デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
3節 其他ノ教育
1款 明治小学校並東京府小学教育基金
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治11年4月30日
(1878年)
第27巻 p.5(DK270001k)
府下学制草創ノ時期ニ当リ、栄一夙ニ小学教育ノ軽忽ニ附ス可カラザルニ思ヲ致シ、之ガ為ニ金二百円ヲ寄附ス。是日、其功ニ依リ東京府ヨリ賞トシテ銀盃一個ヲ下賜セラル。
明治12年12月
(1879年)
第27巻 p.5-7(DK270002k)
当校ハ、モト村松小学校ト称シ、明治五年政府学制ヲ発布スルヤ、翌六年四月公立小学校ノ列ニ加ヘラレ、同十年校舎ヲ新築シ、校名ヲ改メテ明治小学校ト称ス。栄一当校ノ資トシテ金二百円ヲ寄附ス。是月、其功ニ依リ銀盃一個ヲ下賜セラル。
明治23年3月27日
(1890年)
第27巻 p.7(DK270003k)
是ヨリ先栄一、当校増築ノ資トシテ金五十円ヲ寄附ス。是日、其功ニ依リ内閣ヨリ賞トシテ木杯一個ヲ下賜セラル。
2款 同志社大学
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治21年7月19日
(1888年)
第27巻 p.8-32(DK270004k)
是ヨリ先四月二十二日、栄一、同志社大学設立ニツキ井上馨邸ニ催サレタル新島襄後援ノ為メノ会合ニ出席シ、是日重ネテ同主意ノモトニ開カレタル大隈外務大臣官邸ノ集会ニ岩崎弥之助等ト共ニ出席、之ヲ賛助シテ金六千円寄附ヲ決ス。爾後栄一、右基金ノ募集及ビ管理ニ尽力スル所頗ル多シ。
明治23年1月21日
(1890年)
第27巻 p.32-33(DK270005k)
是ヨリ先、新島襄漸ク病多シ。二十二年十二月以来、寒ヲ避ケテ大磯ニ在リシガ、是年一月ニ入リテ病勢頓ニ募ル。栄一、偶々同地ニ在リ、屡々ソノ病床ヲ訪フ。襄、是日栄一ニ一書ヲ送リテ後事ヲ托ス。
明治23年4月24日
(1890年)
第27巻 p.33-35(DK270006k)
是日、栄一当校ニ到リ、学生ニ対シ一場ノ講演ヲナス。
明治32年1月7日
(1899年)
第27巻 p.35-36(DK270007k)
是日栄一、大隈重信ト当校ノ紛議ニ関シ相談ス。
3款 深川学務委員[深川区学務委員]
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治22年11月
(1889年)
第27巻 p.37-38(DK270008k)
是月栄一、深川区会議員ニ当選シ、次イデ其議長ニ選挙セラレ、更ニ学務委員ニ選バル。
4款 海軍予備黌(私立海城学校)
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治28年3月
(1895年)
第27巻 p.39-40(DK270009k)
是月海軍予備黌商議員制設ケラレ、栄一商議員ニ推薦セラル。次イデ三十三年四月、当校私立海城学校ト改称セラルルヤ、引続キ之ガ商議員トナリ、三十九年九月財団法人海城学校設立ノ直前ニ及ブ。
5款 埼玉県大里郡八基尋常高等小学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治31年2月11日
(1898年)
第27巻 p.41(DK270010k)
是日栄一、埼玉県八基尋常高等小学校同窓会ノ為メニ扁額ヲ揮毫ス。
明治32年12月6日
(1899年)
第27巻 p.41-42(DK270011k)
是日栄一、当校維持資金トシテ金三千円、同建築費トシテ金五百円ヲ寄附セシニヨリ、銀盃一組下賜セラル。
明治34年9月10日
(1901年)
第27巻 p.42-43(DK270012k)
是日栄一、当校校長望月久知ノ求メニ応ジ当校ニ到リ演説ス。
明治40年12月7日
(1907年)
第27巻 p.43(DK270013k)
是日栄一、当校創立十五年記念祭ニ臨ミ、青年ニ対スル訓戒演説ヲナス。
明治41年9月11日
(1908年)
第27巻 p.43(DK270014k)
是日栄一、当校基本金トシテ金二千五百円ヲ寄附セシニヨリ、銀杯一組下賜セラル。
6款 埼玉学友会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治32年2月11日
(1899年)
第27巻 p.44-55(DK270015k)
是ヨリ先、滝沢吉三郎等ノ主唱ニヨリ埼玉県出身ノ都下学生間ニ埼玉学友会成立ス。栄一推サレテ会頭トナル。是日神田開花楼ニ於ケル例会ニ出席シ、一場ノ演説ヲナス。
明治33年8月
(1900年)
第27巻 p.55-56(DK270016k)
是月栄一、授爵ニヨリ当会ヨリ賀表ヲ受ク。
明治35年2月11日
(1902年)
第27巻 p.56(DK270017k)
是日栄一、神田錦輝館ニ於ケル当会ノ総会ニ臨ミ、一場ノ演説ヲナス。
明治36年2月11日
(1903年)
第27巻 p.56-62(DK270018k)
是日栄一、神田錦輝館ニ於ケル当会ノ例会ニ臨ミ、一場ノ演説ヲナス。
明治39年2月11日
(1906年)
第27巻 p.62(DK270019k)
是日栄一、当会ノ例会ニ臨ミ一場ノ演説ヲナス。
明治40年2月11日
(1907年)
第27巻 p.62-63(DK270020k)
是日栄一、当会ノ総会ニ臨ミ一場ノ演説ヲナス。
明治41年2月11日
(1908年)
第27巻 p.63-64(DK270021k)
是日栄一、当会ノ総会ニ臨ミ一場ノ演説ヲナス。
明治42年2月11日
(1909年)
第27巻 p.64(DK270022k)
是日栄一、埼玉学生誘掖会寄宿舎ニ於ケル当会ノ総会ニ臨ミ一場ノ演説ヲナス。
7款 大日本海外教育会・京城学堂
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治32年2月14日
(1899年)
第27巻 p.65-82(DK270023k)
是ヨリ先三十一年五月八日、栄一、韓国旅行ノ途次京城ニ到リ、大日本海外教育会ノ経営セル京城学堂ヲ参観、一場ノ演説ヲナシ、且ツ寄附ヲナセリ。是日同会ノ維持並ニ拡張ニ関シテ、帝国ホテルニ基金募集ノ会合催サレ、栄一、伊藤博文・大隈重信等ト共ニ出席、其趣旨ニツキ演説ス。更ニ寄附ヲナシ、同会会計監督ニ就任、会務ヲ処理ス。
明治33年11月9日
(1900年)
第27巻 p.83-86(DK270024k)
是日栄一、韓国旅行ノ途次当学堂ヲ視察シ、一場ノ演説ヲナシ、尚引続キ当会ノ為メ尽力頗ル努ム。
明治39年6月29日
(1906年)
第27巻 p.86-87(DK270025k)
是日栄一、韓国旅行ノ途次当学堂ヲ視察ス。
明治42年6月6日
(1909年)
第27巻 p.87(DK270026k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日大日本海外教育会会計監督ヲ辞ス。
8款 早稲田大学
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治34年
(1901年)
第27巻 p.88(DK270027k)
是年栄一、当校基金募集ニ応ジ、金三千円ヲ寄附ス。
明治36年7月15日
(1903年)
第27巻 p.89-93(DK270028k)
是日栄一、当大学第二十回得業証書授与式ニ臨ミ一場ノ演説ヲナス。
明治40年10月20日
(1907年)
第27巻 p.93-99(DK270029k)
是日、当大学総長伯爵大隈重信ノ銅像除幕式並ニ創立二十五周年記念祝典催サレ、栄一之ニ出席シ祝辞ヲ述ブ。
明治41年11月30日
(1908年)
第27巻 p.99-106(DK270030k)
是ヨリ先前年十月、当大学第二次拡張計画発表セラレ、是年初ヨリ基金募集ニ着手ス。是日栄一、基金管理委員ヲ依嘱セラル。
明治42年6月6日
(1909年)
第27巻 p.106-107(DK270031k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当大学基金管理委員長ヲ辞任シタレドモ、後コレヲ取消ス。
9款 埼玉学生誘掖会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治35年3月15日
(1902年)
第27巻 p.108-117(DK270032k)
是ヨリ先埼玉学友会会員ノ間ニ、県下出身学生ノ修学ヲ奨励監督スベキ一会ヲ設クベシトノ議起リ、栄一ノ援助ヲ求ム。是日、上野精養軒ニ於テ当会ノ創立総会開カレ、栄一会頭ニ推サル。
明治35年4月19日
(1902年)
第27巻 p.117-118(DK270033k)
是日栄一、当会理事竹井氏等ト会シ、会員募集及ビ資金確定ニツキ協議ス。
明治35年5月3日
(1902年)
第27巻 p.118(DK270034k)
栄一欧米漫遊ノ途ニ就クヲ以テ、是日上野精養軒ニ於テ当会ノ送別会開カル。
明治36年6月30日
(1903年)
第27巻 p.118-120(DK270035k)
是日栄一、日本煉瓦製造株式会社ニ於テ開カレシ評議員会ニ出席ス。
明治36年10月26日
(1903年)
第27巻 p.120-121(DK270036k)
是日、埼玉県児玉郡本庄町ニ於テ当会ノ大集会開催セラレ、栄一之ニ出席シ一場ノ演説ヲナス。
明治37年10月19日
(1904年)
第27巻 p.121-122(DK270037k)
是年九月三十日、牛込区砂土原町ノ第一寄宿舎落成シ、是日木下埼玉県知事同所ヲ参観ス。栄一之ニ同行ス。
明治37年12月30日
(1904年)
第27巻 p.122-124(DK270038k)
是日栄一、当会ニ貸費基金ヲ寄附ス。
明治38年1月15日
(1905年)
第27巻 p.124-128(DK270039k)
是日栄一、当会ノ寄宿舎要義発表式ニ出席シ、一場ノ訓示ヲナス。
明治38年5月13日
(1905年)
第27巻 p.128-132(DK270040k)
是日栄一、当会ノ総会ニ出席シ、議長トシテ会ヲ裁シ、且ツ一場ノ演説ヲナス。
明治38年6月3日
(1905年)
第27巻 p.132-133(DK270041k)
是日栄一、当会評議員会ニ出席ス。次イデ十六日当会理事十数名ヲ王子邸ニ招宴ス。
明治38年10月1日
(1905年)
第27巻 p.133-134(DK270042k)
是日栄一、当会ノ寄宿舎記念式ニ臨ミ、一場ノ訓示ヲナス。
明治38年12月10日
(1905年)
第27巻 p.134(DK270043k)
是日、当会埼玉学友会ト聯合シテ県出身陸海軍将校凱旋歓迎会ヲ上野精養軒ニ於テ催ス。栄一之ニ臨ミ、祝辞ヲ朗読シ、一場ノ演説ヲナス。
明治39年1月16日
(1906年)
第27巻 p.134(DK270044k)
是日、埼玉県知事大久保利武、当会ノ寄宿舎ヲ参観ノタメ来訪ス。栄一之ニ同席シ、当会設立ノ趣旨ヲ述ベテ将来ノ賛助ヲ請フ。
明治39年9月30日
(1906年)
第27巻 p.134-135(DK270045k)
是日栄一、当会ノ第二回寄宿舎記念祝賀式ニ出席ス。
明治40年2月25日
(1907年)
第27巻 p.135(DK270046k)
是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ当会寄宿舎監督本多静六欧米行ノ送別会ヲ催ス。
明治40年4月21日
(1907年)
第27巻 p.135-137(DK270047k)
是日栄一、当会ノ大会ニ出席シ、一場ノ演説ヲナス。
明治40年9月17日
(1907年)
第27巻 p.137-138(DK270048k)
是日栄一、当会商議員久米幸三郎送別会ニ出席シ一場ノ演説ヲナシ、矢作栄蔵ニ寄宿舎副監督ヲ嘱託ス。
明治40年10月6日
(1907年)
第27巻 p.138-139(DK270049k)
是日栄一、当会ノ第三回寄宿舎記念祝賀式ニ臨ミ一場ノ演説ヲナス。
明治41年2月6日
(1908年)
第27巻 p.139(DK270050k)
是日栄一、当会寄宿舎ニ埼玉県新旧両知事ヲ招待シテ送迎ノ意ヲ表ス。
明治41年4月14日
(1908年)
第27巻 p.139(DK270051k)
是日栄一、当会寄宿舎入舎生ノ宣誓式ニ臨ミ、一場ノ訓示ヲナス。
明治41年5月9日
(1908年)
第27巻 p.140-144(DK270052k)
是日栄一、当会ノ通常総会ニ出席シ一場ノ演説ヲナス。
明治41年5月19日
(1908年)
第27巻 p.144-145(DK270053k)
是日栄一、当会ノ理事会ニ出席ス。
明治41年10月12日
(1908年)
第27巻 p.145(DK270054k)
是日栄一、当会ノ寄宿舎入舎生ノ宣誓式ニ臨ミ、畢テ精神修養会ニ臨ミ寄宿舎要義ニ関シ一場ノ訓示ヲナス。
10款 深川区教育会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治35年12月9日
(1902年)
第27巻 p.146-147(DK270055k)
是日栄一、当会会長ニ推サレ、明治三十七年十月ニ至ル。
明治36年3月14日
(1903年)
第27巻 p.147-149(DK270056k)
是日深川霊岸寺ニ於テ当会総会開催セラレ、栄一会長トシテ之ニ臨ミ、一場ノ演説ヲナス。
明治36年11月7日
(1903年)
第27巻 p.149(DK270057k)
是日深川霊岸寺ニ於テ当会総会開催セラレ、栄一会長トシテ之ニ臨ミ、一場ノ演説ヲナス。
11款 財団法人高千穂学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治36年
(1903年)
第27巻 p.150-151(DK270058k)
是年栄一、当校資金保管主任トナリ、次イデ同四十年四月同評議員トナル。
明治38年11月19日
(1905年)
第27巻 p.151-152(DK270059k)
是日栄一、当校ノタメ扁額ヲ揮毫シテ贈ル。
明治40年5月11日
(1907年)
第27巻 p.152-153(DK270060k)
是日当校ノ中学校新築落成シタルニ付キ、栄一落成式ニ出席シテ演説ヲナス。爾後引続キ援助スル所少ナカラズ。
明治42年6月6日
(1909年)
第27巻 p.153-154(DK270061k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当校資金保管主任ヲ辞ス。
12款 帝国教育会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年12月1日
(1906年)
第27巻 p.155-156(DK270062k)
是日栄一、当会第二十三回総会開催セラルルニ当リ、実業教育上ノ功労ヲ認メラレテ帝国教育会功牌ヲ贈与セラル。
明治40年5月13日
(1907年)
第27巻 p.156-163(DK270063k)
当会並ニ東京府教育会・東京市教育会ノ主催ニヨリ、是月十一日ヨリ三日間ニ亘リ全国教育家大集会開催セラル。是日栄一、会場タル東京高等工業学校講堂ニ到リ「商業大学ノ設置ニ就テ教育家諸君ニ望ム」ト題シ一場ノ演説ヲナス。
明治41年9月20日
(1908年)
第27巻 p.163-164(DK270064k)
是日栄一、当会ニ於テ開催セラルル故平田篤胤・佐藤信淵両翁偉蹟表彰講話会ニ臨ミ、一場ノ演説ヲナス。
明治41年10月17日
(1908年)
第27巻 p.164(DK270065k)
是日栄一、当会主催「松陰先生五十年紀念大会」東京高等商業学校講堂ニ於テ挙行サレシニ臨ム。
13款 専修学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年2月
(1907年)
第27巻 p.165-166(DK270066k)
是月栄一、当校商議員ニ推薦セラル。
明治42年6月6日
(1909年)
第27巻 p.166(DK270067k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当校商議員ヲ辞ス。
14款 暁星中学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年11月4日
(1907年)
第27巻 p.167-168(DK270068k)
是日、首相官邸ニ於テ当校拡張発起人会開催セラレ、栄一発起人ノ一員トシテ之ニ出席、拡張評議員兼会計監督ニ選任セラレ、爾後屡々当校拡張計画並ニ寄附金勧募ノ議ニ与ル。
明治42年6月6日
(1909年)
第27巻 p.168-169(DK270069k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当校拡張評議委員兼会計監督ヲ辞ス。
15款 皇典講究所・国学院大学
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治41年2月
(1908年)
第27巻 p.170-176(DK270070k)
是ヨリ先昨年十二月十一日、当校事業拡張並ニ寄附募集ノ議ヲ公表シ全国ノ賛同ヲ求メ、一方、栄一等五十七名ニ賛襄ヲ嘱託ス。栄一、是月顧問トナリ、事業拡張ニ尽力シ、且ツ金一千円ヲ寄附ス。
16款 其他 1. 砂村小学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治21年5月31日
(1888年)
第27巻 p.177(DK270071k)
是ヨリ先、栄一府下南葛飾郡砂村小学校ノ建築費トシテ金二十五円ヲ寄附ス。其賞トシテ是日内閣ヨリ木杯一個下賜セラル。
16款 其他 2. 滝野川村小学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治25年6月15日
(1892年)
第27巻 p.177(DK270072k)
是ヨリ先、栄一北豊島郡滝野川村小学校ノ建築費トシテ金二十五円ヲ寄附ス。其賞トシテ是日内閣ヨリ木杯一個下賜セラル。
16款 其他 3. 韓清語学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治28年
(1895年)
第27巻 p.178(DK270073k)
是年栄一、韓清語学校ノ発起人トナル。
16款 其他 4. 慶応義塾
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治30年
(1897年)
第27巻 p.178-186(DK270074k)
是年栄一、当塾ノ基本金募集ノ趣旨ニ賛同シテ金三千円ヲ寄附ス。
16款 其他 5. 社団法人日本体育会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治32年9月
(1899年)
第27巻 p.186-188(DK270075k)
是月栄一、日本体育会臨時拡張委員トナル。
16款 其他 6. 明治法律学校(明治大学)
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治34年7月6日
(1901年)
第27巻 p.188-192(DK270076k)
是日当校創立二十年記念式挙行セラル。栄一之ニ臨ミ、一場ノ演説ヲナス。
16款 其他 7. 六間堀小学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治35年12月7日
(1902年)
第27巻 p.192(DK270077k)
是日栄一、深川六間堀小学校開校式ニ臨ミ、一場ノ演説ヲナス。
16款 其他 8. 台湾協会学校(東洋協会専門学校)
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治36年1月26日
(1903年)
第27巻 p.192-197(DK270078k)
是日栄一、当校ニ到リ、学生ニ対シ一場ノ演説ヲナス。
16款 其他 9. 東京府教育会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治36年6月14日
(1903年)
第27巻 p.197-206(DK270079k)
是日当会ノ主催ニ依リ教育講談会開催セラル。栄一之ニ臨ミ、一場ノ演説ヲナス。
16款 其他 10. 京華中学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治36年10月7日
(1903年)
第27巻 p.206(DK270080k)
是日栄一、当校生徒ニ対シ一場ノ演説ヲナス。
明治37年4月10日
(1904年)
第27巻 p.206-210(DK270081k)
是日当校第六回卒業式挙行セラル。栄一、病ノ為メ欠席シ「商工業ノ現況並ニ諸子ニ対スル注意」ト題スル演説ヲ代読セシム。
16款 其他 11. 東京市教育会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治38年6月14日
(1905年)
第27巻 p.211-227(DK270082k)
是日栄一、東京市本郷中央会堂ニ開カレタル東京市教育会及ビ本郷区教育会聯合会席上ニ於テ、実業教育ニ就キ講演ス。
明治40年5月13日
(1907年)
第27巻 p.227(DK270083k)
是月十一日ヨリ三日間ニ亘リ当会及ビ東京府教育会・帝国教育会ノ主催ニヨリ全国教育家大集会開催セラル。是日栄一、会場タル東京高等工業学校講堂ニ到リ「商業大学ノ設置ニ就テ教育家諸君ニ望ム」ト題シ、一場ノ演説ヲ為ス。
16款 其他 12. 本郷区教育会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治38年6月14日
(1905年)
第27巻 p.227(DK270084k)
是日栄一、東京市本郷中央会堂ニ開カレタル東京市教育会及ビ本郷区教育会聯合会席上ニ於テ、実業教育ニ就キ講演ス。
16款 其他 13. 韓国各地居留民教育施設
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年2月15日
(1906年)
第27巻 p.227-231(DK270085k)
是ヨリ先明治三十四年二月、栄一、木浦日本居留民教育費トシテ金一百円ヲ寄附シ、其賞トシテ是日内閣ヨリ木杯一組ヲ下賜セラル。
明治40年9月9日
(1907年)
第27巻 p.231-232(DK270086k)
是ヨリ先、明治三十九年栄一渡韓ノ途次、六月、京城居留民団立尋常高等小学校新築費トシテ金三千円仁川居留民団立小学校基本金トシテ金五百円、同幼稚園基本金トシテ金二百円、七月、釜山公立小学校及同幼稚園基本財産トシテ金八百円、後更ニ十一月ニ至リ大邱居留民団立尋常高等小学校建築費トシテ金一百円ヲ寄附シタル功ニ依リ、是日銀杯一組ヲ下賜セラル。
16款 其他 14. 新田郡教育会
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明治39年10月13日
(1906年)
第27巻 p.232-233(DK270087k)
是日、群馬県新田郡太田町ニ同郡教育会総会開催セラル。栄一之ニ臨ミ一場ノ演説ヲ為ス。
16款 其他 15. 青山学院
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明治40年4月8日
(1907年)
第27巻 p.233-234(DK270088k)
是日、当学院創立二十五年記念祝賀会並ニ新講堂献堂式挙行セラレ、式後当学院校友会ノ主催ニカカル祝賀晩餐会開催セラル。栄一来賓トシテ之ニ臨ミ、席上一場ノ祝辞ヲ述ブ。
16款 其他 16. 静岡教育会
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明治41年11月15日
(1908年)
第27巻 p.235-245(DK270089k)
是日栄一、静岡市物産陳列館ニ於テ開催セラレタル当会第九回講演会ニ臨ミ「維新前後ニ於ケル教育上ノ変遷」ト題シ一場ノ演説ヲナス。
16款 其他 17. 法政大学
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明治42年4月25日
(1909年)
第27巻 p.245-246(DK270090k)
是日、上野精養軒ニ於テ当大学創立三十年記念会開催セラル。栄一之ニ臨ミ、一場ノ演説ヲナス。
16款 其他 18. 青南尋常小学校
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明治42年5月9日
(1909年)
第27巻 p.247-248(DK270091k)
是日栄一、当校ニ於テ開催セラレタル父兄懇話会ニ臨ミ、一場ノ演説ヲナス。
5章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
1款 東京地学協会
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明治14年5月3日
(1881年)
第27巻 p.249-258(DK270092k)
是ヨリ先明治十二年、榎本武揚・渡辺洪基・桂太郎外数名発起人トナリテ東京地学協会ヲ設立ス。栄一之ニ賛シ、金五百円ノ寄附ヲナシ会員タリ。是日当会ハ芝延寮館ニ於テ第二年会ヲ開催ス。栄一、井上馨・大隈重信・佐野常民・渡辺洪基等ト共ニ資金取締役ニ選挙セラル。
明治18年5月7日
(1885年)
第27巻 p.258-266(DK270093k)
是日当会第六年会開催セラレ、栄一引続キ資金取締役ニ選挙セラレシモ、当会保続資金事務結了シタルヲ以テ、今後同役廃止ト決定ス。以後当会会員タリ。
2款 東京経済学協会
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明治20年12月17日
(1887年)
第27巻 p.267-280(DK270094k)
是ヨリ先、田口卯吉、東京経済雑誌社同人及ビ大蔵省官吏・学者等ト相謀リ、経済事情ノ討論・演説・調査等ヲ目的トセル会ヲ設立シ、東京経済学協会ト称ス。栄一、当会ノ趣意ニ賛シ当会会員トナリ、是日九段坂上富士見軒ニ於テ開催セラレタル十二月例会ニ臨ミ、演説ヲナス。
明治22年1月19日
(1889年)
第27巻 p.280-295(DK270095k)
是日、当会一月例会ニ於テ東京湾築港問題ニツキ委員ヲ選ビテ調査ヲナス旨決シ、栄一調査委員トナル。同年十月右調査報告成ル。
明治22年2月
(1889年)
第27巻 p.295-299(DK270096k)
是ヨリ先、当会一月例会ニ於ケル決議ニ基キ、是月栄一、当会ヲ代表シテ李鴻章ニ書ヲ送リ、清国貨幣ノ本位ヲ日本ノ円銀及ビ墨銀ト一致セシメ、以テ貿易上ノ便利ヲ計ランコトヲ勧告ス。
明治24年5月16日
(1891年)
第27巻 p.299-305(DK270097k)
是日、当会例会ニ於テ鉄道調査委員ヲ設クルノ議起リ、栄一之ガ委員タルコトヲ諾ス。
明治34年2月22日[2月21日]
(1901年)
第27巻 p.305(DK270098k)
是日、当会・東京商業会議所・全国商業会議所聯合会・政友商工倶楽部・商工相談会ノ会員等合同シテ、政友会所属ノ貴衆両院議員ヲ帝国ホテルニ招待シ晩餐会ヲ開ク。栄一之ニ列席シ、大倉喜八郎・井上角五郎ト共ニ、現下ノ経済政策トシテ外資ヲ輸入シテ内国公債ヲ償還シ私設鉄道ヲ買収スルノ儀ヲ主張シ、政友会議員等ノ尽力ヲ要望ス。
明治39年12月21日
(1906年)
第27巻 p.305-325(DK270099k)
是日栄一、富士見軒ニ於ケル当会十二月例会ニ出席シ「目下ノ経済事情」ト題スル講演ヲナス。
3款 国家学会
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明治21年12月
(1888年)
第27巻 p.326-332(DK270100k)
是ヨリ先、東京帝国大学政治学科学生等、国家ニ関スル学問ヲ研究スルノ目的ヲ以テ国家学会創立ヲ唱ヘ、渡辺洪基・穂積陳重等之ニ賛シ、当学会創立セラル。是月栄一、当学会ニ入会ス。
明治36年3月21日
(1903年)
第27巻 p.332-343(DK270101k)
是日栄一、東京帝国大学構内ニ於テ開催セラレタル当学会ニ出席シ、欧米漫遊中ニ於ケル所感ニ関スル演説ヲナス。
4款 専修学校理財学会
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明治24年6月
(1891年)
第27巻 p.344-348(DK270102k)
是月栄一、当学会大会ニ臨ミ「理財ノ妙用ハ永遠ヲ期スルニ在リ」ト題シ、一場ノ演説ヲナス。
明治31年3月20日
(1898年)
第27巻 p.348-354(DK270103k)
是日栄一、当学会大会ニ臨ミ「経済社会ノ将来」ト題シ、一場ノ演説ヲナス。
明治40年3月24日
(1907年)
第27巻 p.354-357(DK270104k)
是日栄一、当学会大会ニ臨ミ「大国民ノ襟度」ト題シ、一場ノ演説ヲナス。
5款 東京統計協会
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明治28年4月9日
(1895年)
第27巻 p.358-361(DK270105k)
是日栄一、当協会ノ終身会員トナル。
明治32年7月11日
(1899年)
第27巻 p.361-362(DK270106k)
是日当協会・統計学社共催ニヨリ統計講習会開カル。栄一病気ノタメ出席セズ、書面ヲ以テ祝辞ヲ贈ル。次イデ十月金三百円寄附ス。
6款 穂積奨学財団(附)穂積博士就職満廿五年祝賀会
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明治38年6月
(1905年)
第27巻 p.363-364(DK270107k)
是ヨリ先、法学博士富井政章等、東京帝国大学教授法学博士穂積陳重ノ就職満二十五年ヲ記念シ、当財団ヲ設立セントシ、是月、発起人連名ヲ以テ之ガ基金勧募ニ着手ス。栄一、金二千円ヲ寄附ス。翌三十九年十一月六日当財団成立ス。
明治39年11月15日
(1906年)
第27巻 p.364-368(DK270108k)
是日栄一、上野精養軒ニ於テ開催セラレタル穂積博士就職満二十五年祝賀会ニ出席ス。
7款 社会政策学会
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明治40年12月22日
(1907年)
第27巻 p.369-377(DK270109k)
是ヨリ先栄一、屡々我国工場法施行ノ時期ナホ早シノ意見ヲ表明シタリ。是日、東京帝国大学ニ於テ開カレタル社会政策学会第一回大会ニ出席シ、工場法施行ノ時期漸ク至レリトノ演説ヲナス。
2節 演芸及ビ美術
1款 演劇改良会
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明治19年8月
(1886年)
第27巻 p.378-394(DK270110k)
是月末松謙澄ノ主唱ニヨリ、内閣総理大臣伊藤博文・外務大臣井上馨外朝野名士及ビ実業家多数援助ノ下ニ演劇改良会成立ス。栄一、井上馨・森有礼・福地源一郎・大倉喜八郎・外山正一・穂積陳重等ト共ニソノ発起人トナル。更ニ同改良会ノ趣旨ニ基キ福地源一郎・安田善次郎・益田孝・大倉喜八郎・岩崎弥之助・千葉勝五郎等ト共ニ改良劇場設立ノタメ資本金二十五万円ヲ以テ演劇改良会社創立ヲ企画シ、栄一之ヲ援助ス。翌二十年九月六日会社ノ設立ハ許可サレシモ、ソノ後改良会ノ不振ニヨリ同会社ノ設立ハ挫折ス。
2款 東京改良演芸会友楽館
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明治21年5月17日
(1888年)
第27巻 p.395-399(DK270111k)
小島信民等、旧来ノ寄席芸ヲ改良シ、上流人ノ鑑賞ニ供スルト共ニ風俗改良ニモ資センコトヲ目的トシテ、福地源一郎等ト共ニ日本橋区蠣殻町ニ東京改良演芸会友楽館ノ設立ヲ発起シ、是日、日本橋区長ヘ届書ヲ提出ス。栄一之ガ賛成者タリ。
明治23年10月
(1890年)
第27巻 p.399-402(DK270112k)
先ニ設立セル東京改良演芸会友楽館ハ其後営業不振ニシテ収支償ハズ。是日、小島信民、栄一ニ書ヲ送リ、従来ノ貸席営業ヲ廃シテ寄席営業トナスベキ旨ヲ述ブ。
3款 日本パノラマ会社
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明治23年5月22日
(1890年)
第27巻 p.403-408(DK270113k)
是ヨリ先栄一、大倉喜八郎等ト謀リ、有限責任日本パノラマ会社ヲ創立、東京浅草公園内ニ大パノマラ館ヲ建設シ、是日開場ス。明治二十六年十二月会社ヲ解散シ、財産ヲ総テ佐々松賢識ニ譲渡ス。
4款 帝国劇場
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年10月18日
(1906年)
第27巻 p.409-416(DK270114k)
明治三十八年末頃ヨリ、伊藤博文・西園寺公望・福沢捨次郎及ビ栄一外数名、相謀リテ欧米風劇場新設ノ件ニ関シ屡々協議ス。ソノ後機運熟シ栄一大倉喜八郎・浅野総一郎・早川千吉郎・荘田平五郎・福沢捨次郎・園田孝吉外数十名発起人トナリ資本金百二十万円ヲ以テ帝国劇場株式会社設立ヲ企画ス。是日並ニ十二月七日発起人会開催セラル。栄一創立委員長ニ推サレ、之ヲ承諾ス。
明治40年2月28日
(1907年)
第27巻 p.416-421(DK270115k)
是日当社ハ東京商業会議所ニ於テ創立総会ヲ開催ス。栄一之ニ臨ミ創立委員長タルヲ以テ議長席ニツキ、当社発起以来ノ経過ヲ述ベ、取締役会長ニ推サル。
明治41年2月14日
(1908年)
第27巻 p.421-422(DK270116k)
当劇場ノ発企ニカカリ、演劇ニ関スル意見ヲ交換スベク設ケラレタル「劇談会」ハ是日並ニ五月四日・六月九日ソノ会合ヲ開ク。栄一之ニ臨席ス。
明治41年2月22日
(1908年)
第27巻 p.422-425(DK270117k)
是日栄一、東京商業会議所ニ於ケル当社第二回株主総会ニ出席シ、議長席ニ就キ事務ヲ処理ス。
明治41年12月12日
(1908年)
第27巻 p.425-427(DK270118k)
是ヨリ先、当劇場敷地ハ麹町区有楽町一丁目馬場先門外ニ決シ、四十年秋ヨリ土工ヲ開始ス。是日同所ニ於テ礎石式挙行セラル。栄一コレニ臨ミ、当劇場設立ノ趣旨及ビ経過ヲ述ブ。
明治42年2月25日
(1909年)
第27巻 p.427(DK270119k)
是日栄一、当社第四回株主総会ニ出席シ、取締役会長トシテ事務ヲ処理ス。
明治42年6月6日
(1909年)
第27巻 p.428-429(DK270120k)
是年栄一古稀ニ渉ルヲ以テ、第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社取締役会長ヲ辞任シタレドモ、後之ヲ取消ス。
5款 文芸協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年
(1905年)
第27巻 p.430-431(DK270121k)
是年大隈重信ヲ会頭トシ、坪内雄蔵等発起人トナリ、文芸協会組織サル。栄一、夫人ト共ニソノ賛助員トナル。
6款 高等演芸場
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年2月24日
(1907年)
第27巻 p.432-433(DK270122k)
是ヨリ先、柳沢保恵等八名欧米流ノ新劇場設立ヲ企図ス。栄一、大倉喜八郎ト共ニ相談役トシテ之ニ賛助シ、資本金十五万円ヲ以テ株式会社高等演芸場設立ニ決ス。是日築地同気倶楽部ニ於テ創立総会開カレ、柳沢ヲ取締役会長ニ推シ、栄一取締役ニ就任ス。
明治41年12月1日
(1908年)
第27巻 p.434-435(DK270123k)
数寄屋橋ニ当社ノ劇場新築サレ、有楽座ト称ス。是日開場式挙行セラレ、栄一之ニ出席ス。
明治42年6月6日
(1909年)
第27巻 p.435(DK270124k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社取締役ヲ辞ス。
7款 帝国女優養成所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治41年9月15日
(1908年)
第27巻 p.436-439(DK270125k)
是ヨリ先、女優川上貞奴、女優養成所設立ヲ企テ、栄一・大倉喜八郎等ニ賛助ヲ求ム。帝国劇場株式会社ハ右事業経費ヲ補助シ、又同会社重役タル栄一・大倉喜八郎等ハソノ賛助員トナル。是日、帝国女優養成所開所式芝区新桜田町ニ開カレ、栄一之ニ出席シ、一場ノ演説ヲナス。
8款 日本美術協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治21年11月
(1888年)
第27巻 p.440-444(DK270126k)
是月栄一、当協会ニ入会シ、明治二十五年二月ヨリ三十七年二月ニ至ル迄評議員タリ。其後明治三十九年九月二十四日名誉会員ニ推薦セラル。
3節 編纂事業
1款 徳川慶喜公伝編纂
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治26年
(1893年)
第27巻 p.445-457(DK270127k)
栄一夙ニ明治維新ノ際ニ於ケル徳川慶喜ノ真意ノ世人ニ著シク曲解セラレ居ルヲ遺憾トシ、慶喜伝編纂ヲ畢生ノ念願トス。是年夏秋ノ頃、右ヲ福地源一郎ニ謀ル。福地マタ予テ徳川幕府ノ歴史編述ノ意アルヲ以テ慶喜伝編纂主任タルコトヲ諾ス。仍ツテ栄一慶喜ノ許可ヲ得ント欲シ、側近タリシ平岡準蔵ヲ通ジテ再三懇請シタルノチ、本伝記ハ慶喜歿後相当ノ期間ヲ置キテ公表スルヲ条件トシテ許可ヲ得タリ。翌二十七年ニ至リ尾高惇忠ノ紹介ニ依リ江間政発ニ資料蒐集ヲ託ス。明治三十四年深川区福住町ノ栄一宅ニ事務所ヲ設ケ、福地・江間両名ヲ以テ編纂ニ着手セルモ、三十七年福地ハ代議士トナリ多忙ノタメ捗ラズ、加フルニ其後病身トナリ執筆進マズ、中止ノヤムナキニ至ル。
明治40年6月24日
(1907年)
第27巻 p.457-460(DK270128k)
是日ヨリ日本橋区兜町渋沢事務所楼上ニ編纂所ヲ置キ、著者栄一、顧問穂積陳重・阪谷芳郎、校修者三上参次・萩野由之、編纂主任萩野由之、立案者小林庄次郎及ビ記料蒐集者江間政発等ノ所員ヲ以テ徳川慶喜ノ伝記編纂ヲ開始ス。
明治40年7月23日
(1907年)
第27巻 p.460-473(DK270129k)
伝記編纂ニ就キソノ資料トセンガタメ慶喜自身ヨリソノ閲歴及ビ幕末ノ事情等ニ関スル談話ヲ聴取セントシ、是日兜町渋沢事務所ニ於テ慶喜ヲ中心トセル第一回談話会ヲ開催、慶喜コレヲ「昔夢会」ト名ツク。栄一出席ス。
明治42年3月20日
(1909年)
第27巻 p.473-478(DK270130k)
是日、兜町事務所ニ第二回昔夢会開カレ、栄一出席ス。
明治42年5月6日
(1909年)
第27巻 p.478-480(DK270131k)
是日、第三回昔夢会王子飛鳥山邸ニ開カレ、栄一出席ス。
2款 明治財政史編纂会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治38年3月
(1905年)
第27巻 p.481-486(DK270132k)
是ヨリ先、松方正義ハ我邦維新以来ノ財政沿革史ヲ編纂センコトヲ唱ヘ、阪谷芳郎ハ松尾臣善・添田寿一・山口宗義・早川千吉郎等ト協議シ、更ニ栄一・三井八郎右衛門・岩崎久弥・山本達雄・相馬永胤・高橋新吉・園田孝吉・曾根静夫・松方幸次郎等ト謀リ、明治三十四年、明治財政史編纂会ヲ組織ス。是月、明治財政史全十五巻刊行完成ス。
3款 開国五十年史
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年11月18日
(1907年)
第27巻 p.487-493(DK270133k)
是ヨリ先栄一、大隈重信ノ企劃編纂ニ係ル「開国五十年史」ノウチ銀行・会社ニ関スル部分ヲ担当執筆ス。是日、大隈重信ハソノ完成披露園遊会ヲ早稲田ノ自邸ニ開催ス。栄一之ニ臨席シ編纂ニ対スル感謝ノ演説ヲナス。
4款 尾高惇忠伝
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年4月18日
(1909年)
第27巻 p.494-495(DK270134k)
是ヨリ先、栄一ガ口述シ、編纂セシメタル尾高惇忠ノ伝記「藍香翁」成ル。是日、藍香翁頌徳碑除幕式ニ当リ、之ヲ其発起人及ビ知友ニ配布ス。次イデ五月八日、建碑及ビ伝記編纂関係者ヲ王子邸ニ招ジテ慰労会ヲ催ス。
4節 新聞・雑誌・出版
1款 中外物価新報・中外商業新報
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明治9年12月2日
(1876年)
第27巻 p.496-501(DK270135k)
是ヨリ先、内務省勧業寮河瀬秀治、海外ノ産業ニ関スル記事ヲ記載セル新聞ヲ創刊シ民心ヲ日本経済開発ニ向ケント欲シ、コノ件ニ関シ益田孝ニ慫慂スルトコロアリ。議熟シ是日「中外物価新報」第一号ノ発刊ヲミルニ至ル。栄一コレニ与ル。
明治22年1月27日
(1889年)
第27巻 p.501-503(DK270136k)
是ヨリ先、同月二十日、中外物価新報ハ中外商業新報ト改題ス。栄一、「商況社ノ喬遷ヲ祝シ併セテ将来同社ニ望ム処アルヲ告グ」ト題スル論説ヲ是日発行ノ同紙ニ寄稿ス。
2款 東京経済雑誌
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明治12年1月29日
(1879年)
第27巻 p.504-508(DK270137k)
是日、田口卯吉「東京経済雑誌」第一号ヲ発刊ス。栄一、大蔵省銀行課長岩崎小二郎ト共ニ之ガ創刊ニ周旋尽力スル所多シ。
明治38年11月1日
(1905年)
第27巻 p.508-519(DK270138k)
是ヨリ先、是年四月十三日当社社長田口卯吉歿ス。ソノ後当社員及ビ社友等協議ノ結果、乗竹孝太郎ヲ新社長ニ推薦シ、是日栄一、大隈重信・阪谷芳郎・島田一郎ト共ニ発起人トナリ富士見軒ニ於テソノ披露宴ヲ開催、故田口卯吉ニ関スル追憶及ビ新社長紹介ニ関スル演説ヲナス。
3款 東京日日新聞
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明治15年
(1892年)
第27巻 p.520-530(DK270139k)
是ヨリ先明治五年、条野伝平・落合芳幾・西田伝助等東京ニ於ケル最初ノ日刊新聞ヲ創刊シ「東京日々新聞」ト称ス。明治七年以後福地源一郎社長タリ。是年、当新聞ノ発行所タル日報社ソノ組織ヲ更ムルニ際シ、栄一出資ヲナシ、同二十二年ニ至リ関直彦社長タリシモ、栄一引続キ援助ヲ与フ。後ニ至リ同社トノ関係ヲ断ツ。
明治24年7月
(1891年)
第27巻 p.530-533(DK270140k)
是月、井上馨ハ伊藤博文ト謀リ、日報社ノ組織ヲ革メテ東京日日新聞ヲ伊東巳代治ニ経営セシメントス。栄一、株主総代トシテソノ間ニ斡旋ス。
4款 東洋経済新報社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治28年11月15日
(1895年)
第27巻 p.534-535(DK270141k)
是日町田忠治ニヨリ「東洋経済新報」創刊サル。栄一援助スル所アリ。
5款 博文館二十周年記念会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年6月16日
(1907年)
第27巻 p.536-541(DK270142k)
是日栄一、上野精養軒ニ於テ開催セラレタル博文館創業二十周年記念会ニ出席シ一場ノ演説ヲナス。
6款 実業之世界
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年2月14日
(1909年)
第27巻 p.542-549(DK270143k)
是日栄一、野依秀一ノ懇請ニ応ジ名古屋市ニ到リ「実業之世界」読者大会ニ出席シ、一場ノ演説ヲナス。次イデ五月九日早稲田大隈邸ニ於テ開催セラレタル同雑誌改題一周年記念会ニ出席シ演説ヲナス。
6章 政治・自治行政
1節 政治
1款 自治制研究会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治21年10月5日
(1888年)
第27巻 p.550-558(DK270144k)
是ヨリ先、井上馨、自治制ヲ基礎トシテ新タニ政党ヲ組織セントシ、先ヅ自治制研究会ヲ起ス。栄一発起人ノ一人トシテ、是日ノ発会式ニ於テ当会設立ノ趣旨ヲ演説ス。当会ハ其後数回ニ亘リ会合ヲ催シ、内閣顧問独逸人モッセ(Mosse)、東京帝国大学講師カール・ラートゲン(Karl Rathgen)等ヲ聘シテ自治制ノ研究ヲ行ヒシガ、翌二十二年十分ナル発達ヲ遂ゲズシテ終ル。
2款 衆議院議員立候補
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明治23年7月1日
(1890年)
第27巻 p.559-561(DK270145k)
是日第一回衆議院議員選挙執行セラル。深川区民等栄一ヲ第五区ノ議員候補者ニ推シ、次点者トナル。
3款 貴族院議員
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治23年9月29日
(1890年)
第27巻 p.562-566(DK270146k)
是日栄一、貴族院議員ニ勅選セラル。翌明治二十四年十月二十九日辞任ス。
4款 衆議院議員選挙法改正期成同盟会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治32年1月9日
(1899年)
第27巻 p.567-577(DK270147k)
是ヨリ先、政府、都市選出代議士数ノ増加ヲ目的トスル衆議院議員選挙法改正法案ヲ再ビ第十三議会ニ提出ス。是日、大倉喜八郎・安田善次郎等該案ノ実現ヲ期スルガ為メ衆議院議員選挙法改正期成同盟会ヲ組織シ、栄一会長ニ選任セラル。
5款 政友会
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明治33年9月12日
(1900年)
第27巻 p.578-587(DK270148k)
是ヨリ先、伊藤博文、新政党ヲ興サントスルヤ、栄一、入党セサルモ博文ノ新政策ニ賛襄ヲ惜マザルヲ約ス。既ニシテ立憲政友会組織サレ、全国ノ実業家ニ参加ヲ勧誘ス。因リテ是日栄一、井上馨ト共ニ在京実業家ヲ三井集会所ニ会シテ協議シ、実業界ニ於テハ新政党ノ樹立ハ賛成スルモ、自ラ政党ニ加盟セザルニ意見一致ス。
明治33年9月15日
(1900年)
第27巻 p.587-588(DK270149k)
栄一、是日ノ午後帝国ホテルニ開カレタル政友会発会式ニ次グ園遊会ニ出席ス。
6款 大蔵大臣就任辞退
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明治34年5月22日
(1901年)
第27巻 p.589-595(DK270150k)
是月十六日伯爵井上馨内閣組織ノ大命ヲ拝シ、栄一ニ大蔵大臣ノ就任ヲ交渉ス。栄一、主義トシテ入閣ヲ好マズ、且ツ佐々木勇之助等第一銀行関係者及ビ近親者モ反対ナルヲ以テ、是日之ヲ謝絶ス。
2節 自治行政
1款 東京会議所
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明治7年11月
(1874年)
第27巻 p.596-654(DK270151k)
明治五年五月、江戸町会所廃止セラレシガ、蓄積金ノ猶存スルニ依リ同年八月、大蔵大輔井上馨・東京府知事大久保一翁、府内ノ豪商ニ托シテ東京営繕会議所ヲ設立シ、橋梁修繕・溝渠浚方・道路水道修繕・窮民救済ノ事ヲ行ハシム。同年十月東京会議所ト改称シ、会議規則ヲ草定シテ会議ヲ興スト共ニ修路・養育院・墓地・瓦斯灯等ノ経営ヲ行フ。是月栄一、会議所共有金取締ニ推サレ、八年四月委員トナル。
明治8年6月9日
(1875年)
第27巻 p.654-665(DK270152k)
栄一、当会議所ノ組織ヲ改メ委員ヲ公選ト為シ真ノ民会ヲ起サントシ、之ヲ頭取・掛リ等ニ諮ル。議一致セルヲ以テ、是日当会議所此儀ヲ東京府知事大久保一翁ニ上申ス。許サレズ。
明治8年11月
(1875年)
第27巻 p.665(DK270153k)
是ヨリ先九月、森有礼商法講習ノ私塾ヲ興セシガ、頃日清国駐箚弁理公使ヲ拝命シ、其経営ニ任ズル能ハザルヲ以テ、栄一尽力シテ是月之ヲ当会議所ノ管理ニ移サシメ、益田孝・福地源一郎ト共ニ其経営委員トナル。
明治8年12月21日
(1875年)
第27巻 p.665-681(DK270154k)
当会議所、会議規則及ビ行務科章程ヲ定メテ議事ト行務トノ分界ヲ立テントシ、是月四日之ヲ東京府知事ニ稟請シ、七日認可セラル。是日栄一、選バレテ当会議所会頭兼行務科頭取トナル。
明治9年5月25日
(1876年)
第27巻 p.681-691(DK270155k)
是年四月、栄一当会議所会頭トシテ会議所ノ行務並ニ共有金ヲ府庁ニ還納シ、会議所ヲシテ府下民政ノ会議機関タラシメンコトヲ東京府権知事楠本正隆ニ建議シ、同月二十二日許可セラル。五月十一日、栄一府庁ヨリ東京府養育院並瓦斯場事務長ヲ申付ケラレ、次イデ是日、当会議所其行務並ニ共有金ヲ府庁ニ還納ス。
明治9年6月1日
(1876年)
第27巻 p.691-709(DK270156k)
是ヨリ先、当会議所、行務並ニ共有金ヲ東京府庁ニ還納セルヲ以テ、是日栄一、当会議所会頭トシテ会議所事務沿革一覧・金銀出納総勘定書ヲ新聞紙ニ掲載公告シタキ旨、並ニ会議所規則ヲ改正シテ議事ノ範囲ヲ定メ、議員ノ数ヲ増加センコトヲ東京府権知事楠本正隆ニ上陳ス。爾後府庁トノ間ニ該規則案ノ削補ニツキ応答アリ。
明治9年12月20日
(1876年)
第27巻 p.709-715(DK270157k)
是ヨリ先、太政官布告第百三十号並ニ東京府布達乙第七十六号・同乙第八十八号ニ基キ、東京府ニ於テ区総代会議ヲ興サントス。是日栄一、当会議所会頭トシテ議事並ニ保管物件ヲ同会議ニ交付センコトヲ、東京府権知事楠本正隆ニ申請ス。翌十年二月六日、右認可セラレ、同十八日、当会議所解散ス。