デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
5款 財団法人修養団後援会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正14年5月30日
(1925年)
第44巻 p.5-9(DK440001k)
是ヨリ先、修養団理事会ハ後援会ノ設立ヲ決議シ、是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当後援会ノ創立協議会開カル。其後栄一、三井・三菱両家ヲ訪ヒ、当後援会ニ対スル協力ヲ求ム。
大正14年11月3日
(1925年)
第44巻 p.9-10(DK440002k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当後援会委員会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正14年12月5日
(1925年)
第44巻 p.10-12(DK440003k)
是日栄一、東京銀行倶楽部ニ開カレタル、当後援会主催朝鮮総督斎藤実招待会ニ出席シ、修養団並ニ当後援会ニ就キ説明ス。
大正15年2月8日
(1926年)
第44巻 p.12-17(DK440004k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当後援会委員会開カル。栄一出席シテ、修養団事業報告及ビ当後援会資金支出方ニ就キ協議ヲナシ、更ニ当後援会委員長森村開作外遊中、委員長代理ノ依嘱ヲ受諾ス。
大正15年6月11日
(1926年)
第44巻 p.17-19(DK440005k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当後援会委員会開カル。栄一出席シ、会長就任ヲ承諾ス。
大正15年12月3日
(1926年)
第44巻 p.19-27(DK440006k)
是日栄一、当後援会会長トシテ、東京銀行倶楽部ニ実業家ヲ招キ、当後援会設立ヲ披露、修養団ノ現況ヲ説明シテ協力ヲ求ム。
大正15年12月
(1926年)
第44巻 p.27-29(DK440007k)
是月栄一、当後援会ヘノ寄付金二万円ヲ完納ス。
昭和2年2月26日
(1927年)
第44巻 p.29-38(DK440008k)
是日栄一、東京銀行倶楽部ニ於ケル当後援会委員会ニ出席、常務委員委嘱ノ件其他ヲ協議シ、引続キ開カレタル台湾総督上山満之進外有志トノ懇談会ニ於テ、修養団ニ就キ説明、協力ヲ求ム。
昭和2年3月14日
(1927年)
第44巻 p.38-39(DK440009k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当後援会常務委員会開カレ、栄一出席ス。
昭和2年5月20日
(1927年)
第44巻 p.39-41(DK440010k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当後援会常務委員会開カレ、栄一出席ス。
昭和2年7月18日
(1927年)
第44巻 p.41-44(DK440011k)
是日栄一、当後援会会長トシテ関東長官児玉秀雄其他ヲ日本工業倶楽部ニ招キテ懇談会ヲ開ク。栄一修養団並ニ当後援会ニ就キ説明シ、協力ヲ求ム。
昭和2年9月15日
(1927年)
第44巻 p.44-45(DK440012k)
是日、東京銀行倶楽部ニ於テ、当後援会委員会開カレ、栄一出席ス。
昭和2年10月10日
(1927年)
第44巻 p.45-49(DK440013k)
是日、修養団及ビ当後援会主催ニテ東京会館ニ、ジュネーヴ三国軍縮会議ニ日本全権トシテ出席シタル朝鮮総督斎藤実ヲ主賓トシ、朝鮮朝野ノ名士ヲ招キ歓迎会ヲ開ク。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ベ、併セテ修養団及ビ当後援会ノ説明ヲナス。
昭和2年11月22日
(1927年)
第44巻 p.49-52(DK440014k)
是日、修養団及ビ当後援会ハ、東京銀行倶楽部ニ、南満洲鉄道株式会社社長山本条太郎ヲ招キテ午餐会ヲ催ス。栄一出席シテ挨拶ヲナス。
昭和2年12月3日
(1927年)
第44巻 p.52-54(DK440015k)
是日、海軍大臣岡田啓介、霞ケ関海軍大臣官邸ニ、修養団並ニ当後援会関係幹部ヲ招ク。栄一出席シ、当後援会会長トシテ謝辞ヲ述ブ。
昭和3年3月25日
(1928年)
第44巻 p.54-55(DK440016k)
是日、修養団本部ニ於テ、同団支部及ビ支部聯合会幹部会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。終ツテ日本倶楽部ニ於テ当後援会主催幹部会出席者招待会催サル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
昭和5年3月9日
(1930年)
第44巻 p.55-57(DK440017k)
是日栄一、当後援会会長トシテ、修養団本部ニ於テ開カレタル、同団支部及ビ聯合会幹部会出席者ヲ、日本工業倶楽部ニ招キテ懇談会ヲ催ス。栄一病気ノタメ出席セズ。
昭和5年6月26日
(1930年)
第44巻 p.57(DK440018k)
是日、東京銀行倶楽部ニ於テ、当後援会委員会開カル。栄一出席シテ修養団ニ対シ、金一万円支出ノ件ニ就キ協議ス。
昭和5年7月22日
(1930年)
第44巻 p.57-58(DK440019k)
是日、東京銀行倶楽部ニ於テ、当後援会委員会開カル。栄一出席シテ昭和四年度決算・同五年度予算等ニ就キ協議ス。
昭和5年11月13日
(1930年)
第44巻 p.58-60(DK440020k)
是日、浅野総一郎ノ葬儀ニ際シ、栄一、当後援会会長トシテ弔辞ヲ贈ル。
昭和6年11月15日
(1931年)
第44巻 p.60-61(DK440021k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当後援会ヨリ弔詞ヲ贈ル。
6款 財団法人清明会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正13年9月
(1924年)
第44巻 p.62-66(DK440022k)
是月栄一、財団法人清明会ノ顧問トナル。
大正13年10月3日
(1924年)
第44巻 p.66-70(DK440023k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、清明文庫設立披露会開カル。栄一出席「海舟先生ヲ憶フ」ト題シテ演説ヲナス。
大正14年1月24日
(1925年)
第44巻 p.70-73(DK440024k)
是ヨリ先栄一、平山成信及ビ松平直亮ト共ニ、清明文庫設立寄付金募集書ニ連署ヲ請ハル。是日栄一、之ヲ承諾シ、爾後寄付金募集ニ尽力ス。
大正14年3月2日
(1925年)
第44巻 p.73-75(DK440025k)
是ヨリ先栄一、清明文庫事業資金トシテ、金二千五百円ヲ当会ニ寄付シ、是日当会会長平山成信ヨリ謝状ヲ受ク。
大正14年11月12日
(1925年)
第44巻 p.75-76(DK440026k)
是ヨリ先当会、其主催セル勝海舟事蹟資料展覧会ノ閉会後、重ナル資料ヲ宮中西溜間ニ陳列シ、皇后陛下及ビ皇太子殿下ノ台覧ニ供ス。栄一、是日付ニテ当会会長平山成信ヨリ、右ニ関スル報告ヲ受ク。
大正14年12月4日
(1925年)
第44巻 p.76-77(DK440027k)
是日当会、宮内省ヨリ金千円下賜セラル。栄一、翌五日付ニテ当会会長平山成信ヨリ、右ニ関スル報告ヲ受ク。
大正15年9月10日
(1926年)
第44巻 p.77(DK440028k)
是日、当会ノ評議会ニ於テ、栄一、名誉会員ニ推サル。
昭和2年6月30日
(1927年)
第44巻 p.78-80(DK440029k)
是日栄一、東京府下洗足池畔ニ赴キ、清明文庫建設工事ノ視察ヲナス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第44巻 p.80(DK440030k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当会ヨリ弔詞ヲ贈ル。
7款 少年団日本聯盟 1. 少年団日本聯盟
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和2年6月7日
(1927年)
第44巻 p.81-83(DK440031k)
是日栄一、少年団日本聯盟ノ顧問タルコトヲ内諾シ、翌三年十一月十二日就任ス。但無任期。
7款 少年団日本聯盟 2. 少年団日本聯盟助成会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和2年10月4日
(1927年)
第44巻 p.83-87(DK440032k)
是日栄一、中島久万吉ト共ニ、財界有力者二十三名ヲ、日本工業倶楽部ニ招キテ相談会ヲ開キ、少年団日本聯盟助成会ヲ創立ス。
8款 其他 1. 斯道会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正元年10月
(1912年)
第44巻 p.88(DK440033k)
是月栄一、斯道会顧問トナル。
8款 其他 2. 皇道会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正7年12月5日
(1916年)
第44巻 p.88-97(DK440034k)
是日、横浜市開港紀念会館ニ於テ、横浜市主催ニ係ル当会講演会挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正10年10月
(1921年)
第44巻 p.97-100(DK440035k)
是月栄一、皇道会顧問トナル。
昭和2年11月20日
(1927年)
第44巻 p.100-101(DK440036k)
是日、高知市市役所ニ於テ、皇道会高知支部五週年記念講演会開催セラル。栄一祝辞ヲ贈ル。
8款 其他 3. 西ヶ原青年会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年11月2日
(1919年)
第44巻 p.101-107(DK440037k)
是日、飛鳥山邸ニ於テ、東京府下滝野川町西ケ原青年会発会式挙行セラル。栄一、出席シテ祝辞ヲ述ブ。
8款 其他 4. 東京洋傘問屋同業組合青年会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正10年6月
(1921年)
第44巻 p.107-110(DK440038k)
是月栄一、東京洋傘問屋同業組合青年会ノ顧問トナリ、在任歿年ニ及ブ。
8款 其他 5. 八基村青年団血洗島支部
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正10年9月27日
(1921年)
第44巻 p.110-112(DK440039k)
是日、栄一ノ帰郷ヲ機トシ、八基村青年団血洗島支部ハ、青淵記念村立図書館ニ於テ、同地ノ敬老会ヲ催ス。栄一出席シテ演説ヲナス。
8款 其他 6. 大日本明道会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正10年10月
(1921年)
第44巻 p.112-116(DK440040k)
是月栄一、大日本明道会ノ趣旨ニ賛同シ、有志ト共ニ、東京市公立小学校ニ対シ、当会編纂ノ勤王文庫ヲ寄贈スル件ニ就キ援助ス。
昭和3年5月
(1928年)
第44巻 p.116-119(DK440041k)
是月栄一、埼玉県下各小学校ニ当会編纂ノ勤王文庫ヲ寄贈スル挙ニ賛シ、其費用トシテ金千円ヲ当会ニ寄付ス。
昭和6年3月31日
(1931年)
第44巻 p.119-122(DK440042k)
是日当会、関東大震火災ニ罹災シタル東京市公立小学校ニ、再ビ勤王文庫ヲ寄贈シ、栄一、東京市長永田秀次郎並ニ鞆絵尋常小学校長以下六十校長ヨリ礼状ヲ受ク。
8款 其他 7. 大日本青年協会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正10年以後
(1921年)
第44巻 p.122-123(DK440043k)
栄一、当協会名誉会員及ビ維持会員タリ。
8款 其他 8. 大宮町青年団
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正11年7月9日
(1922年)
第44巻 p.123-127(DK440044k)
是日栄一、埼玉県大宮町大宮遊園地ホテルニ於テ開カレタル、同町青年団主催ノ時事講演会ニ出席シテ演説ヲナス。
8款 其他 9. 財団法人中央教化団体聯合会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正13年2月
(1924年)
第44巻 p.127-129(DK440045k)
是月栄一、当聯合会顧問ニ就任、歿年ニ及ブ。
大正15年6月14日
(1926年)
第44巻 p.129-130(DK440046k)
是日栄一、日本工業倶楽部ニ於テ開催セラレタル、当聯合会実業家招待会ニ出席シテ挨拶ヲ述ブ。
8款 其他 10. 誠道会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正15年5月
(1926年)
第44巻 p.131-135(DK440047k)
是月栄一、当会賛助員トナル。
8款 其他 11. 東京府主催精神作興講演会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正15年11月10日
(1926年)
第44巻 p.135-137(DK440048k)
是日、国民精神作興ニ関スル詔書渙発ノ記念日ニ相当スルヲ以テ、東京府ハ府庁構内商工奨励館ニ精神作興講演会ヲ開催ス。栄一、講師トシテ演説ヲナス。
8款 其他 12. 雑 [1]婦人矯風会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正10年4月5日
(1921年)
第44巻 p.137-138(DK440049k)
是日栄一、築地精養軒ニ於テ開催セラレタル、当会主催ノ矢島楫子女史米寿祝賀会ニ臨ミテ、祝辞ヲ述ブ。
8款 其他 12. 雑 [2]聖勅明道会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第44巻 p.138-140(DK440050k)
--
8款 其他 12. 雑 [3]日本人道会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第44巻 p.140(DK440051k)
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5章 教育
1節 実業教育
1款 東京高等商業学校 付 社団法人如水会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年1月22日
(1910年)
第44巻 p.141-142(DK440052k)
是日栄一、当校ニ於テ生徒ニ対シ、渡米中ノ所感ヲ述ブ。同夕、上野精養軒ニ於テ開カレタル当校職員並ニ同窓会主催ノ渋沢・神田両男爵帰国歓迎晩餐会ニ出席シテ演説ヲナス。
明治44年4月25日
(1911年)
第44巻 p.142-144(DK440053k)
是日、当校同窓会春季総会ノ開催ヲ機トシ、新旧校長送迎会ヲ上野精養軒ニ開ク。栄一出席シテ演説ヲナス。
明治44年7月7日
(1911年)
第44巻 p.144-150(DK440054k)
是日栄一、当校第二十一回卒業式ニ臨ミ、演説ヲナス。
明治45年4月27日
(1912年)
第44巻 p.150-155(DK440055k)
是日当校同窓会、築地精養軒ニ於テ、春季総会ヲ開クヲ機トシ、当校専攻部復活問題ニ関シテ尽力セル三団体代表者、栄一・中野武営及ビ島田三郎並ニ当校新旧校長・新旧商議員ヲ招待シテ晩餐会ヲ開ク。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正2年6月13日
(1913年)
第44巻 p.155-163(DK440056k)
是ヨリ先、当校同窓会会員中ノ有志、新ニ倶楽部ヲ設ケントシテ、其命名ヲ栄一ニ請フ。仍ツテ是日栄一、会名ヲ如水会ト選定ス。翌三年十一月如水会成立、五年八月社団法人トシ、八年ニ至リ如水会館竣工ス。次イデ同年九月二十九日同会館ノ開館式挙行セラル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。
大正3年3月18日
(1914年)
第44巻 p.163-174(DK440057k)
是ヨリ先、大正二年七月、文部大臣奥田義人ハ当校ノ東京帝国大学ヘノ合併ニツキ、当校商議員タル栄一ニ諮ル。仍ツテ栄一、中野武営ト共ニ斡旋頗ル努メ、同十二月ニ至リ文部大臣ハ右提案ヲ撤回セリ。是日、当校研究部臨時大会ヲ開キ、栄一及ビ中野武営ヲ招キテ謝意ヲ表ス。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正3年7月7日
(1914年)
第44巻 p.174-179(DK440058k)
是日栄一、当校第二十四回卒業式ニ臨ミ、演説ヲナス。
大正4年7月7日
(1915年)
第44巻 p.180(DK440059k)
是日栄一、当校第二十五回卒業式ニ臨ミ、演説ヲナス。
大正4年9月22日
(1915年)
第44巻 p.180-187(DK440060k)
是日栄一、当校創立四十周年記念式ニ臨ミ、演説ヲナス。
大正5年11月25日
(1916年)
第44巻 p.187-196(DK440061k)
是日、当校同窓会、秋季総会ヲ機トシテ、帝国ホテルニ於テ、栄一ノ喜寿祝賀会ヲ催ス。栄一病気ノタメ出席スルコトヲ得ズ、三男武之助代理トシテ出席ス。
大正6年6月23日
(1917年)
第44巻 p.196-276(DK440062k)
是ヨリ先、栄一、当校校長佐野善作ノ依嘱ニヨリ、当校ニ於テ商業道徳ニ関スル講演ヲ行フコトヲ約シ、是日其第一回講演ヲナス。以後、大正八年一月第九回ニ至ル。
大正6年10月27日
(1917年)
第44巻 p.276-283(DK440063k)
是ヨリ先、当校同窓会、栄一ノ寿像ヲ鋳造シ、是日、其除幕式ヲ行フ。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。
2款 東京商科大学 付 社団法人如水会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正9年3月31日
(1920年)
第44巻 p.284-293(DK440064k)
是日、東京高等商業学校廃止セラレ、東京商科大学設置セラル。四月二十四日如水会、昇格祝賀会ヲ同会館ニ催ス。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。
大正9年9月22日
(1920年)
第44巻 p.293-296(DK440065k)
是日栄一、当大学創立四十五周年記念式ニ臨ミ、演説ヲナス。
大正9年10月25日
(1920年)
第44巻 p.296-299(DK440066k)
是日如水会、栄一ノ陞爵祝賀会ヲ同会館ニ催ス。栄一病気ノタメ出席スルコトヲ得ズ、嫡孫敬三代理トシテ出席ス。
大正10年6月7日
(1921年)
第44巻 p.299(DK440067k)
是日、アメリカ合衆国植民学者ポールトニー・ビゲロー当大学ニ来リテ講演ヲナス。栄一臨席シテ来聴者ニ紹介ノ演説ヲナス。
大正14年9月22日
(1925年)
第44巻 p.300-309(DK440068k)
是日栄一、病ヲ押シテ当大学創立五十周年記念式ニ臨ミ、嫡孫敬三ヲシテ祝辞ヲ代読セシム。
大正15年6月8日
(1926年)
第44巻 p.309(DK440069k)
是日、アメリカ合衆国ボルティモア・シティ・カレッジ懸賞論文「日米学生間ニ親密ノ情ヲ深ムベキ理由」ノ賞金授与式、当大学ニ於テ催サル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正15年11月14日
(1926年)
第44巻 p.309-314(DK440070k)
是ヨリ先、如水会館復興建築竣工ス。是日、同会創立記念日ニ当リ、同会館ニ於テ開館式ヲ挙行ス。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。式終ツテ如水会ノ鋳造ニ係ル栄一ノ寿像除幕式行ハル。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。
昭和2年11月14日
(1927年)
第44巻 p.314-321(DK440071k)
是ヨリ先、如水会、更ニ栄一ノ寿像一基ヲ鋳造シ、当大学ニ寄贈ス。是日、其除幕式ヲ当大学講堂ニ於テ挙行ス。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。終ツテ如水会館ニ於ケル同会創立記念晩餐会ニ臨ミ、挨拶ヲ述ブ。
昭和4年6月25日
(1929年)
第44巻 p.321-328(DK440072k)
是日、如水会、同会館ニ於テ、栄一ノ九十寿祝賀会ヲ催ス。栄一近親ト共ニ出席シ、謝辞ヲ述ブ。
昭和6年1月
(1931年)
第44巻 p.328-329(DK440073k)
是月栄一、社団法人如水会名誉社員ニ推薦セラル。
昭和6年5月10日
(1931年)
第44巻 p.329-337(DK440074k)
是ヨリ先、如水会、故矢野二郎ノ記念事業ヲ計画シ、第一計画トシテ銅像ヲ建設ス。栄一ソノ題字ヲ揮毫ス。是日、其除幕式ヲ当大学校庭ニ於テ挙行ス。栄一老齢ノタメ、石井健吾代理トシテ出席シ、祝辞ヲ代読ス。
昭和6年6月
(1931年)
第44巻 p.337-338(DK440075k)
是月、当大学学長佐野善作辞意アリ、栄一ノ慰留ニヨリテ留任ス。
昭和6年10月
(1931年)
第44巻 p.338-342(DK440076k)
是月政府、当大学予科及ビ付属商学専門部ヲ廃止セントス。栄一病気ノタメ、中島久万吉ニ阻止ニツキ尽力ヲ依頼ス。其結果存続ニ決ス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第44巻 p.342-344(DK440077k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、如水会理事長藤村義苗及ビ当大学弔詞ヲ贈ル。
昭和6年12月10日
(1931年)
第44巻 p.344-351(DK440078k)
是日、如水会、栄一ノ追悼会ヲ同会館大講堂ニ於テ催ス。嫡孫敬三遺族ヲ代表シテ挨拶ヲ述ブ。
昭和6年12月
(1931年)
第44巻 p.351-399(DK440079k)
是月、如水会、同会会報十二月号ヲ「青淵先生追悼号」トシテ発刊シ、追悼文集ヲ掲載ス。
3款 神戸高等商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年4月23日
(1910年)
第44巻 p.400-404(DK440080k)
是日栄一、関西旅行ノ途次、当校ヲ訪レ、生徒ニ対シ演説ヲナス。
明治44年5月17日
(1911年)
第44巻 p.404-407(DK440081k)
是日栄一、関西旅行ノ途次当校ヲ訪レ、生徒ニ対シ演説ヲナス。
大正11年10月25日
(1922年)
第44巻 p.407-410(DK440082k)
是ヨリ先、大正八年以降当校ヲ大学課程ニ昇格セシメントスルノ運動有リ。十年、第四十五議会ニ於テ当校昇格ニ関スル予算審議未了トナルヤ、関係者之ヲ憂慮シ、栄一ノ尽力ヲ請フタメ是月二十三日委員ヲ上京セシム。偶々栄一関西旅行ノ途上ニアリ、是日、当校創立十九年記念式ニ臨ミテ所見ヲ述ベ、帰来当局トノ間ヲ斡旋ス。
大正12年5月10日
(1923年)
第44巻 p.410-417(DK440083k)
是ヨリ先、当校昇格ノ件決セラル。当校二十周年記念式ニ当リ、是日栄一、当校校長水島鉄也ニ祝辞ヲ送ル。
4款 山口高等商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年5月18日
(1910年)
第44巻 p.418(DK440084k)
是日栄一、早稲田ノ大隈重信邸ニ於テ、上京中ノ当校生徒ニ対シ演説ヲナス。
5款 財団法人岩倉鉄道学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年3月1日
(1911年)
第44巻 p.419-420(DK440085k)
是日栄一、当校社員ニ推薦セラル。
大正13年5月5日
(1924年)
第44巻 p.420-422(DK440086k)
是日栄一、当校常任理事山田英太郎ヨリ当校評議員タルコトヲ請ハル。後、就任ス。
大正14年8月4日
(1925年)
第44巻 p.422-424(DK440087k)
是日当校、財団法人設立ノ件認可セラル。栄一評議員タルコト旧ノ如シ。在任歿年ニ及ブ。
5款 財団法人岩倉鉄道学校 其他ノ資料
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第44巻 p.424-425(DK440088k)
--
6款 京華商業学校
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大正2年2月2日
(1913年)
第44巻 p.426-432(DK440089k)
是日栄一、当校父兄懇話会ニ臨ミ、演説ヲナス。
7款 大倉高等商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正2年10月23日
(1913年)
第44巻 p.433-434(DK440090k)
是日、当校創立者大倉喜八郎ノ喜寿祝賀式並ニ寿像除幕式挙行セラル。栄一之ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
大正5年1月11日
(1916年)
第44巻 p.434-441(DK440091k)
是日栄一、当校ノ始業式ニ臨ミ、生徒ニ対シ訓話ヲナス。同七年十月二十七日、当校校友会雑誌ノタメニ「道徳ト経済」ト題スル講話ヲ口述ス。
大正9年10月24日
(1920年)
第44巻 p.441-444(DK440092k)
是日栄一、当校開校満二十周年記念祝賀会ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
--第44巻 p.444-446(DK440093k)
--
8款 工手学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正2年11月23日
(1913年)
第44巻 p.447(DK440094k)
是日、芝公園ニ於テ、当校創立二十五年記念祝典挙行セラル。栄一之ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
大正14年5月12日
(1925年)
第44巻 p.447-451(DK440095k)
是ヨリ先当校、大正十二年九月一日ノ関東大震火災ニ罹災ス。仍ツテ当校校友及ビ出身者等ハ工手学校復興会ヲ組織ス。是日栄一、同会顧問ヲ受諾ス。
昭和4年7月14日
(1929年)
第44巻 p.451-455(DK440096k)
是日、当校第八十回卒業式挙行セラル。栄一之ニ臨ミ、生徒ニ対シ訓話ヲナス。
昭和5年7月11日
(1930年)
第44巻 p.455-458(DK440097k)
是ヨリ先、昭和三年六月当校校舎竣工シ、同年八月一日当校ノ組織ヲ変更シ、校名ヲ工学院ト改称ス。翌四年八月一日工手学校復興会ハ常務処理ヲ工学院管理長ヘ委任ス。是日、工学院理事長真野文二、管理規程第二十二条ニ依リ、栄一ヲ同校顧問ニ推薦ス。
9款 市立名古屋商業学校付商友会
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大正3年3月15日
(1914年)
第44巻 p.459-466(DK440098k)
是日、当校創立三十年記念祝典挙行セラル。栄一、十四日東京ヲ発シテ之ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
大正7年5月5日
(1919年)
第44巻 p.466-473(DK440099k)
是ヨリ先、当校校長市村芳樹、引退ス。是日、名古屋市国技館ニ於テ謝恩式挙行セラル。栄一之ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
大正12年6月10日
(1923年)
第44巻 p.473-475(DK440100k)
是ヨリ先、当校校友等、元校長市村芳樹ノ寿像建設ヲ計画ス。栄一嘱ニ依リ題字ヲ揮毫ス。是日、当校校庭ニ於テ除幕式挙行セラル。栄一、土肥脩策ヲ代理トシテ、祝辞ヲ寄ス。
大正13年11月25日
(1924年)
第44巻 p.475-476(DK440101k)
是年、当校創立満四十年ヲ迎ヘルニ当リ、是日栄一、当校商友会名誉会員ニ推薦セラル。
10款 東京高等蚕糸学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正3年7月9日
(1914年)
第44巻 p.477(DK440102k)
是日、当校卒業式挙行セラル。栄一之ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
大正5年10月29日
(1916年)
第44巻 p.477-478(DK440103k)
是日、当校創立第三十年記念式挙行セラル。栄一之ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
大正7年3月16日
(1918年)
第44巻 p.478-479(DK440104k)
是日、当校卒業式挙行セラル。栄一之ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
大正10年3月17日
(1921年)
第44巻 p.479-480(DK440105k)
是日、当校卒業式挙行セラル。栄一之ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
昭和4年6月6日
(1929年)
第44巻 p.480(DK440106k)
是ヨリ先、故徳川慶久息女喜久子姫、高松宮妃ニ内定ス。是日栄一、喜久子姫ヲ当校ニ案内シ、校内参観後飛鳥山邸ニ招待シテ午餐会ヲ催ス。
11款 東京高等工業学校手島工業教育資金団
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大正5年10月23日
(1916年)
第44巻 p.481-491(DK440107k)
是年九月、当校校長手島精一引退ス。栄一他有志、同月二十六日、日本橋倶楽部ニ於テソノ慰労午餐会ヲ開催シ、席上表彰式ノ挙行並ニ記念奨学資金募集ノ件ヲ決ス。是日、上野精養軒ニ於テ表彰式ヲ挙行、栄一発起人ノ一人トシテ祝辞ヲ述ベ、且ツ手島工業教育資金団ノ評議員トナル。在任歿年ニ及ブ。
大正8年1月18日
(1919年)
第44巻 p.491-493(DK440108k)
是ヨリ先、大正七年一月二十一日手島精一逝去ス。是日、手島工業教育資金団ノ主催ニ依リ、当校ニ於テ一周忌追悼会挙行セラル。栄一之ニ臨ミ、追悼ノ辞ヲ述ブ。
大正10年5月26日
(1921年)
第44巻 p.493-497(DK440109k)
是ヨリ先、大正八年一月故手島精一ノ一周忌ニ際シ銅像建設ノ議決セラル。是日、当校校庭ニ於テ除幕式挙行セラル。栄一之ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
12款 高千穂高等商業学校
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明治43年7月13日
(1910年)
第44巻 p.498(DK440110k)
是ヨリ先、明治四十二年、栄一私立高千穂学校評議員トシテ新ニ当校設立ノ議ニ与リ、是日新校舎上棟式ニ出席ス。
明治45年5月
(1912年)
第44巻 p.498-500(DK440111k)
是ヨリ先、明治四十三年十一月、当校校舎竣工ス。是月高等商業学校設立ノ認可ヲ得。栄一評議員トシテ基金勧募其他ニ努ム。大正三年四月、当校開校ス。
大正3年10月17日
(1914年)
第44巻 p.500-501(DK440112k)
是日栄一、当校講演会ニ臨ミ、戦争ニ関スル感想ヲ演説ス。
大正4年3月20日
(1915年)
第44巻 p.501(DK440113k)
是日栄一、当校卒業式ニ臨ミ、訓話ヲナス。
13款 財団法人東京育英実業学校
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大正8年12月20日
(1919年)
第44巻 p.502-505(DK440114k)
是ヨリ先、大正三年十一月、粕谷義三郎、東京市外代々木ニ東京育英実務学校ヲ創設ス。大正七年三月、中島力造・本多静六等ヲ介シ栄一ニ助力ヲ乞フ。栄一当校設立ノ趣旨ニ賛シ、維持費トシテ金千円ヲ寄付ス。更ニ是日栄一、当校ノタメニ資金勧募ノ計ヲ立テ、金千円ヲ寄付ス。
昭和3年3月
(1928年)
第44巻 p.505-512(DK440115k)
是ヨリ先大正十三年、当校ハ甲種商業学校トシテノ認可ヲ受ケ、是月ニ至リ第二校舎並ニ寄宿舎ノ建設ヲ完了ス。此ノ間栄一尽力スル所多ク、是月迄ニ総額五千五百円ヲ寄付シ、尚引続キ援助ス。
14款 東京工業専修学校
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大正10年5月31日
(1921年)
第44巻 p.513-518(DK440116k)
是年三月三十一日、元東京高等工業学校付属工業補習学校ヲ協調会ニ移管シ、校名ヲ蔵前工業専修学校ト改称ス。栄一、協調会副会長トシテ之ニ参与ス。是日、蔵前東京高等工業学校ニ於テ開校式挙行セラル。栄一之ニ臨ミ演説ヲナス。
大正15年9月1日
(1926年)
第44巻 p.518-520(DK440117k)
是ヨリ先、大正十二年九月一日、当校関東大震火災ニ罹災シ、同年十一月以降芝区芝尋常小学校ニ於テ仮授業ヲ開始セシガ、十四年十一月麻布区新堀町七番地ニ校舎新築ノ工ヲ起ス。是日竣工シ校名ヲ東京工業専修学校ト改ム。栄一協調会副会長トシテ之ニ参与ス。
昭和3年2月29日
(1928年)
第44巻 p.520-525(DK440118k)
是年二月、当校高等部応用化学料休止ト決スルヤ、生徒同盟休校ヲ断行シテ反対運動ヲナシ、是日付ヲ以テ、栄一ニ嘆願書ヲ提出ス。後、学校当局ノ善処ニ依リ平常ニ帰ス。
15款 旅順工科大学
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大正13年12月
(1924年)
第44巻 p.526-531(DK440119k)
是年十一月、当大学ノ廃止問題起ルヤ、校友等旅順工科大学存続同盟会ヲ組織シ、満洲技術協会等諸団体ト連繋シテ之ヲ阻止セントス。栄一之等ノ懇請ヲ受ケ、日華実業協会ヲ通ジテ諸方ニ斡旋ス。是月、存続ニ決ス。
16款 其他 1. 横浜商業学校
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明治43年3月1日
(1910年)
第44巻 p.532(DK440120k)
是日栄一、当校同窓会並ニ横浜経済会ノ嘱ニ依リ、当校ニ於テ演説ヲナス。
16款 其他 2. 慶応義塾商業学校
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明治43年5月1日
(1910年)
第44巻 p.532-533(DK440121k)
是日栄一、当校創立二十年記念祭ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
16款 其他 3. 大阪高等商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年5月15日
(1911年)
第44巻 p.533-534(DK440122k)
是日栄一、日本女子大学校基金勧募ノタメ関西方面遊説旅行ノ途次、大隈重信ト共ニ当校ヲ参観シ、学生ニ対シ訓話ヲナス。
16款 其他 4. 東京市立商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治45年4月13日
(1912年)
第44巻 p.534(DK440123k)
是日栄一、当校ニ於テ、生徒ニ対シ演説ヲナス。
16款 其他 5. 仙台商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治45年4月22日
(1912年)
第44巻 p.534-535(DK440124k)
是ヨリ先栄一、奥羽同盟銀行会ノ招請ニ応ジ、仙台市ニ赴ク。是日当校ヲ訪ヒ、生徒ニ対シ訓話ヲナス。
16款 其他 6. 中央商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治45年5月5日
(1912年)
第44巻 p.535-536(DK440125k)
是日、当校創立十周年記念祝賀会挙行セラル。栄一之ニ臨ミ、講演ヲナス。
16款 其他 7. 早稲田工手学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正2年2月9日
(1913年)
第44巻 p.536-540(DK440126k)
是日栄一、早稲田大学付属工手学校卒業式ニ臨ミ、訓辞ヲナス。
16款 其他 8. 早稲田実業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正3年3月22日
(1914年)
第44巻 p.540(DK440127k)
是日栄一、当校第十二回卒業式ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
16款 其他 9. 長崎高等商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正3年5月4日
(1914年)
第44巻 p.540-543(DK440128k)
是日栄一、中国旅行ノ途次、当校ヲ訪ヒ、学生ニ対シ講演ヲナス。
16款 其他 10. 下関商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正3年6月4日
(1914年)
第44巻 p.543-544(DK440129k)
是日栄一、中国旅行ノ帰途当校ヲ訪ヒ、生徒ニ対シ訓話ヲナス。
16款 其他 11. 明治専門学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正3年6月5日
(1914年)
第44巻 p.544-545(DK440130k)
是日栄一、中国旅行ノ帰途当校ヲ参観シ、演説ヲナス。
16款 其他 12. 兵庫県立神戸商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正4年4月8日
(1915年)
第44巻 p.545(DK440131k)
是日栄一、関西旅行ノ途次当校ヲ訪ヒ、生徒ニ対シ訓話ヲナス。
16款 其他 13. 松山商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正4年10月1日
(1915年)
第44巻 p.545-549(DK440132k)
是ヨリ先、栄一、第一銀行広島支店・同熊本支店開業式参列ノタメ西下ノ途次、山下亀三郎ノ懇請ニ依リ、是日松山市ニ到リ当校ヲ参観シ、終ツテ同市公会堂ニ於テ当校並ニ愛媛県立師範学校・同松山中学校・私立北予中学校・愛媛県立農業学校・松山市立工業徒弟学校ノ上級生徒及ビ職員等ニ対シ、講演ヲナス。
16款 其他 14. 三重県立四日市商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正7年5月8日
(1918年)
第44巻 p.549-554(DK440133k)
是日栄一、名古屋市ヨリ四日市市ニ到リ、三重県立四日市商業学校ニ於テ、生徒ノタメニ講演ヲナス。
16款 其他 15. 東京高等工芸学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年1月31日
(1919年)
第44巻 p.554(DK440134k)
是ヨリ先、東京府当局、当校ノ設立ヲ計画シ、栄一ニ資金勧募ノコトヲ依頼ス。是日栄一、帝国ホテルニ於ケル東京府知事主催ノ招宴ニ臨ミ、出席諸家ニ対シテ寄付金醵出ノコトヲ慫慂ス。
16款 其他 16. 埼玉県深谷町立深谷商業学校
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正11年10月
(1922年)
第44巻 p.554-555(DK440135k)
是月栄一、当校ヲ訪レ、記念植樹ヲナシ、至誠ノ二字ヲ揮毫ス。
昭和二年十月二十七日褒章条例ニ依リ、当校設立費其他ニ金九千円寄付セル件ニツキ表彰セラル。
16款 其他 17. 労学院
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第44巻 p.555-558(DK440136k)
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17款 全国商業学校長会議
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明治45年5月10日
(1912年)
第44巻 p.559-567(DK440137k)
是日栄一、東京高等商業学校ニ於テ開催中ノ全国商業学校長会議ニ臨ミ、講演ヲナス。
18款 帝国実業講習会
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大正11年2月
(1922年)
第44巻 p.568-570(DK440138k)
是ヨリ先、大正二年一月、実業之日本社ニ於テ実業講習録ノ発刊ヲ企画シ、大隈重信ヲ総裁トシテ当会ヲ創立シ、栄一副総裁トナル。是年一月大隈重信逝去セルニヨリ、是月栄一、当会総裁トナリ歿年ニ及ブ。
2節 女子教育
1款 日本女子大学校
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明治43年5月17日
(1910年)
第44巻 p.571(DK440139k)
是日栄一、インド、パロダ国国王マハラジャ・サヒブ・ガイカーヲ当校ニ案内ス。
明治43年8月4日
(1910年)
第44巻 p.571-581(DK440140k)
是日ヨリ同月十六日ニ至ル期間、当校ヘノ寄付金募集並ニ女子教育ノ必要ヲ説カンガタメ、栄一、当校校長成瀬仁蔵、当校評議員森村市左衛門等ト共ニ信越地方ニ旅行ス。
明治44年4月20日
(1911年)
第44巻 p.581-584(DK440141k)
是日、当校創立満十周年記念式並ニ大学部第八回、付属高等女学校第十回卒業証書授与式挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
明治44年5月14日
(1911年)
第44巻 p.584-590(DK440142k)
是日ヨリ同月二十二日ニ至ル期間、栄一、当校ヘノ寄付金募集及ビ女子教育振興ノタメ、当校評議員大隈重信・当校校長成瀬仁蔵・当校評議員森村市左衛門・同塘茂太郎等ト共ニ、大阪・神戸・岡山・京都ノ各地ヲ旅行ス。
明治44年7月3日
(1911年)
第44巻 p.590(DK440143k)
是日栄一、アメリカ合衆国シカゴ大学教授ジェー・ピー・グードヲ当校ニ案内ス。
明治44年9月6日
(1911年)
第44巻 p.590(DK440144k)
是日栄一、アメリカ合衆国スタンフォード大学総長デーヴィッド・エス・ジョルダンヲ当校ニ案内ス。同月十七日、当校ハ同総長ヲ招待シテ午餐会ヲ開キ、且其演説ヲ乞フ。栄一出席シテ校内ヲ案内ス。
明治44年10月2日
(1911年)
第44巻 p.590(DK440145k)
是日栄一、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク日本協会会長リンゼー・ラッセル夫妻及ビインデペンダント誌主筆ハミルトン・ホールト夫妻ヲ当校ニ案内ス。
明治44年10月7日
(1911年)
第44巻 p.590(DK440146k)
是日栄一、イギリス国ロンドン大学評議員シドニー・ウエッブ夫妻ヲ当校ニ案内ス。
明治45年6月8日
(1912年)
第44巻 p.590-592(DK440147k)
是日皇太子妃殿下当校ニ成ラセラル。栄一、夫人ト共ニ奉迎拝謁ス。
大正元年12月14日
(1912年)
第44巻 p.592(DK440148k)
是日栄一、アメリカ合衆国カーネギー平和財団ヨリ派遣セラレタルハミルトン・ダブリュー・メービーヲ当校ニ案内ス。
大正2年9月25日
(1913年)
第44巻 p.592(DK440149k)
是日、当校桜楓会ニ於テ、桜楓会館開館記念式ヲ催ス。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正4年2月11日
(1915年)
第44巻 p.592-593(DK440150k)
是日栄一、アメリカ合衆国人シドニー・エル・ギューリック、同国シカゴ大学神学部長シェラー・マシューズ及ビ同国特命全権大使ジョージ・ダブリュー・ガスリーヲ当校ニ案内シ、各講演後、晩香寮ニ於テ午餐ヲ共ニス。
大正4年4月20日
(1915年)
第44巻 p.593(DK440151k)
是日、当校第十四回創立記念式挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正4年10月9日
(1915年)
第44巻 p.593-595(DK440152k)
是ヨリ先、栄一、当校経営ニ付キ尽力シ来リシガ、是日大阪ニ於テ成瀬仁蔵ト共ニ住友吉左衛門ヲ、翌十日住吉ニ久原房之助ヲ訪ヒ、当校寄付金ノ件ヲ依頼ス。
大正5年4月20日
(1916年)
第44巻 p.595-598(DK440153k)
是日栄一、当校創立第十五年記念式ニ臨ミ、財務報告ヲ兼ネテ祝辞ヲ述ブ。
大正5年7月2日
(1916年)
第44巻 p.598(DK440154k)
是日、当校ニ於テ、インド詩人ラビンドラナート・タゴールノ歓迎晩餐会催サル。栄一出席ス。
大正6年2月22日
(1917年)
第44巻 p.599-601(DK440155k)
是日栄一、成瀬仁蔵・麻生正蔵・塘茂太郎等ト共ニ、当校学制改革ヲ議定ス。四月ヨリ新学制実施セラル。
大正6年4月18日
(1917年)
第44巻 p.601-602(DK440156k)
是日、当校ニ於テ当校新任評議員奥田義人・久原房之助ノ披露式開催セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正6年4月20日
(1917年)
第44巻 p.602-604(DK440157k)
是日栄一、当校第十六回創立記念式ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
大正7年3月30日
(1918年)
第44巻 p.604-606(DK440158k)
是日栄一、当校第十五回卒業式ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
大正7年4月20日
(1918年)
第44巻 p.606-608(DK440159k)
是日栄一、当校第十七回創立記念式ニ臨ミ、演説ヲナス。
大正8年1月26日
(1919年)
第44巻 p.608-609(DK440160k)
是日栄一、当校教授兼付属高等女学校主事松浦政泰ノ追悼会ニ出席シ、追悼ノ辞ヲ述ブ。
大正8年1月29日
(1919年)
第44巻 p.609-615(DK440161k)
是日、当校校長成瀬仁蔵自ラ病ノ癒エザルヲ知リ、生徒及ビ学校関係者ヲ講堂ニ集メテ訣別ノ辞ヲ述ベ後事ヲ託ス。栄一出席シテ答辞ヲ述ブ。
大正8年3月9日
(1919年)
第44巻 p.615-618(DK440162k)
是月四日、当校校長成瀬仁蔵逝去シ、是日葬儀執行セラル。栄一病気ノ為メ参列スルヲ得ズ、当校評議員阪谷芳郎代リテ告別ノ辞ヲ述ブ。
大正8年5月29日
(1919年)
第44巻 p.618-619(DK440163k)
是日、東伏見宮周子妃殿下当校ニ来臨アリ、栄一校内ヲ案内ス。
大正8年6月18日
(1919年)
第44巻 p.619-621(DK440164k)
是日栄一、当校ニ於テ前校長故成瀬仁蔵ニ関スル所感ヲ学生一同ニ述ブ。
大正8年7月
(1919年)
第44巻 p.621-627(DK440165k)
是ヨリ先栄一、前校長故成瀬仁蔵ノ遺図タル綜合大学実現ノ準備ニ着手シ、是月、大隈重信・森村市左衛門等ト共ニ、基金百十五万円ノ募金趣意書ヲ発ス。
大正8年11月11日
(1919年)
第44巻 p.627-629(DK440166k)
是日、当校ニ於テ、当校評議員故森村市左衛門ノ追悼会催サル。栄一出席シテ追悼演説ヲナス。
大正9年3月29日
(1920年)
第44巻 p.629-630(DK440167k)
是日栄一、当校第十七回卒業式ニ臨ミ、訓辞ヲ述ブ。
大正9年4月20日
(1920年)
第44巻 p.630-632(DK440168k)
是日、当校ニ於テ、創立第二十回記念式並ニ前校長故成瀬仁蔵一周年忌催サル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正10年3月29日
(1921年)
第44巻 p.632-633(DK440169k)
是日栄一、当校第十八回卒業式ニ臨ミ、訓辞ヲ述ブ。
大正10年4月20日
(1921年)
第44巻 p.633-635(DK440170k)
是日栄一、当校創立満二十年記念式並ニ前校長故成瀬仁蔵追悼会ニ臨ミ、祝辞及ビ追懐ノ辞ヲ述ブ。
大正11年3月15日
(1922年)
第44巻 p.635-638(DK440171k)
是ヨリ先、一月十日、当校評議員大隈重信逝去ス。是日其追悼会当校ニ於テ挙行セラル。栄一出席シテ追悼ノ辞ヲ述ブ。
大正11年3月20日
(1922年)
第44巻 p.638-646(DK440172k)
是日、当校ニ於テ、栄一ノ第四回渡米帰国歓迎会開催セラル。栄一出席シテ答辞ヲ述ブ。
大正11年3月29日
(1922年)
第44巻 p.646-648(DK440173k)
是日栄一、当校第十九回卒業式ニ臨ミ、訓辞ヲ述ブ。
大正11年4月20日
(1922年)
第44巻 p.648-650(DK440174k)
是日、当校第二十二回創立記念式並ニ前校長故成瀬仁蔵墓碑除幕式挙行セラル。栄一参列ノ上、碑文ヲ撰書セルニ因リ所感ヲ述ブ。
大正12年3月24日
(1923年)
第44巻 p.650-651(DK440175k)
是日栄一、当校第二十回卒業式ニ臨ミ、訓辞ヲ述ブ。
大正13年3月28日
(1924年)
第44巻 p.651-653(DK440176k)
是日栄一、当校第二十一回卒業式ニ臨ミ、訓辞ヲ述ブ。
大正13年4月20日
(1924年)
第44巻 p.653-656(DK440177k)
是日栄一、当校創立第二十三年記念式ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
大正13年5月30日
(1924年)
第44巻 p.656(DK440178k)
是日、当校ニ於テ、アメリカ合衆国ハワイ大学教授ケー・シー・リーブリックノ講演会ヲ催ス。栄一出席ス。
大正13年6月4日
(1924年)
第44巻 p.656-660(DK440179k)
是日、当校ニ於テ、前当校評議員故和田豊治ノ追悼会挙行セラル。栄一出席シテ追悼演説ヲナス。
大正13年6月10日
(1924年)
第44巻 p.660(DK440180k)
是日当校、先ニ来日セルインド詩人ラビンドラナート・タゴールヲ招待シテ講演ヲ乞ヒ、晩餐会ヲ催ス。栄一出席ス。
大正13年10月25日
(1924年)
第44巻 p.660-663(DK440181k)
是月二十一日ヨリ同二十七日マデ、当校ニ於テ国産品展覧会ヲ開催ス。是日皇后陛下ノ行啓アリ、栄一奉迎拝謁ス。
大正14年9月12日
(1925年)
第44巻 p.663-664(DK440182k)
是日、当校評議員井上準之助新任披露式、飛鳥山邸ニ於テ催サル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。
大正15年3月27日
(1926年)
第44巻 p.664-667(DK440183k)
是日栄一、当校第二十三回卒業式ニ臨ミ、訓辞ヲ述ブ。
大正15年7月11日
(1926年)
第44巻 p.667(DK440184k)
是日栄一、フランス共和国前総理大臣エドアール・エリオ夫人ブランシュ・エリオヲ当校ニ案内ス。
昭和2年3月26日
(1927年)
第44巻 p.667-669(DK440185k)
是日栄一、当校第二十四回卒業式ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
昭和2年4月20日
(1927年)
第44巻 p.669-671(DK440186k)
是日栄一、当校創立記念式ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
昭和2年5月9日
(1927年)
第44巻 p.671(DK440187k)
是日、当校主催アメリカ合衆国人ウィリアム・イー・グリフィス夫妻ノ講演会、当校講堂ニテ催サル。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。
昭和2年5月13日
(1927年)
第44巻 p.671-684(DK440188k)
是日、当校綜合大学予科高等学部入学式挙行セラル。栄一出席シテ演説ヲナス。
昭和2年5月21日
(1927年)
第44巻 p.684-686(DK440189k)
是ヨリ先、前年度ヨリ国際聯盟協会日本女子大学校学生支部設立計画セラレ、是日、当校講堂ニ於テ其発会式ヲ挙グ。栄一、出席シテ挨拶ヲ述ブ。
昭和2年11月30日
(1927年)
第44巻 p.686-688(DK440190k)
当校学生光藤礼子、アメリカ合衆国ミシガン大学ニ入学ヲ志望セルヲ以テ、是日栄一推薦状ヲ発ス。
昭和3年3月20日
(1928年)
第44巻 p.689-691(DK440191k)
是日栄一、当校第二十五回卒業式ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。
昭和3年4月20日
(1928年)
第44巻 p.691-698(DK440192k)
是日当校創立第二十五年記念式並ニ綜合大学予科高等学部入学式、及ビ大典記念女性文化展覧会開会式挙行セラル。皇后陛下行啓アリ、栄一、参列シテ祝辞ヲ述ブ。
尚是日、桜楓会及ビ当校第二十五回生ノ計画ニヨル「成瀬先生伝」「成瀬先生追懐録」発刊サル。
栄一右ニ追懐文ヲ寄ス。
昭和4年7月6日
(1929年)
第44巻 p.698-707(DK440193k)
是日、当校ニ於テ、当校主催渋沢子爵九十寿祝賀会開催セラル。栄一之ニ臨ミ、謝辞ヲ述ブ。
昭和4年10月10日
(1929年)
第44巻 p.707-711(DK440194k)
是日、当校桜楓会機関誌『家庭週報』一千号記念号発行セラレ、栄一ノ所感掲載セラル。
昭和4年12月23日
(1929年)
第44巻 p.711-714(DK440195k)
是日、総理大臣浜口雄幸当校ニ来リ、学生ニ対シテ講演ヲナス。栄一傍聴シテ、所感ヲ当校桜楓会機関誌『家庭週報』昭和五年一月一日号ニ寄ス。
昭和5年3月22日
(1930年)
第44巻 p.714-718(DK440196k)
是日、当校第二十七回卒業式挙行セラル。栄一病気ノタメ出席スルヲ得ズ、渡辺得男ヲ派遣シテ祝辞ヲ代読セシム。
昭和6年4月25日
(1931年)
第44巻 p.718-728(DK440197k)
是日栄一、当校校長麻生正蔵辞任ニヨリ、当校校長ニ就任ス。
昭和6年11月11日
(1931年)
第44巻 p.728-742(DK440198k)
是日、午前一時五十分当校校長栄一逝ク。午前九時当校講堂ニ於テ哀悼式催サレ、全校授業ヲ休止シテ弔意ヲ表ス。十五日、葬儀ニ際シ、全校生徒沿道ニテ送葬、当校学監井上秀子弔詞ヲ贈ル。
昭和6年12月18日
(1931年)
第44巻 p.742-744(DK440199k)
是日、当校講堂ニ於テ、前校長故渋沢子爵追悼会催サル。