大正9年4月23日 (1920年) | 第36巻 p.368-391(DK360155k) 是日、当協会発起人会、築地精養軒ニ開カル。栄一出席シテ座長トナリ、挨拶ヲ述ブ。次イデ会則ヲ決定シ、推サレテ会長トナリ、役員ヲ指名ス。 | |
大正9年4月29日 (1920年) | 第36巻 p.391-396(DK360156k) 是日、当協会第一回理事会、築地精養軒ニ開カレ、栄一出席ス。 | |
大正9年7月21日 (1920年) | 第36巻 p.396-398(DK360157k) 是日、当協会第四回理事会、華族会館ニ開カレ、栄一出席ス。 | |
大正9年8月10日 (1920年) | 第36巻 p.398-400(DK360158k) 是日栄一、当協会会長トシテイギリス国際聯盟協会執行委員長ロバート・セシル及ビフランス国際聯盟協会会長レオン・ヴィ・ア・ブールジョアニ対シ当協会ノ成立並ニ現状ヲ報ズ。 | |
大正9年9月13日 (1920年) | 第36巻 p.400-404(DK360159k) 是ヨリ先九月九日、当協会相談会ヲ丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開キ、栄一、徳川家達・阪谷芳郎等ト共ニ首相官邸ニ開カルベキ実業家招待会ニツキ協議ス。是日総理大臣官邸ニ実業家招待晩餐会催サレ、当協会基金募集ニツキ内閣総理大臣原敬・外務大臣内田康哉演説スル所アリ、栄一当協会会長トシテ総裁徳川家達ト共ニマタ演説ス。次イデ十七日栄一、首相原敬ヲ官邸ニ訪ヒ、国際聯盟協会聯合会議ニ派遣スベキ代表者ノ人選ニツキ打合セヲナス。 | |
大正9年9月15日 (1920年) | 第36巻 p.404(DK360160k) 是日、外務大臣内田康哉、第一回国際聯盟総会日本代表トシテ近ク渡欧スル目賀田種太郎ヲ当協会役員ニ紹介スル目的ヲ以テ、其官邸ニ午餐会ヲ開ク。栄一出席ス。 | |
大正9年9月21日 (1920年) | 第36巻 p.404-408(DK360161k) 是日、当協会第五回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、イギリス国際聯盟協会ヨリ申越セル、第一回国際聯盟総会ニ提出スベキ議案其他ニ付キ協議ス。十月一日栄一、会長ノ名ヲ以テ、イギリス国際聯盟協会執行委員長ロバート・セシルニ対シ、回答書ヲ発シ、同時ニ外務大臣内田康哉ニ対シ、右ニ関スル陳情書ヲ提出ス。 | |
大正9年10月7日 (1920年) | 第36巻 p.408-415(DK360162k) 是日、当協会第六回理事会、副会長添田寿一邸ニ開カレ、栄一出席ス。是ヨリ先十月一日、当協会相談会華族会館ニ開カル。栄一出席ス。 | |
大正9年11月27日 (1920年) | 第36巻 p.415-416(DK360163k) 当協会ハソノ趣旨・目的ヲ一般ニ普及セシメンガ為メニ十一月九日華族会館ニ都下各新聞社・通信社ノ代表者ヲ招待シテソノ尽力ヲ請ヒ、更ニ十二日神田基督教青年会館ニ発会式兼講演会ヲ開ク。両日共栄一病ノタメ欠席セリ。次イデ是日東京帝国大学法学部教室ニ講演会ヲ開ク。栄一臨席ス。 | |
大正9年12月14日 (1920年) | 第36巻 p.416-418(DK360164k) 是日、当協会第七回理事会、華族会館ニ開カル。栄一出席シテ当協会基金募集及ビ其他ノ件ヲ議ス。後、当協会主催珍田捨巳・松井慶四郎・伊集院彦吉招待晩餐会同所ニ開カレ、同ジク出席ス。 | |
大正10年2月20日 (1921年) | 第36巻 p.418-420(DK360165k) 是日、当協会第八回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ当協会基金募集ノ状況ヲ報告ス。後、前年聯合総会ニ出席セシ堀田正恒・田中館愛橘等及ビ近ク海外ニ渡航スベキ岡実等ノ歓送迎晩餐会ニ移リ、同ジク出席ス。 | |
大正10年3月22日 (1921年) | 第36巻 p.420(DK360166k) 是日、当協会主催講演会神田基督教青年会館ニ開カル。栄一臨席シテ閉会ノ辞ヲ述ブ。 | |
大正10年4月18日 (1921年) | 第36巻 p.420-426(DK360167k) 是日、当協会第十回理事会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席シテ、当協会ヲ社団法人トナスノ議ヲ可決シ、尚、定款ノ改正及ビ大日本平和協会援助ノ件等ヲ議ス。 | |
大正10年4月23日 (1921年) | 第36巻 p.426-440(DK360168k) 是日、当協会第一回総会、築地精養軒ニ開カル。栄一出席シテ其議長トナル。 | |
大正10年5月24日 (1921年) | 第36巻 p.440-442(DK360169k) 是日、当協会第十一回理事会当協会事務所ニ開カル。栄一出席シテ、諸種ノ問題ニ関シ、各特別委員ヲ任命ス。夜、当協会主催目賀田種太郎帰朝歓迎晩餐会華族会館ニ開カレ、同ジク出席ス。 | |
大正10年6月25日 (1921年) | 第36巻 p.442-450(DK360170k) 是日、第二十八回全国商業会議所聯合会東京商業会議所ニ開カル。栄一、当協会会長トシテ之ニ臨ミ、国際聯盟ニ関スル講演ヲナス。 | |
大正10年9月22日 (1921年) | 第36巻 p.450(DK360171k) 是日、当協会主催、栄一ノ渡米送別会東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。 | |
大正11年3月10日 (1922年) | 第36巻 p.450(DK360172k) 是日、当協会主催、当協会関係者帰朝歓迎晩餐会華族会館ニ開カル。栄一病気ニヨリ出席セズ。 | |
大正11年4月19日 (1922年) | 第36巻 p.450-452(DK360173k) 是日、当協会第二回総会、丸ノ内中央亭ニ開カレ、栄一出席ス。 | |
大正11年11月2日 (1922年) | 第36巻 p.452-457(DK360174k) 是日、当協会理事会、当協会事務所ニ開カレ、栄一出席ス。十七日、当協会主催国際司法裁判所判事織田万歓迎晩餐会、日本工業倶楽部ニ開カレ、同ジク出席ス。 | |
大正11年11月11日 (1922年) | 第36巻 p.457-459(DK360175k) 是日、東京市及ビ当協会他六団体ヨリ成ル平和運動日本聯盟ノ主催ニテ、第四回平和記念大会ヲ日比谷公園音楽堂ニ開ク。栄一臨席シテ、演説ヲナス。十二日、当協会主催平和成立記念講演会神田基督教青年会館ニ開カル。栄一臨席シテ講演ヲナス。 | |
大正11年12月7日 (1922年) | 第36巻 p.459-468(DK360176k) 是日、当協会主催フランス駐箚特命全権大使石井菊次郎・オランダ駐箚特命全権公使田付七太及ビ鳩山秀夫・矢作栄蔵等ノ帰朝歓迎会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。右二先立チ、臨時理事会同所ニ開カレ、同ジク出席ス。 | |
大正12年2月13日 (1923年) | 第36巻 p.468-472(DK360177k) 是日、当協会理事会及ビ第二回評議員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。後、美濃部達吉立作太郎及ビ神川彦松招待晩餐会ニ移ル。 | |
大正12年3月1日 (1923年) | 第36巻 p.472-474(DK360178k) 是日、当協会第三十四回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。後、同所ニ於テ当協会主催国際聯盟保健機関委員イギリス国人ノーマン・ホワイト及ビアメリカ合衆国人、在上海アメリカ合衆国検疫官エッチ・エフ・スミス歓迎晩餐会開カル。同ジク出席シテ司会者トシテ一場ノ挨拶ヲ述ブ。是ヨリ先二月二十七日、外務省ニ外務大臣内田康哉ヲ訪ヒ、当協会ノ事ヲ談ズ。 | |
大正12年3月13日 (1923年) | 第36巻 p.474-478(DK360179k) 是ヨリ先一月、フランス共和国軍ドイツ国ノ賠償金不払ヲ名トシテ、ルール地方ヲ占領ス。是日、第三十四回理事会ノ決議ニ基キ、栄一、当協会会長トシテ、各国ノ国際聯盟協会ニ対シテ勧告書ヲ発シ、各国ノ協会ガ各自国政府並ニ国際聯盟ニ対シ、右問題ヲ国際聯盟ノ審議ニ付スベキヲ勧奨センコトヲ求ム。是ヨリ先、同趣旨ニヨリ政府並ニ国際聯盟事務局ニ対シテ勧奨ス。 | |
大正12年3月20日 (1923年) | 第36巻 p.478(DK360180k) 是日、当協会主催貴族院及ビ衆議院議員招待晩餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。 | |
大正12年3月23日 (1923年) | 第36巻 p.478-480(DK360181k) 是日栄一、当協会会長トシテ、主ナル寄附者ヲ東京銀行倶楽部ニ招待シテ、既往三ケ年ノ年賦寄附金ヲ向後三ケ年間継続センコトヲ望ミ承認ヲ得。 | |
大正12年5月23日 (1923年) | 第36巻 p.480-481(DK360182k) 是日、当協会第三十六回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。 | |
大正12年5月30日 (1923年) | 第36巻 p.481-484(DK360183k) 是日、当協会主催アメリカ合衆国ロス・アンジェルスノ人シー・シー・ピアス及ビダブリュー・クロショー両博士講演会、神田明治会館ニ開カル。栄一、当協会会長トシテ開会ノ辞ヲ述ブ。 | |
大正12年5月31日 (1923年) | 第36巻 p.484-485(DK360184k) 是日栄一、当協会会長トシテ、内務省ニ於テ催サレタル地方長官会議ニ臨ミ、当協会成立ノ事情ヲ説明シ、且ツ其後援ヲ依頼ス。 | |
大正12年6月15日 (1923年) | 第36巻 p.485(DK360185k) 是日、当協会第三十七回理事会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席シテ、第七回国際聯盟協会聯合会議ノ議題ニ関シテ協議ス。 | |
大正12年6月20日 (1923年) | 第36巻 p.485-487(DK360186k) 是日、当協会主催特命全権大使松井慶四郎、国際聯盟常設軍事諮問委員及ビ軍備制限混成委員陸軍中将稲垣三郎、同海軍中将安保清種招待午餐会、丸ノ内中央亭ニ開カレ、栄一出席ス。次イデ当協会第三十八回理事会開カル。同ジク出席シテ、イギリス国シンガポール軍港建設問題等ニ関シテ協議シ、之ヲ四名ヨリ成ル特別委員ニ附託ス。 | |
大正12年9月18日 (1923年) | 第36巻 p.487-496(DK360187k) 去ル九月一日ノ関東大震火災ニ際シ、都下各大学及ビ各図書館ニ於テ烏有ニ帰セシ図書ノ数ハ百数十万冊ニ及ベリ。イギリス国際聯盟協会ヨリ当協会ヲ通ジテ救援ニツキ申出アリタルニヨリ、当協会ハ焼失セル図書復興ニ尽力ヲ請フ。次イデ是日駐米埴原大使宛同様依頼ヲ発シ、更ニ諸外国ノ聯盟協会並ニ聯絡団体ニ図書寄贈ヲ請フ。大正十四年二月二十日、寄贈団体ニ対シ謝状ヲ発ス。栄一当協会会長トシテ之ニ与カル。 | |
大正12年10月8日 (1923年) | 第36巻 p.496-498(DK360188k) 是日、当協会事務所ヲ芝公園内協調会館ニ移ス。 | |
大正12年10月20日 (1923年) | 第36巻 p.498-509(DK360189k) 是日、当協会主催トルコ国駐箚特命全権大使内田定槌及ビ当協会理事吉井幸蔵招待茶話会、丸ノ内中央亭ニ開カル。栄一出席ス。 | |
大正12年10月25日 (1923年) | 第36巻 p.509-523(DK360190k) 是ヨリ先、是月二十日開カルベキ当協会第三十九回理事会流会トナリ、其議題ヲ書面ヲ以テ協議ニ付ス。是日ソノ決議ニヨリ、栄一当会会長トシテ、去ル九月一日ノ関東大震火災ノ際ニ受ケタル各国ノ同情ト救護トニ対シテ、各国四十八ノ国際聯盟協会ニ宛テ、礼状ヲ発ス。 | |
大正12年11月10日 (1923年) | 第36巻 p.523-533(DK360191k) 是日、東京市及ビ当協会共同主催休戦五周平和記念大会講演会、協調会館ニ開カル。栄一出席、当協会会長トシテ閉会ノ辞ヲ述ブ。翌十一日午前、当協会・東京市・東京商業会議所及ビ東京新聞聯盟共同主催対外市民感謝デー、日比谷公園音楽堂ニ催サレ、栄一出席ス。午後、当協会並ニ東京市共同主催少年少女大会同音楽堂ニ催サル。栄一出席シテ講演ヲナス。 | |
大正12年11月24日 (1923年) | 第36巻 p.533-534(DK360192k) 是日、当協会主催ドイツ国駐箚特命全権大使日置益等招待会、帝国ホテルニ開カル。 | |
大正12年12月18日 (1923年) | 第36巻 p.534-535(DK360193k) 是日、当協会第四十回理事会ノ決議ニ基キ、国際司法裁判所規定選択条款受諾ニ就キ、栄一、当協会会長トシテ、内閣総理大臣山本権兵衛及ビ外務大臣伊集院彦吉ニ対シテ建議書ヲ提出ス。 | |
大正13年1月24日 (1924年) | 第36巻 p.535-536(DK360194k) 是日栄一、日本銀行ニ理事深井英五ヲ訪ネ、当協会ノ会計監督タランコトヲ乞ヒ、承諾ヲ得。 | |
大正13年1月29日 (1924年) | 第36巻 p.536-544(DK360195k) 是日、当協会第二十八回研究会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。 | |
大正13年2月1日 (1924年) | 第36巻 p.544-547(DK360196k) 是日、当協会第四十一回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。右理事会ノ決議ニ基キ、翌二日当協会理事井上準之助ニ対シ、リヨンニ開カルル国際聯盟協会聯合会第八回総会ニ出席センコトヲ求ム。 | |
大正13年2月8日 (1924年) | 第36巻 p.547-548(DK360197k) 是ヨリ先、アメリカ合衆国前大統領トーマス・ダブリュー・ウイルソン逝去ス。是日栄一、当協会会長トシテ弔電ヲ発ス。 | |
大正13年2月12日 (1924年) | 第36巻 p.548-549(DK360198k) 是日栄一、渋沢事務所ニ当協会幹部ヲ招集シテ、当協会ノ財政問題ヲ議ス。 | |
大正13年2月13日 (1924年) | 第36巻 p.549-556(DK360199k) 是日、当協会第二十九回研究会、当協会事務所ニ開カル。栄一、当協会会長トシテ挨拶ヲ述ブ。 | |
大正13年2月15日 (1924年) | 第36巻 p.556-558(DK360200k) 是日、当協会早稲田大学学生支部発会式兼講演会同大学ニ催サル。栄一、当協会会長トシテ演説ヲナス。 | |
大正13年3月1日 (1924年) | 第36巻 p.558-561(DK360201k) 是日、国際聯盟協会第八回聯合会総会ニ当協会ヨリ提案スベキ議題研究委員会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席ス。 | |
大正13年3月3日 (1924年) | 第36巻 p.561-562(DK360202k) 是日、当協会第三十回研究会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席シテ外務省亜細亜局長出淵勝次ノ支那問題講話ヲ聴ク。 | |
大正13年3月26日 (1924年) | 第36巻 p.562-575(DK360203k) 是日、当協会第二回地方宣伝拡張委員会、当協会事務所ニ催サル。栄一出席ス。右ニ引続キ、当協会第四十二回理事会同所ニ催サル。同ジク出席ス。 | |
大正13年4月11日 (1924年) | 第36巻 p.575-576(DK360204k) 是日、当協会第四十三回理事会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席ス。 | |
大正13年4月12日 (1924年) | 第36巻 p.576-578(DK360205k) 是日栄一、当協会会長トシテ、外務大臣松井慶四郎ニ対シ、政府ノ交附金継続願ヲ提出ス。 | |
大正13年4月18日 (1924年) | 第36巻 p.578-579(DK360206k) 是日、当協会第三十二回研究会、当協会事務所ニ開カレ、栄一出席ス。 | |
大正13年4月23日 (1924年) | 第36巻 p.579-595(DK360207k) 是日、当協会第四回通常総会日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一会長トシテ出席ス。右総会ニ於テ緊急議案トシテアメリカ合衆国千九百二十四年移民法案実施阻止ヲ同国ニ於ケル二団体ニ懇請スベキ決議案ヲ提出、議決セラレ、更ニ之ヲベルギー国ブリュッセルノ国際聯盟協会聯合会事務局並ニリヨンニ於テ開カルベキ聯合会総会ニモ電請スベキヲ議決シ、同日電報発セラル。 | |
大正13年5月7日 (1924年) | 第36巻 p.595-596(DK360208k) 是日、当協会第四十四回理事会、日本倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。引続キ、フランス共和国リヨンニ開カルベキ第八回国際聯盟協会聯合会総会ニ、当協会代表トシテ出席スル塩沢昌貞及ビ当協会理事宮岡恒次郎送別、並ニ前年度総会ヨリ帰朝シタル当協会代表乾精末・高木八尺及ビ藤沢親雄招待晩餐会ニ移ル。 | |
大正13年5月23日 (1924年) | 第36巻 p.596-601(DK360209k) 是日、当協会東京帝国大学学生支部発会式同大学ニ挙ゲラル。栄一出席シテ演説ヲナス。 | |
大正13年6月8日 (1924年) | 第36巻 p.601-606(DK360210k) 是日、当協会鳥取支部設立セラル。次イデ八月二十二日同島根支部、八月二十三日同米子支部、十一月十一日同名古屋支部、十一月十二日同京都支部、十一月十三日同神戸支部設立セラル。栄一会長トシテ尽力頗ル努ム。 | |
大正13年6月9日 (1924年) | 第36巻 p.606-610(DK360211k) 是日、当協会慶応義塾学生支部発会式同大学ニ挙ゲラル。栄一出席シテ所感ヲ述ブ。 | |
大正13年6月25日 (1924年) | 第36巻 p.610-613(DK360212k) 是日、当協会第一回宣伝委員会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席セズ。次イデ当協会第四十五回理事会同所ニ開カル。栄一出席シテ、アメリカ合衆国千九百二十四年移民法ニ対スル我国内ノ学生生徒等ノ思想善導方法ヲ協議ス。 | |
大正13年7月3日 (1924年) | 第36巻 p.613-614(DK360213k) 是日、当協会第三十三回研究会、当協会事務所ニ開カル。次イデ九日、同第三十四回研究会同所ニ開カル。栄一両日共出席ス。 | |
大正13年7月5日 (1924年) | 第36巻 p.614(DK360214k) 当協会書記大熊真、近クスウィス国ジュネーヴニ開カルル第五回国際聯盟総会日本全権随員トシテ、同地ニ出張シ、且ツ欧洲各国ニ於ケル国際聯盟協会ノ状況ヲ視察セントス。是日栄一、大熊真ニイギリス国駐箚特命全権大使林権助・フランス共和国駐箚特命全権大使安達峰一郎及ビロンドンニ在ル孫渋沢敬三等ニ対スル紹介状ヲ与フ。 | |
大正13年9月15日 (1924年) | 第36巻 p.614-615(DK360215k) 是日、当協会第三十五回研究会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席シテ、イギリス国駐在財務官森賢吾ノドイツ賠償金問題ニ関スル講演ヲ聴ク。 | |
大正13年9月18日 (1924年) | 第36巻 p.615-619(DK360216k) 是日、当協会第二回宣伝委員会東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ来ル十一月十一日平和記念日ニ於ケル宣伝及ビ婦人ニ対スル宣伝ニ就イテ協議ス。後、当協会第四十六回理事会同所ニ開カレ、同ジク出席ス。後、当協会理事井上準之助帰朝歓迎晩餐会ニ移ル。 | |
大正13年10月1日 (1924年) | 第36巻 p.619-620(DK360217k) 是日、当協会第三十六回研究会、当協会事務所ニ開カレ、栄一出席ス。 | |
大正13年10月5日 (1924年) | 第36巻 p.620-621(DK360218k) 当協会講演会、近ク宮城県・茨城県及ビ福島県下ニ開カルルニヨリ、当協会幹事青木節一ソノ準備ノタメ同地方ニ出張セントス。是日栄一、宮城県知事上田万平等ニ対スル紹介状ヲ与フ。 | |
大正13年10月13日 (1924年) | 第36巻 p.621-622(DK360219k) 是日、イギリス国ロンドンニ開カレタル、国際聯盟協会聯合会理事会ニ於テ、栄一、同聯合会副議長ニ推薦セラル。 | |
大正13年10月25日 (1924年) | 第36巻 p.622-623(DK360220k) 是ヨリ先、当協会明治大学学生支部成立シ、是日発会式ヲ同大学内ニ挙グ。栄一出席シテ講演ヲナス。 | |
大正13年10月29日 (1924年) | 第36巻 p.623-624(DK360221k) 是日、当協会第四十七回理事会、日本倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。後、当協会理事宮岡恒次郎帰朝歓迎晩餐会ニ移ル。続イテ出席ス。 | |
大正13年11月11日 (1924年) | 第36巻 p.624-627(DK360222k) 是日、当協会主催平和記念大講演会、東京商工奨励館ニ開カル。栄一出席シテ講演ヲナス。是ヨリ先八日、当協会学生支部関東聯合会主催平和記念学生講演会及ビ懇親会、上野公園内東京自治会館ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。 | |
大正13年11月18日 (1924年) | 第36巻 p.627-630(DK360223k) 是日、当協会第四十八回理事会東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。夕、当協会主催内閣総理大臣加藤高明及ビ外務大臣幣原喜重郎招待晩餐会同倶楽部ニ開カル。引続キ出席ス。十二月二日右理事会決議ニ基キ、前国際聯盟協会聯合会副議長安達峰一郎ニ対シ、栄一及ビ総裁徳川家達連署ヲ以テ感謝状ヲ贈ル。 | |
大正13年12月11日 (1924年) | 第36巻 p.630-632(DK360224k) 是日、当協会主催国際聯盟事務次長新渡戸稲造帰朝歓迎晩餐会、生命保険会社協会ニ開カル。翌十二日同人講演会日本工業倶楽部ニ開カル。 | |
大正14年1月29日 (1925年) | 第36巻 p.632(DK360225k) 是日、当協会主催、元当協会主事、新任アメリカ合衆国日本大使館参事官沢田節蔵送別茶話会、日本倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。 | |
大正14年2月6日 (1925年) | 第36巻 p.632-651(DK360226k) 是日、当協会第五十一回理事会ヲ飛鳥山邸ニ開キ、栄一出席シテ平和議定書ニ対スル当協会ノ態度ニ関スル件ヲ議決シ、次イデ国際聯盟事務次長新渡戸稲造帰任送別晩餐会ヲ催ス。 | |
大正14年2月9日 (1925年) | 第36巻 p.651-652(DK360227k) 是日ヨリ十二日マデ国際聯盟協会聯合会幹部会、ベルギー国ブリュッセルニ開カル。栄一其副議長タルニヨリ、同国駐箚特命全権大使安達峰一郎、代理トシテ出席ス。 | |
大正14年3月24日 (1925年) | 第36巻 p.652-670(DK360228k) 是日、当協会慶応義塾学生支部関係者藤原守胤、中華民国ニ赴クニツキ、栄一当協会会長トシテ同国ニ於ケル一般聯盟思想及ビ事業、殊ニ学生ノ聯盟運動ニ関スル調査ヲ委嘱ス。六月十九日藤原ソノ報告書ヲ会長宛ニ提出ス。 | |
大正14年5月1日 (1925年) | 第36巻 p.670(DK360229k) 是日、大日本平和協会解散シ、其事業ヲ当協会ニ移ス。 | |
大正14年5月11日 (1925年) | 第36巻 p.671-675(DK360230k) 是日栄一、当協会会長トシテ、当協会第五回通常総会ニ於テ可決セラレタル平和議定書ニ対スル声明ヲ、外務大臣幣原喜重郎ニ提出シ、同時ニ国際聯盟事務局長ジェームズ・イー・ドラモンド、国際聯盟協会聯合会書記長テオドール・リュイセン及ビ各国ノ国際聯盟協会宛発送ス。 | |
大正14年7月2日 (1925年) | 第36巻 p.675-680(DK360231k) 是日栄一、当協会会長トシテ、外務大臣幣原喜重郎ニ対シ、大正十五年度ニ於ケル国庫補助金下付方請願書ヲ提出ス。後、金五万円ヲ交付セラル。 | |
大正14年10月16日 (1925年) | 第36巻 p.680-682(DK360232k) 是日栄一、当協会会長トシテ、総裁徳川家達ト共ニ、内閣総理大臣加藤高明ヲ其官邸ニ訪フ。 | |