲ述ブ。
大正6年1月20日
(1917年)
第45巻 p.223-224(DK450075k)
是日栄一、当会ノ茶話会ニ出席シ、訓話ヲナス。
大正6年2月13日
(1917年)
第45巻 p.224-237(DK450076k)
是ヨリ先当会ハ、栄一ノ喜寿ヲ記念スル奨学資金ヲ募集シ、是日栄一ノ誕辰日ニ当リテ、上野精養軒ニ於テ、奨学資金贈呈式ヲ挙行ス。栄一出席シテ謝辞ヲ述ベ、之ニ金五千円ヲ加ヘテ当会ニ寄付ス。当会ハ是ヲ渋沢奨学資金ト称シテ別口資金トナス。
大正7年4月28日
(1918年)
第45巻 p.237-239(DK450077k)
是日栄一、当会ノ茶話会ニ出席ス。次イデ五月十三日、当会道場ニ於ケル剣道模範試合ヲ観覧ス。
大正7年10月5日
(1918年)
第45巻 p.239-240(DK450078k)
是日栄一、当会ノ茶話会ニ出席シ、演説ヲナス。
大正7年12月5日
(1918年)
第45巻 p.240(DK450079k)
是日栄一、当会副監督故山川弘毅ノ追悼式ニ臨ミ、弔辞ヲ述ブ。
大正8年1月8日
(1919年)
第45巻 p.240-241(DK450080k)
是日栄一、埼玉同郷会ノ請ニ応ジ、当会ニ於テ演説ヲナス。
大正8年2月2日
(1919年)
第45巻 p.241(DK450081k)
是日栄一、当会ノ茶話会ニ出席シ、演説ヲナス。
大正8年10月4日
(1919年)
第45巻 p.241-242(DK450082k)
栄一、是日開カレタル当会ノ茶話会及ビ十一月二日ノ創立記念茶話会ニ出席シ、訓話ヲナス。
大正9年2月1日
(1920年)
第45巻 p.242-243(DK450083k)
是日栄一、当会ノ茶話会ニ出席シ、訓話ヲナス。
大正9年8月
(1920年)
第45巻 p.243-244(DK450084k)
是ヨリ先、当会ハ加藤三吾ニ依嘱シテ埼玉人物誌ヲ編纂ス。是月栄一、ソノ序文ヲ書ク。
大正9年10月2日
(1920年)
第45巻 p.244-246(DK450085k)
是日栄一、当会ノ茶話会ニ出席シ、次イデ十月三十一日寄宿舎記念祝賀式ニ臨ミ、訓話ヲナス。
大正13年2月2日
(1924年)
第45巻 p.246-249(DK450086k)
是日栄一、当会ノ茶話会ニ出席シ、訓話ヲナス。爾後引続キ当会ノタメ尽力ス。
大正13年10月22日
(1924年)
第45巻 p.249-250(DK450087k)
是日栄一、渋沢事務所ニ開カレタル当会理事会ニ出席、次イデ是月二十六日当会ニ開カレタル評議員会・維持員会ニ出席ス。
大正15年5月27日
(1926年)
第45巻 p.250-252(DK450088k)
是日栄一、渋沢事務所ニ開カレタル当会理事会ニ出席、次イデ六月二十四日飛鳥山邸ニ開カレタル当会維持員会ニ出席シ、更ニ十月二十九日当会ニ開カレタル理事会等ニ出席ス。
昭和2年5月15日
(1927年)
第45巻 p.252-254(DK450089k)
是日栄一、当会ニ開カレタル定例茶話会ニ出席、更ニ十一月十七日当会ニ開カレタル維持員会・評議員会等ニ出席ス。
昭和5年5月25日
(1930年)
第45巻 p.254(DK450090k)
是日、当会ニ於テ武道庭球各部優勝カツプ争覇戦開催サレ、栄一出席ス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第45巻 p.254-259(DK450091k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当会副会頭本多静六ヨリ弔詞ヲ贈ル。
3款 埼玉学生誘掖会舎友会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正3年3月29日
(1914年)
第45巻 p.260-264(DK450092k)
是日築地精養軒ニ於テ、当会ノ発会式挙行サレ、栄一出席ス。
大正3年11月23日
(1914年)
第45巻 p.264(DK450093k)
是日栄一、芝紅葉館ニ於ケル当会秋期懇親会ニ出席ス。
大正4年5月9日
(1915年)
第45巻 p.264-265(DK450094k)
是日栄一、上野精養軒ニ於ケル当会春期懇親会ニ出席シ、演説ヲナス。
大正5年6月4日
(1916年)
第45巻 p.265(DK450095k)
是日栄一、向島百花園ニ於ケル当会春期懇親会ニ出席ス。
大正6年6月17日
(1917年)
第45巻 p.265-266(DK450096k)
是日栄一、丸ノ内中央亭ニ於ケル当会春期懇親会ニ出席シ、演説ヲナス。
大正6年12月19日
(1917年)
第45巻 p.266-267(DK450097k)
是日栄一、上野精養軒ニ於ケル当会秋期懇親会ニ出席シ、演説ヲナス。
大正7年5月26日
(1918年)
第45巻 p.267-268(DK450098k)
是日栄一、上野精養軒ニ於ケル当会春期懇親会ニ出席ス。
大正8年11月23日
(1919年)
第45巻 p.268-274(DK450099k)
是日当会、埼玉学生誘掖会寄宿舎ニ於テ、栄一ノ八十寿祝賀式ヲ挙行シ、祝賀文並ニ記念品ヲ贈リ、次イデ四谷三河屋ニ於テ懇親会ヲ開ク。栄一出席シ、謝辞ヲ述ブ。
大正10年5月31日
(1921年)
第45巻 p.274-275(DK450100k)
是日栄一、日本工業倶楽部ニ於ケル当会春期懇親会ニ出席ス。
大正11年6月9日
(1922年)
第45巻 p.275(DK450101k)
是日栄一、埼玉学生誘掖会寄宿舎ニ於ケル当会春期懇親会ニ出席ス。
大正11年11月23日
(1922年)
第45巻 p.275-276(DK450102k)
是日当会、四谷三河屋ニ於テ、本多静六・矢作栄蔵ノ帰国歓迎会ヲ兼ネテ、秋期懇親会ヲ開ク。栄一出席ス。
大正13年6月26日
(1924年)
第45巻 p.276(DK450103k)
是日当会、丸ノ内中央亭ニ於テ、山口政二代議士当選祝賀会ヲ兼ネテ、春期懇親会ヲ開ク。栄一出席ス。
昭和3年11月11日
(1928年)
第45巻 p.276-278(DK450104k)
是日当会、神田学士会館ニ於テ、栄一ノ米寿祝賀会ヲ開ク。栄一出席シ、謝辞ヲ述ブ。
昭和5年5月24日
(1930年)
第45巻 p.278-280(DK450105k)
是日栄一、当会ヨリ米寿祝賀記念トシテ贈ラレタル清水良雄ノ描ケル肖像画ヲ受領シ、同日之ヲ埼玉学生誘掖会寄宿舎ニ寄贈ス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第45巻 p.280(DK450106k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当会ヨリ弔詞ヲ贈ル。
4款 埼玉県大里郡八基村教育会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年4月4日
(1910年)
第45巻 p.281-285(DK450107k)
是日、八基尋常高等小学校ニ於テ、当教育会総会並ニ尚歯会開カレ、栄一、夫人ト共ニ出席シ、当教育会ヨリ頌徳状ヲ贈ラル。栄一謝辞ヲ述ベ、次イデ演説会ニ臨ミ演説ヲナス。
大正9年9月26日
(1920年)
第45巻 p.285-286(DK450108k)
是日、八基尋常高等小学校ニ於テ当教育会主催ノ、栄一ノ子爵陞爵祝賀式挙行セラル。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。
大正13年4月3日
(1924年)
第45巻 p.286-287(DK450109k)
是日栄一、当教育会総会ニ出席シテ演説ヲナス。
昭和2年10月22日
(1927年)
第45巻 p.287(DK450110k)
是日、埼玉県大里郡八基村北阿賀野在稲荷神社境内ニ於テ、当教育会挙行ノ桃井可堂碑除幕式行ハル。栄一参列ス。
5款 埼玉県大里郡八基尋常高等小学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年10月27日
(1911年)
第45巻 p.288(DK450111k)
是年七月、栄一当校増築費トシテ金二千円ヲ寄付セシニヨリ、是日銀杯一組下賜セラル。
大正元年10月16日
(1912年)
第45巻 p.288(DK450112k)
是年九月、栄一当校増築費トシテ金千五百円ヲ寄付セシニヨリ、是日銀杯一個下賜セラル。
大正5年12月11日
(1916年)
第45巻 p.288-289(DK450113k)
是年十一月、栄一当校実業教育基金トシテ金五千円ヲ寄付セシニヨリ、是日金杯一個下賜セラル。
大正12年11月
(1923年)
第45巻 p.289-291(DK450114k)
是月栄一、摂政宮御成婚記念事業トシテ当校校庭ニ設置セラルル御真影奉安殿建設費中ニ寄付ヲナス。
6款 埼玉県大里郡八基公民学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正14年6月27日
(1925年)
第45巻 p.292-299(DK450115k)
是ヨリ先八基村ニ於テ、渋沢子爵記念事業トシテ栄一ノ銅像建設ノ議アリシガ、栄一之ヲ辞退ス。依ツテ同村ハ右ニ代ハル事業トシテ、同村公民学校ニ公民教育基金ヲ設クルコトトシ、ソノ募集ヲナスニ決ス。是日、栄一及ビ渋沢家同族ハソノ募集ニ応ジ、栄一ハ金一万五千円、渋沢家同族ハ金一万円ノ寄付申込ヲナス。
大正14年7月1日
(1925年)
第45巻 p.299(DK450116k)
是日栄一、飛鳥山邸ニ来訪セル八基村長渋沢治太郎・公民学校長高田仙治・農会長橋本八郎次ト公民教育ノ事ニ就キ懇話シ、且ツ書籍数冊ヲ当校ニ寄贈ス。
大正14年10月30日
(1925年)
第45巻 p.300(DK450117k)
是日栄一、当校商議員吉岡耒作・富田泰三ト飛鳥山邸ニテ面会シ、公民教育ニツキ懇話ス。
大正14年12月18日
(1925年)
第45巻 p.300-301(DK450118k)
是日栄一、飛鳥山邸ニ農林省農務局長石黒忠篤・農学士加藤完治ノ来訪ヲ機トシ、当校管理者八基村長渋沢治太郎・校長高田仙治・商議員富岡耒作ヲ招キ、右二氏ノ談ヲ聞カシメ、且ツ公民教育ニツキ懇話ス。
大正15年5月16日
(1926年)
第45巻 p.301-303(DK450119k)
是日栄一、郷里血洗島ニ赴キ、当校ニ於テ生徒ニ演説ス。
昭和2年12月11日
(1927年)
第45巻 p.303-306(DK450120k)
是日、飛鳥山邸ニ於テ、当校商議員会開カル。栄一出席シテ当校ノ経営ニ関シ協議ス。
7款 明治大学
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年2月
(1911年)
第45巻 p.307(DK450121k)
是月栄一、当大学商科大学評議員タルコトヲ受諾ス。
明治44年10月14日
(1911年)
第45巻 p.307-309(DK450122k)
是日、当大学創立三十年記念式挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正6年7月2日
(1917年)
第45巻 p.309-313(DK450123k)
是日、当大学第六十二回卒業式挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第45巻 p.313(DK450124k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当校ヨリ弔詞ヲ贈ル。
8款 早稲田大学
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治45年5月17日
(1912年)
第45巻 p.314-317(DK450125k)
是ヨリ先明治四十一年、当大学総長大隈重信ニ恩賜金アリ、当大学ハ之ヲ以テ恩賜記念館ヲ其構内ニ建テ、是月初旬竣工ス。是日、皇太子殿下、大隈重信邸並ニ当大学ニ行啓アリ、栄一、大学基金管理委員長トシテ大隈邸ニ於テ拝謁ス。
大正2年10月17日
(1913年)
第45巻 p.317-322(DK450126k)
是日、当大学ニ於テ創立三十年記念式挙行セラル。栄一出席シテ、基金管理委員長トシテ報告演説ヲナス。
大正3年4月12日
(1914年)
第45巻 p.322-323(DK450127k)
是日栄一、当大学学長高田早苗ノ欧米視察ニ上ルヲ新橋駅ニ送ル。
大正3年5月21日
(1914年)
第45巻 p.323-324(DK450128k)
是日栄一、北京畿補学院ニ於ケル当大学出身中国人同窓会ノ歓迎会ニ臨ミ、謝辞ヲ述ブ。
大正4年4月25日
(1915年)
第45巻 p.324(DK450129k)
是日、飛鳥山邸ニ於テ、早稲田温交会主催ノ園遊会挙行セラレ、栄一出席シテ演説ヲナス。
大正5年11月5日
(1916年)
第45巻 p.325-326(DK450130k)
是日栄一、芝公園内ニ建設セラレタル、大隈重信銅像除幕式ニ参列シテ祝詞ヲ述ブ。
大正6年2月3日
(1917年)
第45巻 p.326-332(DK450131k)
是日当大学、帝国ホテルニ於テ春季校友大会ヲ兼ネ栄一ノ喜寿祝賀会ヲ催ス。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。又記念トシテ南薫三揮毫ノ栄一ノ肖像画ヲ当大学内ニ掲グ。
大正6年9月26日
(1917年)
第45巻 p.332-337(DK450132k)
是ヨリ先、当大学学長天野為之ノ引退ニ際シ、学園ニ紛糾ヲ生ズ。総長大隈重信病床ニ栄一・中野武営・森村市左衛門及ビ豊川良平ヲ招キ調停ヲ依嘱ス。是日栄一、当大学維持員ニ就任シ、十月五日校規改定調査委員トナリ、更ニ十一月二十八日同調査委員会長ニ推サレ、種々尽力ス。
大正6年12月16日
(1917年)
第45巻 p.337-339(DK450133k)
是日栄一、当大学校友会主催、総長大隈重信八十歳寿宴ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
大正7年6月18日
(1918年)
第45巻 p.339-343(DK450134k)
栄一、爾来当大学校規改正調査委員会長トシテ尽力シ来リシガ、是日開カレタル維持員会ハ右改定案ヲ可決ス。栄一、同会ニ出席ス。
大正7年8月6日
(1918年)
第45巻 p.343-345(DK450135k)
是日栄一、伊香保木暮武太夫旅館ニ於テ、当大学理事平沼淑郎ト会見ス。次イデ十月二十六日、平沼ノ当大学学長就任式ニ参列ス。
大正7年10月3日
(1918年)
第45巻 p.345-348(DK450136k)
是日栄一、当大学総長大隈重信ヨリ終身維持員ニ推薦セラル。次イデ是月八日、総長大隈重信ハ新旧維持員ヲ招キテ午餐会ヲ催シ、校規改定ニ関シ謝意ヲ表ス。栄一答辞ヲ述ブ。
大正7年10月27日
(1918年)
第45巻 p.348-352(DK450137k)
是日、当大学創立三十五年記念式挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正11年2月19日
(1922年)
第45巻 p.352-360(DK450138k)
是日、故当大学総長大隈重信追悼会、当大学校庭ニ於テ催サル。栄一病気静養中ノ大磯ヨリ上京シテ同会場ニ臨ミ、追悼ノ辞ヲ述ブ。
大正11年6月6日
(1922年)
第45巻 p.360-362(DK450139k)
是ヨリ先、故当大学総長大隈重信ノ遺志ニヨリ、大隈家ハ其邸宅及ビ庭園ヲ当大学ニ寄付ス。当大学当局者其記念事業トシテ大講堂建設其他ヲ計画シ、四月、故大隈侯爵記念事業後援会ヲ結成、是日、東京銀行集会所ニ発起人会開カル。栄一、同後援会会長ニ推薦セラル。
大正11年9月29日
(1922年)
第45巻 p.362-364(DK450140k)
是ヨリ先、当大学学長塩沢昌貞ヨリ、維持員会ニ校規改正案提出セラル。是日維持員会ハ、同案審議ノタメ、七名ノ委員ヲ設ケ、栄一等ヲ指名ス。栄一委員長トナリテ審議ノ結果、大正十二年三月十四日ノ臨時維持員会ニ、委員修正案ヲ提出、可決セラル。
大正11年10月20日
(1922年)
第45巻 p.364-366(DK450141k)
是日栄一、当大学創立四十周年記念式ニ臨ミ、記念講演ヲナス。
大正11年10月23日
(1922年)
第45巻 p.366-368(DK450142k)
是日栄一、故大隈侯爵記念事業後援会ノ要務ニ因リ東京ヲ発シ、大阪・神戸・京都・名古屋ヲ歴巡、二十八日帰京ス。
大正12年6月11日
(1923年)
第45巻 p.368-370(DK450143k)
是月五日、当大学研究室、思想問題ニ関シテ当局ノ臨検ヲ受ク。仍ツテ是日当大学、維持員会ヲ開キ、事件ニ対スル方針態度ニツキ決議ス。栄一出席ス。
大正13年2月15日
(1924年)
第45巻 p.370(DK450144k)
是日、国際聯盟協会早稲田大学学生支部発会式兼講演会、当大学ニ催サル。栄一、同協会会長トシテ出席、演説ヲナス。
大正13年6月10日
(1924年)
第45巻 p.371(DK450145k)
是月九日、当大学維持員会ニ於テ、前学長平沼淑郎ニ慰労金贈呈ノ件ヲ議決ス。是日栄一、同人ヨリ謝状ヲ受ク。
大正13年
(1924年)
第45巻 p.371-374(DK450146k)
是年栄一、月次ニ開カルル当大学維持員会及ビ資金管理委員会ニ尽力ス。
大正14年10月20日
(1925年)
第45巻 p.374-378(DK450147k)
是日栄一、当大学新図書館・製図教室及ビ学生ホールノ開館式ニ出席シ、祝辞ヲ述ブ。尚、爾後開カレタル数次ノ当大学維持員会ニ出席ス。
昭和2年3月24日
(1927年)
第45巻 p.378-380(DK450148k)
是日栄一、当大学維持員会ニ出席ス。会議ハ栄一ノ米寿祝賀ノタメ、島田墨仙揮毫ノ三聖之図(三幅対)贈呈ノ件ヲ可決ス。
昭和2年10月20日
(1927年)
第45巻 p.380-386(DK450149k)
是月四日、当大学基金規定及ビ基金管理委員規定廃止セラレ、栄一、基金管理委員長ノ職ヲ解カル。是日栄一、当大学創立四十五周年並ニ大隈侯記念講堂開館記念式ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。尚、当大学校友会及ビ早稲田温交会ヨリ、記念品ヲ贈ラル。次イデ栄一、「早稲田学報」式典記念号ノタメニ、感想ヲ述ブ。
昭和4年4月23日
(1929年)
第45巻 p.386-387(DK450150k)
是年二月八日、当大学維持員会ニ於テ、校規其他諸規定改正ノ件ヲ議シ、松平頼寿ヨリ右ハ欠席セル栄一ト懇談ノ要アリトノ動議出ヅ。是日高田早苗、栄一ニ宛テ該件結了ヲ報ジ謝意ヲ表スル書翰ヲ発ス。
昭和5年5月20日
(1930年)
第45巻 p.387-388(DK450151k)
是日栄一、当大学維持員会ニ出席シ、昭和四年度収支決算ノ件其他ヲ議ス。
昭和5年11月1日
(1930年)
第45巻 p.388-394(DK450152k)
是年十月ニ至リ、当大学学生同盟休校事件起ル。是日右ニツキ臨時維持員会開カレ、栄一出席ス。尚、栄一ニ調停ヲ懇請スル者アルモ応ゼズ。
昭和6年10月8日
(1931年)
第45巻 p.394-396(DK450153k)
是ヨリ先昭和五年十月、栄一当大学維持員ヲ辞セントセシモ、当大学当局者ノ懇請ニヨリ思ヒ止マル。是日栄一、維持員ヲ辞任シ、当大学ヨリ感謝状及ビ記念品ヲ贈ラル。
昭和6年11月15日
(1931年)
第45巻 p.396-397(DK450154k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当大学学生代表三百名、飛鳥山邸前ニ堵列送葬シ、教職員青山斎場ニ参列、総長田中穂積弔詞ヲ贈ル。
8款 早稲田大学 付 早稲田中学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正元年11月3日
(1912年)
第45巻 p.397-401(DK450155k)
是日栄一、当校ニ於テ催サレタル当校同窓会ニ臨ミ、講話ヲナス。
大正7年3月28日
(1918年)
第45巻 p.401-406(DK450156k)
是日栄一、当校卒業式ニ臨ミ、訓辞ヲナス。
9款 同志社大学
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年5月21日
(1911年)
第45巻 p.407(DK450157k)
是ヨリ先、栄一、日本女子大学校拡張資金募集ノタメ、関西遊説旅行ノ途ニ在リ。是日、当大学ヲ訪ヒ、学生ニ対シテ演説ヲナス。
大正3年6月13日
(1914年)
第45巻 p.407-410(DK450158k)
是ヨリ先、栄一中国視察ノ旅程ヲ了ヘ、帰京ノ途ニ在リ。是日、当大学ニ到リ、学生ニ対シテ講話ヲナス。
大正12年12月10日
(1923年)
第45巻 p.410-413(DK450159k)
是ヨリ先、当大学学長海老名弾正、当大学基金募集並ニ教授傭聘ノタメ、アメリカ合衆国ニ渡航セントシ、是日栄一ヲ訪ヒ、之ガ斡旋ヲ依頼ス。栄一、同国知己ニ対スル紹介状ヲ与フ。
10款 皇典講究所・国学院大学
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治45年6月12日
(1912年)
第45巻 p.414-418(DK450160k)
栄一、爾来顧問トシテ尽力シ来リシガ、是日開カレタル協議会ニ出席シ、当校負債整理償却ノ経過ヲ報告ス。
大正8年7月12日
(1919年)
第45巻 p.418-419(DK450161k)
是年四月、当所総裁竹田宮恒久王薨去セラル。六月二十日北白川宮成久王総裁ニ就任セラレ、是日、当所ニ於テ、総裁奉戴式並ニ当大学卒業式ヲ挙行ス。栄一参列ス。
大正12年10月25日
(1923年)
第45巻 p.419-420(DK450162k)
是年四月、当所総裁北白川宮成久王薨去セラル。依ツテ久邇宮邦彦王ニ総裁就任ヲ請願、是日承諾セラル。栄一顧問トシテコノ議ニ与ル。
大正13年12月22日
(1924年)
第45巻 p.420-421(DK450163k)
是年十一月二十五日当所及ビ当大学ノ新築竣工式挙行セラルルニ当リ、総裁久邇宮邦彦王ヨリ栄一ニ記念品ノ下賜アリ。是日、当所長一木喜徳郎ヨリ其旨伝達セラル。
11款 慶応義塾
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正4年6月6日
(1915年)
第45巻 p.422-424(DK450164k)
是日、当塾大講堂開館式挙行セラル。栄一臨席シテ講演ヲナス。
大正5年8月4日
(1916年)
第45巻 p.424-426(DK450165k)
是ヨリ先、当塾ハ医学科・同付属病院及ビ化学科新設ヲ計画シ、七月六日設立趣意書ヲ発表、是日交詢社ニ第二回設立委員会ヲ開ク。栄一出席シテ賛意ヲ表ス。
大正11年10月18日
(1922年)
第45巻 p.426-431(DK450166k)
是日、当塾ニ於テ福沢先生言行研究会開催セラル。栄一出席シテ講話ヲナス。
12款 東京帝国大学関係 1. ヘボン氏寄付講座
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正6年8月6日
(1917年)
第45巻 p.432-452(DK450167k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク、チェース・ナショナル・バンク頭取エー・バートン・ヘボン、一宮鈴太郎ニ托シテ書翰ヲ栄一ニ送リ、国際関係ノ改善ニ資スルタメ、東京帝国大学ニ、国際法及ビ国際親善ニ関スル講座新設ノ資金寄付ノ申出ヲナシ、且ソノ斡旋ヲ依頼ス。是日栄一、返書ヲ発シテ好意ヲ謝シ、爾後同大学総長山川健次郎ト協議ヲ重ヌ。ヘボン、栄一ニ、山川総長ノ提案ニ賛成ノ旨十一月四日付書翰ヲ以テ回答シ、当講座設置ノ件決定ス。
大正7年2月9日
(1918年)
第45巻 p.453-455(DK450168k)
是ヨリ先栄一、エー・バートン・ヘボンノ指定ニヨリテ、東京帝国大学総長ヨリ、当講座委員ヲ依嘱セラル。是日、東京帝国大学法科大学第三十二番教室ニ於テ、当講座開始式挙行セラレ、栄一出席シテ演説ヲナス。
大正7年2月16日
(1918年)
第45巻 p.455-458(DK450169k)
是日、東京帝国大学ニ於テ、当講座トシテ、新渡戸稲造ノ米国史及ビ美濃部達吉ノ米国憲法ノ講義開始セラル。
三月二十一日、栄一、東京銀行倶楽部ニ当講座関係者ヲ招待シテ晩餐会ヲ催ス。
大正8年5月
(1919年)
第45巻 p.458-461(DK450170k)
是ヨリ先、東京帝国大学法科大学講師高木八尺、将来当講座ノ担任者トナルガタメ、当講座寄付条件ノ趣旨ニヨリ米国憲法歴史及ビ外交ノ研究視察ノタメ、約三ケ年ノ見込ヲ以テ、アメリカ合衆国ニ出張ヲ命ゼラル。是月栄一、エー・バートン・ヘボンニ右ノ旨ヲ書通ス。
大正10年3月15日
(1921年)
第45巻 p.461-464(DK450171k)
是月、当講座寄付者エー・バートン・ヘボン、息女コーデリアヲ同伴来日シ、是日渋沢事務所ニ栄一ヲ訪問ス。三月十七日、東京銀行倶楽部ニ於テ、日本銀行総裁井上準之助主催ノヘボン招待晩餐会催サル。栄一出席シテ演説ヲナス。四月二十六日、栄一飛鳥山邸ニ於テ、招待午餐会ヲ催ス。
大正11年4月29日
(1922年)
第45巻 p.464-469(DK450172k)
是年一月二十五日、当講座寄付者エー・バートン・ヘボン、ニュー・ヨークニ於テ、交通事故ニヨリ急逝ス。是日栄一、東京帝国大学ニ於ケル、当講座講演会ニ臨ミ、追悼ノ辞ヲ述ブ。栄一、引続キ当講座ニツキ尽力ス。
昭和4年7月3日
(1929年)
第45巻 p.469-473(DK450173k)
是日、東京帝国大学大講堂ニ於テ、当講座委員会開カル。栄一出席ス。八月六日、栄一、エー・バートン・ヘボン夫人ニ書翰ヲ発シ、当講座ノ実情ヲ報告ス。
昭和5年4月9日
(1930年)
第45巻 p.473-475(DK450174k)
是月、エー・バートン・ヘボン夫人来日ス。是日栄一、同夫人宛ニ書翰ト共ニ記念品ヲ贈ル。
昭和5年6月17日
(1930年)
第45巻 p.475-480(DK450175k)
是日栄一、飛鳥山邸ニ東京帝国大学教授高木八尺ノ来訪ヲ受ケ、当講座ニツキテ懇談ス。
12款 東京帝国大学関係 2. 新聞研究室
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和3年3月3日
(1928年)
第45巻 p.480-483(DK450176k)
是日栄一、阪谷芳郎トノ連名ニテ、東京銀行倶楽部ニ於テ、東京帝国大学ニ新聞学講座設置ノ件ニ関スル発起人会ヲ催ス。
昭和3年3月10日
(1928年)
第45巻 p.483-489(DK450177k)
是日栄一、阪谷芳郎ト連名ニテ、発起人総代トシテ、東京銀行倶楽部ニ於テ、東京帝国大学ニ新聞学講座設置ノタメ、新聞研究基金募集ニ関スル一般有志者招待会ヲ催シ、希望ヲ述ブ。
昭和3年8月9日
(1928年)
第45巻 p.489(DK450178k)
是日、東京銀行倶楽部ニ於テ、東京帝国大学ニ新聞学講座設置ニ関スル協議会開催セラレ、栄一出席ス。
昭和4年1月22日
(1929年)
第45巻 p.489-493(DK450179k)
是日栄一、阪谷芳郎ト連名ニテ、寄付者総代トシテ、東京帝国大学総長小野塚喜平次ニ、新聞学研究ノタメノ奨学金寄付申込書ヲ提出ス。折返シ、同総長ヨリ栄一・阪谷芳郎ニ宛テタル、正式ニ受諾感謝ノ旨、是月三十一日付文書ヲ接受ス。二月十三日、栄一、右ノ旨ヲ関係者ニ通知ス。
昭和4年7月2日
(1929年)
第45巻 p.493-495(DK450180k)
是日栄一、東京帝国大学新聞研究基金トシテ、金五千円ヲ寄付ス。次イデ是月四日、栄一、阪谷芳郎・簗田𨥆次郎ト共ニ東京帝国大学総長小野塚喜平次ヲ訪ヒ、第一回寄付金十二万円払込ノ手続ヲナス。
昭和4年10月12日
(1929年)
第45巻 p.496-499(DK450181k)
是月一日、東京帝国大学文学部内ニ、新聞研究室開設セラル。是日、学士会館ニ於テ右開設記念披露会開催セラレ、栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
昭和7年9月24日
(1932年)
第45巻 p.499-500(DK450182k)
是日、新聞研究基金募集発起人総代渋沢栄一名義ノ第一銀行特別当座預金ヲ、簗田𨥆次郎名義ニ変更ノ手続ヲ了ル。
12款 東京帝国大学関係 3. 学士会館
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和3年5月2日
(1928年)
第45巻 p.500-504(DK450183k)
是日栄一、先ニ学士会館建築費トシテ金一万円ヲ寄付セシニ対シ、ソノ竣工ニ際シ山川健次郎・古在由直・阪谷芳郎・山田三良連署ニヨル礼状ニ接ス。次イデ九月十日、更ニ阪谷・山田連署ヲ以テ栄一ニ謝意ヲ表シ、記念品ヲ贈ル。
12款 東京帝国大学関係 4. 其他ノ資料
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--第45巻 p.504-505(DK450184k)
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13款 財団法人私立高千穂学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年5月27日
(1911年)
第45巻 p.506-507(DK450185k)
是日、当校創立第九回記念会挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
明治44年9月6日
(1911年)
第45巻 p.507(DK450186k)
是日栄一、アメリカ合衆国スタンフォード大学総長デーヴィッド・エス・ジョルダンヲ案内シテ当校ヲ参観セシム。
明治45年5月
(1912年)
第45巻 p.507-511(DK450187k)
是ヨリ先、明治四十四年、当学園ヲ財団法人ニ改組セントスルノ議起リ、栄一之ガ設立準備ノタメ尽力ス。是月、財団法人私立高千穂学校設立ノ認可ヲ得、栄一引続キ同校評議員ニ就任シ、歿年ニ及ブ。
大正元年10月12日
(1912年)
第45巻 p.511-514(DK450188k)
是ヨリ先、当校校主川田鉄弥病ム。是日、当校ニ於テ、其全快祝賀式挙ゲラル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。
大正2年10月26日
(1913年)
第45巻 p.514-516(DK450189k)
是日、当校創立満十周年記念式並ニ記念講堂開堂式挙行セラル。栄一臨席シテ演説ヲナス。
大正4年3月20日
(1915年)
第45巻 p.516-518(DK450190k)
是日栄一、当校卒業式ニ出席シテ、訓話ヲナス。
大正5年5月27日
(1916年)
第45巻 p.518-521(DK450191k)
是日、当校第十三周年創立記念式挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正5年10月22日
(1916年)
第45巻 p.521-522(DK450192k)
是日、当校ニ於テ、栄一ノ喜寿祝賀式ヲ挙行ス。栄一謝辞ヲ述ブ。
大正6年5月27日
(1917年)
第45巻 p.522-523(DK450193k)
是日、当校創立第十四周年記念式挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正7年3月20日
(1918年)
第45巻 p.523-524(DK450194k)
是日、当校卒業式挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正8年5月27日
(1919年)
第45巻 p.524-526(DK450195k)
是日、当校創立第十六周年記念式挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正10年3月20日
(1921年)
第45巻 p.526(DK450196k)
是日栄一、当校卒業式ニ出席シテ、訓話ヲナス。
大正11年5月27日
(1922年)
第45巻 p.527-528(DK450197k)
是日栄一、当校創立第十九周年記念式ニ出席シテ演説ヲナス。
大正12年3月20日
(1923年)
第45巻 p.528-530(DK450198k)
是日栄一、当校卒業式ニ出席シテ演説ヲナス。
昭和5年5月27日
(1930年)
第45巻 p.530-533(DK450199k)
是ヨリ先、当校ニ於テ、琵琶歌「青淵先生子爵渋沢栄一」ヲ作リ、福沢錦凌ニ作曲セシメ、是日当校創立第二十七周年記念会ニ際シ弾奏セシム。
昭和6年11月15日
(1931年)
第45巻 p.533-537(DK450200k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当校ヨリ弔詞ヲ贈ル。
14款 青山学院
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大正4年7月20日
(1915年)
第45巻 p.538(DK450201k)
是日、当学院監督メリマン・シー・ハリス、当院長高木壬太郎ト共ニ、栄一ヲ訪問シ、当学院ノ事ニツキ種々談話ス。
大正7年4月
(1918年)
第45巻 p.538(DK450202k)
是月栄一、当学院名誉評議員ヲ嘱託セラル。
15款 二松学舎 1. 財団法人二松義会
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明治43年5月
(1910年)
第45巻 p.539-544(DK450203k)
是ヨリ先明治四十二年七月、財団法人二松義会設立セラル。是月栄一、当会顧問ヲ依嘱セラル。
明治43年7月7日
(1910年)
第45巻 p.544-547(DK450204k)
是日栄一、華族会館ニ於テ開催セラレタル当会第一回顧問会ニ出席シ、二松学舎ノ拡張ニ資スベキ基金募集ノ議ニ与ル。後、金三千円ヲ寄付ス。
明治44年3月31日
(1911年)
第45巻 p.547-549(DK450205k)
是月二十三日、当会ニ対シ皇太子殿下ヨリ金三百円下賜アリ。是日、二松学舎講堂ニ於テ拝戴式挙行セラル。栄一之ニ臨ミテ祝辞ヲ述ブ。
明治45年5月23日
(1912年)
第45巻 p.549(DK450206k)
是日、華族会館ニ於テ、当会第二回顧問会開催セラル。栄一出席シテ基金募集ノ議ニ与ル。
大正2年7月1日
(1913年)
第45巻 p.549-550(DK450207k)
是日、華族会館ニ於テ、当会第三回顧問会開催セラル。栄一出席シテ協議ニ与ル。
大正5年4月30日
(1916年)
第45巻 p.550-556(DK450208k)
是ヨリ先、大正四年七月二十四日、天皇陛下ヨリ二松学舎維持費トシテ内帑金一万円ノ下賜アリ、是日、築地水交社ニ於テ、恩賜金奉戴式ヲ兼ネ、二松学舎創立四十年記念式挙行セラル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。
大正6年5月2日
(1917年)
第45巻 p.556-557(DK450209k)
是ヨリ先、大正五年十二月七日当会会長理事入江為守辞任ニツキ、同月十二日開催ノ評議員会決議ニ基キ、栄一後任ヲ委嘱セラレ、是年三月十日承諾ス。是日栄一、麹町区富士見軒ニ於テ開カレタル新旧会長送迎会ニ臨ミ、挨拶ヲ述ブ。
大正6年6月3日
(1917年)
第45巻 p.557-560(DK450210k)
是日、赤坂三会堂ニ於テ、当会主催中洲先生米寿祝賀会開催セラル。栄一、当会会長トシテ出席シ、祝辞ヲ述ブ。
大正6年8月7日
(1917年)
第45巻 p.560-561(DK450211k)
是日、当会会員総会開催セラレ、評議員改選ノ結果、栄一当会評議員ニ推挙セラル。
大正7年8月2日
(1918年)
第45巻 p.562-563(DK450212k)
是日、当会評議員会開催セラレ、理事及ビ会長改選ノ結果、栄一再ビ会長・理事ニ選任セラレ、九月二十一日就任ヲ承諾ス。
大正7年12月26日
(1918年)
第45巻 p.563-566(DK450213k)
是ヨリ先、当会ニ於テ二松学舎拡張資金募集ノ計画アリ。是日、天皇陛下ヨリ金五千円下賜セラル。栄一、宮内省ニ出頭シテ右御沙汰書並ニ御下賜金ヲ受領ス。
大正8年5月15日
(1919年)
第45巻 p.566-568(DK450214k)
是年、三島毅ハ九十歳、栄一ハ八十歳ニ達セルヲ以テ、当会ニ於テ祝賀会開催ノ計画アリシガ、是月十二日三島毅逝去ス。是日栄一、青山斎場ニ臨ミテ弔辞ヲ述ブ。
15款 二松学舎 2. 財団法人二松学舎
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年8月29日
(1919年)
第45巻 p.568-572(DK450215k)
是年六月二十五日、二松義会評議員会ヲ開催、二松義会並ニ二松学舎ヲ合併シ、新ニ財団法人二松学舎ト改組スルノ件ヲ議決、同日文部大臣ニ申請ス。是日、其認可ヲ得、改正寄付行為ノ付則ニ基キ、栄一、新ニ舎長・理事ニ選任セラレ、十月一日、就任ス。
大正8年12月14日
(1919年)
第45巻 p.572-576(DK450216k)
是ヨリ先、恩賜金並ニ寄付金ニ拠リテ着工セル、当学舎改築第一期工事タル講堂ノ新築落成シ、恩賜講堂ト命名ス。是日、開堂式挙行セラル。栄一病気ノタメ欠席、理事尾立維孝代理トシテ挨拶ヲ述ブ。
大正9年11月6日
(1920年)
第45巻 p.576-579(DK450217k)
是日、麹町区富士見軒ニ於テ、当学舎主催栄一八十寿祝賀会開催サル。栄一病気ノタメ、嫡孫敬三代理トシテ出席ス。
大正11年10月8日
(1922年)
第45巻 p.579-581(DK450218k)
是日、当学舎恩賜講堂ニ於テ、孔子卒後二千四百年記念祭典挙行セラル。栄一出席シテ講演ヲナス。
大正12年4月
(1923年)
第45巻 p.581(DK450219k)
是ヨリ先、当学舎ハ漢学講義録ノ刊行ニ着手、栄一之ガタメニ論語全篇ノ講義ヲ担当シ、是月開講、十四年九月ニ至リ完了ス。当学舎出版部ハ同年十月二十三日、右筆記ヲ合冊シ「論語講義」(乾坤二巻二冊)ト題シテ発行ス。
大正12年8月1日
(1923年)
第45巻 p.581-585(DK450220k)
是年六月、文部省ノ招集セル第二回全国中学校長会議ニ於テ、漢文科廃止ニ関スル案件可決サレ、之ヲ文部大臣ニ上申ス。栄一、当学舎ノ主脳者ニ諮リ、之ニ対スル反対意見ノ陳情ヲ決シ、是日栄一、文部省ニ文部大臣ヲ訪ヒテ建議書ヲ手交ス。更ニ当学舎ヨリ反対意見書ヲ印刷シテ頒布ス。
大正12年10月6日
(1923年)
第45巻 p.585-588(DK450221k)
是日、当学舎恩賜講堂ニ於テ臨時評議員会開催セラレ、関東大震火災ノ善後策ヲ協議ス。栄一、舎長トシテ出席シ、議事ヲ主宰ス。
大正13年6月3日
(1924年)
第45巻 p.588-590(DK450222k)
是年二月、当学舎学長三島復ノ逝去ニヨリ、名誉教授児島献吉郎学長ニ就任ス。栄一、三島広ヲ監事ニ推薦セントシ、五月三日評議員会ヲ招集シテ寄付行為中改正ノ件ヲ議決、文部省ニ申請シテ同月二十三日認可ヲ受ク。是日栄一、評議員会ヲ招集シ、三島広ヲ監事ニ選任ス。
大正15年7月2日
(1926年)
第45巻 p.590-592(DK450223k)
是日、当学舎事務所ニ於テ臨時評議員会開催、栄一出席シテ当学舎創立五十年式典挙行及ビ教務拡張ノ件並ニ寄付行為改正ノ件ヲ可決ス。次イデ九日、寄付行為改正ニ関スル認可ヲ文部大臣ニ申請シ、九月一日ソノ認可ヲ得。
大正15年10月7日
(1926年)
第45巻 p.592-600(DK450224k)
是ヨリ先、当学舎ハ創立五十年記念事業トシテ、国語漢文科中等教員養成ヲ目的トスル専門学校設立ノ議ヲ決ス。是日栄一、其資金募集ノタメ、飛鳥山邸ニ財界有力者ヲ招待シテ援助ヲ請ヒ、且ツ服部金太郎外八名ノ拡張委員ヲ指名ス。栄一ハ金一万円ノ寄付申込ヲナス。尚、十一月九日金千円ノ御下賜金アリ。
大正15年10月10日
(1926年)
第45巻 p.600-601(DK450225k)
是日、当学舎恩賜講堂ニ於テ、創立五十年記念式ヲ挙行ス。栄一出席シテ式辞ヲ述ブ。
昭和2年1月5日
(1927年)
第45巻 p.601-605(DK450226k)
是ヨリ先、大正十五年六月、当学舎学長児島献吉郎辞任ス。栄一、第七高等学校講師山田準ヲ後任ニ推シ、学長ヲ嘱託ス。是日、山田準着任ス。
昭和2年10月7日
(1927年)
第45巻 p.605-609(DK450227k)
是日、当学舎ニ於テ、二松学舎専門学校設立ノタメ、寄付行為改正ノ件其他ニ関シ臨時評議員会ヲ開催、栄一舎長トシテ議事ヲ主宰ス。
昭和3年2月9日
(1928年)
第45巻 p.609-613(DK450228k)
是日、文部大臣ヨリ二松学舎専門学校設立ノ認可ヲ得、栄一、舎長トシテ之ヲ関係方面ニ報告ス。
四月二十一日開校式ヲ挙行ス。
昭和3年12月5日
(1928年)
第45巻 p.613-618(DK450229k)
是日栄一、二松学舎専門学校ニ到リ、学生ノタメニ講話ヲナス。
昭和4年5月12日
(1929年)
第45巻 p.618-619(DK450230k)
是日、当学舎講堂ニ於テ、中洲先生十年祭並ビニ雷堂先生五年祭祭典挙行セラル。栄一病気ノタメ代理トシテ高田利吉出席ス。
昭和4年10月10日
(1929年)
第45巻 p.619-624(DK450231k)
是日、当学舎創立記念日ニ際シ、当学舎講堂ニ於テ、記念式ニ併セ、教授池田四郎次郎勤続四十年謝労式挙行セラル。栄一之ニ臨ミテ講話ヲナス。
昭和4年11月2日
(1929年)
第45巻 p.624-626(DK450232k)
是年六月二十八日開催ノ評議員会席上、隣地買収ノ件ヲ議決ス。是日、臨時評議員会ヲ開催シ、二松学舎専門学校ノ道場及ビ銃器庫等ノ増築工費起債ノ件ヲ議決ス。栄一両度ニ渉リ舎長トシテ議事ヲ主宰ス。
昭和6年4月27日
(1931年)
第45巻 p.626-628(DK450233k)
是ヨリ先、昭和五年六月五日、文部大臣ヨリ二松学舎専門学校ニ対シ、高等学校高等科若クハ大学予科ト同等以上ト指定セラレシガ、是日、文部省告示第百九十一号ヲ以テ、同校昭和六年三月以降ノ卒業者ニ対シ、中等教員漢文科無試験検定ノ取扱ヲ許可セラル。栄一之ニ尽力ス。
昭和6年12月1日
(1931年)
第45巻 p.628-640(DK450234k)
是年十一月十一日、栄一歿ス。当学舎学長山田準・理事国分三亥並ニ生徒総代等弔問、十五日葬儀ニ際シテハ、生徒一同葬列ヲ送リ、理事佐倉孫三二松学舎代表トシテ青山斎場ニ於テ弔辞ヲ贈ル。是日、当学舎講堂ニ於テ追悼式ヲ挙行ス。又是月二十日発行ノ当学舎校誌「二松」第七号ヲ『青淵先生追悼号』トス。