デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
1節 儒教
1款 聖堂保存会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年7月16日
(1909年)
第41巻 p.5(DK410001k)
是日栄一、東京市役所ニ東京市長尾崎行雄ヲ訪問シ、湯島ノ聖堂保存会ニ関シテ協議ス。
2款 孔子祭典会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年4月23日
(1911年)
第41巻 p.6-7(DK410002k)
是日当会第五回祭典ノ際、御茶ノ水旧東京高等師範学校付属中学校校舎内ニ催サレタル先哲遺墨展覧会ニ栄一、松平定信ノ画賛ヲ出品ス。
大正4年4月25日
(1915年)
第41巻 p.7-8(DK410003k)
是日、当会第九回祭典、湯島聖堂ニ開カレ、栄一参列ス。
大正5年4月23日
(1916年)
第41巻 p.8-13(DK410004k)
是日、当会第十回祭典、湯島聖堂ニ開カレ、栄一参列ス。式後、東京帝国大学法科第三十二番教室ニ講演会催サレ、栄一演説ス。
大正7年4月28日
(1918年)
第41巻 p.13-14(DK410005k)
是日、当会第十二回祭典、湯島聖堂ニ開カレ、栄一参列ス。
大正8年9月15日
(1919年)
第41巻 p.14(DK410006k)
是日、当会ハ財団法人斯文会ニ合併、ソノ祭典部ヲ成ス。
3款 財団法人斯文会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正7年10月29日
(1918年)
第41巻 p.15-31(DK410007k)
是ヨリ先、栄一ノ顧問タリシ社団法人斯文学会拡張ノ議起リ、栄一、芳川顕正・清浦奎吾・金子堅太郎・末松謙澄・阪谷芳郎ト共ニ之ニ参与ス。是日、斯文学会、研経会・東亜学術研究会・漢文学会ヲ合併シテ、新ニ財団法人斯文会ヲ組織ス。栄一顧問ニ挙ゲラル。
翌八年九月孔子祭典会ヲ、十二月孔子教会ヲ併合ス。
大正7年12月1日
(1918年)
第41巻 p.31-35(DK410008k)
是日、東京帝国大学法科大学第三十二番教室ニ於テ、当会主催ノ講演会開カル。栄一演説ス。
大正8年7月5日
(1919年)
第41巻 p.35(DK410009k)
是日当会、東京銀行倶楽部ニ於テ、聖堂保存、漢学再興ノ会合ヲ開ク。栄一出席シテ来会者ノ援助ヲ求ム。
大正9年4月25日
(1920年)
第41巻 p.35-37(DK410010k)
是日当会、湯島聖堂ニ於テ、当会第一回孔子祭典ヲ行フ。栄一出席ス。
大正9年6月1日
(1920年)
第41巻 p.37(DK410011k)
是日栄一、当会基本財産ヘ金一万円ノ寄付ヲ申込ム。
大正9年12月14日
(1920年)
第41巻 p.37-38(DK410012k)
是日、栄一ノ発意ニヨリ当会懇話会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ重要事項ヲ協議ス。
大正10年12月17日
(1921年)
第41巻 p.38-39(DK410013k)
是日栄一、当会副会長ニ推薦セラル。在任歿年ニ及ブ。
大正11年10月29日
(1922年)
第41巻 p.39-53(DK410014k)
是日、当会主催孔子二千四百年追遠記念祭、湯島聖堂ニ行ハル。栄一参列ス。同日午後東京帝国大学法科大学第三十二番教室ニ於ケル当会主催記念講演会ニ出席シテ演説ス。更ニ帝国ホテルニ於ケル当会主催晩餐会ニ出席シテ演説ス。此祭典ニ当リ、栄一、金一千円ヲ寄付ス。
大正12年1月9日
(1923年)
第41巻 p.53-54(DK410015k)
是日、華族会館ニ於テ当会顧問協議会開カル。栄一出席ス。次イデ三月三十日東京帝国大学山上会議所ニ於テ役員慰労会開カル。栄一出席ス。
大正12年4月23日
(1923年)
第41巻 p.54(DK410016k)
是日、当会主催孔子祭典、湯島聖堂ニ於テ行ハル。栄一病気ノタメ参列セズ。同日、聖堂隣接ノ東京女子高等師範学校内ニ於テ、当会主催論語展覧会催サル。栄一ソノ蒐集ニ係ル論語二百五十余部ヲ出陳ス。
大正12年6月10日
(1923年)
第41巻 p.54-61(DK410017k)
是日、当会主催尚歯会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一、正賓ノ一人トシテ出席シ、挨拶ヲ述ブ。
大正12年9月25日
(1923年)
第41巻 p.61-65(DK410018k)
是ヨリ先九月一日、関東大震火災ニヨリ当会事務所及ビ湯島聖堂罹災ス。是日、華族会館ニ於テ当会役員総会開カレ、ソノ損害報告及ビ復興ニ関シテ協議ヲナス。栄一出席ス。
大正13年4月26日
(1924年)
第41巻 p.65-72(DK410019k)
是ヨリ先、昨十二年十二月二十七日、当会理事会ニ於テ湯島聖堂再建ニ関シテ協議シ、次イデ本年二月十七日・三月三日ノ二回ニ亘リ同件ニツキ協議会ヲ開ク。栄一、毎回出席ス。是日、仮聖堂ニ於テ御物孔子像奉安式行ハレ、栄一参列ス。
大正13年4月27日
(1924年)
第41巻 p.72-74(DK410020k)
是日、仮聖堂ニ於テ当会主催孔子祭典行ハル。栄一参列ス。
大正13年11月2日
(1924年)
第41巻 p.74-78(DK410021k)
是日、当会主催第二回尚歯会、華族会館ニ開カル。
栄一出席シテ所感ヲ述ブ。
大正13年12月23日
(1924年)
第41巻 p.78-79(DK410022k)
是日、関東大震災当時ニ於ケル当会書記山本邦彦ノ美行ヲ賞センガ為メ、当会ヨリ金品ヲ贈ル。栄一金五十円ヲ之ニ寄ス。
大正14年11月4日
(1925年)
第41巻 p.79-80(DK410023k)
是日及ビ二十七日、当会役員総会、貴族院議長官舎ニ於テ開カル。栄一出席ス。
大正15年5月28日
(1926年)
第41巻 p.80(DK410024k)
是日、当会ノ計画ニヨル聖堂復興期成会創立総会、日本工業倶楽部ニ於テ開カル。栄一出席シ其副会長ニ推サレ、就任ノ挨拶ヲ述ブ。
昭和2年2月20日
(1927年)
第41巻 p.80(DK410025k)
是日栄一、当会役員ヲ飛鳥山邸ニ招キ、国訳論語編訳ニツキ協議ス。後、服部宇之吉ヲ委員長トシテ論語国訳委員会ヲ設立、起草ニ従事ス。
昭和2年5月12日
(1927年)
第41巻 p.81(DK410026k)
是日栄一、重ネテ当会副会長ニ推サル。
昭和2年10月16日
(1927年)
第41巻 p.81(DK410027k)
是日、信濃尊孔会発会式、長野県上伊那郡伊那町小学校ニ於テ開催セラル。栄一当会副会長トシテ祝辞ヲ寄セ、当会役員中村久四郎臨席代読ス。
昭和3年2月
(1928年)
第41巻 p.82(DK410028k)
是月、当会理事塩谷温、学術視察ノタメ中華民国ニ渡リ、曲阜ノ孔子廟ニ参拝スルヲ機トシ、栄一多年ノ宿願タル孔子廟参拝ニ代ヘ献本ヲ託シ、且ツ祭文ヲ自書シ、代拝代読ヲ依頼ス。
昭和3年3月11日
(1928年)
第41巻 p.82(DK410029k)
当会編訳ノ国訳論語稿本完成ヲ告ゲタルニヨリ、是日飛鳥山邸ニ於テ其報告会ヲ開ク。栄一出席ス。
昭和3年4月22日
(1928年)
第41巻 p.82(DK410030k)
是日、当会主催孔子祭典挙行後、仮聖堂隣接ノ東京女子高等師範学校ニ於テ恒例ノ展覧会ヲ開催シ、国訳論語訓点資料ヲ展観ス。栄一所蔵ノ論語ヲ出陳ス。
昭和3年5月6日
(1928年)
第41巻 p.82(DK410031k)
是日、財団法人竜門社ハ、栄一ノ米寿祝賀記念トシテ当会編訳ノ「国訳論語」ヲ当会ノ承諾ヲ得テ刊行シ、当会員及ビ全国各小学校ニ寄贈ス。但シ著作権ハ当会是ヲ所有ス。十二月、竜門社ハ原稿無償提供ニ謝意ヲ表スルタメ、当会ニ対シ聖堂復興費トシテ金三千円ヲ寄付ス。
昭和3年10月18日
(1928年)
第41巻 p.82-84(DK410032k)
是日当会、先ニ栄一ノ提議ニ依ツテ編訳セル「国訳論語」ノ完成ヲ記念シ、神田区淡路町東京商工学校ニ於テ、国訳記念論語講義ヲ開講ス。
昭和3年12月
(1928年)
第41巻 p.84-85(DK410033k)
是月、当会発行ノ雑誌「斯文」ニ当会会員、栄一米寿祝賀ノ詩ヲ寄ス。
昭和4年1月
(1929年)
第41巻 p.85-88(DK410034k)
是月当会発行ノ雑誌「斯文」ニ栄一『己巳元旦書感』ト題スル詩ヲ寄セ、当会会員之ニ次韻ス。
昭和4年4月27日
(1929年)
第41巻 p.88-90(DK410035k)
是日、当会総裁伏見宮博恭王ノ奉戴式挙行セラル。式後、創立五十年記念式行ハレ、当会功労者ヘ総裁宮ヨリ褒状ヲ授与セラル。栄一ハ列席セザレドモ功労者トシテ褒状及ビ木杯ヲ受領ス。尚、同日開催ノ尚歯会ニモ栄一出席セズ。
後チ栄一、当会会員ヨリ米寿祝賀ノ詩ヲ贈ラレタルト、本年ノ尚歯会ニ正賓トシテ招待サレタルニ対シ、謝意ヲ表スルタメ、自筆玻璃版複製ノ「大学」並ニ「前赤壁賦」帙人二冊他二点ヲ当会ニ寄付ス。
昭和4年10月6日
(1929年)
第41巻 p.90-91(DK410036k)
是日、当会書記山本邦彦勤続五十年ニ及ブヲ以テ、当会ハ之ニ慰労金ヲ呈ス。栄一之ニ金一千円ヲ寄付ス。
昭和5年2月
(1930年)
第41巻 p.91-95(DK410037k)
是月、故徳川慶久ノ息女喜久子姫、高松宮妃ニ備ハル。栄一奉賀ノ漢詩ヲ成シ、当会会員之ニ次韻シテソノ詩箋ヲ徳川家ヘ贈ル。
昭和5年8月
(1930年)
第41巻 p.95(DK410038k)
是月、当会発行ノ雑誌「斯文」ニ、栄一『学者ノ奮起ヲ望ム』ト題スル談話ヲ発表ス。
昭和6年7月
(1931年)
第41巻 p.95-96(DK410039k)
是月、当会発行ノ雑誌「斯文」山陽先生百年祭記念号ニ、栄一『日本外史ノ教訓』ト題スル談話ヲ発表ス。
昭和6年9月6日
(1931年)
第41巻 p.96(DK410040k)
是日栄一、中華民国水災同情会会長トシテ、飛鳥山邸ヨリ義金ノ募集ニツキ放送ス。塩谷温コレヲ聞キ「九月六日夜聴青淵子爵賑災勧募電声感而有作」ノ漢詩一首ヲ成シ、当会会員有志ノ次韻ヲ募リテ栄一ニ贈ル。
昭和6年11月15日
(1931年)
第41巻 p.96-99(DK410041k)
是ヨリ先、是月十一日栄一歿ス。是日、栄一ノ葬儀ニ当リ、当会会長徳川家達、弔詞ヲ寄ス。
4款 聖堂復興期成会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正15年3月17日
(1926年)
第41巻 p.100-102(DK410042k)
湯島聖堂ハ大正十二年九月一日関東大震火災ニ罹災シ、翌十三年四月仮聖堂ヲ建テ、御物孔子像ノ交付ヲ受ケテ奉安式ヲ挙行シ、爾来孔子祭典ヲ継続シ来タレルモ更ニ聖堂復興ノ議起リ、去ル二月二十五日、栄一斯文会役員トソノ方策ヲ協議シ、是日宮内大臣一木喜徳郎、総理大臣若槻礼次郎ヲ訪問シテソノ援助ヲ請フ。次イデ五月三日徳川家達、栄一等ヲ貴族院議長官舎ニ招キ、復興計画発表ニツキ議ス。
大正15年5月28日
(1926年)
第41巻 p.102-132(DK410043k)
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、聖堂復興期成会発起首唱者総会開カレ、聖堂復興期成会成立シ、栄一副会長トナル。爾後、寄付金募集ニ尽力シ、自ラ金五万円ヲ寄付ス。
昭和5年5月24日
(1930年)
第41巻 p.132-135(DK410044k)
是日、文部省ニ地方長官会議開カル。栄一出席シテ当会ヲ代表シ、各地方ニ於ケル寄付金募集ノ謝意ト今後ノ希望トヲ述ブ。
昭和5年8月
(1930年)
第41巻 p.135-137(DK410045k)
是月発行ノ斯文会雑誌「斯文」ニ栄一『学者ノ奮起ヲ望』ムト題スル談話ヲ発表ス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第41巻 p.137(DK410046k)
是日、栄一ノ葬儀ニ当リ、当会会長徳川家達弔詞ヲ贈ル。
昭和10年4月4日
(1935年)
第41巻 p.137-140(DK410047k)
是ヨリ先昭和七年四月二十四日、湯島聖堂再建ノ地鎮祭挙行後、当会理事福島甲子三、栄一ノ墓前ニ其ノ報告ヲナス。是日、聖堂新築落成式後、当会理事長阪谷芳郎、栄一ノ墓前ニ其落成ヲ報告ス。
5款 孔子誕辰会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正元年10月21日
(1912年)
第41巻 p.141-144(DK410048k)
是日、孔子誕辰会第二回集会、東京帝国大学山上御殿ニ開カル。栄一、出席シテ演説ス。
6款 曲阜孔子廟参拝
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正3年5月28日
(1914年)
第41巻 p.145-154(DK410049k)
是月二日、栄一、孔子廟参拝及ビ中華民国視察ノ目的ヲ以テ東京ヲ発シ、上海・杭州・南京・漢口・北京ヲ巡廻シテ、二十七日天津ニ至レルモ、健康ヲ害シ、是日、遂ニ宿願ノ山東省曲阜ノ孔子廟参拝ヲ中止シ、帰国ト決ス。
昭和3年2月
(1928年)
第41巻 p.154-157(DK410050k)
是月、斯文会理事塩谷温、中華民国ニ赴キ曲阜ノ孔子廟ニ参拝スルヲ機トシ、栄一、手写ノ玻璃版複製ノ論語及ビ孝経ヲ献納シ、旦ツ祭文ヲ自書シテ代読代拝ヲ依頼ス。
--第41巻 p.157-163(DK410051k)
--
7款 信濃尊孔会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和2年10月16日
(1927年)
第41巻 p.164-165(DK410052k)
是日、信濃尊孔会発会式、長野県上伊那郡伊那町小学校ニ於テ開カル。栄一、財団法人斯文会副会長トシテ祝辞ヲ寄セ、同会役員中村久四郎臨席代読ス。
8款 陽明学会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治43年6月11日
(1910年)
第41巻 p.166-171(DK410053k)
是日、上野公園韻松亭ニ於テ当会懇親会催サル。栄一出席シテ演説ヲナス。
明治44年10月22日
(1911年)
第41巻 p.171-178(DK410054k)
是日、芝公園福住楼ニ於テ、当会秋季懇親会催サル。栄一出席シテ演説ヲナス。
明治45年4月13日
(1912年)
第41巻 p.178-181(DK410055k)
是日、芝公園福住楼ニ於テ、当会主催「東沢瀉先生・栗栖天山先生及南部五竹先生贈位祭」ヲ兼ネ当会春季懇親会開カル。栄一出席ス。
大正3年12月
(1914年)
第41巻 p.181-183(DK410056k)
是月当会、学舎新設ノ件ニ関スル趣意書ヲ発表ス。栄一、応募出金ヲ約ス。
大正6年4月
(1917年)
第41巻 p.183-185(DK410057k)
是月当会、中旬ヲ期シ、雑誌「陽明学」満百号祝賀兼春季懇親会ヲ、日比谷大神宮境内大松閣ニ開催スル予定ナリシガ、栄一ノ都合ソノ他ニヨリ流会トス。
大正10年1月
(1921年)
第41巻 p.185-188(DK410058k)
栄一、引続キ当会ノ為メ尽力スル所アリシガ、是月栄一、陽明学会賛助会設立趣意書並ニ賛助会規約ヲ発案ス。
大正10年3月13日
(1921年)
第41巻 p.188-194(DK410059k)
是日、当会春季大懇親会ヲ飛鳥山邸ニ開ク。栄一臨席シテ前後二回ニ亘リ所感ヲ述ベ、毎月一・二回、当会主幹東正堂ヲ講師トスル「王陽明全書」ノ講読会ヲ提唱ス。
大正11年5月14日
(1922年)
第41巻 p.194-195(DK410060k)
是日、当会陽明全書講読会発会式ヲ飛鳥山邸ニ於テ挙行ス。栄一発会ノ辞ヲ述ブ。
大正11年6月24日
(1922年)
第41巻 p.195-227(DK410061k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、当会主催陽明全書講読会第一席ヲ開始ス。是ヨリ以降、大正十二年関東大震火災直前迄、毎月連続開講、栄一毎回出席ス。
昭和2年4月23日
(1927年)
第41巻 p.227-237(DK410062k)
是日、関東大震火災ノ為メ中絶セル、当会ノ陽明全書講読会ヲ、渋沢事務所ニ於テ再開ス。爾後概ネ毎月二回開催セラル。
昭和2年9月10日
(1927年)
第41巻 p.237-247(DK410063k)
是日栄一、渋沢事務所ニ開カレタル当会陽明全書講読会ニ出席シ、桃井可堂ニ就キ談話ヲナス。尚右講読ハ翌三年五月ニ至ル迄概ネ毎月開催セラル。
昭和2年11月26日
(1927年)
第41巻 p.247-248(DK410064k)
是日、渋沢事務所ニ於テ、当会元幹事故奥宮正治(南鴻)追悼会ヲ開ク。栄一、追悼ノ辞ヲ述ブ。是ヨリ先、栄一、故人ノ先考奥宮慥斎ノ著「聖学問要」ノ刊行ニ与ル。
昭和3年10月
(1928年)
第41巻 p.248-253(DK410065k)
是月、当会主催陽明全書講読会主任東敬治病気ノ為メ退任ニツキ、其後任トシテ講師ニ山田準ヲ委嘱シ、会名ヲ陽明会ト改メ、略則ヲ定メ、栄一ヲ顧問ニ推ス。
昭和6年12月14日
(1931年)
第41巻 p.253-259(DK410066k)
是日、当会主催「青淵先生追悼会」、渋沢事務所ニ於テ開催セラル。
9款 論語蒐集
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正11年11月5日
(1922年)
第41巻 p.260-269(DK410067k)
是ヨリ先、是年春以来栄一、穂積陳重ニ各種ノ論語蒐集ヲ委嘱シ、是日、日本工業倶楽部ニ於テ開催セラレタル竜門社秋季総集会並ニ孔夫子追遠記念講演会ニ、右コレクションヲ展観ス。
大正15年11月7日
(1926年)
第41巻 p.269-278(DK410068k)
先ニ蒐集セル論語コレクション、大正十二年九月一日ノ関東大震火災ノ為メ焼失ス。依ツテ再ビ穂積陳重ノ名ヲ以テ蒐集ニ努メ、是ヲ飛鳥山邸内ノ青淵文庫ニ格納ス。青淵文庫ハ栄一八十寿並ニ陞爵記念トシテ、祝賀会ヨリ寄贈サレタルモノナリ。是日栄一、同文庫寄贈者ヲ飛鳥山邸ニ招待シテ、答礼ノ園遊会ヲ催シ、論語コレクションヲ展示シ、手書論語(玻璃版複製)ヲ頒ツ。
昭和18年11月11日
(1943年)
第41巻 p.278-280(DK410069k)
是日、栄一ノ十三回忌辰ニ当リ、嗣孫敬三、兼テ諸橋轍次ニ依嘱シテ、青淵論語文庫現在図書九百五部六千三百六十七冊ヲ分類整理ノ上編纂セル、青淵論語文庫目録全一冊ヲ発行シテ知人ニ頒ツ。
10款 論語語由ノ複製
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正8年2月
(1919年)
第41巻 p.281-283(DK410070k)
是月栄一、文化三年ニ筑前国秋月藩主黒田長舒ガ開版セル、亀井魯(南冥)著「論語語由」二十巻十冊ヲ、玻璃版ニ複製シ、知人ニ頒ツ。
本版ノ底本ハ、明治十三年ノ補刻版ニ、南冥ノ子昭陽ガ傍註ヲ手書セルモノナリ。
11款 語由述志ノ複製
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正11年9月
(1922年)
第41巻 p.284(DK410071k)
是月栄一、亀井昱(昭陽)著「語由述志」十巻九冊ヲ、昭陽手書ノ原本ヨリ玻璃版ニ複製シテ、知人ニ頒ツ。
12款 手写孝経
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正11年11月23日
(1922年)
第41巻 p.285-288(DK410072k)
是日栄一、和田豊治ニソノ手写シタル孝経ヲ贈ル。和田豊治ハ是ヲ影印シテ知人ニ頒タントシテ果サズ、十三年三月四日歿ス。仍ッテ家人ハ其ノ遺志ヲ継承シテ、玻璃版ニ複製シ同年八月知人ニ頒ツ。
13款 手写論語
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正15年10月
(1926年)
第41巻 p.289(DK410073k)
是ヨリ先大正十二年、栄一、論語十巻手写ノ計画ヲ立テ、是月全文ノ書写ヲ終ル。
昭和2年7月
(1927年)
第41巻 p.289-291(DK410074k)
是月栄一、手写ノ論語十巻二冊ヲ玻璃版ニ複製シテ、知人ニ頒ツ。
14款 手写大学
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和4年4月
(1929年)
第41巻 p.292(DK410075k)
是月栄一、大学ヲ手写ス。後、是ヲ玻璃版一冊ニ複製シ、同年手写複製ノ前赤壁賦一冊ト同帙トシテ知人ニ頒ツ。
15款 宗版[宋版]論語注疏ノ複製
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和5年2月18日
(1930年)
第41巻 p.293(DK410076k)
是日、兼テ栄一ヨリ塩谷温ヲ通ジテ、宮内省図書頭ニ対シ出願ニ及ベル、同省図書寮所蔵ノ宋版論語注疏十巻十冊撮影並ニ複製刊行ノ件許可セラル。
昭和6年8月
(1931年)
第41巻 p.293-305(DK410077k)
栄一、宮内省図書寮所蔵ノ宋版論語注疏十巻十冊ヲ、三百部ヲ限リテ玻璃版ニ複製完成セルヲ以テ、是月五日天皇・皇后・皇太后三陛下、次イデ秩父宮・高松宮・澄宮ノ各殿下ニ献納シ、更ニ、内外ノ学校・図書館並ニ知人ニ頒ツ。
16款 論語年譜ノ編纂
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正5年11月26日
(1916年)
第41巻 p.306(DK410078k)
是日、竜門社ハ帝国ホテルニ於テ、第五十六回秋季総集会ヲ兼ネテ栄一ノ喜寿祝賀会ヲ開催シ、祝賀記念トシテ栄一ニ「論語年譜」二巻二冊ヲ贈ル。
大正5年11月26日
(1916年)
第41巻 p.306-320(DK410079k)
是ヨリ先、竜門社ハ栄一ノ喜寿祝賀記念事業トシテ「論語年譜」ノ編纂ヲ林泰輔ニ依嘱シ、完成ヲ告グ。是日、東京ノ大倉書店ヨリ、上下二巻二冊トシテ発行セラル。但シ本書ノ著作権ハ竜門社是ヲ所有ス。
17款 国訳論語ノ編訳
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昭和2年2月20日
(1927年)
第41巻 p.321-323(DK410080k)
是ヨリ先、栄一斯文会副会長トシテ、同副会長阪谷芳郎ヲ通ジテ同会総務服部宇之吉ニ対シ、同会ニ於テ国訳論語編訳ノ計画アランコトヲ提議ス。是日栄一、飛鳥山邸ニ同会役員ヲ招キ、右計画ニ関スル相談会ヲ開ク。
昭和2年4月6日
(1927年)
第41巻 p.323-325(DK410081k)
是日、斯文会ノ計画ニ係ル論語国訳ノ編訳ニ関スル協議会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席ス。
昭和2年12月7日
(1927年)
第41巻 p.325-329(DK410082k)
是年、栄一米寿ニ達セルヲ以テ、竜門社ハソノ祝賀ニ就キ、是日第一回準備委員会ヲ第一銀行本店ニ開ク。席上、祝賀記念事業ノ一トシテ予ネテ斯文会ニテ編訳中ノ国訳論語ノ発行ヲ竜門社ニ於テ行ハントスル議アリ。後、斯文会ハ是ヲ容レ、発行ヲ竜門社ニ委セリ。著作権ハ斯文会是ヲ所有ス。
昭和3年3月11日
(1928年)
第41巻 p.330-340(DK410083k)
斯文会編訳ノ国訳論語稿本完成ヲ告ゲタルニヨリ、是日、飛鳥山邸ニ於テ同会ノ報告会開カル。
昭和3年4月22日
(1928年)
第41巻 p.340-341(DK410084k)
是日、斯文会ハ、湯島仮聖堂ニ於テ孔子祭典ヲ執行後、東京女子高等師範学校ニ展覧会ヲ催シ、国訳論語ノ作成ニ参考トセル訓点資料ノ展観ヲナス。栄一所蔵ノ論語ヲ出陳ス。
昭和3年5月6日
(1928年)
第41巻 p.341-346(DK410085k)
是日、竜門社ハ栄一ノ米寿祝賀記念トシテ斯文会編訳ノ「国訳論語」ヲ発行ス。二種アリテ、袖珍本ハ竜門社会員、斯文会会員及ビ関係各方面ニ、大型本ハ全国小学校ニ寄贈ス。更ニ同ジク斯文会編集「訓点論語」ヲ発行、同ジ目的ヲ以テ師範学校・中学校ニ寄贈ス。後ニ実業学校・図書館ニモ寄贈セリ。是年十二月ニ至リ竜門社ハ斯文会ニ対シ謝意ヲ表スルタメ聖堂復興費金三千円ヲ寄付ス。
18款 栄一ノ論語ニ関スル講演談話ヲ編集セルモノ 1. 論語と算盤
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大正5年9月
(1916年)
第41巻 p.347-352(DK410086k)
是月、梶山彬「竜門雑誌」中ノ栄一ノ論語ニ関スル講話ヲ編集シ「論語と算盤」(全一冊)ト題シテ東京ノ東亜堂書房ヨリ発行ス。昭和二年二月、凡例中ノ渋沢男爵ヲ渋沢子爵ト改メ、忠誠堂ヨリ刊行ス。同三年一月同所ヨリ再版刊行。更ニ同二十九年十月、浅野重次郎、編者並ニ出版者ノ承認ヲ得テ別版ヲ刊行ス。同三十年六月、同人再版刊行。
18款 栄一ノ論語ニ関スル講演談話ヲ編集セルモノ 2. 渋沢子爵活論語
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大正11年11月
(1922年)
第41巻 p.352-354(DK410087k)
是月、安達大寿計、「竜門雑誌」ニ掲載サレタル栄一ノ論語ニ関スル講話ヲ編集シ「渋沢子爵活論語」(全一冊)ト題シテ、東京ノ宣伝社ヨリ発行ス。
18款 栄一ノ論語ニ関スル講演談話ヲ編集セルモノ 3. 実験論語処世談
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大正11年12月
(1922年)
第41巻 p.354-360(DK410088k)
是ヨリ先、大正四年六月ヨリ同十一年九月ニ至ル間、実業之世界社ハ、栄一ノ論語ニ関スル口話ヲ筆記シ、雑誌「実業之世界」ヘ連載ス。
是月同社ハ、右筆録ヲ合集シ「実験論語処世談」(全一冊)ト題シテ発行ス。
18款 栄一ノ論語ニ関スル講演談話ヲ編集セルモノ 4. 論語講義
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大正14年10月23日
(1925年)
第41巻 p.360-370(DK410089k)
是ヨリ先大正十二年四月、二松学舎ニ於テ講義録ヲ発刊、栄一論語講義ヲ担当シ、ソノ口話筆記ヲ連載シ、是年九月ニ至リ完了ス。
是日二松学舎出版部ヨリ、右筆記ヲ合冊シ「論語講義」(乾坤二巻二冊)ト題シテ発行ス。
18款 栄一ノ論語ニ関スル講演談話ヲ編集セルモノ 5. 処世の大道
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昭和3年9月
(1928年)
第41巻 p.370-371(DK410090k)
是月、実業之世界社ハ、大正十一年十二月刊行ノ「実験論語処世談」ヲ改版、「処世の大道」(全一冊)ト改題シテ発行ス。昭和十二年五月第十二版ヲ発行ス。
19款 栄一ノ論語ニ関スル講話
○栄一ノ論語ニ関スル講話筆記ヲ左ニ録ス。
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--第41巻 p.372-403(DK410091k)
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20款 栄一ノ儒教ニ関スル論説講話
○栄一ノ儒教ニ関スル論説講話筆記ヲ左ニ録ス。
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--第41巻 p.404-421(DK410092k)
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21款 諸家ノ批評及ビ論説
○栄一ノ論語ニ関スル所説ニツキ諸家ノ批評・論説ノ一斑ヲ左ニ録ス。
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--第41巻 p.422-455(DK410093k)
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2節 神社
1款 神苑会
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明治43年10月18日
(1910年)
第41巻 p.456-459(DK410094k)
是日栄一、神苑会監事トナル。翌四十四年四月、当会ハ事業完了ニヨリ解散ス。
2款 諏訪神社(埼玉県)
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大正3年10月10日
(1914年)
第41巻 p.460-461(DK410095k)
是日栄一、郷里血洗島ヘ赴キ、村社諏訪神社ノ祭典ニ参列シ、渋沢市郎宅ニ一泊ス。
大正4年10月10日
(1915年)
第41巻 p.461-464(DK410096k)
是日栄一、当神社ノ拝殿及ビ社務所新築寄進ノ事ヲ発表ス。是ニ要スル費用総額金一万円ナリ。
大正5年9月27日
(1916年)
第41巻 p.464-472(DK410097k)
当神社拝殿落成シ、是日祭典当日ヲ卜シ、献納ノ奉告祭行ハル。栄一参列シテ演説ヲナス。又同拝殿内ニ掲グル扁額ヲ献納シ、記念樹ヲ境内ニ手植ス。
大正5年10月1日
(1916年)
第41巻 p.472-488(DK410098k)
是日、当神社境内ニ於テ栄一ノ喜寿碑除幕式行ハル。栄一列席シテ謝辞ヲ述ブ。
大正10年9月27日
(1921年)
第41巻 p.488(DK410099k)
是日、当神社ノ臨時大祭ヲ期シ、栄一ノ渡米安穏祈願祭執行セラル。栄一列席シ、渋沢治太郎宅ニ一泊ス。
大正11年9月30日
(1922年)
第41巻 p.488-491(DK410100k)
是日、当神社祭典ノ夜、栄一、渋沢治太郎宅ニ於テ八基村民ニ対シテ演説ヲナス。
大正13年9月27日
(1924年)
第41巻 p.491(DK410101k)
是日栄一、当神社祭典ニ参列シ、渋沢治太郎宅ニ一泊ス。
大正15年9月27日
(1926年)
第41巻 p.491-492(DK410102k)
是日栄一、当神社祭典ニ参列シ、青淵図書館付属書庫落成式ニ臨ミ、渋沢治太郎宅ニ一泊ス。
昭和2年10月22日
(1927年)
第41巻 p.492-501(DK410103k)
是日栄一、当神社祭典ニ参列シ、桃井可堂記念碑除幕式ニ臨ミ、渋沢治太郎宅ニ一泊ス。
昭和6年12月28日
(1931年)
第41巻 p.501-513(DK410104k)
是日、当神社ニ於テ栄一帰天奉告祭ヲ執行シ、次イデ八基小学校ニ於テ追悼会催サル。
3款 神宮御造営奉賛有志委員会
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大正元年8月9日
(1912年)
第41巻 p.514-529(DK410105k)
是ヨリ先、栄一、東京市長阪谷芳郎・東京商業会議所会頭中野武営・近藤廉平等ト東京市民ノ熱望ニヨリ、明治天皇ヲ奉祀スル神宮ヲ都下ニ建設センコトヲ首唱シ、是日、東京商業会議所ニ東京市各公共団体主脳者ト会シ神宮御造営奉賛有志委員会ヲ組織シ、委員長ニ推サル。爾後数次会合ヲ催シ、覚書ヲ作成、首相以下各大臣ニ提出、更ニ各委員ト共ニ首相・宮相ヲ歴訪シテ陳情ニ努メ、翌二年八月、重ネテ請願書ヲ内務大臣ニ提出セリ。大正二年十月二十八日、神宮創建ノ議ハ閣議決定ヲ見、神宮奉祀調査委員会設立ス。即チ当会ハ其目的ヲ達シタレバ大正三年十二月十四日解散セリ。
4款 神社奉祀調査会
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大正2年12月22日
(1913年)
第41巻 p.530-542(DK410106k)
是日栄一、明治神宮造営ノ調査機関タル神社奉祀調査会ノ官制ニヨリ、内閣ヨリ調査委員ヲ依嘱セラル。翌三年十一月三日調査完了シ、四年四月三十日官制廃止セラル。
5款 財団法人明治神宮奉賛会
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大正3年12月14日
(1914年)
第41巻 p.543-550(DK410107k)
是日栄一、阪谷芳郎・中野武営等ト東京商業会議所ニ会シ、神宮御造営奉賛有志委員会ヲ解散シ、新タニ全国民ニヨル神宮外苑ノ造営・奉献ヲ目的トスル明治神宮奉賛創立準備委員会ヲ組織ス。栄一準備委員長ニ推サル。
翌四年五月、趣意書及ビ規約ヲ発表シ、六月十四日会長ニ徳川家達ヲ推シ、同月十七日総裁ニ伏見宮貞愛親王ヲ奉戴ス。九月六日、総裁宮ヨリ副総裁以下役員ノ依嘱アリ。栄一副会長ヲ嘱託セラル。斯クテ当奉賛会ノ成立ヲ見タルヲ以テ、九月十日創立準備委員会ヲ解ク。
大正4年9月8日
(1915年)
第41巻 p.551-560(DK410108k)
是日栄一、宮相官邸ニ開カレタル当奉賛会協議会ニ出席シ、創立経過ヲ報告ス。次イデ十月十二日、新宿御苑ニ発会式挙行サレシモ栄一欠席ス。爾後栄一、各地ノ献金勧募ニ努ム。
大正4年9月29日
(1915年)
第41巻 p.560-562(DK410109k)
是日栄一、第一銀行支店開設ニ関シ、東京ヲ発シテ広島・熊本ニ赴ク。途次各地ニ於テ当奉賛会ニツキ懇請・報告等尽力少ナカラズ。
大正5年9月26日
(1916年)
第41巻 p.562-566(DK410110k)
是月、当奉賛会、組織ヲ改メ財団法人トナル。是日栄一、総裁宮ヨリ当奉賛会理事ヲ嘱託セラル。副会長元ノ如シ。七年三月理事長阪谷芳郎渡支ニ付、留守中理事長代理トナル。
大正7年6月1日
(1918年)
第41巻 p.566-569(DK410111k)
是日、当奉賛会ヨリ明治神宮造営局ニ設計及ビ施工ヲ委嘱セル明治神宮外苑ノ地鎮祭挙行セラル。栄一参列ス。
大正9年3月
(1920年)
第41巻 p.569(DK410112k)
是月栄一、当奉賛会ヘ金一万四千円ヲ寄付ス。
大正9年10月2日
(1920年)
第41巻 p.569-573(DK410113k)
明治神宮ノ社殿造営成リ、十一月一日ヨリ三日間鎮座祭行ハレントス。是日栄一、東京商業会議所会頭藤山雷太ト謀リ、東京府下ノ有力ナル銀行・会社ノ代表者ヲ、東京商業会議所ニ招キテ奉祝方法ヲ協議シ、醵金四万三千余円ヲ得、之ヲ明治神宮ニ献納ス。
大正15年10月22日
(1926年)
第41巻 p.573-578(DK410114k)
先ニ当奉賛会ヨリ明治神宮造営局ニ設計及ビ施工ヲ委嘱セル、明治神宮外苑ノ造園並ニ聖徳記念絵画館其他ノ建造物完成ス。是日当奉賛会ヨリ是ヲ明治神宮ニ献納ノタメ、聖徳記念絵画館ニ於テ、摂政宮殿下台臨ノ下ニ、明治神宮外苑奉献式ヲ挙行ス。栄一参列ス。
昭和5年7月10日
(1930年)
第41巻 p.578-584(DK410115k)
是日栄一、明治神宮外苑聖徳記念絵画館ニ、大久保作次郎揮毫ノ壁画「グラント将軍ト御対談ノ図」一点ヲ献納ス。十一月十九日、栄一同館ニ赴キテ之ヲ観ル。
昭和6年11月15日
(1931年)
第41巻 p.584-585(DK410116k)
是日、栄一ノ葬儀ニ際シ、当奉賛会会長徳川家達、弔詞ヲ贈ル。
昭和12年4月24日
(1937年)
第41巻 p.585-586(DK410117k)
是ヨリ先四月十九日、当奉賛会解散ス。翌二十日天皇皇后両陛下、聖徳記念絵画館ニ行幸啓アリ。是日会長徳川家達、栄一ノ墓所ニ理事槙忠一郎ヲ派遣シテ、其報告ヲナス。
--第41巻 p.586-587(DK410118k)
--
6款 明治神宮造営局
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正4年5月19日
(1915年)
第41巻 p.588-590(DK410119k)
是日栄一、内閣ヨリ明治神宮造営局評議委員ヲ委嘱セラル。同十三年十二月二十日造営局官制改正ニヨリ、評議委員廃止セラル。
7款 日光東照宮三百年祭奉斎会
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大正2年4月23日
(1913年)
第41巻 p.591-594(DK410120k)
是日、日光東照宮三百年祭記念事業ヲ援助スル為メ、麹町区内幸町ノ博覧会協会事務所ニ於テ有志協議ノ上、奉斎会ヲ組織ス。栄一顧問ニ推サル。
大正2年9月5日
(1913年)
第41巻 p.594-595(DK410121k)
是ヨリ先、当奉斎会会長林董逝ク。是日栄一、当奉斎会会長タルコトヲ承諾ス。
大正2年10月1日
(1913年)
第41巻 p.595-596(DK410122k)
是日、宇都宮市ニ於テ当奉斎会下野支部発会式挙行セラル。栄一、会長トシテ幹部員数名ト共ニ参列シ、当奉斎会創立ノ趣旨ヲ演説ス。
大正2年10月3日
(1913年)
第41巻 p.596-597(DK410123k)
是日当奉斎会、華族会館ニ宗像政外三十余名ヲ招待シ、当奉斎会設立ノ趣旨ニ就イテ賛助ヲ求メ、予算金十万円ヲ金二十万円ニ変更ス。栄一右会合ノ議長タリ。
大正3年9月28日
(1914年)
第41巻 p.597(DK410124k)
是日、皇室ヨリ当奉斎会ヘ金一万円ヲ下賜セラル。栄一会長トシテ宮内省ニ出頭シ、波多野宮相ヨリ受領ス。
大正3年
(1914年)
第41巻 p.597-599(DK410125k)
是年、栄一当奉斎会ニ金二千円ヲ寄付ス。
大正4年4月17日
(1915年)
第41巻 p.599-600(DK410126k)
是日、上野寛永寺、東照宮三百年遠忌法要ヲ執行ス。栄一参列ス。
大正4年5月16日
(1915年)
第41巻 p.600-612(DK410127k)
是日、川越町喜多院ニ於テ、星岳保勝会総会並ニ東照宮三百年遠忌法要執行セラル。栄一、総会ニ出席シテ演説ヲナシ、畢テ法会ニ参列ス。
大正4年6月3日
(1915年)
第41巻 p.612-622(DK410128k)
是日、日光東照宮ニ於テ、三百年記念大祭挙行セラル。栄一当奉斎会会長トシテ前日ヨリ日光ニ赴キ、同大祭ニ参列ス。
大正五年三月三十一日当奉斎会ヲ解散ス。
8款 南湖神社関係 1. 大礼記念楽翁公奉祀表徳会
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大正5年5月11日
(1916年)
第41巻 p.623-626(DK410129k)
是日、福島県白河町町長及ビ有志、栄一ヲ訪問シ、大正天皇御大典記念トシテ、同町ニ大礼記念楽翁公奉祀表徳会ヲ組織ノ上、同町南湖ニ南湖神社建立ヲ企画ノ旨開陳ス。栄一之ニ賛同シ、依頼ニ応ジテ当表徳会総裁タルコトヲ承諾ス。
大正5年7月29日
(1916年)
第41巻 p.626-627(DK410130k)
是日栄一、当表徳会ニ金二千円ノ寄付申込ヲナス。又東京市内富豪ニ対スル寄付勧誘ヲ斡旋ス。
大正5年8月23日
(1916年)
第41巻 p.627-628(DK410131k)
是日栄一、栃木県塩原温泉ニ滞在中、当表徳会ヨリノ懇請ニヨリ、福島県白河町ヲ訪レ、南湖神社建設地ヲ視察シ、同町第三小学校ニ於テ講演ヲナス。
大正9年4月17日
(1920年)
第41巻 p.628-631(DK410132k)
是日栄一、当表徳会ニ対シ重ネテ金一万円ノ寄付ヲナス。
8款 南湖神社関係 2. 南湖神社
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大正10年5月5日
(1921年)
第41巻 p.631-633(DK410133k)
是ヨリ先、大正九年五月十日付ヲ以テ内務大臣ヨリ南湖神社創立ノ件許可セラレ、同年六月六日当神社地鎮祭行ハル。栄一ノ代理トシテ、東京市養育院幹事田中太郎之ニ臨ム。次イデ是日、立柱祭行ハレ、栄一参列ス。
大正11年5月14日
(1922年)
第41巻 p.633-634(DK410134k)
是日栄一、自書ノ南湖神社神札及ビ社標ノ書稿ヲ寄進ス。
大正11年6月13日
(1922年)
第41巻 p.634-638(DK410135k)
是日、当神社鎮座祭行ハル。栄一、前日ノ神体遷座式ヨリ二日間ニ亘ル祭式ニ参列ス。十二年五月一日県社ニ昇格ス。
大正14年5月2日
(1925年)
第41巻 p.638-643(DK410136k)
是日栄一、当神社ニ橋本永邦筆白桜図・下村観山筆紅楓図ノ扁額二面ヲ寄進ス。十一月、楽翁公奉祀表徳会解散ス。
8款 南湖神社関係 3. 南湖神社奉賛会
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昭和2年5月13日
(1927年)
第41巻 p.643-645(DK410137k)
是ヨリ先、四月八日、南湖神社奉賛会成立ス。是日栄一、当奉賛会総裁トナリ、在任歿年ニ及ブ。
四年十一月、栄一、当奉賛会ニ金三千円ヲ寄付ス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第41巻 p.645-647(DK410138k)
是日栄一ノ葬儀ニ際シ、南湖神社社司中目瑞男等霊前ニ弔辞ヲ呈ス。
9款 其他 1. 厳島神社
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大正7年10月6日
(1918年)
第41巻 p.648-650(DK410139k)
是日栄一、厳島神社千畳閣修繕費トシテ、金五百円ヲ当神社協賛会ニ寄付ス。
9款 其他 2. 藤樹神社創立協賛会
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大正10年1月20日
(1921年)
第41巻 p.650-655(DK410140k)
是日栄一、藤樹神社創立協賛会顧問タルコトヲ承諾シ、且、金千円ヲ寄付ス。次イデ寄付金募集其他ヲ援助ス。十一年五月二十日、自書ノ扁額ヲ寄進ス。顧問在任歿年ニ及ブ。
9款 其他 3. 官幣大社吉野神宮奉賛会
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大正13年6月
(1924年)
第41巻 p.655-662(DK410141k)
是月栄一、吉野神宮奉賛会顧問トナリ、寄付金募集ニ尽力シ、昭和四年九月十四日、金一千五百円ノ寄付申込ヲナス。尚、会長松平頼寿ト連名ニテ、各評議員並ニ海外在留民ニ寄付ノ依頼ヲナス。
9款 其他 4. 天満宮千二十五年祭北野会
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大正15年4月1日
(1926年)
第41巻 p.662-667(DK410142k)
是日栄一、官幣中社北野神社千二十五年祭北野会ノ顧問ニ推薦セラル。次イデ寄付金募集ヲ援助スル処アリ、自ラモ金千円ヲ寄付ス。
昭和3年4月28日
(1928年)
第41巻 p.667-669(DK410143k)
是日、天満宮千二十五年祭ニ際シ栄一ノ献詩披講サル。
9款 其他 5. 作楽神社保存会
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大正15年5月8日
(1926年)
第41巻 p.669-671(DK410144k)
是ヨリ先、平沼騏一郎ヲ委員長トスル作楽神社保存会組織セラレ、栄一当保存会ノ趣旨ニ賛同シテ金千円ヲ寄付ス。是日、同神社社殿ノ新築及ビ境内ノ改修成リテ、祝祭挙行セラル。
9款 其他 6. 湊川神社境域改修奉賛会
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大正15年11月
(1926年)
第41巻 p.671-677(DK410145k)
是月栄一、湊川神社境域改修奉賛会顧問トナリ、援助ヲ与フ。昭和五年十二月ヨリ五ケ年賦ニテ金五千円ノ寄付申込ヲ為シ、歿後完納ス。
9款 其他 7. 雷電神社
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昭和3年10月8日
(1928年)
第41巻 p.677-678(DK410146k)
是月七日、栄一郷里血洗島渋沢治太郎宅ニ到リ、大里郡大寄村高畑在、村社雷電神社ノ扁額ヲ揮毫シ、是日、当神社ニ参拝シテ記念植樹ヲナス。
9款 其他 8. 有徳公合祀奉賛会
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昭和4年4月10日
(1929年)
第41巻 p.678-683(DK410147k)
是ヨリ先、八代将軍徳川吉宗ヲ上野東照宮ニ合祀スルノ議起リ、昭和三年十一月五日内務省ノ認可ヲ得、爰ニ有徳公合祀奉賛会設立セラレ、栄一ソノ会長トナル。是日、当賛奉会、上野東照宮ニ於テ奉告祭ヲ挙行、翌十一日、第二霊屋ヨリ同宮ニ移霊ノ上、合祀祭典ヲ挙行ス、栄一、病気ノ為メ欠席ス。次イデ九月十五日、当奉賛会解散ス。
9款 其他 9. 大神宮御遷宮奉賛会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和4年6月25日
(1929年)
第41巻 p.683-686(DK410148k)
是日栄一、伊勢神宮式年遷宮ニ際シ、報知新聞社ノ発起ニ係ル大神宮御遷宮奉賛会ノ顧問トナル。