デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
3節 国際団体及ビ親善事業
1款 喜賓会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正3年3月11日
(1914年)
第36巻 p.5-10(DK360001k)
是日、喜賓会解散式帝国ホテルニ挙行セラル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
2款 日露協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年3月
(1911年)
第36巻 p.11-12(DK360002k)
是月栄一、当協会評議員ヲ嘱託セラル。又金二千円ヲ寄付シ、其特別会員トナル。在任スルコト歿年ニ及ブ。
明治44年9月26日
(1911年)
第36巻 p.12-14(DK360003k)
是日、当協会実業家招待寄付金勧誘ノ打合会華族会館ニ開カル。栄一出席シテ来賓ヲ代表シテ挨拶ヲ述ブ。二十九日、当協会寄付金募集委員会、坂本町東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。是ヨリ後屡々会合ヲ重ヌ。
明治45年6月7日
(1912年)
第36巻 p.14(DK360004k)
是日、当協会主催ロシア帝国モスクヴァ絹織物業者イヴァン・サコリコフ及ビウラース・シッチェンコフ招待晩餐会開カル。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
明治45年7月2日
(1912年)
第36巻 p.14-15(DK360005k)
是日、当協会主催ロシア帝国ハバロフスク、ハルビン両地方観光団員歓迎会、小石川区後楽園ニ催サレ、栄一出席ス。
大正5年1月15日
(1916年)
第36巻 p.15-18(DK360006k)
是ヨリ先十四日、閑院宮載仁親王ハ当協会総裁トシテロシア皇族ゲオルギー・ミハイロウィッチ太公招待午餐会ヲ同宮邸ニ催シ、栄一出席ス。是日当協会主催同太公招待晩餐会、日本銀行総裁舎宅ニ開カレ、栄一出席ス。
大正6年9月26日
(1917年)
第36巻 p.18-19(DK360007k)
是日、当協会主催遣米特派財政経済使節目賀田種太郎送別会、帝国ホテルニ開カレ、栄一出席ス。
大正6年10月26日
(1917年)
第36巻 p.19-21(DK360008k)
是日、当協会主催ロシア国銀行家コンシン招待晩餐会、華族会館ニ開カレ、栄一出席ス。
大正7年3月1日
(1918年)
第36巻 p.21(DK360009k)
是日、当協会主催アメリカ合衆国特派財政経済委員長目賀田種太郎帰朝歓迎会、帝国ホテルニ催サレ、栄一出席ス。
大正7年5月
(1918年)
第36巻 p.21-22(DK360010k)
当協会第二次基金募集ニ際シ、栄一、其委員長トシテ尽力シ、是月金二千円ヲ寄付ス。
大正7年6月27日
(1918年)
第36巻 p.22-23(DK360011k)
是日、当協会主催ロシア国実業家バトーリン招待午餐会、東京銀行倶楽部ニ開カレ。栄一出席ス。
大正7年11月25日
(1918年)
第36巻 p.23(DK360012k)
是日、当協会他四協会合同主催、欧洲大戦休戦祝賀会、帝国ホテルニ開カレ、栄一出席ス。
大正10年5月18日
(1921年)
第36巻 p.23(DK360013k)
是日、当協会主催目賀田種太郎帰朝歓迎会、当協会事務所ニ開カレ、栄一出席ス。
3款 日印協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年6月24日
(1910年)
第36巻 p.24-25(DK360014k)
是日、当協会主催、インド、モルバンジ国スリ・ラム・チャンドラ・バンジ・デオ王殿下歓迎文奉呈式、早稲田当協会会頭大隈重信邸ニ開カレ、栄一出席ス。
大正4年6月17日
(1915年)
第36巻 p.25-29(DK360015k)
是日、当協会総会、築地精養軒ニ催サル。栄一出席シテ懐旧談ヲナス。後、当協会評議員ニ推薦セラル。
大正5年5月14日
(1916年)
第36巻 p.29-33(DK360016k)
是日、当協会総会、上野精養軒ニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正6年11月23日
(1917年)
第36巻 p.33-37(DK360017k)
是日、当協会総会兼会頭大隈重信病気全快祝賀会、帝国ホテルニ開カル。栄一出席シテ祝賀ノ演説ヲナス。
大正7年4月21日
(1918年)
第36巻 p.37-42(DK360018k)
是日、当協会主催インド実業家アール・ディー・タタ歓迎茶話会大隈重信邸ニ開カル。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正7年11月9日
(1918年)
第36巻 p.42-44(DK360019k)
是日、当協会総会、早稲田大隈重信邸ニ催サル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正9年9月
(1920年)
第36巻 p.44-46(DK360020k)
是月栄一、当協会会頭大隈重信ノ推挙ニヨリ、副会頭ノ任ニ就ク。
大正11年11月14日
(1922年)
第36巻 p.46-52(DK360021k)
是日、当協会総会飛鳥山邸ニ催サル。栄一、当協会会頭ニ推サレ就任ノ辞ヲ述ブ。
大正12年3月25日
(1923年)
第36巻 p.52-53(DK360022k)
是日、当協会講演会、東京地学協会楼上ニ催サル。栄一出席シテ講演ヲナス。
大正13年2月22日
(1924年)
第36巻 p.53-55(DK360023k)
是日、栄一当協会会頭トシテ、大震災善後会会長徳川家達ニ対シ、大正十二年大震災罹災インド国人救済資金金三万円ノ補助願ヲ出ス。同月二十九日金一万円交付決定ノ由通知セラル。
大正13年6月11日
(1924年)
第36巻 p.55(DK360024k)
是日栄一、当協会副会頭大隈信常等ト共ニ、有志総代トナリ、タゴール翁歓迎会ヲ日本工業倶楽部ニ開ク。
大正13年10月27日
(1924年)
第36巻 p.55(DK360025k)
是日栄一、当協会理事増員ノ件ニ関シ、当協会理事副島八十六ヲシテ岩崎小弥太他十名ヲ訪問セシム。
大正14年2月28日
(1925年)
第36巻 p.55-59(DK360026k)
是日、当協会理事会、帝国ホテルニ開カル。栄一出席シテ当協会ノ基金募集其他ノ件ヲ協議ス。是ヨリ後、事業拡張資金募集委員ヲ指名ス。
大正14年4月23日
(1925年)
第36巻 p.59-61(DK360027k)
是ヨリ先、二月二十八日ニ於ケル当協会理事会ノ決議ニ基キ、是日、当協会ヨリインド、ヴィシュヴァ・バラティー記念図書館設立資金中ニ、二千五百余ルーピーヲ贈ル。
大正14年10月
(1925年)
第36巻 p.61-64(DK360028k)
是月栄一、当協会事業拡張ニ関シ専務理事副島八十六ヲシテ池田成彬・久原房之助他六名ヲ訪問援助ヲ乞ハシム。尚引続キ副島ヲシテ宮島清次郎他数名ヲ訪問セシメ、尽力頗ル努ム。
大正15年2月17日
(1926年)
第36巻 p.64(DK360029k)
是ヨリ先、インド国ニ於テ綿糸綿製品輸入税引上ノ議アリ。是日栄一、当協会会頭トシテ、副会頭大隈信常トノ連名ヲ以テ、同国デリーニ開会中ナル、全インド商工業者大会ニ宛テ、右引上反対ノ電報ヲ発シ、同時ニ同国ノ友人アール・ディー・タタニモ其阻止方尽力ヲ電請ス。二十二日右ニ関シ帝国ホテルニ当協会臨時理事会ヲ開キ、大阪ナル各紡績会社委員ヲ招キテ協議ス。
大正15年4月15日
(1926年)
第36巻 p.64-69(DK360030k)
当協会、インド、カルカッタニ日本商品陳列館ヲ設立セントシ、是日栄一、当協会会頭トシテ、商工大臣片岡直温ニ宛テ右ニ関スル稟議書並ニ請願書ヲ提出ス。五月一日、栄一、商工大臣ト商工省ニ於テ本件ニ就イテ懇談ス。六月二十四日改メテ請願書ヲ提出、商工省ハ七月十九日付指令ヲ以テ其設立経営方ヲ当協会ニ委嘱シ、大正十五年度ニ於テ其設立及ビ経営費補助金十九万二百余円ヲ下付ス。是ヨリ先、請願書ヲ提出スルト共ニ、栄一会頭トシテ理事中ヨリ之ニ関スル特別委員八名ヲ指名シ、協議ヲ重ヌ。
大正15年5月2日
(1926年)
第36巻 p.69-75(DK360031k)
是日、当協会事業拡張資金募集勧誘ノタメ、副会頭大隈信常、京阪地方ニ赴ク。栄一書ヲ発シテ之ヲ援ク。
大正15年7月16日
(1926年)
第36巻 p.75-79(DK360032k)
是日、当協会主催インド、マイソール国首相アルビオン・アール・バナージ歓迎茶話会、飛鳥山邸ニ催サル。栄一臨席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。次イデ二十二日、帝国ホテルニ於ケルバナージノ招待会ニ臨ム。
大正15年8月28日
(1926年)
第36巻 p.79-80(DK360033k)
是ヨリ先、インド実業家アール・ディー・タタ死去ス。是日、当協会会頭栄一ノ名ヲ以テ弔電ヲ発ス。
昭和元年12月28日
(1926年)
第36巻 p.80(DK360034k)
大正十五年十二月二十五日、大正天皇崩御セラル。是日、当協会理事副島八十六、会頭栄一ノ代理トシテ宮内省ニ出頭、当協会会頭ノ奉悼文ヲ奉呈ス。
昭和2年3月5日
(1927年)
第36巻 p.80-84(DK360035k)
是日、当協会総会、麹町区内山下町華族会館ニ催サル。栄一出席シテ日印貿易回顧談ヲナス。
昭和2年8月23日
(1927年)
第36巻 p.84(DK360036k)
是月二十二日、インド国議会ニ、輸入綿糸関税引上案上程セラル。是日、栄一、当協会会頭トシテ副会頭大隈信常ト連名ヲ以テ、同国政府当局、上下両院議長、各政党首領、諸新聞等ニ対シテ反対ノ電報ヲ発ス。九月十七日、同案ハ同国議会ヲ通過シ、九月二十二日ヨリ実施セラル。
昭和2年12月16日
(1927年)
第36巻 p.84-85(DK360037k)
是日、当協会理事会、帝国ホテルニ開カレ、栄一出席ス。
昭和3年9月12日
(1928年)
第36巻 p.85(DK360038k)
是日、当協会理事会、帝国ホテルニ開カレ、栄一出席ス。
昭和3年11月10日
(1928年)
第36巻 p.85-86(DK360039k)
是日、当協会理事副島八十六、会頭栄一ノ代理トシテ宮内省ニ出頭、当協会御大典奉祝賀表ヲ奉呈ス。
昭和5年3月4日
(1930年)
第36巻 p.86(DK360040k)
是ヨリ先、インド国ニ於テ、暗ニ日本製品ヲ目標トセル、輸入綿布増税案同国議会ニ提出セラル。是日栄一、当協会会頭ノ名ヲ以テ、同国政府当局者、両院議長、各政党首領、各新聞社、ドラブ・タタ其他ノ有力者ニ対シ、其阻止尽力方ヲ電請ス。四月三日同国議会ハ、右議案ヲイギリス国製生地綿布ニモ同様ニ課税スルコトニ修正シテ可決シ、翌日ヨリ実施ス。
昭和6年11月15日
(1930年)
第36巻 p.86-87(DK360041k)
是日、栄一ノ葬儀ニ際シ当協会ヨリ弔詞ヲ贈ル。
4款 支那留学生同情会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年12月25日
(1911年)
第36巻 p.88-93(DK360042k)
是ヨリ先十月、清国ニ第一次革命起リ、本邦在留同国学生、学資ノ杜絶ニヨリ困窮スルモノ多シ。
是日栄一、近藤廉平等数人ト共ニ発起シテ、支那留学生同情会ヲ設立シ、其委員トナル。寄付金四万六千円ヲ集メテ、右学生ニ貸与ス。
5款 財団法人日華学会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正7年5月
(1918年)
第36巻 p.94-107(DK360043k)
中華民国留学生ノタメ教育上ノ施設ヲナシ、且諸般ノ便宜ヲ図ル目的ヲ以テ、是月、日華学会設立セラル。栄一、其顧問トナル。
大正7年6月20日
(1918年)
第36巻 p.107-108(DK360044k)
是日、当会晩餐会、築地精養軒ニ開カレ、栄一出席ス。
大正7年7月4日
(1918年)
第36巻 p.108-109(DK360045k)
是日、当会評議員会、富士見軒ニ開カレ、栄一出席ス。次イデ九日、当会ノ件ニ付、中国公使章宗祥及ビ中国留学生監督ト帝国ホテルニ会見ス。
大正8年6月3日
(1919年)
第36巻 p.109(DK360046k)
是日、当会理事会、有楽町ノ東洋協会内ニ開カレ、栄一出席ス。尚引続キ当会ノタメ尽力ス。
大正9年4月
(1920年)
第36巻 p.110-119(DK360047k)
是月栄一、当会会長ニ就任、九月辞任ス。徳川慶久之ニ代リ、栄一、引続キ顧問トシテ歿年ニ及ブ。
大正10年4月26日
(1921年)
第36巻 p.120-128(DK360048k)
是ヨリ先一月、当会、奉天教育参観団ヲ上野精養軒ニ招待シ、栄一出席ス。是日、当会帝国ホテルニ原総理大臣・胡支那公使及ビ当会発展ニ関係アル人士ヲ招待ス。栄一出席シテ当会ノ沿革ヲ述ブ。ナホ、六月二十五日、当会財団法人設立ヲ許可サル。
大正12年6月29日
(1923年)
第36巻 p.128-130(DK360049k)
是ヨリ先、大正十一年四月ノ地震ノタメ留日中華基督教青年会ノ建物破損ス。当会ハ伊集院彦吉及ビ栄一等ノ協力ヲ得テ、対支実業懇話会会員タル、各会社ノ寄付金四万円ヲ得テ修理ニ着手シ、是日其落成式ヲ挙グ。栄一出席シテ祝詞ヲ述ブ。
大正12年7月14日
(1923年)
第36巻 p.130-132(DK360050k)
是ヨリ先、当会会長徳川慶久ノ逝去ニヨリ、後任会長ニ細川護立就任ス。是日、東京会館ニ於テ細川会長就任披露会催サル。栄一出席シテ所感ヲ述ブ。
大正12年11月27日
(1923年)
第36巻 p.132-135(DK360051k)
是日、当会理事会、帝国ホテルニ開カレ、栄一出席ス。
大正12年12月1日
(1923年)
第36巻 p.135(DK360052k)
是日、当会及ビ日華実業協会共同主催中華民国宗教家招待送別会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正12年12月22日
(1923年)
第36巻 p.135(DK360053k)
是日栄一、当会及ビ日華実業協会ヲ代表シテ、中華民国前外交総長王正廷ノ一行ヲ飛鳥山邸ニ招待シテ午餐会ヲ開ク。
大正13年3月4日
(1924年)
第36巻 p.135-139(DK360054k)
是日、当会理事会、日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正13年5月27日
(1924年)
第36巻 p.139-141(DK360055k)
是日、当会理事会、日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正15年2月9日
(1926年)
第36巻 p.141-145(DK360056k)
是日、当会主催、当会会長細川護立渡欧送別午餐会、日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和2年4月19日
(1927年)
第36巻 p.145-146(DK360057k)
是日、当会理事会、当会事務所ニ開カル。栄一出席シテ中華民国留学生寄宿舎ノ件等ヲ議ス。
昭和2年5月
(1927年)
第36巻 p.146-153(DK360058k)
是ヨリ先、在留中華民国学生、母国動乱ノタメ学資ノ送途ヲ断タレ、困難セルモノ少カラズ。是月当会、右救済寄付金ヲ募集シテ同学生ニ交付ス。栄一、金二百円ヲ寄付ス。
昭和6年10月5日
(1931年)
第36巻 p.153-155(DK360059k)
是ヨリ先、大日本紡績聯合会、中華民国水災同情会ニ寄付セシガ、右同情会ハ中国政府ヨリ寄付受領ヲ拒否セラル。因ツテ当会、大日本紡績聯合会ニ対シ、ソノ撤回サルベキ同情金ノ内、金二万円ヲ改メテ当会事業費トシテ寄付ヲ求ムルタメ、当会常務理事砂田実ヲ同聯合会ニ派遣セントス。是日栄一、砂田ニ同聯合会長阿部房次郎宛紹介状ヲ与フ。
6款 国際平和義会日本支部
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年11月7日
(1911年)
第36巻 p.156-157(DK360060k)
是日栄一、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク国際平和義会会頭ジョン・ウェズレー・ヒルト兜町ノ渋沢事務所ニ於テ会見シ、右平和義会ノ目的ニ関スル説ヲ聴ク。翌八日、ヒルニ書翰ヲ送リ、ソノ説ニ賛意ヲ表ス。
明治44年12月7日
(1911年)
第36巻 p.157-159(DK360061k)
是日、国際平和義会日本支部発会式、帝国ホテルニ挙ゲラル。栄一出席シ、其会頭ニ選バレ、就任ノ辞ヲ述ブ。十一日、当支部主催晩餐会開カレ、栄一出席ス。翌四十五年一月十六日、当支部理事員会、日本倶楽部ニ開カル。同ジク出席シ、将来ノ経営ニ関シテ協議ス。
7款 カーン海外旅行財団
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正2年3月22日
(1913年)
第36巻 p.160-164(DK360062k)
是日、フランス共和国人アルベール・カーンノ出資ニヨリ、カーン海外旅行財団設立セラレ、栄一其商議員ヲ請託セラル。在任歿年ニ及ブ。
8款 聖路加国際病院
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正3年7月1日
(1914年)
第36巻 p.165-172(DK360063k)
是ヨリ先、聖路加病院長ルドルフ・ビー・トイスラー、同院ヲ拡張シテ聖路加国際病院トナサントノ計画アリ、栄一之ヲ援助シ来リシガ、是日大隈重信、首相官邸ニ国際病院設立計画評議会ヲ催シ、栄一出席シテ賛成演説ヲナス。次イデ評議員会副会長並ニ会計監督ニ推薦セラル。
大正3年11月9日
(1914年)
第36巻 p.172-174(DK360064k)
是日、国際病院創立委員長大隈重信、首相官邸ニ創立ニ関スル協議会ヲ開ク。栄一出席セリ。尚、当病院創立ニツキ、皇室ヨリ金五万円下賜ノ通達アリ。仍ツテ十三日、栄一、委員長ノ代理トシテ宮内省ニ出頭シ、之ヲ受ク。次イデ十七日、更ニ首相官邸ニ評議員会開カレ、栄一出席シテ座長トシテ議事ヲ宰ス。
大正4年3月24日
(1915年)
第36巻 p.174-179(DK360065k)
是月八日、首相官邸ニ於テ当病院委員会開カレ、栄一出席シ、次イデ是日同ジク首相官邸ニ委員会開カレ、建設敷地ニツキ経過報告アリ、栄一敷地購入ニ関シテ手続一切ノ委嘱ヲ受ク。爾後引続キ当病院ニツキ尽力ス。
大正4年9月1日
(1915年)
第36巻 p.179-181(DK360066k)
是日、当病院建設日本側委員会会長大隈重信ハ、アメリカ合衆国ロックフェラー研究所長ウィリアム・エッチ・ウエルシュ一行ノ歓迎トルドルフ・ビー・トイスラーノ送別トヲ兼ネ、華族会館ニ於テ午餐会ヲ催ス。栄一出席ス。
大正6年1月26日
(1917年)
第36巻 p.181-184(DK360067k)
是ヨリ先、当病院建設寄附金募集終ル。是日、東京銀行集会所ニ報告会ヲ開キ、席上栄一ヨリ募集ノ経過及ビ会計報告ヲナス。翌二十七日、栄一宮内省ニ出頭、波多野宮相ニ同ジク寄附金募集経過並ニ御下賜金ノ取扱ニツキ報告シ、更メテ御礼執奏方ヲ依頼ス。爾後引続キ当病院ノ為ニ尽力スル所多シ。
大正12年11月5日
(1923年)
第36巻 p.184-191(DK360068k)
去ル九月一日ノ関東大震火災ニヨリ当病院マタ罹災ス。アメリカ合衆国陸軍大臣ジョン・ジェー・パーシングハ直チニ野戦病院一切ノ設備ヲ当病院ニ提供救援ニ当ラシム。十月十五日右ニヨル施設成リ、罹災患者ヲ収容ス。
是日、当病院院長ルドルフ・ビー・トイスラー書ヲ小畑久五郎ニ寄セ、小畑ヲ通ジテ栄一ニ、当病院ノ罹災情況ト緊急対策ノ現情並ニ右パーシングノ処置ヲ伝達ス。
翌大正十三年二月二十九日、栄一、パーシング将軍ニ礼状ヲ発ス。
大正13年1月24日
(1924年)
第36巻 p.191-202(DK360069k)
是日、当病院院長ルドルフ・ビー・トイスラー、震災復興経費合計四十四万円余ノ下付ヲ、臨時災害救済事務局ニ出願セントシ、栄一ノ賛成ヲ求ム。後内務省ヨリ金十五万円ヲ交付セラル。次イデ四月十二日、院長トイスラー同院建築資金百万ドル募集ノ為メ、アメリカ合衆国渡航ノ途ニ上ル。栄一トマス・ダブリュー・ラモントニ対シテ、トイスラー紹介状ヲ送ル。
大正14年1月24日
(1925年)
第36巻 p.202-210(DK360070k)
是ヨリ先、是月十三日当病院火災ニヨリ病室其他ヲ焼失ス。是日評議員会ヲ日本倶楽部ニ開キ、再建ノ資金募集開始ヲ決議ス。
大正14年12月25日
(1925年)
第36巻 p.210-216(DK360071k)
是日栄一、当病院評議員長ヲ辞シテ、徳川家達ヲ後任ニ推サン旨ヲルドルフ・ビー・トイスラーニ書通ス。ソノ後トイスラーノ請ニ因リテ留保ス。
大正15年11月13日
(1926年)
第36巻 p.216-222(DK360072k)
是日、当病院院長ルドルフ・ビー・トイスラー、飛鳥山邸ニ来訪、栄一委員長辞任ノ意ヲ述ベ、尚当病院ニツキ対談ス。
昭和3年2月11日
(1928年)
第36巻 p.222-228(DK360073k)
是日、当病院地鎮祭築地明石町当病院地所内ニ於テ行ハル。栄一病気ノタメ出席スルヲ得ズ、小畑久五郎ヲシテ祝辞ヲ代読セシム。
昭和3年3月5日
(1928年)
第36巻 p.228-238(DK360074k)
当病院長ルドルフ・ビー・トイスラー是月十六日渡米スルニツキ、是日、築地明石町同人宅ニ於テ、当病院評議員会ヲ開キ、次イデ九日丸ノ内東京銀行倶楽部ニ、同人並ニジョン・ダブリュー・ウッド送別晩餐会開催、栄一ソレゾレ出席シ、十五日更ニトイスラーヲ当病院ニ訪フ。
昭和4年2月6日
(1929年)
第36巻 p.238-241(DK360075k)
是日栄一、ジョージ・ダブリュー・ウィカシャムノ来状ニ対シテ、返書ヲ発送ス。
昭和4年7月26日
(1929年)
第36巻 p.241-243(DK360076k)
是日、当病院評議員会、当病院ニ於テ開催セラレ、栄一出席ス。
昭和4年10月5日
(1929年)
第36巻 p.243-246(DK360077k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国元大統領ウィルソン未亡人エディス・ウィルソン来邦シ、是日当病院主催ノ園遊会当病院内ニ開カレ、次イデ十一月六日栄一飛鳥山邸ニ招待午餐会ヲ開キ、更ニ同月二十一日ルドルフ・ビー・トイスラー夫妻ニ依ル送別茶話会当病院内ニ開カル。栄一、各々ニ出席ス。
昭和5年5月21日
(1930年)
第36巻 p.246-255(DK360078k)
是日、当病院アメリカ合衆国評議員ジョン・ダブリュー・ウッド、当病院院長ルドルフ・ビー・トイスラート共ニ飛鳥山邸ニ来訪、栄一ト対談ス。
昭和6年11月11日
(1931年)
第36巻 p.255(DK360079k)
是日、栄一逝ク。当病院職員一同ヨリ、弔辞ヲ贈ル。
9款 米友協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正5年3月6日
(1916年)
第36巻 p.256(DK360080k)
是日栄一、交詢社ニ於テ催サレタル米友協会晩餐会ニ出席ス。
10款 在日米人平和協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正6年6月
(1917年)
第36巻 p.257-258(DK360081k)
栄一、在日米人平和協会機関誌「平和時報」ニ「世界ニ対スル将来ノ希望」ト題スル意見ヲ英文ニテ公表ス。ソノ和訳是月「竜門雑誌」ニ掲載サル。
11款 日仏協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正7年5月1日
(1918年)
第36巻 p.259-260(DK360082k)
是日栄一、当協会ノ終身会員トナル。
大正7年6月27日
(1918年)
第36巻 p.260(DK360083k)
是日、当協会主催名誉総裁フランス共和国特命全権大使ルニヨー送別晩餐会、麹町区内山下町華族会館ニ開カレ、栄一出席ス。
大正7年11月25日
(1918年)
第36巻 p.260(DK360084k)
是日、当協会等主催休戦祝賀会、帝国ホテルニ開カレ、栄一出席ス。
大正10年3月14日
(1921年)
第36巻 p.261(DK360085k)
是日、当協会臨時会、丸ノ内中央亭ニ開カル。栄一出席シテ座長ニ推サレ、日仏文化交流ニ関シテ協議シ、其審査実行委員ヲ指名ス。
大正11年9月21日
(1922年)
第36巻 p.261-262(DK360086k)
是日栄一、古市公威・富井政章等ト共ニ当協会ヲ代表シテ、内閣総理大臣加藤友三郎ヲ其官邸ニ訪ヒ、日仏交換美術展覧会其他ノ要件ヲ談ズ。
大正13年5月26日
(1924年)
第36巻 p.262-263(DK360087k)
是日、当協会第十六回総会、閑院宮邸ニ開カレ、栄一出席ス。此会ニ於テ栄一、当協会名誉会員ニ推薦セラレ、歿年ニ及ブ。
大正14年3月1日
(1925年)
第36巻 p.263(DK360088k)
是日、日仏会館幹部及ビ当協会幹部合同協議会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ両者ノ意志疏通ヲ計ル。
大正15年4月21日
(1926年)
第36巻 p.263(DK360089k)
是日、当協会及ビ日仏会館共同主催フランス共和国東洋艦隊司令官バジール歓迎会、日仏会館ニ開カレ、栄一出席ス。
大正15年9月14日
(1926年)
第36巻 p.263-264(DK360090k)
是日、当協会及ビ日仏会館共同主催コレージ・ド・フランス教授シルヴァン・レヴィ歓迎午餐会、午後、同茶話会日仏会館ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和2年2月13日
(1927年)
第36巻 p.264(DK360091k)
是日、当協会及ビ日仏会館共同主催フランス共和国特命全権大使ポール・クローデル送別午餐会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和2年12月17日
(1927年)
第36巻 p.264(DK360092k)
是日、当協会及ビ日仏会館共同主催フランス共和国大使館参事官フランソワ・ジャンチー送別午餐会、丸ノ内中央亭ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和3年4月4日
(1928年)
第36巻 p.264(DK360093k)
是日、当協会及ビ日仏会館共同主催杉山直治郎他数名ノ日仏人招待午餐会、日仏会館ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和3年7月7日
(1928年)
第36巻 p.264(DK360094k)
栄一、安達峰一郎ヨリ是日附ヲ以テフランス共和国人ロア・シャンデイュ夫人ノ紹介状ニ接ス。十一月四日、当協会及ビ日仏会館ハ共同主催シテパリ大学教授ルイ・ブラランゲム、コレージ・ド・フランス教授アンリー・マスペロ歓迎午餐会ヲ丸ノ内日本工業倶楽部ニ開クニ当リ、来朝中ノシャンデイュ夫人ヲモ亦招待セリ。
昭和3年10月9日
(1928年)
第36巻 p.264(DK360095k)
是日、当協会及ビ日仏会館共同主催ニテ、栄一ノ米寿祝賀会ヲ兼ネタル午餐会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。
昭和3年12月15日
(1928年)
第36巻 p.264-265(DK360096k)
是日、当協会及ビ日仏会館共同主催国際聯盟国際労働局長アルベール・トーマ及ビ一行歓迎午餐会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和4年2月16日
(1929年)
第36巻 p.265(DK360097k)
是日、当協会及ビ日仏会館共同主催午餐会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カレ、天皇ノ即位大礼ニ際シテ爵位・勲章ヲ受ケシ両会会員二十七名ニ祝意ヲ表ス。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
昭和4年7月13日
(1929年)
第36巻 p.265(DK360098k)
是日、当協会及ビ日仏会館共同主催薩摩治郎八招待午餐会、日仏会館ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和4年11月16日
(1929年)
第36巻 p.265(DK360099k)
是日、当協会及ビ日仏会館共同主催フランス共和国コレージ・ド・フランス教授アンリ・マスペロ夫妻送別午餐会日仏会館ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和5年6月13日
(1930年)
第36巻 p.265(DK360100k)
是日、当協会及ビ日仏会館共同主催パリ大学教授ジョルジ・ジュマ夫妻及ビ日仏会館フランス学長代理ポール・ドミエヴィル夫妻歓迎午餐会、日仏会館ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和5年9月14日
(1930年)
第36巻 p.265(DK360101k)
是日、当協会及ビ日仏会館共同主催新任フランス共和国特命全権大使デ・ド・マルテル、ロンドン海軍軍縮会議ニ出席シテ帰朝セル若槻礼次郎及ビ来朝中ノ国際統計協会長ドラトール等ノ招待午餐会、華族会館ニ開カレ、栄一出席ス。
12款 財団法人日仏会館
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年8月4日
(1919年)
第36巻 p.266-267(DK360102k)
是日栄一、来朝中ノリヨン大学総長ポール・ジュバン及ビ同文科大学教授モーリス・クーランヲ飛鳥山邸ニ招ジ、犬養毅・古市公威・富井政章・穂積陳重・阪谷芳郎等ト午餐会ヲ開ク。席上ジュバンヨリ日仏文化交流機関設置ニツキ提案アリ、共ニ実現ヲ期スルコトトス。
大正10年3月14日
(1921年)
第36巻 p.267(DK360103k)
是日、日仏協会臨時会、丸ノ内中央亭ニ開カル。
栄一座長ニ推サレ、懸案ノ日仏文化交流ノ方法ニ関シテ協議シ、ソノ審査実行委員ヲ指名ス。
大正10年6月3日
(1921年)
第36巻 p.267-268(DK360104k)
是日、当会館設立協議会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正12年1月8日
(1923年)
第36巻 p.268(DK360105k)
是日栄一、フランス共和国特命全権大使ポール・クローデルヲ、同大使館ニ訪問シ、当会館設立ノ件ニ関シテ談話ス。
大正12年4月8日
(1923年)
第36巻 p.268-270(DK360106k)
是日、当会館設立協議会、総理大臣官邸ニ催サル。栄一出席シテ、ソノ説明ニ当ル。
大正13年1月27日
(1924年)
第36巻 p.270-274(DK360107k)
是日、当会館建設ニ関スル協議会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ催サレ、栄一出席ス。
大正13年3月18日
(1924年)
第36巻 p.274-276(DK360108k)
是ヨリ先、栄一、古市公威・富井政章ト連署シテ財団法人日仏会館ノ設立許可ヲ、文部大臣江木千之ニ申請シ、三月七日認可セラル。是日栄一、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレタル創立委員会ニ出席シ、当会館理事長ニ選バル。
大正13年4月
(1924年)
第36巻 p.276-278(DK360109k)
栄一、二月以降是月ニ及ビ当会館設立寄付募集ニ就キ尽力ス。
大正13年6月6日
(1924年)
第36巻 p.278-283(DK360110k)
是日、当会館理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、当会館ノ本建築完成前ニ於ケル仮会館設置ノ件其他ニ関シテ協議ス。大正十四年一月末ヨリ、村井吉兵衛所有ノ家屋ヲ右仮会館トシテ借用ス。
大正13年11月15日
(1924年)
第36巻 p.284-285(DK360111k)
是日、当会館理事会及ビ評議員会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ評議員三十一名ヲ依嘱ス。
大正13年12月14日
(1924年)
第36巻 p.285-296(DK360112k)
是日、当会館開館式、日本工業倶楽部ニ催サル。栄一病気ノタメ出席セズ。
大正14年3月1日
(1925年)
第36巻 p.296-297(DK360113k)
是日、当会館幹部及ビ日仏協会幹部合同協議会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、両者ノ意志疏通ヲ計ル。
大正14年5月
(1925年)
第36巻 p.297-300(DK360114k)
是月栄一、当会館理事長トシテ先キニ決定ヲ見タル村井吉兵衛別邸ヲ、当会館用トシテ借入ルル件ニツキ、信書ヲ交換シテ賃借条件ヲ相互確認ス。村井ハ来ル六月一日ヨリ三カ年間無料ニテ用立ツベキ旨其他ヲ伝フ。
大正14年10月13日
(1925年)
第36巻 p.300(DK360115k)
是日、当会館理事会、当会館ニ開カレ、栄一出席ス。
大正14年11月12日
(1925年)
第36巻 p.300-301(DK360116k)
是日、当会館理事会、飛鳥山邸ニ開カレ、栄一出席ス。
大正15年3月7日
(1926年)
第36巻 p.301-304(DK360117k)
是ヨリ先二月二十一日、栄一、当会館ニ至リ、ソルボンヌ大学教授アルフレッド・フーシヱ、パリ医科大学教授アシャールト午餐ヲ共ニス。是日当会館主催フランス共和国大使ポール・クローデル及ビ両教授歓迎午餐会当会館ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。十三日、同大使主催午餐会同大使館ニ開カル。栄一出席シテ当会館ノ経営ニ就イテ談ズ。十四日、外務大臣幣原喜重郎主催両教授歓迎午餐会、同大臣官邸ニ開カレ臨席ス。三十一日、当会館等主催アシャール教授送別午餐会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。九月九日、当会館主催フーシェ教授送迎午餐会、当会館ニ開カレ、栄一出席ス。
大正15年3月13日
(1926年)
第36巻 p.304-305(DK360118k)
是日、当会館臨時評議員会、当会館ニ開カル。栄一出席シテ新ニ評議員五名ヲ依嘱シ、又理事・監事ヲ互選ス。
大正15年4月21日
(1926年)
第36巻 p.305(DK360119k)
是日、当会館及ビ日仏協会共同主催フランス共和国東洋艦隊司令官バジール歓迎会、当会館ニ開カレ、栄一出席ス。
大正15年6月15日
(1926年)
第36巻 p.305-306(DK360120k)
是日、当会館主催ソルボンヌ大学教授アルフレッド・フーシェ講演会、当会館ニ開カレ、栄一臨席ス。
大正15年9月14日
(1926年)
第36巻 p.306-307(DK360121k)
是日、当会館及ビ日仏協会共同主催コレージ・ド・フランス教授シルヴァン・レヴィ歓迎午餐会、午後、同茶話会当会館ニ開カレ、栄一出席ス。
大正15年10月18日
(1926年)
第36巻 p.307(DK360122k)
是日、当会館主催シルヴァン・レヴィ教授及ビフランス共和国学士会院理学部常任幹事アルフレッド・ラクロア教授紹介午餐会、当会館ニ催サレ、栄一出席ス。
大正15年11月27日
(1926年)
第36巻 p.307-308(DK360123k)
是日、当会館理事会、当会館ニ開カレ、栄一出席ス。後、シルヴァン・レヴィ教授夫妻、アルフレッド・ラクロア教授夫妻紹介歓迎、当会館副理事長富井政章叙爵祝賀及ビ杉村陽太郎特命全権公使昇任祝賀ヲ兼ネテ午餐会開カレ、同ジク出席ス。
昭和2年2月13日
(1927年)
第36巻 p.308-314(DK360124k)
是日、当会館及ビ日仏協会共同主催、フランス共和国特命全権大使ポール・クローデル送別午餐会丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和2年4月3日
(1927年)
第36巻 p.314-315(DK360125k)
是日、当会館主催、フランス共和国マタン新聞社外報部長ジュール・ソウエルワイン招待午餐会、当会館ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和2年5月7日
(1927年)
第36巻 p.315-318(DK360126k)
是日、当会館評議員会、当会館ニ開カレ、栄一出席ス。次イデ日仏協会トノ共同主催ニテ新任フランス共和国特命全権大使ド・ビイ歓迎午餐会、開カレ、引続キ出席ス。
昭和2年6月4日
(1927年)
第36巻 p.318(DK360127k)
是日、当会館理事会、当会館ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和2年7月13日
(1927年)
第36巻 p.318-322(DK360128k)
是日、当会館理事会、当会館ニ催サル。栄一出席シテ会館移転問題ヲ協議ス。
昭和2年10月26日
(1927年)
第36巻 p.322-323(DK360129k)
是日、当会館主催フランス共和国駐箚特命全権大使石井菊次郎帰朝歓迎午餐会、当会館ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和2年11月15日
(1927年)
第36巻 p.323-324(DK360130k)
是日、当会館理事会、当会館ニ開カル。栄一出席シ、当会館移転ニツキ協議ス。
昭和2年11月26日
(1927年)
第36巻 p.324-325(DK360131k)
是日、当会館理事会、当会館ニ開カレ、栄一出席ス。引続キ評議員会開カレ、同ジク出席シテ、議長トナリ、当会館移転ニツキ議ス。
昭和2年12月9日
(1927年)
第36巻 p.325-327(DK360132k)
是日、当会館理事会、当会館ニ開カル。栄一出席シテ移転ニツキ議ス。後、総理大臣兼外務大臣田中義一・大蔵大臣三土忠造・文部大臣水野錬太郎及ビ鉄道大臣小川平吉等招待午餐会ヲ開ク。次イデ是月三十日、理事有志ハ相談会ヲ開キ、敷地購入ニツキ協議ス。
昭和2年12月17日
(1927年)
第36巻 p.327-328(DK360133k)
是日、当会館及ビ日仏協会共同主催フランス共和国大使館参事官フランソア・ジャンチー送別午餐会、丸ノ内中央亭ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和3年1月16日
(1928年)
第36巻 p.328-330(DK360134k)
是日、当会館理事会、渋沢事務所ニ開カル。栄一出席シテ、当会館新設敷地撰定及ビ設計起案ヲ、シルヴァン・レヴィ他四名ニ依嘱、敷地ハ駿河台原田熊雄所有地ニ決定ス。
昭和3年3月7日
(1928年)
第36巻 p.330-334(DK360135k)
是日栄一、当会館ニ開カレタル理事会ニ出席シ、新築用地購入ノ件並ニ建築中ノ仮会館ヲ芝区三田功運町ニ置クコトヲ議決ス。
昭和3年4月4日
(1928年)
第36巻 p.334-335(DK360136k)
是日、当会館及ビ日仏協会共同主催杉山直治郎他数名ノ日仏人招待午餐会、当会館ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和3年4月28日
(1928年)
第36巻 p.335-339(DK360137k)
是日、当会館評議員会開カレ、理事ノ補欠選挙ヲ行フ。後、当選者中姉崎正治外二名辞任ヲ申出ズ。栄一、書翰ヲ送リテ之ヲ慰留ス。
昭和3年7月7日
(1928年)
第36巻 p.339-341(DK360138k)
栄一、安達峰一郎ヨリ是日付ヲ以テフランス共和国ロア・シャンディユ夫人ノ紹介状ニ接ス。十一月四日、当会館及ビ日仏協会ハ共同主催シテ、パリ大学教授ルイ・ブラランゲム、コレージ・ド・フランス教授アンリー・マスペロ歓迎午餐会ヲ丸ノ内日本工業倶楽部ニ開クニ当リ、来朝中ノシャンディユ夫人ヲモ亦招待セリ。
昭和3年9月24日
(1928年)
第36巻 p.341(DK360139k)
是日、当会館理事会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。後、東京帝国大学医学部長林春雄招待午餐会ニ移ル。
昭和3年10月9日
(1928年)
第36巻 p.341-342(DK360140k)
是日、当会館及ビ日仏協会ノ共同主催ニテ、栄一ノ米寿祝賀会ヲ兼ネタル午餐会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。
昭和3年12月15日
(1928年)
第36巻 p.342-350(DK360141k)
是日、当会館及ビ日仏協会共同主催国際聯盟国際労働局長アルベール・トーマ及ビ一行歓迎午餐会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。午後、当会館主催トーマ招待懇談会丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一同ジク出席ス。
昭和4年2月16日
(1929年)
第36巻 p.350-355(DK360142k)
是日、当会館及ビ日仏協会共同主催午餐会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カレ、天皇ノ即位大礼ニ際シテ爵位・勲章ヲ受ケシ両会会員二十七名ニ祝意ヲ表シ、旦ツ当会館学長ブラランジャン夫人及ビ理事山田三良送迎ノ意ヲ表ス。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。午後、当会理事会同所ニ開カレ、栄一同ジク出席シテ、建築費借入ノ件其他ヲ議シ、更ニ栄一理事長トシテ評議員二十八名ヲ依嘱ス。
昭和4年3月20日
(1929年)
第36巻 p.355-356(DK360143k)
是日、フランス共和国元帥フォッシュ逝去ス。仍テ栄一、当会館理事木島孝蔵ヲ代理トシテ、同国大使ヲ弔訪セシム。
昭和4年4月21日
(1929年)
第36巻 p.356-357(DK360144k)
是日、当会館新築成リシヲ以テ、ソノ竣工式並ニフランス共和国大使ド・ビイ送別午餐会催サル。同日仮会館三田功運町ヨリ新館ニ移転ス。栄一病気ノタメ出席セズ。
昭和4年7月13日
(1929年)
第36巻 p.357-358(DK360145k)
是日、当会館及ビ日仏協会共同主催薩摩治郎八招待午餐会、当会館ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和4年9月28日
(1929年)
第36巻 p.358(DK360146k)
是ヨリ先、当会館理事平山成信逝去ス。是日栄一、理事長トシテ弔辞ヲ送ル。
昭和4年11月16日
(1925年)
第36巻 p.358-359(DK360147k)
是日、当会館及ビ日仏協会共同主催フランス共和国コレージ・ド・フランス教授アンリ・マスペロ夫妻送別午餐会当会館ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和5年6月11日
(1930年)
第36巻 p.359-361(DK360148k)
是日、当会館理事会、渋沢事務所ニ開カル。栄一出席シテ昭和五年度予算ニ関シテ協議ス。
昭和5年6月13日
(1930年)
第36巻 p.362-363(DK360149k)
是日、当会館及ビ日仏協会共同主催、パリ大学教授ジョルジ・ジュマ夫妻及ビ当会館フランス学長代理ポール・ドミエヴィル夫妻送迎午餐会、当会館ニ開カレ、栄一出席ス。
昭和5年9月14日
(1930年)
第36巻 p.363(DK360150k)
是日、当会館及ビ日仏協会共同主催ニテ、新任フランス共和国特命全権大使デ・ド・マルテル、ロンドン海軍軍縮会議ニ出席シテ帰朝セル当会館名誉会員若槻礼次郎及ビ来朝中ノ国際統計協会会長ドラトール等ノ招待午餐会ヲ華族会館ニ開ク。栄一出席ス。
昭和5年12月19日
(1930年)
第36巻 p.363-364(DK360151k)
是日栄一、当館評議員二名ヲ依嘱ス。同日ノ評議員会ニ於テ欠員ノ理事及ビ監事ノ補欠互選行ハル。
昭和6年1月4日
(1931年)
第36巻 p.364-365(DK360152k)
是ヨリ先、フランス共和国元帥ジョッフル逝去ス。是日栄一、当会館理事長トシテ同国政府並ニ元帥未亡人ニ弔電ヲ発ス。
昭和6年2月16日
(1931年)
第36巻 p.365-367(DK360153k)
是日栄一、当会館理事長トシテ評議員二十六名ヲ依嘱ス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第36巻 p.367(DK360154k)
是ヨリ先是月十一日、栄一歿ス。是日ソノ葬儀ニ際シ、当会館ハ副理事長古市公威・富井政章ノ名ヲ以テ、弔辞ヲ贈ル。
13款 社団法人国際聯盟協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正9年4月23日
(1920年)
第36巻 p.368-391(DK360155k)
是日、当協会発起人会、築地精養軒ニ開カル。栄一出席シテ座長トナリ、挨拶ヲ述ブ。次イデ会則ヲ決定シ、推サレテ会長トナリ、役員ヲ指名ス。
大正9年4月29日
(1920年)
第36巻 p.391-396(DK360156k)
是日、当協会第一回理事会、築地精養軒ニ開カレ、栄一出席ス。
大正9年7月21日
(1920年)
第36巻 p.396-398(DK360157k)
是日、当協会第四回理事会、華族会館ニ開カレ、栄一出席ス。
大正9年8月10日
(1920年)
第36巻 p.398-400(DK360158k)
是日栄一、当協会会長トシテイギリス国際聯盟協会執行委員長ロバート・セシル及ビフランス国際聯盟協会会長レオン・ヴィ・ア・ブールジョアニ対シ当協会ノ成立並ニ現状ヲ報ズ。
大正9年9月13日
(1920年)
第36巻 p.400-404(DK360159k)
是ヨリ先九月九日、当協会相談会ヲ丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開キ、栄一、徳川家達・阪谷芳郎等ト共ニ首相官邸ニ開カルベキ実業家招待会ニツキ協議ス。是日総理大臣官邸ニ実業家招待晩餐会催サレ、当協会基金募集ニツキ内閣総理大臣原敬・外務大臣内田康哉演説スル所アリ、栄一当協会会長トシテ総裁徳川家達ト共ニマタ演説ス。次イデ十七日栄一、首相原敬ヲ官邸ニ訪ヒ、国際聯盟協会聯合会議ニ派遣スベキ代表者ノ人選ニツキ打合セヲナス。
大正9年9月15日
(1920年)
第36巻 p.404(DK360160k)
是日、外務大臣内田康哉、第一回国際聯盟総会日本代表トシテ近ク渡欧スル目賀田種太郎ヲ当協会役員ニ紹介スル目的ヲ以テ、其官邸ニ午餐会ヲ開ク。栄一出席ス。
大正9年9月21日
(1920年)
第36巻 p.404-408(DK360161k)
是日、当協会第五回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、イギリス国際聯盟協会ヨリ申越セル、第一回国際聯盟総会ニ提出スベキ議案其他ニ付キ協議ス。十月一日栄一、会長ノ名ヲ以テ、イギリス国際聯盟協会執行委員長ロバート・セシルニ対シ、回答書ヲ発シ、同時ニ外務大臣内田康哉ニ対シ、右ニ関スル陳情書ヲ提出ス。
大正9年10月7日
(1920年)
第36巻 p.408-415(DK360162k)
是日、当協会第六回理事会、副会長添田寿一邸ニ開カレ、栄一出席ス。是ヨリ先十月一日、当協会相談会華族会館ニ開カル。栄一出席ス。
大正9年11月27日
(1920年)
第36巻 p.415-416(DK360163k)
当協会ハソノ趣旨・目的ヲ一般ニ普及セシメンガ為メニ十一月九日華族会館ニ都下各新聞社・通信社ノ代表者ヲ招待シテソノ尽力ヲ請ヒ、更ニ十二日神田基督教青年会館ニ発会式兼講演会ヲ開ク。両日共栄一病ノタメ欠席セリ。次イデ是日東京帝国大学法学部教室ニ講演会ヲ開ク。栄一臨席ス。
大正9年12月14日
(1920年)
第36巻 p.416-418(DK360164k)
是日、当協会第七回理事会、華族会館ニ開カル。栄一出席シテ当協会基金募集及ビ其他ノ件ヲ議ス。後、当協会主催珍田捨巳・松井慶四郎・伊集院彦吉招待晩餐会同所ニ開カレ、同ジク出席ス。
大正10年2月20日
(1921年)
第36巻 p.418-420(DK360165k)
是日、当協会第八回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ当協会基金募集ノ状況ヲ報告ス。後、前年聯合総会ニ出席セシ堀田正恒・田中館愛橘等及ビ近ク海外ニ渡航スベキ岡実等ノ歓送迎晩餐会ニ移リ、同ジク出席ス。
大正10年3月22日
(1921年)
第36巻 p.420(DK360166k)
是日、当協会主催講演会神田基督教青年会館ニ開カル。栄一臨席シテ閉会ノ辞ヲ述ブ。
大正10年4月18日
(1921年)
第36巻 p.420-426(DK360167k)
是日、当協会第十回理事会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席シテ、当協会ヲ社団法人トナスノ議ヲ可決シ、尚、定款ノ改正及ビ大日本平和協会援助ノ件等ヲ議ス。
大正10年4月23日
(1921年)
第36巻 p.426-440(DK360168k)
是日、当協会第一回総会、築地精養軒ニ開カル。栄一出席シテ其議長トナル。
大正10年5月24日
(1921年)
第36巻 p.440-442(DK360169k)
是日、当協会第十一回理事会当協会事務所ニ開カル。栄一出席シテ、諸種ノ問題ニ関シ、各特別委員ヲ任命ス。夜、当協会主催目賀田種太郎帰朝歓迎晩餐会華族会館ニ開カレ、同ジク出席ス。
大正10年6月25日
(1921年)
第36巻 p.442-450(DK360170k)
是日、第二十八回全国商業会議所聯合会東京商業会議所ニ開カル。栄一、当協会会長トシテ之ニ臨ミ、国際聯盟ニ関スル講演ヲナス。
大正10年9月22日
(1921年)
第36巻 p.450(DK360171k)
是日、当協会主催、栄一ノ渡米送別会東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正11年3月10日
(1922年)
第36巻 p.450(DK360172k)
是日、当協会主催、当協会関係者帰朝歓迎晩餐会華族会館ニ開カル。栄一病気ニヨリ出席セズ。
大正11年4月19日
(1922年)
第36巻 p.450-452(DK360173k)
是日、当協会第二回総会、丸ノ内中央亭ニ開カレ、栄一出席ス。
大正11年11月2日
(1922年)
第36巻 p.452-457(DK360174k)
是日、当協会理事会、当協会事務所ニ開カレ、栄一出席ス。十七日、当協会主催国際司法裁判所判事織田万歓迎晩餐会、日本工業倶楽部ニ開カレ、同ジク出席ス。
大正11年11月11日
(1922年)
第36巻 p.457-459(DK360175k)
是日、東京市及ビ当協会他六団体ヨリ成ル平和運動日本聯盟ノ主催ニテ、第四回平和記念大会ヲ日比谷公園音楽堂ニ開ク。栄一臨席シテ、演説ヲナス。十二日、当協会主催平和成立記念講演会神田基督教青年会館ニ開カル。栄一臨席シテ講演ヲナス。
大正11年12月7日
(1922年)
第36巻 p.459-468(DK360176k)
是日、当協会主催フランス駐箚特命全権大使石井菊次郎・オランダ駐箚特命全権公使田付七太及ビ鳩山秀夫・矢作栄蔵等ノ帰朝歓迎会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。右二先立チ、臨時理事会同所ニ開カレ、同ジク出席ス。
大正12年2月13日
(1923年)
第36巻 p.468-472(DK360177k)
是日、当協会理事会及ビ第二回評議員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。後、美濃部達吉立作太郎及ビ神川彦松招待晩餐会ニ移ル。
大正12年3月1日
(1923年)
第36巻 p.472-474(DK360178k)
是日、当協会第三十四回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。後、同所ニ於テ当協会主催国際聯盟保健機関委員イギリス国人ノーマン・ホワイト及ビアメリカ合衆国人、在上海アメリカ合衆国検疫官エッチ・エフ・スミス歓迎晩餐会開カル。同ジク出席シテ司会者トシテ一場ノ挨拶ヲ述ブ。是ヨリ先二月二十七日、外務省ニ外務大臣内田康哉ヲ訪ヒ、当協会ノ事ヲ談ズ。
大正12年3月13日
(1923年)
第36巻 p.474-478(DK360179k)
是ヨリ先一月、フランス共和国軍ドイツ国ノ賠償金不払ヲ名トシテ、ルール地方ヲ占領ス。是日、第三十四回理事会ノ決議ニ基キ、栄一、当協会会長トシテ、各国ノ国際聯盟協会ニ対シテ勧告書ヲ発シ、各国ノ協会ガ各自国政府並ニ国際聯盟ニ対シ、右問題ヲ国際聯盟ノ審議ニ付スベキヲ勧奨センコトヲ求ム。是ヨリ先、同趣旨ニヨリ政府並ニ国際聯盟事務局ニ対シテ勧奨ス。
大正12年3月20日
(1923年)
第36巻 p.478(DK360180k)
是日、当協会主催貴族院及ビ衆議院議員招待晩餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正12年3月23日
(1923年)
第36巻 p.478-480(DK360181k)
是日栄一、当協会会長トシテ、主ナル寄附者ヲ東京銀行倶楽部ニ招待シテ、既往三ケ年ノ年賦寄附金ヲ向後三ケ年間継続センコトヲ望ミ承認ヲ得。
大正12年5月23日
(1923年)
第36巻 p.480-481(DK360182k)
是日、当協会第三十六回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。
大正12年5月30日
(1923年)
第36巻 p.481-484(DK360183k)
是日、当協会主催アメリカ合衆国ロス・アンジェルスノ人シー・シー・ピアス及ビダブリュー・クロショー両博士講演会、神田明治会館ニ開カル。栄一、当協会会長トシテ開会ノ辞ヲ述ブ。
大正12年5月31日
(1923年)
第36巻 p.484-485(DK360184k)
是日栄一、当協会会長トシテ、内務省ニ於テ催サレタル地方長官会議ニ臨ミ、当協会成立ノ事情ヲ説明シ、且ツ其後援ヲ依頼ス。
大正12年6月15日
(1923年)
第36巻 p.485(DK360185k)
是日、当協会第三十七回理事会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席シテ、第七回国際聯盟協会聯合会議ノ議題ニ関シテ協議ス。
大正12年6月20日
(1923年)
第36巻 p.485-487(DK360186k)
是日、当協会主催特命全権大使松井慶四郎、国際聯盟常設軍事諮問委員及ビ軍備制限混成委員陸軍中将稲垣三郎、同海軍中将安保清種招待午餐会、丸ノ内中央亭ニ開カレ、栄一出席ス。次イデ当協会第三十八回理事会開カル。同ジク出席シテ、イギリス国シンガポール軍港建設問題等ニ関シテ協議シ、之ヲ四名ヨリ成ル特別委員ニ附託ス。
大正12年9月18日
(1923年)
第36巻 p.487-496(DK360187k)
去ル九月一日ノ関東大震火災ニ際シ、都下各大学及ビ各図書館ニ於テ烏有ニ帰セシ図書ノ数ハ百数十万冊ニ及ベリ。イギリス国際聯盟協会ヨリ当協会ヲ通ジテ救援ニツキ申出アリタルニヨリ、当協会ハ焼失セル図書復興ニ尽力ヲ請フ。次イデ是日駐米埴原大使宛同様依頼ヲ発シ、更ニ諸外国ノ聯盟協会並ニ聯絡団体ニ図書寄贈ヲ請フ。大正十四年二月二十日、寄贈団体ニ対シ謝状ヲ発ス。栄一当協会会長トシテ之ニ与カル。
大正12年10月8日
(1923年)
第36巻 p.496-498(DK360188k)
是日、当協会事務所ヲ芝公園内協調会館ニ移ス。
大正12年10月20日
(1923年)
第36巻 p.498-509(DK360189k)
是日、当協会主催トルコ国駐箚特命全権大使内田定槌及ビ当協会理事吉井幸蔵招待茶話会、丸ノ内中央亭ニ開カル。栄一出席ス。
大正12年10月25日
(1923年)
第36巻 p.509-523(DK360190k)
是ヨリ先、是月二十日開カルベキ当協会第三十九回理事会流会トナリ、其議題ヲ書面ヲ以テ協議ニ付ス。是日ソノ決議ニヨリ、栄一当会会長トシテ、去ル九月一日ノ関東大震火災ノ際ニ受ケタル各国ノ同情ト救護トニ対シテ、各国四十八ノ国際聯盟協会ニ宛テ、礼状ヲ発ス。
大正12年11月10日
(1923年)
第36巻 p.523-533(DK360191k)
是日、東京市及ビ当協会共同主催休戦五周平和記念大会講演会、協調会館ニ開カル。栄一出席、当協会会長トシテ閉会ノ辞ヲ述ブ。翌十一日午前、当協会・東京市・東京商業会議所及ビ東京新聞聯盟共同主催対外市民感謝デー、日比谷公園音楽堂ニ催サレ、栄一出席ス。午後、当協会並ニ東京市共同主催少年少女大会同音楽堂ニ催サル。栄一出席シテ講演ヲナス。
大正12年11月24日
(1923年)
第36巻 p.533-534(DK360192k)
是日、当協会主催ドイツ国駐箚特命全権大使日置益等招待会、帝国ホテルニ開カル。
大正12年12月18日
(1923年)
第36巻 p.534-535(DK360193k)
是日、当協会第四十回理事会ノ決議ニ基キ、国際司法裁判所規定選択条款受諾ニ就キ、栄一、当協会会長トシテ、内閣総理大臣山本権兵衛及ビ外務大臣伊集院彦吉ニ対シテ建議書ヲ提出ス。
大正13年1月24日
(1924年)
第36巻 p.535-536(DK360194k)
是日栄一、日本銀行ニ理事深井英五ヲ訪ネ、当協会ノ会計監督タランコトヲ乞ヒ、承諾ヲ得。
大正13年1月29日
(1924年)
第36巻 p.536-544(DK360195k)
是日、当協会第二十八回研究会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正13年2月1日
(1924年)
第36巻 p.544-547(DK360196k)
是日、当協会第四十一回理事会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。右理事会ノ決議ニ基キ、翌二日当協会理事井上準之助ニ対シ、リヨンニ開カルル国際聯盟協会聯合会第八回総会ニ出席センコトヲ求ム。
大正13年2月8日
(1924年)
第36巻 p.547-548(DK360197k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国前大統領トーマス・ダブリュー・ウイルソン逝去ス。是日栄一、当協会会長トシテ弔電ヲ発ス。
大正13年2月12日
(1924年)
第36巻 p.548-549(DK360198k)
是日栄一、渋沢事務所ニ当協会幹部ヲ招集シテ、当協会ノ財政問題ヲ議ス。
大正13年2月13日
(1924年)
第36巻 p.549-556(DK360199k)
是日、当協会第二十九回研究会、当協会事務所ニ開カル。栄一、当協会会長トシテ挨拶ヲ述ブ。
大正13年2月15日
(1924年)
第36巻 p.556-558(DK360200k)
是日、当協会早稲田大学学生支部発会式兼講演会同大学ニ催サル。栄一、当協会会長トシテ演説ヲナス。
大正13年3月1日
(1924年)
第36巻 p.558-561(DK360201k)
是日、国際聯盟協会第八回聯合会総会ニ当協会ヨリ提案スベキ議題研究委員会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席ス。
大正13年3月3日
(1924年)
第36巻 p.561-562(DK360202k)
是日、当協会第三十回研究会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席シテ外務省亜細亜局長出淵勝次ノ支那問題講話ヲ聴ク。
大正13年3月26日
(1924年)
第36巻 p.562-575(DK360203k)
是日、当協会第二回地方宣伝拡張委員会、当協会事務所ニ催サル。栄一出席ス。右ニ引続キ、当協会第四十二回理事会同所ニ催サル。同ジク出席ス。
大正13年4月11日
(1924年)
第36巻 p.575-576(DK360204k)
是日、当協会第四十三回理事会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席ス。
大正13年4月12日
(1924年)
第36巻 p.576-578(DK360205k)
是日栄一、当協会会長トシテ、外務大臣松井慶四郎ニ対シ、政府ノ交附金継続願ヲ提出ス。
大正13年4月18日
(1924年)
第36巻 p.578-579(DK360206k)
是日、当協会第三十二回研究会、当協会事務所ニ開カレ、栄一出席ス。
大正13年4月23日
(1924年)
第36巻 p.579-595(DK360207k)
是日、当協会第四回通常総会日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一会長トシテ出席ス。右総会ニ於テ緊急議案トシテアメリカ合衆国千九百二十四年移民法案実施阻止ヲ同国ニ於ケル二団体ニ懇請スベキ決議案ヲ提出、議決セラレ、更ニ之ヲベルギー国ブリュッセルノ国際聯盟協会聯合会事務局並ニリヨンニ於テ開カルベキ聯合会総会ニモ電請スベキヲ議決シ、同日電報発セラル。
大正13年5月7日
(1924年)
第36巻 p.595-596(DK360208k)
是日、当協会第四十四回理事会、日本倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。引続キ、フランス共和国リヨンニ開カルベキ第八回国際聯盟協会聯合会総会ニ、当協会代表トシテ出席スル塩沢昌貞及ビ当協会理事宮岡恒次郎送別、並ニ前年度総会ヨリ帰朝シタル当協会代表乾精末・高木八尺及ビ藤沢親雄招待晩餐会ニ移ル。
大正13年5月23日
(1924年)
第36巻 p.596-601(DK360209k)
是日、当協会東京帝国大学学生支部発会式同大学ニ挙ゲラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正13年6月8日
(1924年)
第36巻 p.601-606(DK360210k)
是日、当協会鳥取支部設立セラル。次イデ八月二十二日同島根支部、八月二十三日同米子支部、十一月十一日同名古屋支部、十一月十二日同京都支部、十一月十三日同神戸支部設立セラル。栄一会長トシテ尽力頗ル努ム。
大正13年6月9日
(1924年)
第36巻 p.606-610(DK360211k)
是日、当協会慶応義塾学生支部発会式同大学ニ挙ゲラル。栄一出席シテ所感ヲ述ブ。
大正13年6月25日
(1924年)
第36巻 p.610-613(DK360212k)
是日、当協会第一回宣伝委員会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席セズ。次イデ当協会第四十五回理事会同所ニ開カル。栄一出席シテ、アメリカ合衆国千九百二十四年移民法ニ対スル我国内ノ学生生徒等ノ思想善導方法ヲ協議ス。
大正13年7月3日
(1924年)
第36巻 p.613-614(DK360213k)
是日、当協会第三十三回研究会、当協会事務所ニ開カル。次イデ九日、同第三十四回研究会同所ニ開カル。栄一両日共出席ス。
大正13年7月5日
(1924年)
第36巻 p.614(DK360214k)
当協会書記大熊真、近クスウィス国ジュネーヴニ開カルル第五回国際聯盟総会日本全権随員トシテ、同地ニ出張シ、且ツ欧洲各国ニ於ケル国際聯盟協会ノ状況ヲ視察セントス。是日栄一、大熊真ニイギリス国駐箚特命全権大使林権助・フランス共和国駐箚特命全権大使安達峰一郎及ビロンドンニ在ル孫渋沢敬三等ニ対スル紹介状ヲ与フ。
大正13年9月15日
(1924年)
第36巻 p.614-615(DK360215k)
是日、当協会第三十五回研究会、当協会事務所ニ開カル。栄一出席シテ、イギリス国駐在財務官森賢吾ノドイツ賠償金問題ニ関スル講演ヲ聴ク。
大正13年9月18日
(1924年)
第36巻 p.615-619(DK360216k)
是日、当協会第二回宣伝委員会東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ来ル十一月十一日平和記念日ニ於ケル宣伝及ビ婦人ニ対スル宣伝ニ就イテ協議ス。後、当協会第四十六回理事会同所ニ開カレ、同ジク出席ス。後、当協会理事井上準之助帰朝歓迎晩餐会ニ移ル。
大正13年10月1日
(1924年)
第36巻 p.619-620(DK360217k)
是日、当協会第三十六回研究会、当協会事務所ニ開カレ、栄一出席ス。
大正13年10月5日
(1924年)
第36巻 p.620-621(DK360218k)
当協会講演会、近ク宮城県・茨城県及ビ福島県下ニ開カルルニヨリ、当協会幹事青木節一ソノ準備ノタメ同地方ニ出張セントス。是日栄一、宮城県知事上田万平等ニ対スル紹介状ヲ与フ。
大正13年10月13日
(1924年)
第36巻 p.621-622(DK360219k)
是日、イギリス国ロンドンニ開カレタル、国際聯盟協会聯合会理事会ニ於テ、栄一、同聯合会副議長ニ推薦セラル。
大正13年10月25日
(1924年)
第36巻 p.622-623(DK360220k)
是ヨリ先、当協会明治大学学生支部成立シ、是日発会式ヲ同大学内ニ挙グ。栄一出席シテ講演ヲナス。
大正13年10月29日
(1924年)
第36巻 p.623-624(DK360221k)
是日、当協会第四十七回理事会、日本倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。後、当協会理事宮岡恒次郎帰朝歓迎晩餐会ニ移ル。続イテ出席ス。
大正13年11月11日
(1924年)
第36巻 p.624-627(DK360222k)
是日、当協会主催平和記念大講演会、東京商工奨励館ニ開カル。栄一出席シテ講演ヲナス。是ヨリ先八日、当協会学生支部関東聯合会主催平和記念学生講演会及ビ懇親会、上野公園内東京自治会館ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正13年11月18日
(1924年)
第36巻 p.627-630(DK360223k)
是日、当協会第四十八回理事会東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。夕、当協会主催内閣総理大臣加藤高明及ビ外務大臣幣原喜重郎招待晩餐会同倶楽部ニ開カル。引続キ出席ス。十二月二日右理事会決議ニ基キ、前国際聯盟協会聯合会副議長安達峰一郎ニ対シ、栄一及ビ総裁徳川家達連署ヲ以テ感謝状ヲ贈ル。
大正13年12月11日
(1924年)
第36巻 p.630-632(DK360224k)
是日、当協会主催国際聯盟事務次長新渡戸稲造帰朝歓迎晩餐会、生命保険会社協会ニ開カル。翌十二日同人講演会日本工業倶楽部ニ開カル。
大正14年1月29日
(1925年)
第36巻 p.632(DK360225k)
是日、当協会主催、元当協会主事、新任アメリカ合衆国日本大使館参事官沢田節蔵送別茶話会、日本倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。
大正14年2月6日
(1925年)
第36巻 p.632-651(DK360226k)
是日、当協会第五十一回理事会ヲ飛鳥山邸ニ開キ、栄一出席シテ平和議定書ニ対スル当協会ノ態度ニ関スル件ヲ議決シ、次イデ国際聯盟事務次長新渡戸稲造帰任送別晩餐会ヲ催ス。
大正14年2月9日
(1925年)
第36巻 p.651-652(DK360227k)
是日ヨリ十二日マデ国際聯盟協会聯合会幹部会、ベルギー国ブリュッセルニ開カル。栄一其副議長タルニヨリ、同国駐箚特命全権大使安達峰一郎、代理トシテ出席ス。
大正14年3月24日
(1925年)
第36巻 p.652-670(DK360228k)
是日、当協会慶応義塾学生支部関係者藤原守胤、中華民国ニ赴クニツキ、栄一当協会会長トシテ同国ニ於ケル一般聯盟思想及ビ事業、殊ニ学生ノ聯盟運動ニ関スル調査ヲ委嘱ス。六月十九日藤原ソノ報告書ヲ会長宛ニ提出ス。
大正14年5月1日
(1925年)
第36巻 p.670(DK360229k)
是日、大日本平和協会解散シ、其事業ヲ当協会ニ移ス。
大正14年5月11日
(1925年)
第36巻 p.671-675(DK360230k)
是日栄一、当協会会長トシテ、当協会第五回通常総会ニ於テ可決セラレタル平和議定書ニ対スル声明ヲ、外務大臣幣原喜重郎ニ提出シ、同時ニ国際聯盟事務局長ジェームズ・イー・ドラモンド、国際聯盟協会聯合会書記長テオドール・リュイセン及ビ各国ノ国際聯盟協会宛発送ス。
大正14年7月2日
(1925年)
第36巻 p.675-680(DK360231k)
是日栄一、当協会会長トシテ、外務大臣幣原喜重郎ニ対シ、大正十五年度ニ於ケル国庫補助金下付方請願書ヲ提出ス。後、金五万円ヲ交付セラル。
大正14年10月16日
(1925年)
第36巻 p.680-682(DK360232k)
是日栄一、当協会会長トシテ、総裁徳川家達ト共ニ、内閣総理大臣加藤高明ヲ其官邸ニ訪フ。